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 吉野宮のあったこの吉野郡は、古代より賀美、那珂、資母、吉野の四地区に分けられており、丹生川上神社のある長谷から、金岳・銀岳・銅岳の三山をふくむ穴太あたりまでがヨシヌで、「シヌ」または「シノ」に接頭語の「よ」を付けてよばれたのが吉野(輿之努)の地名の起こりという。つまり「よしの」は吉野川南岸の桃花里から丹生川までの地域をいい、「みよしの」とは水の吉野という意味だともいう。
●賀美、那珂、資母、吉野(カミ、ナカ、シモ、ヨシヌ)●穴太「賀名生」アノウ)●桃花里(ツキノサト)
今木の丘より北方の葛城山を望む
 吉野三山とは、奈良県吉野郡下市町の金峯山(黄金岳又は栃原岳)、西吉野村の銀峯山(白銀岳)と銅岳(櫃ケ岳)の三つの山をいい、北から南へ順に金・銀・銅と連なっています。この山頂にはそれぞれ神社があり、丹生族とかかわりの深い神社と考えられる。
 金岳には波比売神社、銀岳には波宝神社、銅岳には八幡神社があり、古代は丹生大明神(丹生都比売)が奉斎されていたといわれる。
 吉野郡には神奈備としてこの吉野三山のほか、十津川村に玉置山があるが特に古い神社はいずれも山頂にあり、古代は道路も村落も尾根伝いに発達してきたと思われる。 '01.2.1.rv.
吉野三山
下市町・千石橋下の吉野川
●「大和志料、和名類聚抄等」より
吉野三山
 三神社
吉野 丹生の里