丹生都比売神社 にうつひめじんじゃ
紀伊国伊都郡・式内名神大社      和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野

通称 天野神社、天野四社明神、天野大社の名がある。

祭 神
第一殿:丹生都比売大神(丹生明神)
第二殿:高野御子大神(狩場明神)
第三殿:大食都比売大神(気比明神)
第四殿:市杵島比売大神(厳島明神)


●主祭神の丹生都比売大神は天照皇大神の御妹神で、稚日女尊とも云われている。
●気比、厳島両名神は鎌倉時代の初めに、敦賀と安芸からそれぞれ勧請されたという。


[左の写真は四連棟の本殿]

本殿の鮮やかな極彩色塗装
この神社の創建は、古く応神天皇の時代とも云われるが不詳。
正面に美しい楼門がたたずむ、厳かな雰囲気の境内
かつらぎ町は背後に高野山地をひかえ、このあたりの大部分の神社は北向きに鎮座する。
この丹生都比売神社もその例にもれず北向きに配置されている。
古代の雰囲気を今に伝える、女神の坐す神社にふさわしい雅やかな神社である。
本殿四棟、楼門ともに国指定重文。社宝には国宝の鎌倉期の銀銅蛭巻太刀拵一口などがある●「丹生都比売神社略記」より●
 御田神事厄徐祭/1月14日、 花盛祭/四月22日、 秋の大祭/10月15・16日 




丹生酒殿神社 にうさかどのじんじゃ
紀伊国伊都郡    和歌山県伊都郡かつらぎ町三谷
  本殿 祭 神:丹生都比売大神
     高野御子大神


「続風土記」によると、三谷のこの地は丹生都比売神降臨の地と伝え、
鎮座地裏山を榊山という。
貞観五年(1349)閏6月11日の高野山衆徒預所職寄進状案によれば、高野山衆徒が山崎郷の預所職を当社に寄進、当社は「天野両所之本社、朝家無双之霊神也」とされている。(寺院神社大事典/平凡社より引用)
さらに「続風土記」には、境内に狩場明神を祀る摂社のほか、末社一・本地堂・舞台・宝蔵があるとみえ、三谷荘の氏神で神主は天野社神主兼帯とある。
(寺院神社大事典/平凡社)
・・・というように、かつらぎ町の丹生神社三社の内でも、この丹生酒殿神社は重要な位置を占めていたようである。
境内入口正面は拝殿

境内摂社の一つ。「鎌」を祭る神社。
本殿は無く、一本の木に無数の鎌が打ち込まれてある。
古く錆付いたものから、真新しい平成時代のもある。
丹生都比売神の坐す杜、背後の山は榊山。




丹生官省符神社 にうかんしょうふじんじゃ
紀伊国伊都郡   和歌山県伊都郡九度山町慈尊院
1 祭 神:丹生都比売大神
      高野御子大神
      大食都比売大神
      市杵島比売大神

もとはこの四神に太神宮、八幡宮、春日明神の三社を祀り、神宮寺の神通寺ををあわせ神通寺七社明神とも称したという。
2
応永三年(1396)の官省符荘庁番殿原請文に「官省符鎮守神通寺七社」とみえる。
「続風土記」にも神通寺七社明神と記し、・・・中略・・・
又同書は「七社の中、丹生高野二神は弘仁年中大師(空海)の勧請なり、気比厳島ニ神は文明年中の勧請と云ひ伝ふ、此四社天文の洪水以前は北の方宮の橋といふ地にあり(今川底となる)。
三社宮(太神宮・八幡宮・春日明神)は、古官省符荘の氏神にて今の社檀の巽一町、神楽尾山にありしを、天文年中慈尊院を移せし時倶に移して七社明神とし一荘の総氏神とす。
社殿は国指定重文。  (寺院神社大事典/平凡社より引用)

●弘法大師空海が慈尊院を開創した時、その鎮守として高野山の山王神でもある丹生都比売神、高野御子神(狩場明神)を奉祭したのが当社の創始という。
●弘法大師空海が、高野山に真言密教の道場を開くに当たり、高野御子が化身した狩人が白黒二頭の犬を遣わして高野の地に空海を案内したという言い伝えが残る。

3 4 5 写真説明

@本 殿
A慈尊院境内よりの参道
B慈尊院山門より
C空海と狩場明神
 (神社拝殿前の大看板)
D慈尊院境内にある厳島  神社前水盤の龍像



かみがみのましますもり  神々の坐す杜 24.  平成14年7月28日

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