神々の坐す杜

紀の川(道の駅・万葉の里前、河川敷より)向こうの山麓は、かつらぎ町三谷地区

撮影機材:Nikon S2(1958年製)NIKKOR 5cm F1.4/フィルムKODAK GOLD100 



相賀大神社
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祭 神:天照大神、
     伊邪那岐神
     伊邪那美神

古くは相賀荘惣社大明神・総社三部明神とも呼ばれた
紀伊国伊都郡/おうがだいじんじゃ
鎮座地:和歌山県橋本市市脇2丁目7番8号

 
  本  殿
   
 
旧・大和街道よりの参道入口   割 拝 殿
 
相賀大神社『その由来』パンフより
この神社は、古くは相賀荘惣社大明神・総社三部明神とも呼ばれ、祭神に「天照大神」「伊邪那岐神」「伊邪那美神」が祭られています。
創建は明らかではありませんが、その昔、一町三十一とも二十九村ともいわれるこの地区の総産土神として崇敬されてまいりました。相賀荘は平安時代末期に高野山蜜厳院領として成立しました。その後、鎌倉時代に密厳院が大伝法院とともに根来に移って根来寺となると、相賀荘は根来領として引継がれましたが、その時にこの神社は、相賀荘の鎮守として根来の三部権現を勧請したものといわれています。
また、関白藤原頼道公「高野参詣記」にはこの宮の境内で「惣社の市」と呼ばれた市が開かれていたと記されています。そして市脇という地名はこの事によるものといわれています。本殿裏には、橋本市の文化財に指定された市脇相賀古墳群散在し、、現在八基の古墳が確認されています。
境内には正平十年の年号の入った石灯籠があり、和歌山県の文化財に指定されています。また、梵鐘が残されており、この地域における江戸時代の代表的な作品として橋本市の文化財に指定されています。
以上、同パンフレットより引用(ママ)―――――――――――――――――――――――――――――

かみがみのましますもり  神々の坐す杜 67. 平成24年10月31日掲出

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