式内社 波多神社 は た
祭神:波多八代宿彌
鎮座地:大阪府岸和田市畑町428

JR阪和線・東岸和田駅と東貝塚駅の中間位、
府道30号線を和歌山方面へ行き、津田川を越えてすぐ左折。
500メートル位のところ畑町集落の中ほど1丁目近くに鎮座している。
式内社とはいえ、かなり小さな敷地で、廻りはぐるりと民家に囲まれ、
つい、うっかりと見過ごしてしまう。おそらく200坪にも満たないであろうと思われる。
南側正面以外は、すぐ近くまで民家が建て込んでいる。
駐車場はなく、付近にも駐車スペースは全くない。

この波多神社は
畑町に所在する。
すぐ東方には矢代寸神社があり、
そこは八田町。波多に畑、そして八田も「秦氏」に因む地名であろうか。


参照リンク
神奈備にようこそ
摂河泉の秦氏の分布
拝  殿 本  殿

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「旭・太田・修斉地区 だんじり祭」パンフ 【波多神社】の記事より、まま。

起源は応神天皇の時代の前後、波多八代宿彌の父武内宿彌は大臣として大和朝廷の政治の中心にあり、子供が大和国の近隣を治めていたが、和泉国のこの畑に土着し、御祭神「波多八代宿彌」の波多神社を創建した。
波多神社にお祀りされている「波多八代宿彌」は、第八代孝元天皇の曾孫にあたる人物で、「古事記」、「日本書紀」に記載がみえる。聖徳太子が活躍した時代より200年位前に、大和朝廷明日香宮の政治の中心で、父武内宿彌と共に古代の日本国建設に活躍した武人である。
当波多神社の創建は何年か、古い神社のため不明である。
波多八代宿彌が「日本書紀」に、百済国へ応神3年(392)に遠征と記述されている。また延喜式神名帳(927)に「従五位上の官位」を持った神社と記載されているので、延喜の時代には、すでに長い神社歴があったものと思われ、創建は西暦400年位から600年位の間ではないかと思われる。        
                                           ――岸和田市役所観光課――
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上記記事はH19.11.05追加訂正更新****       


南川正面、境内入口 「式内村社波多神社」と刻された石柱

写真左は北東から、写真右は南側からの撮影

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かみがみのましますもり  続・神々の坐す杜  16.平成19年11月3日掲出

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