(式 内 社) 日御碕神社 ひのみさき


出雲国出雲郡 式内社御碕神社に比定 島根県簸川郡大社町日御碕(JR出雲駅からバス)                   

祭 神
  ●日沈宮(下の宮):天照大御神
  ●神の宮(上の宮):神素戔鳴尊


例 祭

   八月七日
日沈宮(下の宮)拝殿
由   緒
日沈宮
日沈宮は神代以来、現社地に程近い海岸(清江の浜)の経島にご鎮座になっていたが、村上天皇の天暦二年(947)に勅命によって現社地に御遷座された。
経島に鎮座の由来は、神代の昔、素戔鳴尊の御子神天葺根命が清江の浜に出でましし時、島上の
百枝の松に瑞光輝き「吾はこれ日ノ神なり。此処に鎮まりて天下の人民を恵まん、汝速やかに吾を祀れ」と天照大神の御神託あった。命は喜び畏んで直ちに島上に天照大御神を斎き祀り給うたという。
また、天平七年(735)聖武天皇の勅により、
「日の出るところ伊勢国五十鈴川の川上に、伊勢大神宮を鎮め祀り日の本の昼を守り、出雲国日御碕清江の浜に日沈宮を建て、日御碕大神宮と称して、日の本の夜を守らん」と日の大神の御霊顕を仰がれ、崇敬せられたといわれる。
日沈宮(下の宮)

神の宮
神の宮は神代以来、現社地背後の「隠ヶ丘」に鎮座せられていたが、安寧天皇十三年(前515?)勅命により現社地に御遷座せられた。(出雲国風土記に見える美佐伎社のことだという)後に日沈宮と共に日御碕大神宮と称せられる。
隠ヶ丘鎮座の由来は、神代の昔、素戔鳴尊出雲の国造りの事始をされてより、根の国に渡り熊成の峯に登り給い、柏の葉をとりて占い、「我が神魂はこの柏葉の止まる所に住まん」と仰せられてお投げになったところ、柏葉はひょうひょうと風に舞い、遂に美佐伎なる隠ヶ丘に止まった。よって葺根命はここを素戔鳴尊の神魂の鎮ります処として斎き祀り給うた。当社神紋の由来もここにあるという。
素戔鳴尊をお祀りする日本の総本宮として、災厄除、開運の神として天下の崇敬をうけている。
神の宮(上の宮) 日沈宮、神の宮のモノクロ写真は由緒略記パンフより複写

造営の沿革
当神社は上代以来社殿の造営に十数回、勅命又は将軍の祈願によったもので、現在の社殿は日沈宮、神のい宮共に徳川三大将軍家光公の命により、十年の歳月をかけて寛永二十一年(1644)に竣工したものである。
構造は初期の権現造りとして優美さに定評があり、殊に極彩色の御内陣の天井四壁の絵は狩野派、土佐派の筆になり、華麗荘重を競って見事である。
社殿の全部と境内の石造建物を含めて国の重文に指定されている。
●旧暦正月五日に催されるワカメ刈神事
本年は1月26日に行われた。 (上記いずれも由緒略記より)
和布刈神事(浮き彫り看板) 楼 門 右上方に回廊を昇って行くと「神の宮」



かみがみのましますもり  神々の坐す杜 40.  平成16年3月9日掲出


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