名草の神々


伊太祁曽神社  式内名神大社  和歌山県和歌山市伊太祁曽558

1   神社名:いたきそじんじゃ
祭  神:五十猛命(いたけるのみこと)

    
:大屋津姫命(おおやつひめ)
     :津麻津姫命(つまつひめ)
写真説明:

@本 殿
A手水舎の水盤
B太鼓橋の正面向こうに拝殿が見える。
C二の鳥居。社は東向き。
 

●木の神さまにふさわしく、この杜は多くの木々に囲まれている。
2   五十猛神は、わが国に木種をもたらした神でその功によって有功(いさおし)の神と称された。またの名を大屋彦神とも云われる。
その他にも中世頃には、祭神を天手力男命する説もあらわれた。
社伝によると、伊太祁曽三神はともに現在の日前国懸神宮(現和歌山市秋月)の地に鎮座していたが、その地を神宮に譲って三神とも山東(現所在地か)へ遷座した。大宝二年には分遷されたが、伊太祁曽神社は山東にとどまったという。
分遷後はしばらく五十猛命のみを祀っていたようである。
                         (寺院神社大事典より)
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4   【祭礼】

一月十五日/卯杖祭・・・管粥神事
七月三十日/わくぐり祭り・・・危難よけ
十月十五日/例大祭




竃山神社 式内社    和歌山県和歌山市和歌山市和田438 

1 神社名:かまやまじんじゃ
祭  神:彦五瀬命


このお社は、彦五瀬命(ヒコイツセノミコト)を祭ります。
命は第一代神武天皇の兄君で、大和平定の途中戦傷、雄水門(ヲノミナト)で亡くなられ、竃山に葬られました。今から千年ほど前の法律である延喜式の神名帳に、「紀伊国名草郡 竃山神社」とあり、古くから官幣による皇室御崇敬の大社でありました。
しかるに、天正十三年豊臣秀吉が根来寺を伐った時の兵火により、社地社領を没収され、社殿を始め宝物・古文書など一切失ひましたが、寛文九年和歌山城主徳川頼宣が再建、歴代の崇敬を捧げました。・・・中略
寛政六年の冬、本居宣長はこの社に詣で、
 おたけびの かみよのみこゑ おもほへて あらしはげしき かまやまのまつ
と詠まれました。   (竃山神社由緒より、原文まま)
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3 写真説明

@本 殿
A拝 殿
B一の鳥居
正面駐車場 広々とした境内は清々しい、 左に手水舎。




日前・国懸神宮 式内名神大社  和歌山県和歌山市秋月365
       神社名:ひのくま・くにかかす じんぐう 

日前神宮(向かって左の御社) <●> (向かって右の御社)国懸神宮●
主祭神:日前大神
相殿神:玉祖命
     :明立天御影命
     :鈿女命
主祭神:国懸大神  
相殿神:思兼命
     :石凝姥命

1 この神社はわが国でも、最も古い歴史のある神社の一つで、早くから朝野の崇敬を集めた。
日前神に関する最も古い文献は、「日本書紀」神代上の一書にある。その中で、日前神は天照大神ををかたどった鏡を祀る社と説かれている。
一方、国懸神の初見は、「日本書紀」朱鳥元年(686)七月五日条の「幣を紀伊国に居す国懸神、飛鳥の四社、住吉大神に奉りたまふ」とあるが、この国懸神はどのような神か、日前神との関係も詳らかでない。
現在のこの社では、向かって左に日前神宮、右に国懸神宮があり、何れも南面する。

本来両宮は「日前に坐ます国懸神社」ともよぶべき一神社で、二座の神であった。しかるに天照大神の神話が付会され、国家神的性格をもったとき、伊勢の内宮・外宮の制にならい、日前と国懸を冠する二神が成立したと解されている。
             (寺院神社大事典から)
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写真説明

@本殿/
日前・国懸とも全く同様式で同じ大きさの社で坐す。
A鳥居と拝殿/
両神社とも同じ。
B参道/
両側には末社が二十社あるという。
C御神木
4 境内摂社

●天道根神社
祭神:天道根命

●中言神社
祭神:名草姫命
    :名草彦命
●国懸神宮の末社群(右側参道)には礎石だけで、社のない末社が多数を占める。
この神社は、西洋庭園のように殆んど完全なシンメトリーで、建物・施設が配置されている。
境内には神社経営の幼稚園や写真館がある。
正面鳥居



かみがみのましますもり  神々の坐す杜 20.  平成14年5月23日

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