神々の坐す杜

西蒲原郡 岩室神杜 いわむろ
越後国西蒲原郡岩室村字松岳山ノ山口
祭 神天照皇太神、豊受大神 
鎮座地: 新潟県新潟市西蒲区岩室温泉

岩室神社は弘化二年(1854)に、神明社・十二神社・諏訪社・御鉾神社・稲荷神社の5社を
現岩室神社の地にあった、神明社に合祀したものである。この神明社の祭神は、
天照皇大神(伊勢神宮の内宮の神)と豊受大神(外宮の神)であった。
境内に天神山城の一翼なした松ヶ岳(174)への登山口がある。


拝  殿

 
拝殿前より見下ろした石段   二の鳥居〜正面石段


平成28年3月9日、越後・阿賀野川ライン下りを体験しました。
川下りというと季節外れの感がありますが、これは所謂急流下りとは趣を異にします。
この「阿賀野川ライン下り」という命名は、明治時代に来日したイギリス人の旅行作家、イザベラ・バードが、その著書『日本奥地紀行』で「ライン川より美しい阿賀野川…」と形容したことに由来するとかで名付けられたそうです。
著書によりますと、バード女史は1878年(明治11年)47歳の時の5月に来日して12月まで滞在、日本の奥地を旅したようです。
阿賀野川では、津川から新潟まで二人の男が操る木造の定期船で川下りをして、その時に「廃墟なきライン川」と形容して、その美しさを讃えています。
もちろん、その時の舟からの景観と現在はかなり違うはずですが、川の水量は同じくらいだったと思えます。と言いますのは、近日の異常な暖かさから、雪解け水で流量が大幅に増えていると説明があったからです。
当時の船は長さ13.5メートル、幅1.8メートル位、女史が乗ったときには乗客は15人乗っていたとあります。
また、津川から新潟まで72キロを八時間(途中1泊)、その料金はわずか、三〇銭にすぎない。ただ、「津川まで」遡る際には五日ないし七日もかかり、棹を使ったり岸から舟をひいたりという苛酷な労働を伴う。…とも記されています。
現代の「阿賀野川ライン下り」の船は60人乗り位で、二基の船外機付、屋根付、冬暖房付。船長とガイドの二人組船頭さんでした。 / 2016年3月10日付「やさか掲示板より引用

   
阿賀野川下り(遊覧船内)   岩室温泉・富士屋   瓢湖(白鳥と鴨)


かみがみのましますもり  神々の坐す杜 163.  平成28年3月30日掲出   戻る