式内社 川上鹿塩神社 かしお

祭  神:天照大神・天忍穂耳命・瓊々杵命 
鎮座地:奈良県吉野郡吉野町樫尾字大蔵423


樫尾集落の南東上方の五社峠に鎮座。
『延喜式』神名帳に記載の「川上鹿鹽神社」に比定される。
明治の『神社明細帳』では、主祭神を大倉比売命、左相殿神を大国主命、右相殿神をアジスキ高日子根命あるいは大倉下命とされている。    −日本の神々−
本  殿
急斜面の下の 拝  殿
山道の途中にある 道  標 拝殿横から見上げた 本  殿


『奈良県吉野郡史料』下巻「中荘村史」の項には以下のように記されている。

「川上鹿鹽神社ハ大字樫尾大倉谷ニアリ 祭神ヲ天照大神 瓊々杵命 忍穂耳命ノ三神トス式内神社 或ハ云フ國栖祖夫婦及ビ神武天皇ノ三座ナリト云フモ調査詳ナリ難キ由 又天智帝十年再建ノ棟札アリト伝フモ今ハアラズ蓋シ最古ノ神社ナルヲ知ル元二十一年毎ニ社殿改造古例ナリト」
また、同「国樔村史」の項には、
「大倉神社ハ南國栖ニアリ祭神鹿韋津比賣命元村社川上鹿鹽神社ヲ明治12年ニ大倉神社と誤記セリト云フ左殿ニ大倉比賣命右殿ニ巖押別命ヲ祭ル孝元天皇ノ代ニ祭祀ス」と見える。
つまり、川上鹿塩神社の祭神は、国栖先祖の夫婦神である。この神社を明治時代に「大倉神社」と誤記したというのである。とすれば、大倉神社(大蔵神社)とされているのが本来の川上鹿鹽神社であり、即ち祭神も大蔵神社に祭祀されている大倉比売命、岩押別命、鹿葦津比売命が本来の川上鹿鹽神社の祭神ということになるのであろうか。
ちなみに大蔵神社は、川上鹿鹽神社のもう一つの論社でもある。
鎮座地の「樫尾(かしお)」は神社名の「鹿塩(かしお)」であろう。そしてここの字は「大蔵」である。当てられている漢字に惑わされてはいけない。樫尾=鹿塩である。

鹿塩、大蔵、この2社の由緒は複雑なようだ。一時期、遷座して十二社神社と同じ境内で祭祀され、また元の鎮座地帰ったりで実際よく判らない。
以下は筆者の想像だが、現在樫尾大倉谷にある鹿塩神社が、やはり本来の式内鹿鹽神社ではないだろうか。氏地・氏子・尊崇者の都合で分社し、他方を大蔵神社としたのではないかと思われる。但し祭神は、大蔵神社の祭神大倉比売命、岩押別命、鹿葦津比売命が本来の鹿鹽神社の祭神ではないだろうか。やはり国栖の先祖神であったはずだからである。
鹿塩神社の現祭神、天照大神・瓊々杵命・忍穂耳命は後代に勧請されたものと思われるのだが如何なものであろう。

●参照頁:大蔵神社  参照リンク:神奈備神社名鑑「川上鹿塩神社」

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十二社神社の東側にコンクリート舗装の軽なら通れる山道があって道なりに登って行くと道標があり…と
「神奈備」さんに以前に教えていただいたメモを頼り、お蔭様で参詣できました。


吉野町 丹生津風呂神社 にう つぶろ
祭神:罔象女神
鎮座地:奈良県吉野郡吉野町河原屋

津風呂湖畔の丹生津風呂神社  本  殿

かみがみのましますもり  続・神々の坐す杜  26.平成19年11月27日掲出


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