淡嶋神社

紀伊国海部郡 和歌山県和歌山市加太116   南海加太駅西1km 
1
神社名:あわしまじんじゃ

祭  神:少彦名命、大己貴命、息長足姫命
摂末社:大国主社、紀文稲荷社、

その昔、神功皇后が三韓より帰還の際、友ヶ島に祀られていた少彦名命と大己貴命に、ご加護を頂いたことから、島では何かとご不自由と、お社を対岸の加太にお建てになられのが、加太淡島神社の起こりとされている。
当社は雛祭りで有名だが、これは「スクナヒコナ祭り」が略されて”ヒナ祭り”になったとされる。

●中世の記録には粟島大明神とも記され、江戸時代には加太神社と称され、式内社の名草郡加太神社に比定されるというが、延喜式神名帳が成立した当時より、この地は海部郡であった。
その矛盾について「紀伊国名所図会」は、「古は名草郡とす、今海部郡に属す」としているが、むしろ「延喜式」の誤りと見るのが妥当であろう。創立時期は不詳。・・・・・寺院神社大事典

2

3 写真説明

@本殿(左側面より)
A拝殿(右側には人形が並べられている)
B拝殿前広場(左に針塚、奥に摂社・末社がある)
C手水舎(この後方に宝物殿がある)
○祭 事○
●2月8日・・・針供養
●3月3日・・・雛祭(雛納及び雛流神事)
●4月3・4日・春の大祭
●7月31日・・夏祭(茅輪の神事)
●10月3日・・秋の大祭・・・等。
4
とぼけた表情のカエル 太陽がいっぱい、加太漁港 すまし顔の人形たち/拝殿廻廊




玉津島神社
紀伊国名草郡 和歌山県和歌山市和歌浦三丁目4   JR阪和線東和歌山駅南4q     
1
神社名:たまつしまじんじゃ

祭  神:稚日女尊(わかひるめのみこと) またの御名は丹生都比賣神
      息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)
      衣通姫尊(そとおりひめのみこと)
      明光浦霊(あかのうらのみたま)
例祭日:四月十三日
2

玉津島一帯は玉出島ともいわれ、いにしえ島山があたかも玉のように海中に点在していたと思われ風光明媚な、神のおわすところとして崇められてきた。
この玉津島神社の創立はきわめて古く、社伝によると「玉津島の神は『上つ世』より鎮まりませる」とある。

●神功皇后、すなわち息長足姫尊が三韓に進軍されたとき、玉津島の神(稚日女尊)が非常な霊威を顕されたため、皇后これに報われ御分霊を紀伊国伊都郡天野の地にお鎮めし爾来、玉津島・天野に一神両所並び立ち、毎年天野の祭礼に神輿がはるばる天野から玉津島に渡御するする「浜降りの神事」が、應永(1429年)頃まで行われていた。
玉津島の神を尊崇された皇后は、後にご自身も玉津島に合祀せられることになったという。

●衣通姫尊は第19代允恭天皇の妃で、その麗しさは「衣を通して光り輝いた」と伝えられる。また殊のほか和歌の道に秀でられたことが知られ、第58代光孝天皇が御夢見られ、勅命により合祀された。       (いずれも御由緒から)
3
4
写真説明:

@背後の山を少し上ったところに鎮座する本殿。
A拝殿から本殿に続く屋形門。これより立入禁止。
Bひっそりとたたずむ、拝殿
C朱も鮮やかな鳥居。丹生都比賣神を祀る社にふさわしい。
D美しい海には陽光がいっぱい。
E神社背後の山は、奠供山(てんぐやま)と呼ばれており、岩山である。

5 和歌の浦に 潮満ち来れば
潟をなみ 葦辺をさして
鶴鳴き渡る


山部宿禰赤人
6

かみがみのましますもり  神々の坐す杜 19.  平成14年5月22日

戻る