式内社 矢作神社 やはぎ

祭 神 : 経津主命、住吉三神、誉田別気命、八重事代主命
鎮座地:大阪府八尾市南本町6

別宮八幡ともいわれ、式内社で経津主命をまつる。
この地帯一帯は古くから矢作連の居住地で、その祖神をまつったものである。
石鳥居には「矢作神社」とあり、境内の石燈篭には「八幡宮」となっている。
境内には慶長14年(1609)銘の経碑がある。東方の田んぼのなかに塚があり、
この付近から室町時代の古瓦片出土した。 〈八尾市教育委員会〉


矢作神社由来


当社は創建は不詳であるが主祭神経津主命の後裔である矢作連の一族は早く此の地に住して朝命を受け矢作りの業に従事した。
当時この地方は豪族物部氏の繁栄に伴い祖先を氏神として経津主命を祭祀したものと伝へられている。
付近には物部氏と関連した地名遺跡を多く残している。
醍醐天皇延長5年(927)に編纂した延喜式の巻の神名帳(日本国中の天神地祇の国別郡別一覧表)に河内国若江郡に記載されていて延喜式式内社として古くより名高い神社であった。
河内国神名帳には従三位矢作神社とある。

平安時代この地は石清水八幡宮が荘園として領しており、後三条天皇延久元年(1069)には荘園整理令が出て延久4年の石清水八幡領荘園に対する文書が残っており、承認された荘園の中に掃部別宮とある。
この頃より八幡宮(品陀別気命)を祀り別宮八幡宮とも言われて奉じた。
長久2年(1042)の後朱雀天皇の綸旨には河内国若江郡八尾八幡掃部別宮とある八尾の地名が出る一番古い記録と云ふ。            〈矢作神社由来石碑〉

かみがみのましますもり
続・神々の坐す杜
10.平成19年10月28日掲出

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