式内社 御形神社 みかた
祭 神:葦原志許男神(大国主神)
     

鎮座地:兵庫県宍粟市一宮町森添141

三間社流造檜皮葺 重文の本殿

御形神社御由緒略記には―――
「当社は、みかた神社または、たかみさん、などと呼ばれている。
祭神は、葦原志許男神で、またの名を大国主神ともいう。志許は、元気のある、武勇に優れた、或いは神威嚇たる神という意味である。
この神様は今の高峰山(風土記でいう志爾蒿)に居られて、この三方の里や但馬の一部も開拓され人々を治めていた・・・」というようにしるされている。
近くの庭田神社の由緒や、風土記の記事をふまえて考えると―
鉄の産地である此の地に天日槍神が渡来してきて、当地を治めていた葦原志許男神と相争い、結果的には、葦原志許男がこの戦に勝利して天日槍を退けた。そして但馬の気多郡、養父郡、そしてこの播磨の三條の地を支配した。一方の天日槍は、但馬の出石の地に鎮まり、出石神社の祭神となった・・・ということだろうか。

雪景色に映える、拝  殿

神  門

“御形”について、『播磨国風土記』宍禾郡に次の記事がある。
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「御形」とよぶわけは、葦原志挙乎命は天日槍命と黒土の志爾蒿(しにだけ)にお行きになり、 お互いにそれぞれ黒葛(蔓草)を三条足に着けて投げ合いなされた。その時葦原志挙乎命の黒葛は、一条は但馬の気多郡に落ち、一条は夜夫郡に落ち、一条(三条目)はこの村に落ちた。だから三条(みかた)と云う。 天日槍命の黒葛は全て但馬の国に落ちた。だから但馬の伊都志[出石(いづし)]の地を占めておいでになる。
あるいはこうもいっている。大神が形見(形しろ)として御杖をこの村に立てられた。だから御形という。   『風土記』吉野裕訳/平凡社より

上って来た参道、南方の眺望 雪のちらつく境内入口


かみがみのましますもり  続・神々の坐す杜 39.平成20年2月23日掲出    
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