万葉集には六田が二首詠まれています

●音に聞き目には未だ見ぬ吉野川六田の淀を今日見つるかも
●かわづ鳴く六田の川の川やぎのねもころ見れど飽かぬ川かも
大峰参拝の修験者には聖宝理源大師を開祖とする当山派に属する者と、本山派に属する者との二つの派に分かれるわけですが、当山派の人達はこの渡しを渡って向こう岸の河中で水垢離を取って身を清めてから吉野山を経て大峰参拝をして熊野に出、本山派の人はこの逆を取って柳の渡しが終点になります。
みたけもうで(山上参り)や花見に、この渡しを渡った有名無名の人々は数えきれません。国文学者本居宣長も、「汽笛一声新橋を」の名高い鉄道唱歌の作者、大和田建樹もその一人なのですが,心に残るのは源義経が静御前を連れて吉野に逃れて来、静を残して去りますが、残された静は捕らえられ、馬に乗せられて母の住む京都北白川へ送られます。
この時、静はこの渡しを通ったのではないかと思うと哀れです。鎌倉八幡宮の神前、頼朝の前で静が舞うのはこの後のことです。(大淀町教育委員会の立看板より) '01.04.10
@柳の渡し(吉野郡大淀町六田)
吉野川の北岸 柳の渡跡
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みよしの巡り
万葉集にも歌われた丹生の里、美しい吉野の山河を訪ねます