神々の坐す杜
かみがみのましますもり
皇大神社(元伊勢内宮)
所在地:京都府加佐郡大江町字内宮

祭 神:天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)
    左殿:天手力雄命(あめのたじからおのみこと)
    右殿:栲機千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)




     
平成14年1月1日
【御由緒】

当社は、皇祖天照皇大神をお祀りする神社で、正式社名は皇大神社であるが、一般に元伊勢内宮を冠してお呼びしている。
十代崇神天皇39年に「別に大宮地を求めて鎮め祭れ」との皇大神の御教えに従い、永久にお祀りする聖地を求め、それまで奉祭されていた倭の笠縫邑を出御されたのが今を去る二千数十年前のはるかな昔であった。そしてまず最初に、はるばると但波(たにわ)へ御遷幸、その由緒により当社が創建されたと伝えられる。
皇大神は4年ののち、御神蹟(みあと)をとどめて再び倭へおかえりになり、諸所を経て、56年後の垂仁天皇26年に、伊勢の五十鈴川上にお鎮まりになった。
天照皇大神の御神徳を仰ぎ慕う崇敬者は、引き続いて当社を伊勢神宮内宮の元宮として、「元伊勢内宮」あるいは「元伊勢皇大神宮」、「大神宮さん」などと呼び親しみ、今に至るも庶民の厚い信仰が続いている。                     (皇大神社パンフレットより)
徳川時代から明治初期にかけては、年間の参拝者は8万人にもなっていたて、麓には宿屋が10軒、土産物屋や茶屋が軒を連ねていたという。当時は由良川の水運が利用され、船着場から1里(4q)歩くだけで良かったので、老若男女を問わず大勢の人が参拝した。
その後、舟便が閉ざされて大正から昭和にかけて激減したが、昭和5 0年ごろから道路の整備や、自動車の普及により、元伊勢参りが盛んになってきて、現在では往時をしのぐほどになってきている。

ピラミッドそっくりの日室岳は、神霊降臨の神奈備で、禁足地になっている。夏至の日、日室岳の頂上に太陽が沈むところが、遥拝所からみえるという。
この日室岳の下の、宮川渓谷に天岩戸神社が祭られている。
この皇大神社の神域一帯は、厳かで静謐な霊気がただよう、美しい
神代の空間を、そのまま残しているようである。

大江町には、この「元伊勢内宮」のほか、「元伊勢外宮」がある。
本 殿
日室岳
御神木
参 道
御本殿・脇宮
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