式内・名神大社 丹生川上神社 にうかわかみじんじゃ
[丹生川上神社・上社]大和国吉野郡 奈良県吉野郡川上村大字迫
1 | 元:タカオカミ神社 祭 神:高オカミ大神、 大山祇神、 大雷神 境内末社祭神:大国主命、事代主命、弥津波能売命、火武須比命 ●オカミは 又は於箇美と書き龍蛇神(水神)で、「タカオカミ」とは岡の上の水神をいう。 |
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2 | 吉野川上流に鎮座のこの神社は、大滝ダム(水資源利用・多目的)の工事の為、湖底に沈む地域となり、前山の中腹に平成10年3月15日、御遷座された。 (因みに神社遺跡は発掘調査され、一部は新境内地で展示されている。工事は遅れているが平成14年中にダムは完成の予定予定で旧社地は水没する。) ●国道169号線川上村、「道の駅」よりすぐ。 例 祭:10月8日 |
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3 | ●写真説明● @旧社地の拝殿、奥に本殿が繋がっていた。 A遷座後の新社殿、その奥は本殿。 B拝殿前の広庭より北側の眺望。正面の山は白屋岳(標高1,176m) Cうっすらと雪化粧をした背後の山々。手前左側の山の斜面にへばりつくようにして鎮座する新社殿。 D山を背後に北向きに鎮座する新社殿。(旧社殿は吉野川を背にして、南向きに鎮座していた) |
4 | 5 | 御遷座後の新社殿 |
[丹生川上神社・中社]大和国吉野郡 奈良県吉野郡東吉野村大字小
1 | 元:蟻通神社 祭 神:罔象女神(みづはのめ) 例 祭:10月16日 水神祭:6月4日 献燈祭:8月16・17・18日 ●弘長四年(1264)刻銘の石灯籠一基は国指定重文、又境内のツルマンリョウの自生地は国指定天然記念物。 |
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2 | 丹生川上神社は、延喜式・神名帳に記された名神大社であり、寛平九年(897)従二位の神階を授かった古社ではあるが、戦国争乱の時代を経て次第に衰微し、その所在までもが定かでなくなったといわれる。 まず江戸期に下市町長谷の現在の下社が最初丹生川上神社とされ、明治四年に官幣大社に列せられた。 その後、川上村迫(さこ)のタカオカミ神社、続いて東吉野村小(おむろ)の蟻通神社が、本来の丹生川上神社だとする説が起こり、三社併せて「丹生川上神社」一社として官幣大社と決められた経緯がある。 因みに「上社」は吉野川本流の上流沿い、「中社」は高見川沿い、「下社」のみが丹生川沿いに鎮座する。 |
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3 | ●写真説明● @境内正面入口の鳥居。左の石柱には「丹生川上神社」とだけ刻まれ、中社の文字は見られない。パンフレットにも「中社」の文字は無くこれは宗教法人登録の際の登録名のままという(登録時に中社の字を入れなかった) A水神の神の社にふさわしく、清冽な手水舎の水。 B社殿風景 背後は小高い山になっていて、神社前は高見川が流れる。 境内はかなり広く、神社前の高見川で水遊びをする家族連れのマイカーの駐車場として提供されているようだ。 写真は一番奥の山際が本殿、手前が拝殿。 |
[丹生川上神社・下社]大和国吉野郡 奈良県吉野郡下市町長谷
丹生大明神
上部本殿 への昇り階段 |
闇神 祭神:クラオカミ |
(大和国丹生川上雨師神)
この神社の一の鳥居は大淀町今木に、 二の鳥居は下市町善城に、三の鳥居は広橋にあったと云われる。 すると、上の写真の手前の鳥居が四の鳥居、拝殿前のが五の鳥居となる。 丹生川上神社三社の内、この神社のみが丹生川沿いにあり、地名もこの地は丹生村であった。 下社は丹生川の最も川上にあり、この川の中流沿いには、西吉野村に大日川丹生神社、 下流域には五條市丹原の式内社・丹生川神社が鎮座する。このようにこの地域は古来より丹生であり、丹生川であった。 丹生川の川上に坐すこの下社こそ、天武天皇が白鳳四年に創建したと云われる丹生川上神社であろうと思われるが、 今となってはそれを証明する手立てはない。 幕末に当社の神官橋本若狭が天誅組に参加したため、幕府側に火をかけられ社殿が焼失したという。 惜しむらくはそのとき灰燼に帰した多くの社宝や古文書である。 |
※古代の祭祀遺跡と見られるところが当社本殿の上方台地にあり、境内近くから石器、土器などが多数出土している。 |
社前の丹生川【上流域】 | 丹生川【下流域】(丹生川神社附近) |
例祭:6月1日、 秋季大祭:10月14日 |
かみがみのましますもり 神々の坐す杜 25. 平成14年8月2日