小竹宮・波宝神社

白銀岳山頂

白銀村(旧)村史によれば…、
神社の起源詳らかならずも…
銀峯は吉野郡三霊峰の一にして往古伊弉諾伊弉冉二尊の降臨あらせられ…
神功皇后三韓帰途日高を経てここ小竹宮に還る。(夜中邑地名起源説話)
応神天皇吉野行幸の際駐輦あらせ給う…
古田大明神又は若櫻宮と稱す。
大寳元年、役小角此山に入り秘法を行いしに神女出現ありて
「鎮護國家化導群衆」と告げ石室に入り給う因って神蔵大明神と云ふ。
爾来大峯参詣の行場にして先達入峯すること舊例なり。
正平十五年(1360)南朝方征夷大将軍赤松宮陸良親王(大塔宮護良親王遺子)銀峯に陣を構え三日三夜の戦い。
天保四年(1833)有栖川宮参拝あらせられ祈願所となし摂社八幡大神の神体及び本社の大鈴外数点を献ず。
文久三年(1863)9月天誅組茲に本陣を置くなり。(以上箇条書き)
…などと記されている。
波宝神社は古代に小竹宮/之努宮(シヌノミヤ)、古田大明神、若櫻宮、神蔵大明神などと呼ばれていた。
冬の白銀岳(銀峯山)/北麓より撮影


有栖川韶仁親王と波宝神社

西吉野白銀岳
波宝神社は、有栖川韶仁親王の祈願所になっています。
不思議なのは、何故このような山奥の山頂の神社を、筆頭皇族の有栖川宮家が「祈願所」にされたかです。
当時、有栖川宮韶仁親王は神祇事務総督、神道総裁でもありました。神社を統べる地位にある御方が、全国にあまたある
神社の中から、何故「波宝神社」を祈願所に定めたのでしょう。このことは波宝神社神宮寺僧、義仙が知っていたと思えます。
義仙は京都にも名を知られた人物だったようですが、出自・素性はよく分かっていません。有栖川宮家の文書には残されていた
(有栖川宮家廃絶後は高松宮家に残されている?)とも思えるのですが、今は知るよしもありません。
ちなみに韶仁親王の御孫の熾仁親王は、戊辰戦争征討大総督、陸軍大臣で、
婚約者は有名な悲劇の皇女・和宮さまでした
                         

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