式内社 飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社 あすか
かわかみにますうすたきひめのみこと


祭  神:宇須多伎比賣命、神功皇后、応神天皇
鎮座地:奈良県高市郡明日香村稲渕字宮山

拝  殿 本殿は無く後背の神体山を拝する

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皇極天皇元年8月1日
天皇は南渕の川上においでになり、跪いて四方を拝し、天を仰いで祈られると、雷鳴がして大雨が降った。雨は5日続いて天下は等しくうるおった。国中の百姓は皆喜んで「この上もない徳をお持ちの天皇である」といった。
                               『日本書紀』現代語訳/宇治谷 孟より 

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『日本の神々』の執筆者の一人、大矢良哲によれば、
―皇極天皇が雨乞いの対象とした神は、飛鳥川上の飛鳥神奈備の神であったとみてよいであろう。そして南渕の河上とは『延喜式』神名帳の高市郡「飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社」と考えて良いと思う。…中略…式内社として地理的に最も妥当なのは、やはり当社であろう―  …と書いている。
なるほど、その通りだと思う。
ちなみに社前の県道に沿って飛鳥川が北流しており、ここはまさしくその川上にあたる。

石段下に見る県道15号線 境内入口より、仰ぐばかりの急勾配な石段 ここからが明日香村・栢森(かやもり)

吉野から芋峠越えを思い立った。
「吉野宮」があったとされる宮滝から出発して、国道169号線を西行き、大名持神社のある河原屋から、県道15号・吉野-明日香線に入り北上。吉野町千股から芋峠へ向かう。あたりの景色は紅葉が美しい。
途中の道は細く、かなり急勾配ではあるが道路はよく整備されているといえる。峠の地点には、「吉野町千股」と「高取町」の標識が立てられてあり境界が峠であることが判る。近くには「古道」を示す標識もある。その古道は現在の道路とはまったく違う、ほとんどケモノミチで所々寸断されているようだ。吉野側にくらべると高取町側のほうが道が更に急で、杉の植林がうっそうとして道も暗い感じがする。かなり下りていった途中に「役行者」らしき像を祀った祠があった。そこの奥の傍らにHONDAのカブが停めてあったが人はいない。とうとう「明日香村・栢森(かやもり)」の集落入口の標識に出るまで、車にも人にも出会わなかった。この時はたまたまだっただけかも知れないが、通行のひどく少ない道路ではある。栢森から急に視界が明るく開けて前方に紅葉の美しい山が見えた。しばらく行くと稲渕で、明るい明日香の村がすぐそこであった。 ちなみに吉野宮滝から明日香橘寺まで21qであった。

県道15号線、高取町側の道路沿いの[説明立看板]に次のようにあった。
古道芋峠道   
「万葉の大和路」犬養 孝 
明日香村大字岡あたりから吉野へ歩いてゆくのには、普通飛鳥川をさかのぼって大字稲渕・栢森と登りつめて、芋峠が吉野郡との境となって、これから吉野郡上市の町へと下るのである。
芋峠までくれば、吉野の山を一つ一つと数えることができる。空気も国原とはとみに変った感である。この道は明日香村の奥座敷で、静寂快適この上もない。(中略)
持統女帝の吉野行幸道は、地形状況からいって、この道をゆくのがきわめて自然と思われる。

※持統天皇は在位中11年間に31回も吉野へ行幸しているが、その行く先であったと見られる「吉野宮」が宮滝に所在したとすれば距離的には一番近いとは言える(注:maruya)


かみがみのましますもり  続・神々の坐す杜  27.平成19年12月03日掲出


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