吉野の四季/賀名生の春

南朝の里 賀名生梅林

ここは昔、穴穂または穴生、穴太などと表記して、
「あなお」と呼ばれる邑であったが、佳字をあてて賀名生としたといわれる。
今は五條市西吉野町の一つの字名となっている。以前は、吉野郡賀名生村であった。
昭和38年の賀名生村、宗檜村、白銀村の三村合併で西吉野村となり、
さらに平成17年に大塔村と共に五條市に併合されて現在に至る。
ここ南朝の里は、いわゆる“丹生の里”でもあり
梅林の麓を丹生川が西流している。

賀名生皇居跡(堀家住宅) この辺りの山の斜面で、梅や柿が栽培されている

五條市のホームページには、「昔この地は穴生(あなふ)と呼ばれていましたが、後村上天皇は南朝が正統てありたいと、叶名生(かなう)と名付けられました」という説が紹介されている。
歴史民俗資料館では、西吉野町の歴史や昔の暮らしが分る民具などを展示している。
この資料館のすぐ隣りには、賀名生皇居跡がある。藁葺き屋根の重要文化財に指定されたこの館は堂々とした冠木門があり、そこには天誅組、吉村寅太郎の筆になる「賀名生皇居」の扁額が掲げられていて、幕末の歴史が偲ばれる。

また、南北朝時代は延元元年(1336年)、足利尊氏によって都を追われた後醍醐天皇は、吉野へ逃れる途上、この地に依られ賀名生の郷士堀孫太郎信増の邸宅に迎えられたのである。
さらには正平3年(1348年)、後村上天皇が吉野より難を逃れて、この屋敷に入られたという。
続いてこの舘は、長慶、後亀山天皇の皇居ともなったと伝えられている。
その邸宅というのが、この堀家住宅という訳である。
                                
●五條市HP/賀名生梅林を参照、要約・引用


三月初旬、蕾みはまだ固い (遠景は白銀岳、黄金岳) 駐車場近辺では一部咲き始めた梅もある


五條市本陣前交差点角には、天誅組ゆかりの櫻井寺がある。
この交差点を起点に、十津川方面へ行く国道が168号線であるが、この国道をはさんで、賀名生歴史民俗資料館の反対側の斜面が「賀名生梅林」と呼ばれている。元々は、梅酒や梅干にする梅を栽培する果樹園であったのだが、年々梅見の観光客が増え始めたため、近年梅見用の周回道路まで整備された。麓には大型バスも駐車できる充分なスペースが確保されている。
また梅林への上り口には食堂や土産物の売店もある。周回道路は吉野の花見道と同様に、一方通行で車に乗ったまま周遊できるようになっている。最近、シーズン中は観光客が増えて車はほとんど動けない状態になっているというので、所定の駐車場に入れてゆっくり歩いて散策したほうが良いようだ。梅林を一周すると約二時間ほどかかるらしい。
コースには、口の千本、一目千本、東雲千本、奥の千本、見返り千本などと名付けられていて、楽しく観梅を楽しめる。また遠望する景色も美しく、たっぷりと運動にもなるので早春のお出かけ先としておすすめしたい。


賀名生歴史民俗資料館 この公園内に重文、堀家住宅がある



吉野の四季/賀名生の春  平成20年3月7日掲出  戻る