みよしの巡りC

  '01.05.07
井光の里(井氷鹿)
井光神社(いかりじんじゃ)
祭神:井氷鹿(いひか)
吉野郡・川上村井光(かわかみむらいかり)
いひかのさと
吉野川の支流・井光川
国道169号線を大淀町から吉野川沿いに大台ケ原方面へ向かうと、川上村の「道の駅」より20分位の井戸から吉野川を北に渡り、支流の井光川沿いの急坂を登っていくと井光集落に到る。
途中にはアマゴの渓流釣りを楽しめる施設がある。
●天皇は吉野のあたりを見たいと思われて、宇陀の穿邑(うがちのむら)から軽装の兵を連れて巡行された。吉野に着いたとき、人がいて井戸のなかからでてきた。その人は身体が光って尻尾があった。天皇は「お前は何者か」と問われた。答えて「手前は国つ神で名は井光(いひか)といいます」と。これは吉野の首部(おびと)らの先祖である。
さらに少し進むと、また尾のある人が岩をおしわけて出てきた。天皇は「お前は何者か」と問われた。「手前は石押分(いわおしわく)の子です」という。これは吉野の国栖の先祖である。川に沿って西においでになると、また梁を設けて漁をするものがあった。天皇が尋ねられると、「手前は苞苴担(にえもつ)の子です」という。これは阿太の鵜飼部の先祖である。・・・
「日本書紀」 宇治谷 孟、  現代語訳より

と古代吉野の三部族について書かれている。
日本書紀では「井光」、古事記では「井氷鹿」と書かれイヒカと読ませるが、現在の吉野郡川上村井光はイカリといい、碇とも書かれる。
撮影
'01.05.04
●吉野連、加弥比加尼(かみひかね)の後なり。諡は神武天皇、吉野に行幸でまして神瀬に到りて、人を遣わして水を汲ましたまひしに、使者還りて曰く、井に光る女有りといふ。天皇、召して問いたまはく、汝は誰人ぞとのたまふ。答えて曰さく、妾は是天自り降り来つる白雲別神の女なり。名を豊御富(とよみほ)と曰ふとまうす。天皇即ち水光姫と名づけたまひき。今の吉野連が祭れる水光神是なり。・・・・・と「新撰姓氏録の研究」考證篇第四にあり。
但し、記紀にはかならずしも女性として記述しているわけではない。
●関連記事 「真朱の姫神」三、井光の長老
http://www5.ocn,ne.jp/~miyosino/asuka_004.htm
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