吉野をこよなく愛した北面の武士、佐藤義清(西行)は吉野の桜を詠んだ歌を多く残しています。

●花を見し昔の心あらためて吉野の里に住まんとど思う
●吉野山やがて出でじと思う身を花散りなばと人や待つらん
●思いやる心や花にゆかざらん霞こめたるみ吉野の山
●吉野山こずえの花を見し日より心は身にもそはずなりき
●あくがるる心はさてもやまざくら散りなんのちや身にかへるべき
●やま人よ吉野の奥にしるべせよ花もたづねんまた思いあり
●吉野山うれしかりけるしるべかなさらでは奥の花をみましや

・・・・・と吉野の桜はあまりにも有名ですが、行って見ると「期待はずれでがっかりした」と言う人もかなりいます。でももう一度訪ねる人も多く、二度目はとても良かったという人が殆どです。
吉野の桜はその殆どが山桜で、咲いているときは若葉が出た状態であり、ソメイヨシノのような華やかさはありません。ひっそりと、しかし妖しく咲いています。遠く離れて見る吉野の桜はとても風情があります。
西行はあまりにも妖しく咲く桜の大木をして、その根元に髑髏をいくつも抱え込んでいる故としたとか。たしかに吉野の山は古戦場でもあります。植物に骨粉を肥料として与えると、よく成長することが知られています。




吉野とサクラ
ソメイヨシノ
万葉集とサクラ
 ソメイヨシノは、ヨシノの名が付いていますが吉野山とは無関係で、江戸の染井という植木屋が売り出した、ヒガンザクラとオオシマザラの交配種といいます。
 万葉集には桜を詠んだ歌が43首あるそうですが、吉野を特定したものは一首もなく、吉野の桜が登場するのは10世紀初頭の「古今和歌集」が始めで、その頃から吉野は花の名所として有名になり始めたといわれます。(「奈良の街道筋」青山茂著による)
万葉の時代の吉野の魅力は桜ではなく、山や川などの自然そのもの(あるいは丹砂など鉱物資源か)だったようで、万葉集には吉野を歌った歌が88首(吉野の郷土史家・桐井雅行氏)もあるといいます。
丹生川と桜(西吉野十日市)
大淀町比曽の桜
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