吉野の四季/吉野神宮の夏



吉野神宮境内より西の眺望、遠方の山は葛木山(金剛・葛城)



“歌書よりも軍書に悲し芳野山”

江戸時代中期、各務支考(かがみしこう)が詠んだこの句は、
多くの歌人に詠われた吉野山は、花よりも南朝の歴史が物悲しく哀れだと詠んでいるようである。

吉野神宮 表参道(北正面)



足利尊氏との政争に破れ、吉野に落ち延びた後醍醐天皇は、
“玉骨はたとひ南山の苔に埋まるとも、魂魄は常に北闕の天を望まんと思ふ”
と言い残し、延元四年(1339)吉野の行宮で崩御。御年五十二歳。
その言葉どおり、後醍醐天皇を祭る吉野神宮は、都のあった京都に北面して建てられている。
南朝の歴史については「太平記」にも詳しいが、後醍醐天皇の第一皇子、護良親王が吉野で挙兵したことを
中心に書かれた「大塔宮之吉野城」中岡清一著/吉野叢書が、吉野と南朝についてはより詳しい。
ちなみに大塔宮とは護良親王のことであり、吉野山を中心に壮大な城塁を築いたという。

内拝殿(奥に本殿) 吉野神宮● 拝殿(一般参拝)
 祭 神:後醍醐天皇
 摂 社:御影神社、船岡神社
     瀧櫻神社
鎮座地/吉野町吉野山
近鉄吉野線・吉野神宮駅下車、
境内まで1.2km。



吉野の四季/吉野神宮の夏  平成16年6月23日掲出

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