吉野離宮の比定地

写真は吉野川である。川の向こう側が左岸(南岸)、吉野郡下市町新住地区 /MapFan Web より

「吉野離宮」は何処に所在したのだろうか?
上の写真は吉野川で、場所は下市町千石橋のすぐ下流100メートル位の所。
流れは写真の左側から右に流れており、この辺りは特に流れが速く、白い泡をたてている。
そしてすぐ岩盤に突き当たり、青く淀んだ渕をなし、そこからは左に大きく湾曲して五條市阿陀に西流している。
この向こう岸は吉野川の河岸段丘で、現在は木材会社や自動車学校があり、そこからは南側に向って小高い地形となって、
そこに「宮前寺」があるが、筆者は、その辺りが「吉野離宮」の宮址ではないだろうかと思っている。
まさに『万葉集』巻1-38柿本朝臣人麻呂の歌「…吉野川激つ河内に高殿を…」を彷彿させる。
「河内」とはこの地形のごとく、河の流れをめぐる内、流れに包まれた地をいうのである。
巻1-36には、「…山川の清き河内と御心を吉野の国の花散らふ秋津の野辺に宮柱太敷きませば…」という歌もある。
また、この吉野川南岸の下市町には、すぐこの近くに「秋野」の地名も残っている。
吉野離宮は別名、「秋津野宮」でもある。

吉野で最も著名な古墳は、下市町阿智賀の「岡峯古墳」であるが、この「阿智賀」と呼ばれる地域は「新住」と隣接していて、
今後も考古学上の大発見の可能性があると思われる。ここもいわゆる河内と呼ばれる吉野川の南岸の河岸段丘である。
もちろん、阿智賀地域も吉野離宮址の有力な候補地とみることができる。

手前は吉野川、向こう岸には自動車学校。その南側に宮前寺がある。 神光山・宮前寺

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