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神蔵大明神


 古代ヤマトでいう丹とは硫化水銀(朱)、四塩化塩(丹)、褐鉄鉱、赤鉄鉱、酸化鉄をいい、その生産・精錬を主に生業とする部族を丹生族という。先史時代、一族の祖先は海から来て河口より沢伝いに鉱脈を求めてやってきた古代吉野の開拓者であり、日本書紀でいう「井光」がその中心部族で、鴨氏、葛城氏、巨勢氏、尾張氏、息長氏なども同族の系譜である。彼等はヤマト朝廷の武器・兵力・財力のバックボーンであり、神武以来〜天武・持統など天皇家と吉野族は密接なつながりを持っていた。(持統天皇の吉野宮への行幸33回)この丹生族の神奈備が吉野三山であり、その祖神が精錬の神である古田大明神、神蔵大明神ともいわれる丹生大明神である。  
「丹生」とは何か
波宝神社一の鳥居
波比売神社一の鳥居
丹生の里・樺の木峠
丹生大明神  
 近江朝の時代、大海人皇子(後の天武天皇)は天智天皇との確執から、出家して菟野皇女(後の持統天皇)と共に吉野入りした。そして吉野・葛木・近江・尾張などの丹生一族の協力を得て近江朝(大友皇子)を倒し、飛鳥に政権をうち立てるのである。そして天武没後、その業跡を引き継いだ持統天皇の吉野詣では三十一回の多きを数えることとなる。それは吉野族の協力が無ければ持統は政権を維持できなかったからではないか。(あの歌はやはり単なる語呂合わせではなないはずだ)井角は心の中で歌を繰り返す。
 「淑き人の良しとよく見て好しと言ひし芳野よく見よ良き人よく見」
それは詠み手の天武が后の菟野に「かの美しく賢き方が申されたように、吉野は良き要の地である。良き人よ、よく心得て治めよ」と吉野の重要性を説き、申し送った歌ではなかったか。「淑き人」とは推古天皇かあるいは神功皇后のことであり「良き人」は菟野讃良皇女のことを指している。・・・(真朱の姫神より) '01.2.1.rv.
丹生川(長谷付近)
丹生川上神社
天武・持統と丹生の里