式内社 櫻井神社 さくらい

祭 神: 仲哀天皇・応神天皇・神功皇后
 鎮座地: 大阪府堺市南区片蔵645
泉北高速鉄道・泉ケ丘駅下車、南海バス・桜井神社前


現代の祭神は上記のようになっているが、創建はかなり古い時代のようであり、本来の祭神は不詳。
この辺りは、古代より有名な須恵器の産地であり、この技術を伝えた豪族の祖先神を奉祭したのが始まりであろうか。
伝えによれば、推古天皇五年(597年)に八幡神を合祀して上神谷(にわだに)八幡宮とも言われるようになったという。

内拝殿前の石柱には、式内 國神社・櫻井神社・山井神社と刻まれている。
和泉國大鳥郡の延喜式神名帳に記載のある神社が2社、この櫻井神社に合祀されている。
長く神仏 習合の霊場として多くの人びとの崇敬を集め、大いに隆盛したようである。

内拝殿 本  殿 石柱には、式内櫻井神社と刻まれている


国宝櫻井神社 拝 殿
この拝殿は神社の祭礼を行う建物で、
建立は鎌倉時代前期と推定されている。
中央間を土間の通路とした割拝殿で、架構方法は二重虹蟇股といわれる奈良時代以来の伝統的な形式となっている。
装飾的な要素をひかえた明快な建物で、各部に鎌倉時代の特色をよく示している。大正6年国の特別保護建造物に指定され昭和三年解体修理が行われ、同28年文化財保護法に基づき国宝に指定された。その後同53年屋根吹替等保存修理を行う。
神社拝殿最古の遺構として貴重な建物である。
                         (大阪府教育委員会)
▲国宝・割拝殿


▲入口・屋形門 (寺院風の門構えで鳥居は見あたらない)
祭神は、仲哀天皇・応神天皇・神功皇后で、上神谷(にわだに)八幡宮とも称せられている。
延喜式内社で、神域広大にして社殿また荘厳を極めていたが、天正5年(1577)信長の根来攻めの兵火にかかり拝殿を残すのみとなり、一時荒廃した。その後、天正16年(1588)より享保16年(1731)にわたる再建によって、ようやく旧観に復した。
拝殿は、鎌倉初期の建築で切妻造り、本瓦葺きで、二重虹梁蟇股式の古い構架法など、よく創建当時の姿をとどめている。内部は中央の土間の通路とした割拝殿で、市内では唯一の国宝に指定されている。
                         (堺市)

10月第1日曜日の秋祭りに奉納される神事舞踊「上神谷のこおどり」は、
雨乞いの踊りが起源といわれている郷土芸能。鬼や天狗に扮した人達が鉦(かね)や太鼓で踊りまわる。
これは国の無形文化財に指定されており、室町時代の民俗芸能の面影をよく残している。
また、境内国神社神像三躯と応永19年の銘を持つ石灯篭は、府の無形文化財に指定されている。 
荘重なたたずまいにその歴史が感じられる。雅やかな神社でもある。


かみがみのましますもり  続・神々の坐す杜  4.平成19年10月19日掲出


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