神々の坐す杜
名神大社 高天彦神社 たかまひこ

祭 神:高皇産霊神 
配 祀:市杵嶋姫命、菅原道真公
鎮座地:奈良県御所市北窪 


  由 緒: 天照大神の子の天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)に、本社の御祭神の娘、栲幡千々姫命(たくはたちじひめ)が嫁ぎ、御子の瓊々杵尊(ににぎのみこと)が高天原から降臨される。その神話に言う高天原がこの台地である。
御祭神を氏神とした葛城族は、大和朝廷に先行する葛城王朝を築き、亡びた後も
平群・巨勢・蘇我の豪族として栄えた。延喜の制では、名神大社に列し、月次・相嘗・新嘗には、官幣に預かってきた神社である。
(高天彦神社・案内板より)
「高天原舊跡地」石碑        
 
社  殿   後背の神体山・白雲峯
 
玉垣内から振返り見た杉木立の参道   東麓から西に上ってゆく参道

当社の主祭神は高皇産霊神とされているが、
本来は高天彦神であったとも謂われる。社殿左脇には「土蜘蛛塚」と呼ばれる墓標があり、
近くの山中には「蜘蛛窟」と刻まれた石碑もある。そして葛城とは、まつろはぬ夷賊・土蜘蛛を葛(つた、つる)の網で絡め捕って
殺したことに由来する地名ともいわれている。そうしたことから考え合わせると、「高天彦」とはこの辺りの土蜘蛛の首魁の名と思われる。
つまり、「高尾張の邑 に赤銅八十梟帥あり」と蔑視された者らと同族ではなかったかと思うのであるがどうだろうか。
土蜘蛛を誅殺した天孫族は、その祟りを恐れて神社をつくり恨みを残す靈を弔ったのだと思う。
高天彦神社は、土蜘蛛の恨みを封じる鎮魂のための神社だったような気がする。
 
また「高皇産霊神」とは、『日本書紀』巻第二の本文、
初めの部分に「皇祖高皇産霊尊」とあるので
この神は後に祭り代えた天神である。
(以上の項は筆者MARUYAの私見)

かみがみのましますもり  神々の坐す杜 53.  平成23年12月19日掲出

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