阿陀比売神社
神々の坐す杜
かみがみのましますもり
所在地:宇智郡阿陀郷原村(大和志) 五條市原町24


祭 神:阿陀比売命
    :火須芹命、火火出見命、火照命、
 
脇社・八阪神社祭神:素戔嗚命
 境内社:熊野神社、春日神社、八幡陣社、琴平神社

     
平成14年2月24日
(あだひめじんじゃ) 式内社
看板に書かれている由緒沿革には
「当社創建は、人皇第十代崇神天皇十五年と伝えられる式内社にして阿陀郷の氏神なり」と記されている。


●真葛原なびく秋風吹くごとに阿陀の大野の萩の花散る
                         (万葉集 巻11.2096)

●阿陀人の魚梁(やな)うち渡す瀬を速み意(こころ)は念(も)えど直(ただ)に逢はぬかも           (万葉集 巻11.2699)


万葉集にも歌われている阿陀郷は現代の下市町から五條市に至る吉野川沿いの一帯を云い、宇智郡に属した。
このあたり一帯に住んでいた阿陀隼人は、鵜を飼い梁を仕掛け筌(うへ)を伏せて魚を捕るのが生業であった。

阿陀比売は大山津見神の娘で、神阿多津比売ともいい、またの名を木花咲耶姫という(姉は石長比売)。
木花咲耶姫は邇邇芸命と一夜を共にして懐妊するが、ニニギノミコトに「一夜の契りだけなのに、それはわたしの子ではあるまい」と疑われる。
木花咲耶姫は疑いを晴らすため、出口を塞いだ殿屋に入り、自ら火を懸け炎の中で三人の子を無事産み疑いを晴らす。
火が盛んな時に生まれたのが火照命、次に生まれたのが火須勢理命、その次に生まれたのが火遠理命である。
火照命(ほでりのみこと)は海幸彦のことで
火遠理命(ほおりのみこと)は山幸彦でまたの名を、天津日高日子穂々手見命(あまつひこひこほほでみのみこと)という。


「天皇は吉野のあたりを見たいといわれて、・・・中略・・・川に沿って西においでになると梁を仕掛けて漁をする者があった。天皇が尋ねられると『手前は苞苴担(にえもつ)の子です』という。これは阿陀の鵜飼部の先祖である」と日本書紀にある。
木花咲耶姫は隼人族の祖といわれ、また阿陀隼人の祖でもある。
宇智郡一帯には阿陀隼人、二見隼人が住んでいたと考えられる。
彼等の子孫の一部は後に宇治川へ、あるいは長良川へ阿陀を発って移住していった。故にアダチといい、足立氏はここから出たという説がある。
@
A
●写真説明

@本殿(寺院のように全面には塀がある)
A脇社(八坂神社)
B正面鳥居から見た拝殿
C木花咲耶姫が閉じこもり、自ら火を懸けた殿屋があったと伝わる「姫火懸の森」禁足地になっている。
D社殿全景
E神域の杜
F神社前の吉野川。この辺りは流れが特にゆるやかで、青く淀み、水深はかなり深くなっている。
B
C
D
E
阿陀比売神社前の吉野川
戻る
F