やさか掲示板

過去ログ9 [450]〜[401]


[450] ありがとうございました。 投稿者:和太鼓のら 千葉 投稿日:2006/07/26(Wed)
やさか 様。
お礼が大変遅くなり申しわけありません。
先日は田楽座橿原公演『お祭り玉手箱』にお越し下さり、本当にありがとうございました。
当日、会場にてご挨拶がたお礼をと思っていましたのに、実行委員会もなにせ素人の集まり、、、ばたばたしておりましてご挨拶も出来ず、本当に失礼いたしました。
公演の方、喜んでいただき、心で感じていただけたようで本当に嬉しい限りです。
会場は素晴らしいお客さんばかりで、みなさんと共感できたこと、私たちも頑張ったかいがありました。
子ども達に本物を、こんな時代だからこそ田楽座・・・という思いで取り組んで参りました。
また今度は是非大きな公演も・・・と思っておりますのでその際には、また違った田楽座の魅力に触れていただければ嬉しいです。
のらもこの夏はあちこちでみなさんとお囃子を楽しむ機会を頂き頑張っています。
8/12は大淀町の北町の夏祭りでも打たせていただく予定です。
私たちの技術は田楽座さんには到底叶いませんが、お囃子を楽しむ心は同じです。和太鼓のらも引き続きどうぞ宜しくお願いします。
本当にありがとうございました。

[449] Re[448]: 本日はありがとうございました 投稿者:やさか 投稿日:2006/07/25(Tue)
> いにしえの吉野、探訪したくなるようなHPですね。
> また伺わせていただきます。

ありがとうございます。
SLOWHANDさんのHPへ、京都の「音楽工房?」へもまた、お伺いさせていただきたいと思います。


[448] 本日はありがとうございました 投稿者:SLOWHAND 投稿日:2006/07/23(Sun)
というより昨夜ですね。
HP拝見させていただきました。
いにしえの吉野、探訪したくなるようなHPですね。
また伺わせていただきます。

http://www.geocoties.jp/slowkyoto/


[447] 田楽座橿原公演 投稿者:やさか 投稿日:2006/07/17(Mon)
昨日、奈良県橿原市万葉ホールでの「田楽座」橿原公演を見に行ってきました。
「おまつり玉手箱」と題した歌舞演劇はどれも素晴らしいもので、
古きよき時代の、日本の故郷とも言える情緒をたっぷりとを感じさせてくれました。
観客には小さな子供達も大勢で、お囃子にあわせてお尻をふりふり歓声を上げる子もいて、
大人も子供も、心の滋養をたっぷりと受け取ることができたと思います。

♪お祭囃子の笛、鉦、太鼓
小気味良い歌と踊りの掛け合い仕掛け
心に響く津軽三味線、その独特の音色と津軽民謡♪
昔から伝わる、庶民に根ざした民俗芸能のかずかず
心温まる伝統芸能を、笑いの裡に堪能できました。

今回、後援者でもあった「和太鼓・のら」さんの出演はありませんでしたが、
「和太鼓・のら」さんの今後の活動予定に期待したいと思います。

ホームページは下記:

http://www.h5.dion.ne.jp/~naranora/index.html


[446] Re[445]: いよいよ・・・ 投稿者:やさか 投稿日:2006/07/15(Sat)
ご案内ありがとうございます。

> 田楽座公演、あさってになりました。
> 明後日も暑くなるでしょうか・・・
> おかげさまでチケットは売り切れ、満員御礼で向かえることが出来そうです。

チケット確保ありがとうございました。
満員ですか、さすがですね。
楽しみです。早めに行きたいと思います。

[445] いよいよ・・・ 投稿者:和太鼓のら 千葉 投稿日:2006/07/14(Fri)
田楽座公演、あさってになりました。
明後日も暑くなるでしょうか・・・
おかげさまでチケットは売り切れ、満員御礼で向かえることが出来そうです。
当日は混雑も予想されますので、お早めに来ていただけるとありがたいかと思います。
当日精算のところでお名前をおっしゃってください。
封筒にチケットをご用意させていただいていますので。
席は自由、太鼓の振動を体で感じていただくための桟敷様の絨毯じきと、後ろは椅子になっております。
是非、楽しんでくださいね!
万葉ホールのエレベーターで5階まで上がっていただくと扉開いてすぐです。
どうぞ宜しくお願いいたします。

[444] 新・健康主義 投稿者:やさか 投稿日:2006/07/14(Fri)
英語の「Vegetarian」は菜食主義者のことですが、これはラテン語が語源のようです。
研究社・『羅和辞典』には、
「vegetatus」という単語が載っていて、「新しく元気づいた」という日本語訳があります。
「vegetabilis」には、「活気を付ける。植物性の」と記載があります。
野菜食ばかりで生活するのがベジタリアンというのでもなさそうですね。
肉食をしない植物性の食事の方が、病気をしない元気な生活ができるということでしょう。

西欧人は肉食人種だという言い方がありますが、それは違うかも知れません。
というのは、人の歯の構造からすると肉食には適していないと思えるからです。
人は遠い昔から肉食をしてきたと考えられますが、もともと肉は主食ではなかったのではないでしょうか。
ダーウィンの進化論が正しければ、肉食を長年続けてきた欧米人は、もっと臼歯が退化してきているはずだし、
逆に犬歯はもっと発達してきているでしょう。
肉食動物は歯で肉を切り裂くだけで、すぐ飲み込んでしまうものです。ですから臼歯は不用。

人はもともと穀物や野菜、根菜、木の実、果物などを主に食べてきたはずです。
ところがこれらの植物性の食べ物は季節により、その時の気象条件によって十分に確保できないことがあります。
また、地域によっては全く取れないこともあったことでしょう。
そのようなことから、海の近くでは魚介類を、山地では獣肉を食べ始めたのが肉食のきっかけではないでしょうか。
類人猿はその歯の構造も人に近いものです。普通は肉食をしないと考えられています。
ところが先年テレビ見たのですが、ある類人猿研究者の報告番組で、なんとチンパンジーが肉食をしていたのです。
それも、仲間のチンパンジーの肉か、自分の子供の肉だろうということでした。
でもどのような理由で、あるいはどのようなきっかけで肉食をしたのかは説明はなかったと記憶します。

自然は厳しいものです。
どうしても食が確保できないことがことがあります。
人も長い歴史の中で、どうしても食べ物をとることができず、肉を食べ始めたのではないかと思われます。
やむを得ず肉食を始めた人たちは、屠った動物を祭壇にささげ、その後皆で分け合って食べたのでしょう。
そしてまたその動物の魂の慰霊もしたと考えられます。
食べ物となる動物は神の恵みとして、血の一滴も残さず感謝の念をもって頂いたはずです。
穀物や果物が実らない寒い気候の地域にハムやソーセージなどの保存食品が発達しているのは、
獣肉が人の命をつなぐ貴重な食品であったからに他なりません。

飽食の時代といわれる昨今、人間がもう少し自制するなら、これほどまでに動物を犠牲にしなくてもいいはずです。
今、世界の人口は63億人、現状のままなら穀物は十分あるので、肉食を減らせば100億人位なら養えるかも知れません。
本来、人は菜食の方が健康で長生きできるものと思うのですが如何でしょうか。

[443] 目をそらせないで見てください 投稿者:やさか 投稿日:2006/07/14(Fri)
あなたは魂の存在を認めますか。
また、死後も霊魂は存在し続けると信じますか。
六道輪廻や転生など、仏教的な考えを肯定できますか。

「そんなバカな!」とすべてを否定する人でも、心の存在は認められると思います。
そうしますと動物にも人と同じように心が在ると思いませんか?

もし「心」が、「魂(霊魂)」と同様の実在?だとしたら、動物たちにも魂があると思われませんか。
だとすれば六道輪廻思想でいうように、人も死後にその魂が巡り、動物の魂として一時期その動物の体に宿るかも知れませんね。
もしそうだとしたら、私達が子供の時にお寺で見せられた「地獄絵図」と同じ光景が今の世に現出しています。
もちろん時間の観念は人間世界とは全くちがうでしょう。
例えば肉牛の一生は二年にも満たない短い命です。
またブロイラーは僅かに40日のはかない命ですが、その魂にとっては途方もなく過酷で長い時間感覚であるかも知れません。
彼らの悲鳴が聞こえてくるようでなりません。

私達は食材として様々な生き物たちの命をいただいています。
まず必要以上の飽食はしないこと。
そして、できるだけ人間に近い動物、ウシ、ブタなどの四足の動物、できれば鳥や卵なども食さないようにして、
ベジタリアンに近い生活を理想としてかかげたいと思います。

それに肉食材は菜食材に比べて、はるかに汚染されています。
肉骨粉(共食い飼料)による汚染。
抗生物質、薬品などの汚染。
飼料製造工程で混入するビニールなどの物質汚染。
様々な環境ホルモン汚染。
●私達の健康のためにも肉食を減らすことを考えたいものです。

●現実から目をそらせないで、以下のサイトをつぶさに見て考えてみてください。

菜食のすすめより(食卓のお肉ができるまで)

http://jazzmens.net/vegetarian/pics_killed.htm

菜食のすすめ:

http://jazzmens.net/vegetarian/index.html



[442] 無題・続 投稿者:やさか 投稿日:2006/07/13(Thu)
「北の脅威」などという言葉に踊らされ、過剰反応しないようにしてほしいと思います。

今、これからが地球規模の戦国時代に突入する時代だとしたら、世界統一を目論む「賢者」は何を考えるでしょう。
世界統一政府。世界統一通貨。世界統一律法。。世界連合軍。世界軍事統一。
あらゆる分野に於ける圧倒的優位性。
ガリバー型寡占経済状態を作るにはとてつもない資金が要ります。そのためには、

戦争の噂だけで、石油の高騰や為替・相場で利益が稼げる。
実際戦争になれば、武器輸出で莫大な利益をあげる。
戦争が長引けば長引くほど、戦乱が大きければ大きいほど武器の需要が膨らむ。
資金が足りなければ、戦費を貸し付けて膨大な利息を稼ぐ。
(こうして賢者らは稼ぎます)
そして適当な時期を見て、戦争を終結させます。
さて次は戦後復興です。
都市の復興、建築・設備・インフラ整備に莫大な需要があります。ここでも巨利を貪る。
これは産軍複合体の共同事業でもあります。
まさにマッチ・ポンプですね。
世界中に機会を見つけて(戦争を捏造して)、火をつける。(内紛が効果的)。
そして、自らつけた火が燃え盛った後に出かけ、今度は消しに廻る。

さて、以下は世界統一のシュミレーションです。
●その基本プラン:
世界中に種火を残しておく(火種が無くなれば作る)。宗教問題が一番の鍵。
プラン1:中近東に民族紛争の火を絶やさないようにする。
プラン2:朝鮮半島で戦乱の口火を開く。

できるだけ有色人種同士で戦争をさせ、弱体化を謀り支配し易いようにする。
彼らの国家間に憎しみの種をまき、戦争をさせて彼らの人口を減らす。
有色人対有色人、つまりアラブ人はアラブ同士。黄色人は黄色同士。黒人は黒同士。又は黄と黒。
彼ら同士が憎みあう構造を創る。
中国⇔台湾、中国⇔韓国、中国⇔日本。
北朝鮮⇔韓国、北朝鮮⇔日本。韓国⇔日本。
このように憎みあう背景が用意されて来たとすれば、安易な行動は思う壺になることでしょう。
迂闊な事で戦端を開くようなことに成りかねないからです。

日本が気高く生き残っていくためには、
アジア諸国、特に近隣の韓国・北朝鮮、中国と友好関係を保たなければ成らないと思うのです。
今ひとつ日本が生き残って行ける道は、
アメリカの走狗となって、うまく立ち回り、さしあたって合衆国の51番目の州になること。
そして世界連邦政府の隷属民となる道があります。
しかし、この道には尊厳を捨てたゴイム(家畜人)の生活が待っています。
誇り高いヤマトの民には耐え難い、屈辱の日々を送ることになるでしょう。
残念ながら日本人の一部は、彼らの使用人として下級幹部となり、働く者もでてくることでしょう。

私達の国日本は、近隣諸国との友好を最優先して、
世界平和・共存への道を探り求めなければならないと切に思うものです。
/古代カルタゴの悲劇に、日本は思いを馳せねばなりません/

[441] 無題 投稿者:やさか 投稿日:2006/07/12(Wed)
「北の脅威」などという言葉に惑わされて、軽挙妄動してはならないと思う。
北朝鮮は経済が逼迫しているのだ。あまり追い込んではならないのではないか。
アメリカの北朝鮮に対する経済封鎖政策が効を奏し、国全体が極度に疲弊してきて、あせっているのであろう。
産経新聞7月10日夕刊に、
「北朝鮮のミサイル発射は…『声をあらげずじっくり対応するのが大統領の意向…』、『日本のように早朝から騒ぐ理由はどこにもなく、むしろその反対であるべきだ』……日本が提案した制裁決議案を韓国政府は支持しないとの立場を表明したものと見られる」というような記事がみえる。
“窮鼠猫を噛む”のたとえもある。
この時期、北朝鮮をそこまで追い込むのは賢明でないとの判断であろう。
地続きの韓国としては、慎重にならざるを得ないのではないかと思われる。
あまり極端に北朝鮮を追い込むと、日朝間に煙から火が起つような危惧があるからである。
このようなきっかけから戦端が開かれ、戦火が拡大することがあることも否定できない。
日本政府の慎重な対応が望まれる。この地域での開戦を望む勢力があるかもしれないからである。
新約聖書に以下のようなことが書かれている。

--------------------------------------------------------------------------- 
マルコ傳 第十三章 三節〜八節

オリブ山にて宮の方に對ひて座し給へるに、
ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレ窃に問ふ、
「われに告げたまへ、これらの事は何時あるか、又すべて此等の事の成し遂げられんとする時は、如何なる兆しあるか」
イエス語り出で給ふ。
「なんぢら人に惑わされぬやうに心せよ。多くの者わが名を冒し来り『われはそれなり』と言ひて多くの人を惑わさん。戦争と戦争の噂とを聞くとき懼るな、斯る事はあるべきなり、然れど未だ終にはあらず、即ち『民は民に、國は國に逆らひて起たん』また處々に地震あり、飢饉あらん、これらは産の苦難の始なり。汝等みづから心せよ、……」
『舊新約聖書』日本聖書協会発行より

[440] 何が「善」? 何が「悪」? 投稿者:やさか 投稿日:2006/07/01(Sat)
何が「善」で何が「悪」かの基準はむつかしい。
ニーチェによれば、原初の善悪の価値判断は「高貴」と「野卑」だったという。

『歎異抄』に、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」というのがある。
この場合の「善人」、「悪人」の表現はいわゆる現代人のいうところの善悪ではない。
また世界の警察を標榜するアメリカは、イラクのフセイン大統領を悪玉と決めつけていたが、はたしてアメリカが善で、フセインは本当に悪なのだろうか。
戦争には常に資源・利権などを巡る国家戦略が絡む。つまり、どちら側の立場から見ているかの問題なのだ。このことは古代より現代まで枚挙すればきりがないほどだ。 
例えば「出エジプト記」にあるモーセは、同族でありながら「バアル神」祭った同胞を皆殺しにした。これは善なる行為、正義かどうか。自分の意に沿わない相手方を「悪」としているである。つまり、味方の神は「善神」、敵方の神を「悪神」と決めつけたのである。

一方、日本の戦国時代、明智光秀は主君信長に謀反を起こしたが、では光秀は悪で、信長は善と言えるかどうか。また、太平洋戦争で敗れ、A級戦犯とされた東条英機ら七人は「悪」で、アメリカなど連合国側は善といえるのか。七人は絞首刑にされたが、この「東京裁判(極東国際軍事裁判)」ははたして正当といえるのだろうか。
この裁判は戦勝国側が、一方的に敗戦国の指導者を裁いた不法ともいえるものであったといえる。
処刑された七人の中には文官(広田弘毅外相)もいた。本当に彼ら七人は極悪犯罪人(A級戦犯)といえるのかどうか。
A級戦犯とされた彼らが自国民を戦地に赴かせ殺したというのか。あれは天皇の名においての国家指令ではなかったのか。また、開戦は当時の国民の意思も反映した苦渋の決断であったはずである。
結果的には戦争はどんなことがあっても避けるべきであったことは明らかである。
しかしながら、それを彼等だけが悪かったとするのは間違っている。
極悪非道、悪鬼羅刹というなら、むしろ日本の都市を無差別爆撃し焼夷弾の雨を降らし、逃げ惑う老人子供に退路を断って、機銃掃射を浴びせ、挙句の果てに、もう敗戦が確実で降伏しようとしていたにもかかわらず、広島・長崎に原爆を投下した側のほうが、国際法違反の大戦犯であろう。

もともと戦争は、どちら側が正しく、どちら側が悪いなど善悪の判断はなかなかできないものだ。いずれも正義を標榜するものだからである。どこの国の軍人も兵士も、自国のため、家族のため子供達の将来のために命を賭けて戦うものだ。
日本人も決して天皇陛下のために戦ったのではなかった。
先の戦争の場合、少なくともその時点では、日本も国民の大多数が「鬼畜米英」に対してのやむを得ない正義の行動と思ったはずだ。もちろんこの場合、日本が善で米英など連合国側が悪であったことは言うまでもない(戦後になって、がらりと逆のことを言い出した輩もいたが)。
戦後、太平洋戦争について軍国主義批判や、一部の人達による天皇批判が出たことは承知している。しかし戦前の教育・文化をすべて否定するのは如何なものか。今もう一度日本国民は自らに問いかけることが必要だと言えよう。

ところで、何が善で何が悪なのか?
善悪の判断基準は簡単には線引きできないものである。
地球規模で考えれば、それは、
「あらゆる生命にとって好影響をもたらすものを『善』といい、その逆を『悪』という」
のではないだろうかと私は思う。
それを東洋思想、なかでも仏教的思想でいうなら、それは、
「魂の向上に役立つものを『善』といい、その逆を『悪』という」

[439] 魔女の九九/続 投稿者:やさか 投稿日:2006/06/28(Wed)
ニ−チェは、「哲学者であることの条件は、この世の背後に第二の目に見えぬ現実があるという予感をもてるか否かにある」
というようなことを言ったという。
ゲーテは『ファウスト』の中で、学んできた学問では自分の内的な要求を満たしてくれるものを見つけることができなかったとし、
理性に対する感性の学問の可能性を模索しているようである。
ファウストはそれを学問の中にそれを見つけることはできず、呪術(錬金術)に向かう。
「魔女の九九」はこうした精神世界に入っていく入り口を示すものだろう。

高橋巖は「われわれのひとりひとりは自分の意識の世界に荒涼とした廃墟をかかえています」と言っている。
現代人は孤独である。時々背中を木枯らしが吹きすさみ、寂寥感にさいなまれる。
このことで思い出すのは谷川俊太郎の詩だ。
昭和43年、河出書房から『谷川俊太郎詩集』が初めて刊行され、石原慎太郎が贐の言葉を寄せている。
「谷川俊太郎の中の僕」と題した一文の中で石原は、   
「僕が目にしたものは、まさしく僕の心の内にある心のうただった。“二十億光年の孤独”は、僕の心の中にあった、未だだれにも知られざる、僕というかけがえのない個性の孤独だった…中略…“二十億光年の孤独”、いったい誰が僕自身の心の内を、こんなにあざやかなことばで表現しえただろうか。ネロという、愛されて死んだ子犬への追憶にこめられた、伸び盛りの少年の短い過去への愛惜と、これからやってこようとしている、過去に比べれば膨大な未来への戦慄に、わけもなく共感できた。…」 と書いている。

私もこの詩集「二十億光年の孤独」に、鮮烈な感動を覚えた記憶がある。
思えばまた、詩集の刊行に寄せられた石原氏のこの一文を読んで、その時から慎太郎ファンになったのだった。

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蛇足ですが、[438][439]でいうところの「錬金術」とは、一般に理解されているような、
いわゆる卑金属を、「金」などの貴金属に変える術ではありません。
それらは、時の為政者から「異端者」扱いをされることを恐れた思想家が、巷間に撒き散らしたデマだと考えられます。
錬金術とは本来、「魂の変容の術」とでも表現すべきもので、異端的思考の心理学・哲学・神秘学とでもいうべき「神秘思想」であったということです。
でも、実際に鉛や銅から金を作ろうと様々な努力をした人達がいたことは確かなようです。

[438] 魔女の九九 投稿者:やさか 投稿日:2006/06/27(Tue)
 今日本棚を整理していた時、高橋巖著『神秘学講義』をパラパラとめくり読みして見つけました。
 
 汝、会得せよ。
 一を十となせ、
 二を去るにまかせよ、
 三をただちにつくれ、
 しからば汝は富まん。
 四は棄てよ。
 五と六より
 七と八を生め。
 かくて魔女は説く。
 かくて成就せん。
 すなわち九は一にして、
 十は無なり。
 これを魔女の九九という。      /『ファウスト』手塚富雄訳
                   
これは錬金術の古い呪文でもあるそうですが、高橋巖氏はこの本の中でこの「魔女の九九」を掲げて、
「ここでゲーテが言いたかったことは、数的関係を基本とする自然観に対して、
まったく別な立場を暗示することだったと思います」といい、
「したがってこの九九を身につけたあとで、ファウストはメフィストと一緒に量ではなく質の世界に入っていくのです」
とも言っています。
ロゴスによる認識とは別の、認識方向、つまり対極のソフィアの認識をを考えていたのではないかと言うのです。
シュタイナーの著書『人智学、心智学、霊智学』から多くを学んだとの著者の言葉通り、神秘的で興味深いものがあります。

この本は二十五年ほど前、 京都・本能寺に氏の「神智学講義」を聴講に行った前後に買ったものだと思うのですが、
今、読み返すと、当時は気が付かなかった部分に興味が繋がるものがあるものですね。
また、この「魔女の九九」そのものも面白く、意味合い深いものがあるようです。


[437] 中国歴代王朝/続 投稿者:やさか 投稿日:2006/06/15(Thu)
“中国4,000年の歴史”などというが、実際は現代の「中華人民共和国」の前身、「中華民国(1912年建国)」から数えても、その歴史は僅か100年にも満たない。
何故かと言えば、以前の清・明・元・宋・五代・唐・隋…等は「中国」とは言えず、まったく別の国家だからである。

4,000年といえば、彼らのいう「夏」王朝の時代から数えなければならないが、夏や殷(商)の時代は神話時代と言えるほど昔のことだ。
もし、歴史的にそのような国家が実在したとしても、それは地方の一国家だったにすぎないといえる。

最初の統一王朝は紀元前221年に成立した「秦」が最初だろう。
しかしながら「漢民族」の建てた国家を中国というなら、秦の出自は「西戎」のはずなので、これは漢民族王朝ではない。
漢民族の王朝といえば、前漢・後漢と宋・明の、約1,000年位しかないことになる。
劉備の建てた「蜀」は漢民族の王朝だが、これは三国鼎立なので、統一王朝とは言えないだろう。
「隋」や「唐」も正確には漢民族王朝ではなく、また、「元」や「清」も異民族の征服王朝なので、漢民族王朝でないことは明らかである。

今、中国に行って「中国4000年の歴史」などと言おうものなら即座に、「いや、5000年だ」と訂正されるそうである。
近年彼らの政府の一部は、「日本など東夷の小国」と侮っているのではないか。
そう思えるほど彼らの言動は傲慢である、困ったことだ。

[436] 中国歴代王朝 投稿者:やさか 投稿日:2006/06/14(Wed)
中国の小学校社会科の教科書に、
「中国歴史王朝順序歌」というのが載っていているようです。

『中国の歴史』小島晋治監訳より
-----------------------------------
夏・商と西周
東周は二期に分かれ、春秋と戦国
一統して 秦、両漢
三分して 魏、蜀、呉
両晋は前後に伸びて
南北朝並立す
隋、唐、五代と伝わり
宋、元、明、清の後
王朝はここに至って終わる
---------------------------------------------------------------

中国の歴史は多民族が勃興を繰り返し複雑で悠久。なかなか憶え切れませんが、
この歌を憶えると比較的理解し易いのではないかと思います。
でも、日本の学校で教えられている歴史とは少し違うところがあるようですね。
夏、商は歴史学上では確定されていないような古代国家で、商は殷とも謂われる国です。
そして両漢とは前漢、後漢を意味します(中国では、西漢、東漢といわれている)
また、両晋とは、西晋と東晋のことです。
この両晋の時代が、五胡十六国時代でもあります。

[435] どうぞよろしくお願いします。 投稿者:和太鼓のら 千葉 投稿日:2006/06/05(Mon)
当日お待ちしております。
気を付けてお越し下さい。
こちらのHPをごらんの方で興味のおありの方、是非ご連絡下さいませ。
http://www.h5.dion.ne.jp/~naranora/index.html


[434] Re[433]: ありがとうございます! 投稿者:やさか 投稿日:2006/06/03(Sat)
> うちのあづみは和太鼓大好き、田楽座大好き・・・
>
かわいいでしょうね。バチを振っている姿が目に浮かぶようです。
うちは外孫なので一緒に行けないかも知れません。

では、チケットは当日、窓口受け取り・清算でお願いします。
ありがとうございました。

[433] ありがとうございます! 投稿者:和太鼓のら 千葉 投稿日:2006/06/03(Sat)
チケット予約ありがとうございます!
うちのあづみは和太鼓大好き、田楽座大好き・・・の2歳5ヶ月。お孫さん2歳半でしたらちょうど同じくらいですね☆
かわいいですよね!もしよろしければお孫さんも是非ご一緒にお越し下さい☆
場所は万葉ホールの5階になりますので、お間違えの無いようにお願いします。
チケットは当日窓口にて取り置きいたします。
お金の方は当日窓口にて精算でかまいませんので、宜しくお願いします。
おまちしております!

[432] Re[431]: 田楽座橿原公演のご案内 投稿者:やさか 投稿日:2006/05/31(Wed)
> はじめまして。
> リンクさせていただいております、和太鼓のら、千葉です。
>
千葉さん、おはようございます。
思い出しますと、2001年の秋、西吉野の波宝神社で、「のら」の皆様の感動の演奏に出逢って以来です。
それで後に偶然HPを見て、リンクをお願いしたのでした。

> 時々こっそり覗かせていただいています。

ありがとうございます。
私も「和太鼓 のら」さんの、その後のご様子は時々ホームページで拝見していました。

> 話は変わりますが、今回、和太鼓のら のメンバーを中心に自分達で実行委員会を組み、 のら の太鼓の師である 歌舞劇団 田楽座 (でんがくざ:信州伊那谷) の公演を橿原は万葉ホールでで行うことになりました。

きっと素晴らしい舞台になることでしょう。楽しみです。
大人2枚、申し込みさせていただきます。取り置きくださればありがたいです。
送金致します。送金方法をご連絡くだい。

●この掲示板をご覧になった皆様にもおすすめします。
心に響く感動の舞台になると思いますので、ぜひお運びくください。以下は「和太鼓 のら」さんのサイトです。

http://www.h5.dion.ne.jp/~naranora/index.html


[431] 田楽座橿原公演のご案内 投稿者:和太鼓のら 千葉 投稿日:2006/05/31(Wed)
はじめまして。
リンクさせていただいております、和太鼓のら、千葉です。
時々こっそり覗かせていただいています。

話は変わりますが、今回、和太鼓のら のメンバーを中心に自分達で実行委員会を組み、 のら の太鼓の師である 歌舞劇団 田楽座 (でんがくざ:信州伊那谷) の公演を橿原は万葉ホールでで行うことになりました。

田楽座は、1964年に民俗芸能を舞台創造の柱に据えた劇団として、信州は伊那谷に誕生しました。地元の祭り衆から手取り足取り芸能を教わり、古老から昔の暮らし向きの話を聞き、民俗芸能の中に脈々と流れる明るさ、強さ、美しさをどうしたら表現できるか、民俗芸能の持つ生命力に助けられながら日々努力しておられます。
近年、和太鼓のグループが数多くある中、私たちの国、日本の伝統芸能をこれほどまでに深く追求し、高度な演技・技術を持って舞台化されておられるグループは他にはありません。
こんな時代だからこそ、子ども達に本物を・・・日本の本物の踊りや太鼓、歌の魅力を子ども達と共感したい・・・という思いで取り組んでいます。
本物の芸能でおなかいっぱいになるひとときを きっとお約束します。
ひとりでも多くの方達に見て貰い、心と体で感じて欲しいです。興味もたれるようでしたら是非公演の方に足を運んでください。きっとみなさんに喜んでいただけること保障いたします。和太鼓のらのHPにも載せていますので是非そちらからもご覧下さい。

『田楽座のおまつり玉手箱』

■日時 : 7月16日(日) 午後1時30分開場 2:00開演
■場所 : 橿原万葉ホール 5Fレセプションホール(0744−29−1300)

■チケット : 大人 2300円 (未就学児1名含む)
        小人 1200円(中学生以下)
   ※いずれも当日は300円増しとなります。

■問い合わせ : Tel 090−9690−4964
   E-mail  okaeridengaku@k..vodafone.ne.jp
※情報は、
和太鼓のら HP http://www.h5.dion.ne.jp/~naranora/田楽座 HP http://www.valley.ne.jp/~dengaku/ からも見ることができます。
■主催 : ‘おかえりなさい’田楽座実行委員会
■後援 : 橿原市教育委員会
※チケットお取り置きも可能ですし、お届けにも伺います。
http://www.h5.dion.ne.jp/~naranora/index.html

[430] Re[429]: 八雲立つ 投稿者:やさか 投稿日:2006/05/27(Sat)
> …『八雲立つ』…
> すいません、読んだことないのですが、どんな内容なんですか?

「八雲立つ 出雲八重垣妻篭みに 八重垣作る その八重垣を」
この歌がモチーフになっているかと思える漫画作品なんですが、
物語の内容は研ぎ師の家に生まれた青年と、出雲の社家、
その宗主である父を神事で斬首する運命の美少年とが神剣をめぐって織り成す物語り。
その美少年のせりふ、
「この歌は、スサノオがクシナダヒメを娶り詠んだ喜びの歌ではなく、スサノオに代表される出雲族の呪詛の歌なんだ」。
そしてその歌の意味は、
「きさま達が土蜘蛛と蔑む我々はいつか立つ、その為にこの出雲で我々の意志を継ぐ子孫を作り続けよう。きさま達を倒すその日まで決して破れぬ結界を張りめぐらそうぞ」
と説明があります。
始めは面白そうな展開が続くのですが、期待はずれの感もあります。

「八雲立つ」の “八”は、
八重垣、八俣大蛇、八百万神、八千矛神、八十神、八咫烏、八幡、八坂神社……などと同じように、
やはり「八」は古代日本の聖数だと思うのです。
それで、この辺りのことや、ヤマトの古代部族、彼らが奉祭した先祖神について、掘り下げた物語りの進展を期待したのでした。
八瀬童子、八衢、八十梟帥、八尺瓊勾玉…など、八の付く言葉は数多くありますが、
そのどれもが日本の古い部族(天孫族に征服される以前の)に係わるものが多いようです。
-----------------------------------
八雲といえば、へるんさん。
この日本名は自分で分かっていてつけたのかな。
それとも節子さんが名づけたのかなぁ。

[429] Re[428]: Re[427]: Re[425]: Re[424]:丹生総神主家の伝承 投稿者:かまど 投稿日:2006/05/26(Fri)
> つまり、[一の祝]、総神主といわれる本家筋は、一麿と竃門とに別れた。
> それで、どちらが本家かと問われれば、どちらともいえる。
> 一方、[二の祝]が相見家で、この系統が廣良先生の系譜である。
>
> このように理解すれば、これ以上詳らかに述べにくい事情が少し見えてくるような気がします。

流石やさか様、お察し頂きありがとうございます。


> ところで話は違いますが、『八雲立つ』という漫画、面白いところがありますね。

すいません、読んだことないのですが、どんな内容なんですか?漫画なら私にも読めるかも・・・(^^;)

[428] Re[427]: Re[425]: Re[424]:丹生総神主家の伝承 投稿者:やさか 投稿日:2006/05/26(Fri)
>一の祝=総神主=丹生祝  丹生一麿家
>二の祝=丹生直      丹生相見家
>丹生祝は江戸時代に丹生一麿、竃門に分かれます。

つまり、[一の祝]、総神主といわれる本家筋は、一麿と竃門とに別れた。
それで、どちらが本家かと問われれば、どちらともいえる。
一方、[二の祝]が相見家で、この系統が廣良先生の系譜である。

このように理解すれば、これ以上詳らかに述べにくい事情が少し見えてくるような気がします。

ところで話は違いますが、『八雲立つ』という漫画、面白いところがありますね。
先日レンタルビデオ店で、一本200円で山積み販売されていた中から、何も内容を知らずに衝動買いをしてしまったのですが、これがなかなか面白い。
それで古本ショップで、この漫画本を探して集めたら全部で19巻ありました。
前の方は面白いのですが、後半から少し期待はずれの感があります。著者は樹なつみ。

[427] Re[425]: Re[424]:丹生総神主家の伝承 投稿者:かまど 投稿日:2006/05/26(Fri)
> かまどさんは、ほとんど誰にも知られていない丹生一族の伝承の一部を知る人だと思うからです。

そんな大それたものではありません。


> その原稿や資料類はその後どうなっているのでしょう。成果を活用できる方の手に渡っていることが望まれます。
どうなんでしょう。多分続きを書ける方いないからそのままになっている可能性はあります。
丹生先生とはまた違った切り口で、私が最も天野、丹生都姫神社のことをご存知だと思う谷口先生にもそろそろ今までの記述をまとめて本にしてほしいと願っています。


> ところで丹生都比売神社の社家は2系統あるのですね。二大宗家とでもいうのでしょうか。
> ●廣良先生は丹生相見家で、丹生直氏の系譜。
> ●竃門家は総神主家で、丹生祝氏の系譜。
> このように理解すれば良いのでしょうか?。

一の祝=総神主=丹生祝  丹生一麿家
二の祝=丹生直      丹生相見家

丹生祝は江戸時代に丹生一麿、竃門に分かれます。どちらが本家かは不明。丹生一麿家は天野へ移住、竃門は先祖伝来の屋敷に残ります。総神主職を本家とするなら、丹生一麿家が本家、相続品である大堝(おおるつぼ)を受け継いだものが本家であれば竃門が本家です。若尾五雄氏は竃門を本家と見られていますが私にはその根拠が分かりません。
丹生一麿は丹生都姫神社、竃門は丹生酒殿神社を担当。そこに上下の関係は今のところ見られません。ちなみに書物で丹生氏が酒殿神社を兼任と書かれているものを見かけますが、丹生氏にとって兼任と言うイメージはありません。2つで1セットなのです。 
余談ですが、竃門は竃門を名乗ってもいいし、丹生を名乗っても良かったそうです。

> 総神主家のことについては殆ど知られていない、未研究の分野が手付かずに残されている…ということですね。
そうです。
と言っても伝承としては大したものは残っていません。その原因は祖父がまだ父が10歳の時に亡くなったので肝心な神様ごとが伝承されていないという事です。神に祈るときの情景は父から聞いていても、その時どんな言葉を唱えていたかなどは分かりません。どんな修行をしたのか、どのようにして神託を聞くのか、どうして神託が聞けるようになったのか、この一番大事な部分が残念ながら伝承されてないのです。

まあ、このあたりの分かる情景を物語に練りこんでおくつもりです。

> ●以下は徳島大学の「市民研究者フォーラム」から見つけました。
> 『みちびきの神 丹生都比売神社の研究 ―朱のロマンを求めて―』
この報告書よくまとまっていてすごいと思います。以前この著者にもコンタクトとってみましたが、何せインターネット上であったので素性分からないし、はっきりいって不審者だと思われているかも知れません。多分若尾氏や五来氏、日野西氏の著書読んでなければ、私の名前見てもピントこないと思います。その方の対応はしごく当然です。


あまり詳しく書けずすいません。これ以上書きますと、迷惑かかる人が出てくるかも知れませんし、圧力がかかって来る可能性もありまして、今は個人的にも大事な時でもありますので、詳細は物語にて。いつか堂々とお話できるときがくると思います。今のところはこれにて。   

[426] Re[425]:参照URL訂正 投稿者:やさか 投稿日:2006/05/26(Fri)
参照頁リンク不良のようですね。
再掲します。
> ●以下は徳島大学の「市民研究者フォーラム」から見つけました。
> 『みちびきの神 丹生都比売神社の研究 ―朱のロマンを求めて―』

http://www.cue.tokushima-u.ac.jp/staff/hirowata/2005%20takemoto%20revised.pdf


[425] Re[424]:丹生総神主家の伝承 投稿者:やさか 投稿日:2006/05/26(Fri)
かまどさん、こんばんは。

>空海外伝書こうと思ったのは、いろいろ調べていると丹生総神主の伝承ってだれも知らないのではって思い始めたんです。つまり誰も調べていないようなんですね。…
>実は丹生の大家であるやさか様ご存知の丹生廣良先生もそんなに調べられていません。…
そう考えるといつ死んでもいいように子供のいない私には書物で残すしかないと考えたわけです。で、本を書こうと。…
>最終は本にして、伝承の部分には色を塗って事実だけ分かるようにして天野大社に進呈しようと思っています。…

「いつ死んでもいいように…」なんてとんでもない。「人間五十年、下天のうちをくらぶれば…」と詠われたのはもう随分昔のことですから。今は人生八十年の時代です。たぶん、かまどさんは四十前後かと思いますので、まだまだ時間はたっぷり。男としてはこれからではないでしょうか。
でも、“丹生氏の伝承を本にして残しておこう”いうのは大賛成です。
かまどさんは、ほとんど誰にも知られていない丹生一族の伝承の一部を知る人だと思うからです。

丹生廣良先生は、残念ながら先年他界されましたが、享年は九十歳であられたかと思います。丹生都比売神社などが世界遺産に登録されたことを知られた後であったと聞いています。
平成13年の夏お会いしたときはとてもお元気で、『丹生神社と丹生氏の研究』に続く著作のご執筆中でした。
その原稿や資料類はその後どうなっているのでしょう。成果を活用できる方の手に渡っていることが望まれます。

ところで丹生都比売神社の社家は2系統あるのですね。二大宗家とでもいうのでしょうか。
●廣良先生は丹生相見家で、丹生直氏の系譜。
●竃門家は総神主家で、丹生祝氏の系譜。
このように理解すれば良いのでしょうか?。

それで、丹生廣良先生の研究もあって、丹生相見氏のことは比較的知られるようになっては来ているが、
総神主家のことについては殆ど知られていない、未研究の分野が手付かずに残されている…ということですね。
それなら、なおさら物語の今後の展開に興味が持たれます。
また、物語はモノ語りとしてたいへん結構ですが、かまどさんの独自の切り口からの、研究発表に大いに期待したいと思います。
ライフ・ワークとして、『もう一つの丹生氏の研究』のような著作を上梓される日を待ちたいものです。

●以下は徳島大学の「市民研究者フォーラム」から見つけました。
『みちびきの神 丹生都比売神社の研究 ―朱のロマンを求めて―』   

http://www.cue.tokushima-u.ac.jp/staff/hirowata/2005%


[424] Re[422]: Re[421]: ビックリ! 投稿者:かまど 投稿日:2006/05/25(Thu)
こんばんは、やさか様。

いつも来ていただいてありがとうございます。

空海外伝書こうと思ったのは、いろいろ調べていると丹生総神主の伝承ってだれも知らないのではって思い始めたんです。つまり誰も調べていないようなんですね。
で、ここでもし私が死んだらどうなるんだろうと思った訳です。

実は丹生の大家であるやさか様ご存知の丹生廣良先生もそんなに調べられていません。著書読んでみると調べられていないと言うよりは気づかれていないと言った感じです。だから、先生の著書には丹生総神主からの視点ではあまり書かれていません。二祝の丹生相見氏としての視点からの考察となっています。だからと言って、丹生廣良先生の著書がおかしいと言っておりません。逆に先生のご研究は大偉業だと思います。

そう考えるといつ死んでもいいように子供のいない私には書物で残すしかないと考えたわけです。で、本を書こうと。でもちゃんとした論理的な本を書こうとすると、資料の引用や参考文献など、とてつもなく書くのに時間がかかる事になると感じたわけです。

で、思いついたのが物語り。これだと関係者も気分を害されないと思いますし、自分の推論も入れられますし、伝承もいれられます。最終は本にして、伝承の部分には色を塗って事実だけ分かるようにして天野大社に進呈しようと思っています。

そんなこんなで、死ということを考える年頃になってきました。

では。

[423] 今年は、皇紀2666年 投稿者:やさか 投稿日:2006/05/25(Thu)
西暦とは「キリスト教暦」とも言えるもので、イエスの生誕を紀元としています。
ところが現在では、イエスの生誕は紀元前4年から7年の間であったとされているので4〜7年のズレがあるようです。
世界の暦を調べてみますと、

今年(西暦2006年)は、
ユダヤ暦では5766年。
マヤ暦で5125年。
仏暦で2549年。
イスラム暦で1427年。
日本では神武天皇即位を紀元として、
今年は皇紀2666年になります。

そこで、以下に数字のjokeを書いてみます。
ここに獣の数字[666]が、2の次に並んでいます。
これを分解して素数を出してみます。
2+6+6+6=20
20……2+0=2
つまり獣[666]の前の数字[2]は、2666のすべての数字を足しても[2]に還元されることで強調されています。
これから獣666と、数字の[2]の意味を考えてみます。
数秘術でいうところの、数値[2]の表象意味は、知性、対立、協調、女性、月。
ヘブライ文字対応ではB(ベス)、タロットカードの対応は「魔術師」だそうです。

[2]の数字が意味するところはよく分かりませんが、[666]の数字は恐ろしい管理社会の到来を予感させます。
まさか、今年から世界的な各国・国民背番号制による管理システムが稼動し始めたのではないでしょうね。
もちろん、始めは主要国だけでしょうが。
まず、利用されるのは年金番号でしょう。日本でもこのナンバー・システムは既に完成されていて、
あとは、ワン・ワールドをもくろむ大国の、巨大なコンピューターに接続すれば、ゴイム監視のネットワークは完成の運びとなります。
以上、退屈しのぎのお遊びでした。

[422] Re[421]: ビックリ! 投稿者:やさか 投稿日:2006/05/24(Wed)
> ご無沙汰です。
>
かまどさん、ありがとうございます。
『空海外伝』楽しく読ませていただいています。
今回掲出されている「丹生祝家系図」、とても興味深いです。

●以下は空海外伝掲載中の、かまどさんのブログ
“かまちゃん日記”

http://kamado.blog.ocn.ne.jp/niu/


[421] ビックリ! 投稿者:かまど 投稿日:2006/05/23(Tue)
ご無沙汰です。

HP見させていただいたら、なんか画面が変わっていたのでビックリしました。

鳥が動いているのが感動しました。

では、またこさせて頂きます。

[420] 東山参道 投稿者:やさか 投稿日:2006/03/27(Mon)
昨日の日曜日、車と人でいっぱいの京都、八坂神社界隈を訪ねました。円山公園では一部の桜が咲き始め、園内は大道芸に人だかりがして春の情緒がいっぱい。
八坂神社は何度か参拝していましたが、高台寺は初めての参詣。
寺院はあまり参詣していないので、
清水寺や知恩院は小学校の修学旅行以来となります。
清水坂から清水寺。高台寺、知恩院と、二年坂や三年坂のお店に入りながらの散策。
知恩院では、御影堂の前に、
/智者のふるまいをせずして 只、一向に念仏すべし/ と、
白紙に黒々と墨書されて法然上人の教えが掲出されていました。

「ただひとえに仏の慈悲にすがりなさい(神のご意思のままに委ねなさい)」
というようにも解釈できます。
大きな教訓を得ました。お寺詣でも良いものですね。

[419] 恐ろしい技術 投稿者:やさか 投稿日:2006/03/20(Mon)
土曜日(3月18日)の産経新聞朝刊に戦慄するような記事がありました。
「愛犬・愛猫 チップ埋め識別」という見出しの記事です。
その記事によると、三井物産の子会社が売り出す“ペット保険”で、ペットに長さ12ミリ、太さが2ミリのマイクロチップを埋め込んで固体を識別すると書いています。
契約対象のペットかどうかを確実に識別するため、個体情報の入ったチップを犬や猫の皮下に埋め込んで専用機器で読み取るのだそうです。(希望しない場合は写真などで確認するともある)

生物にチップを埋め込んで管理に活用することは、欧米ではすでに実施されているそうです。
聞くところによれば、この手法でいわゆる徘徊老人や夢遊病者、精神異常者などの管理の実用化が検討されているともいわれます。
商品のバーコード・ラベルに始まり、商品の流通などを管理するマイクロチップは実用化されています。
また、電子マネーが一般化して行き、現金が流通しなくなると、代替できる記憶カードなどが必要とされてきます。
そして毎日の生活がナンバーやでコンピューターに管理されることに慣れ、だんだん抵抗がなくなってくることでしょう。
そのうちに人々は固有のナンバーを与えられ、すべてがそのナンバー一つで、掌握管理されるような時代になります。
いや、もうすでにそうなっているとも言えるのではないでしょうか。
その延長上に、人体への、極小チップの埋め込みが始まる恐れが出てくるでしょう。

なんとも恐ろしい管理社会の到来です。
人が生まれるとすぐ登録の申請をして、ナンバーを受けます(人体の一部にマイクロチップを埋める)。
識別ナンバーを与えてもらえなければ生きてゆけないからです。
学校へ行くことも、買い物をすることも、病院を利用することも、結婚することさえナンバーで記録されるでしょう。
学歴や職歴、収入や支出明細、交友関係まで記録され、はては日々の行動までGPSで管理されます。

未来社会は恐ろしい管理社会になる危険性を孕んでいます。
黙示録にあるような殺伐とした風景が垣間見えます。
私達にとって今何が一番大事なのか、それを見極め、修正する大きな曲がり角に来ているといえないでしょうか。

[418] 現代医療のパラドックス 投稿者:やさか 投稿日:2006/03/14(Tue)
有名な双子のパラドクスやアキレスのパラドクスなど、おもしろい様々なパラドクスがありますが、
この「医療のパラドクス」は現代社会で生活する私達にとってとても深刻な問題です。

医者は現代医学という宗教の偏執的な信者と言えるかも知れません。
そして、敬虔な信者とは言えないところがあるように思われます。
と言うのは、高邁な精神で人助けのためと、医学を学び医師となった人たちの中でも
現代医学に疑問を持ち始めている医師が増えてきているといいます。

自分達の医療活動に自信が無いのに、もし自分や家族が病になったとき、
今の医療に全面的に身をゆだねることができるのでしょうか。
いつも自分が他の患者にしているのと同様の、流れ作業的な医療行為に、
安心して任せられる医療関係者ははたして幾人いることでしょう。

「医療のパラドクス」は数多くありますが、まず、その第一番は、
医学はめざましく進歩していると言われていますが、一方でますます病気が増えていることです。
「病気」とは誰かが「病気だ」と言った時から始まるものだと言えます。
言葉を変えれば、ある状態を見つけて病名をつけて、病気だと言い出すことで、
どんどん病気が増えていくものだと思われます。
たとえば、結婚状態の男女が二年以上経っても子供ができないと「不妊症」とされます。
また、血糖値が高いとして「糖尿病」という病名をつけます。
医学が進歩(見せかけだけの)すると、早期発見だとして発症していないものでも病気にされてしまう。
そして、医療という治療行為で、病気が起こったり、ひどくなったりするのです。
必要のない手術をされたり、無用の投薬や放射線などの副作用で身体が傷つけられています。
医療が不健康を促進していることがどれだけ多いことでしょう。

受けなくて良い検査や無用の治療行為で、どれだけ健康を損ね、医療費を無駄遣いしていることか。
また病院では高額な医療設備機器の償却のため、設備をできるだけ稼動させようとしています。
これでは早晩、健康保険のシステムが崩壊することは目に見えています。
これは、病院経営者の意向に沿える医師が出世できる恐ろしい背景があるからでしょう。

考えてみてください!
【病院で生まれ、病院で死んでいく】
よく考えると、こんな殺伐とした風景は恐ろしいかぎりです。
病気で無いのに病院に入って子供を生み、老いては病名を付けられ病院に入れられて寂しく死んで逝く。
どこか間違っていませんか。
これらすべて、西欧医学がその方向を誤ったせいだと思われるのです。

[417] 心の健康について 投稿者:やさか 投稿日:2006/02/22(Wed)
健康とはWHOの定義によりますと、
「病気または虚弱状態でない」というだけでなく、「身体的・精神的・社会的に良好な状態である」ことを意味するといいます。

ではこのうち、最も判断が難しいと思える“精神的な健康状態”とはどういうことを言うのでしょう。
そして「精神的に健康な人間」とはどういう人のことを言い、この概念について心理学者はどのような特徴付けをしているのかを見てみたいと思います。

まずフロイトは、「愛することと働くことのできる人間」とし、
ユングは、   「個性化した人間」と言います。また、
エリクソンは、 「強い自我を持つ人間」といい、
(ここで言うところの“個性化した”とか、“強い自我”とは利己的な「わがまま」でないことは言うまでもなく、いわゆる「アイデンティティー」のことだと考えられる。)そして、
オルポートは、「成熟した人格を持つ人間」としています。
4人の心理学者の考えのうち、オルポートの考えが最も一般的で同意しやすい思いますので次に掲げて見たいと思います。

●オルポートによる「精神的に健康な人間の特徴」
(成熟した人格を持つ人間とは)
1.自己感覚の拡大、すなわち広い範囲にわたる物事や人、活動や思想に関心を持ち、それらに積極的に関与している。
2.他者との間に暖かい関係を持つことができ、他者を尊重し共感することができる。
3.情緒的に安定しており、自己を受容している。
4.現実をあるがままに知覚していて、各種の問題を解決するに必要な技能と、傾聴すべき課題を持つ。
5.自己を客観的に理解できる。洞察とユーモアの能力がある。
6.人生に統一(意味と方向)を与えるような人生哲学を持つ。
    『教育心理学の理論と実践』日本文化科学社より

[416] Re[415]: リンクありがとうございました 投稿者:やさか 投稿日:2006/02/18(Sat)
こちらの方こそ、相互リンクにしていただいて嬉しいです。

今は南大阪に住んでいますが、吉野生まれなので吉野方面へはよく行きます。古代史の中でも飛鳥時代が好きなので飛鳥も何度か訪ねています。興味深い地域ですね。

まりもさんのサイト、コンテンツが盛り沢山で、まだ見終えていません。じっくり楽しみながら拝見したいと思います。
レイアウトが見やすく美しいと思います。

「倭の花たち」の“又兵衛桜”見に行きたくなりました。
お寺や神社の写真も、アングルがいいですね。

●以下のURLは、まりもさんのサイト『倭しうるはし』

http://members.aol.com/marimo888/


[415] リンクありがとうございました 投稿者:まりも 投稿日:2006/02/18(Sat)
はじめまして、まりもと申します。
この度は、うちのHPをリンクしていただき
とても喜んでおります。

実は、うちの本籍が吉野でして、とても
吉野を近くに感じております。

こちらはリンクフリーかどうかは
分からなかったのですが勝手にリンクさせて
いただきました。

ありがとうございました。


[414] Re[413]: Re[412]: Re[409]: 摩訶般若波羅蜜多心経 投稿者:やさか 投稿日:2006/02/16(Thu)
おはようございます。
あとから読み直すと、少し言葉足らずですね。

> > 流派によって少しづつ読みかたが(発音も)違うようなんです。
流派によって…というよりも所属する集団によって(或いは唱える人によって)と書くべきですね。

> 般若心経も呪なんですね。なるほど。
これも書き添えますと、『般若心経』はもちろん大乗仏教の根本思想「空」を説いた『般若経』のエッセンスとでもいうべきものだと思いますが、これらの文言は「呪」のひとつでもあると。

> でもって「高天原」にも読み方が違う。そうだったんですか。「たかまがはら」だと思っていました。
私は「言霊からみると(タカアマハラ)が正しい」という人の説に従ってタカアマハラと唱えています。

[413] Re[412]: Re[409]: 摩訶般若波羅蜜多心経 投稿者:かまど 投稿日:2006/02/15(Wed)
こんばんは。

> ですが、私は最近、呪の力(言葉の呪力)認めたいと思っています。祝詞や真言、呪文のようなたぐいまでです。
> それで、まず、天津祝詞。
> そしてこの般若心経などを暗誦できるようにしました。
> 「…是大神咒 是大明咒 是無上咒…即説咒曰 掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提娑婆訶 般若心経」 とあるようにこれも呪(咒)のひとつですね。
> ところが少し問題がありましてね、流派によって少しづつ読みかたが(発音も)違うようなんです。
> 例えば、『天津祝詞』の冒頭部分、
> 「高天原に神留坐す神魯岐神魯美の詔以て…」の「高天原」ですが、
> タカマガハラ、タカマノハラ、タカアマハラ、などと読み方があるようですね。

呪の力ですか。確かに。私もつい最近呪文ってきくのかな、って思ったことがあります。
般若心経も呪なんですね。なるほど。
でもって「高天原」にも読み方が違う。そうだったんですか。「たかまがはら」だと思っていました。

[412] Re[409]: 摩訶般若波羅蜜多心経 投稿者:やさか 投稿日:2006/02/13(Mon)
>ではこの十戒を実践するにはどうしたらよいのか、どう頭の中で理解すればいいのかを説いたのが「摩訶般若波羅蜜多心経」なんです。難しく考える必要はありません。「本当に大事な事は何か。根本的なものは何か」(=正しい判断=智慧)を考えなさいと言うことです。これを難しく論理的に書いたものが「摩訶般若波羅蜜多心経」です。これは禅宗でも同じです。と言うか仏教ならばどの宗派でも同じだと思います。

含蓄のある書き込みありがとうございます。

『般若心経』のことですが、これは浄土教系では読誦しません。それはご存知の通り法然の専修念仏、一切他力の教説に基づいているからです。
私の家は先祖代々真宗西本願寺派です。なので般若心経は家の仏前では上げたことがないのです。
ですが、私は最近、呪の力(言葉の呪力)認めたいと思っています。祝詞や真言、呪文のようなたぐいまでです。
それで、まず、天津祝詞。
そしてこの般若心経などを暗誦できるようにしました。
「…是大神咒 是大明咒 是無上咒…即説咒曰 掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提娑婆訶 般若心経」 とあるようにこれも呪(咒)のひとつですね。
ところが少し問題がありましてね、流派によって少しづつ読みかたが(発音も)違うようなんです。
例えば、『天津祝詞』の冒頭部分、
「高天原に神留坐す神魯岐神魯美の詔以て…」の「高天原」ですが、
タカマガハラ、タカマノハラ、タカアマハラ、などと読み方があるようですね。

> 人間の煩悩と言う物は、頭で理解できても、実践できない場合が多いのです。空海が最澄に「理趣経」を貸し出ししなかったのも、ここにあるのだと思います。

同感です。私もその通りだと思います。
特にこの『理趣経』は、経典を読んで頭で理解するだけでは誤解をまねく内容を含んでいるようですね。

[411] Re[410]:補足 投稿者:やさか 投稿日:2006/02/13(Mon)
> 私もよく知らないのですが、やはりAの戸籍管理上の問題でいずれかの仏教宗門に属させて管理させた方が、掌握・統治し易かったのではないかと思います。

これでは返答になりませんね。言い足します。

掌握・統治するのは為政者ですから、この場合、「幕府の政策で」とするのが私も順当だとおもいます。
でも幕府がそのおふれを出したという証拠は、残念ながら私も知りません。気にかけておきます。

[410] Re[408]: 両墓制 投稿者:やさか 投稿日:2006/02/13(Mon)
> こんにちは、かまどです。

かまどさん、こんにちは。
興味深い書き込みありがとうございます。

> 空海は即身成仏か荼毘に付されたかと言う話があります。

そうですね。『続日本後紀』に、淳和上皇の弔書が所載されていて「…荼毘ヲ相助クルコト能ハズ…」とあるようですから、おそらく東寺から天皇(仁明?)への報告が、荼毘に付されるとした内容だったのでしょうね。
これはあくまでも個人的な創造ですが、
あの空海の思想からすると、やはり、空海は入滅しようとする期日を定めて、そのための準備を心身ともに着々と進めていったような気がします。文字どうり即身成仏となるため、その肉体をも、完全なミイラと化するように漸次食を絶っていったのではないかと思うのです。
釈尊が目指した仏教の、究極の目的は「寂滅」、つまり輪廻の輪を絶つことだと思うのですが、空海は、輪廻転生を信じていたようです。(自分は、師の師不空の生まれ変わりだとした位ですから)
様々なことを考え合わせると、やはり空海は、より高い境地を求めて入滅(空海自身としては入定?)したのではないでしょうか。
真言宗徒の信仰のように「遍照金剛大師」は今も入定中と思いたいですね。
すくなくとも空海は火葬ではないような気がします。

>うちの場合…喉仏を高野山にもって行きます。これを「骨のぼり」 …これを「むせ」と言います。

民俗として貴重な内容ですね。参考になります。

> ●私の家の場合
> やさか様もご存知、私の家はもともと神主です。
> @それ以前の神道の時代は墓がなかった可能性がある。
> A幕府の政策で、戸籍管理上(人口管理上)、神主もどこかの宗派に所属しないと行けなくなった可能性がある。
> Aで考えると、三谷に籍を置いて、父が天野に住むと言う形態は管理する方からしてみるとややこしい。だから、家を2つに分けたのではないかと考えています。

> 。もし、やさか様ご存知でしたら教えて下さい。

私もよく知らないのですが、やはりAの戸籍管理上の問題でいずれかの仏教宗門に属させて管理させた方が、掌握・統治し易かったのではないかと思います。

> ちょっと長くなりました。すいません。

とんでもありません。興味深い書き込みありがとうございます。丹生氏についても新たな知識を得ることが出来ました。

[409] 摩訶般若波羅蜜多心経 投稿者:かまど 投稿日:2006/02/12(Sun)
やさか様
なにやら難解な方向へ行かれていますね。
私は仏教論はあまり読んだ事がありません。でも仏教論は好きなんです。それは私なりの勝手な仏教論があるからなんですが。

基本は「みんな仲良く生きるにはどうすればいいのか」

という事です。私は真言宗なので、真言宗のお経の中で説明させて頂きますね。どの宗派も元は一緒なのでかならず同じ内容が入っていると思います。

仏前勤行次第と言うのがあって、毎日ご先祖様に唱えますが、これはどう読んでも自分に対する内容なんですよね。恐らく亡くなった方に言い聞かせて成仏してもらうのも、自分がそれを読んで自分に言い聞かせるのも同じだと言うことです。要は自力本願なのです。

まず、懺悔があります。つまり反省です。これは禅で言う縁を説いていると思っています。全ては原因があって結果がある。ということです。

そして本題に入っていきます。「どうすればみんな仲良く生きれるか」。それは十善戒です。「殺生してはいけません。盗んではいけません。邪淫してはいけません。悪口を言ってはいけません。・・・」

ではこの十戒を実践するにはどうしたらよいのか、どう頭の中で理解すればいいのかを説いたのが「摩訶般若波羅蜜多心経」なんです。難しく考える必要はありません。「本当に大事な事は何か。根本的なものは何か」(=正しい判断=智慧)を考えなさいと言うことです。これを難しく論理的に書いたものが「摩訶般若波羅蜜多心経」です。これは禅宗でも同じです。と言うか仏教ならばどの宗派でも同じだと思います。

法事の時にお坊様に言われました。お経は暗記する事は良いことですが、見ながら読んだほうが良いと。私はお経を持ち歩くのが面倒なので暗記しています。しかし、暗記も字のイメージを思い浮かべながらお経が読めればいいのですが、私の場合は音として暗記しているため、字の意味をかみ締めることなくお経を読んでしまっています。本当はダメなんですが、めんどぐさがりなものでついつい。本当は字を見ながらその意味をかみ締めて読むのがいいんでしょうね。

修行には意味があります。目的があります。それなくして修行しても、しなかったのと同じなんだそうです。お経もただ読むだけではなく、お経の中に書かれている考え方を、日々の生活の中で自然にそう言う風に考えられるよう、繰り返し、体に覚えこませる様にしないといけないと思っています。

それを、更に実践できるように、禅をしたり、山岳修行したり、滝に打たれたりするするわけです。実践できる人は修行の必要はないんでしょうけどね。まれだと思います。

人間の煩悩と言う物は、頭で理解できても、実践できない場合が多いのです。空海が最澄に「理趣経」を貸し出ししなかったのも、ここにあるのだと思います。いくら理解しても、それを実践できなければ、理解していないのと同じだということです。その実践をするための修業を最澄は拒否したのです。密教に対してではなく、仏教の本質を見失っていたのでしょう。都に近ければそれだけ誘惑は多いものです。

かくなる私も、ここまで語ると言うことは、悟っていないと言うことを露呈しているわけです。本当に悟っている人は自分が悟っているとは言わないものだそうです。恐らく悟りを意識しなくても自然に実践できる境地に達しているんでしょうね。



[408] 両墓制 投稿者:かまど 投稿日:2006/02/12(Sun)
こんにちは、かまどです。
先日はどうもありがとうございました。ちょっと和歌山に当分変えれなくなってしまって、吉野行きはしばし延期と致しました。

さて、私実家の地域も昔は土葬だったようです。私も勉強したわけではないので、聞き流す程度で読んでいただければと思うのですが。

●土葬
空海は即身成仏か荼毘に付されたかと言う話があります。高野山でなくなった空海。これの報告で、高野山から人が走ります。しかし、朝廷への報告は当時、必ず東寺を通さなくてはなりません。ここが論点の変わり目です。当時仏教では荼毘するのが通常だったようです。だから、空海が死んだ=荼毘に付された、と東寺は朝廷に報告した、と書かれている人がいます。しかし、高野山では東寺とは違い仏教一色ではない。空海が少年の時修行した、修験的な部分が多く含まれている。修験的には即身成仏なのだそうだ。
調べないと分かりませんが真言宗でも土葬と火葬に分かれるのかも知れません。例えば高野山真言宗系は土葬とか。

●両墓制
うちの実家でも、やさか様が書かれたような形です。ちなみにうちは真言宗です。
うちの場合(現在)は、まず火葬すると、それを共同墓地に埋めます(埋め墓)。木製の卒塔婆を建てます。そして、喉仏を高野山にもって行きます。これを「骨のぼり」と言って吉野・高野・熊野で行われている紀伊半島の風習です。昔は土葬なので、死者の爪や遺髪だったようです。そして、数年後、詣墓(石)を建てます。私の地域ではこれを「むせ」と言います。石だけで何も遺骨は入れません。これを建てれば、埋め墓に参らず、詣墓に参ります。埋め墓は順番が来るとまた掘り返され、違う人が埋められます。

●私の家の場合
やさか様もご存知、私の家はもともと神主です。
私の家の過去帳や墓石は江戸時代中期?ぐらいからのものです。そして、それは、丹生氏が丹生とかまどに分かれる時期と同じではと見ています。それまでは本拠を三谷に置き、父は天野へ、子供は三谷で住んでいたようなのです。
これから分かることは、
@それ以前の神道の時代は墓がなかった可能性がある。
A幕府の政策で、戸籍管理上(人口管理上)、神主もどこかの宗派に所属しないと行けなくなった可能性がある。
Aで考えると、三谷に籍を置いて、父が天野に住むと言う形態は管理する方からしてみるとややこしい。だから、家を2つに分けたのではないかと考えています。

幕府の政策で、と言うのは以前どなたかに聞いた話で、本当にそうだったのかは調べているのですがまだ見つけられません。もし、やさか様ご存知でしたら教えて下さい。

まあ、土葬でも火葬でも、人々が自分達の文化を大事にする事はいいことですし、それに執着せず、形を変えていくことも、それはそれでいい事だと思っています。要は気持ちだと思っています。

ちょっと長くなりました。すいません。

[407] 慎太郎の「天皇論」 投稿者:やさか 投稿日:2006/02/06(Mon)
最近になって皇位継承問題が取りざたされているが、石原慎太郎は、皇位相続議論以前に日本の天皇とはいかなるものか考え直す必要があるとして、本日の産経新聞で次のように述べている。(以下部分抜粋、引用)

「私は天皇こそ、今日の世界に稀有となったプリースト・キング(聖職者王)だと思っている。人類の歴史の中に同じものを探せば、古代エジプトのファラオに例を見ようが、現今の世界には他に例がない。さらにいえば天皇は神道の最高の祭司にに他ならない…」といい、そして、

「日本の風土が培った独特の汎神論はその後伝来した、これまた他の一神教と異なり多様な聖性を許容する仏教と容易に混交融和して今日の日本人独特の、決して宗教的なものにとどまらぬ、いわば融通無碍な価値観とさらにそれに育まれた感性をもたらした…」と日本人の心を述べる。

続けて石原はいう。「それらの時代を通じて天皇に関わる事柄として日本人が一貫して継承してきたものは、神道が表象する日本という風土に培われた感性に他なるまい。そして天皇がその最大最高の祭司であり保証者であったはずである。私が現代に改めて天皇、皇室に期待することは、日本人の感性の祭司としてどうか奥まっていただきたいということだ」と。
そして戦後の皇室の在りかたにふれ、その本質からずれているような気がしてならないと言い、例えて、
「何か災害が発生してような折、天皇が防災服を着て被災地に赴かれるなどということよりも、宮城内の拝殿に白装束でこもられ国民のために祈られることの方が、はるかに国民の心に繋がることになりはしまいか」と書いている。
さすがに石原らしい見事な天皇論だと思う。
●産経新聞 2月6日朝刊 第1面『日本よ』のコラムから、「祭司たる天皇」と題した記事より。

[406] Re[405]: 西山神社 投稿者:やさか 投稿日:2006/01/31(Tue)
「西代神社」は、旧図書館の前だったのでよく参拝しましたが、そのように考えたことがありませんでした。
この神社は、原・上原・野作・古野・西代の各地区の神社を合祀したようなので、なるほど上原字西山の神社の旧社地がわかれば面白いですね。そこが即ち陵墓である可能性があるということですね。興味深いヒントをありがとうございます。
これからの課題にしたいと思います。

[405] 西山神社 投稿者:神奈備 投稿日:2006/01/31(Tue)
 西代神社の由緒の中に「大字上原字西山の西山神社は、鎮座地の里伝によれば、創建も古く、仲哀天皇陵との密接な関係があると言う。」とのことが書いてありました。
 丁度住吉神社の南側の岡を下った所あたりになるのでしょうか。仲哀陵の遙拝所だったのか、岡が古墳なのか、この西山神社の古社地が判れば面白いかも。

[404] Re[403]: 住吉神社 投稿者:やさか 投稿日:2006/01/30(Mon)
神奈備さん、こんばんは。
書き込みありがとうございます。

> お近くの住吉神社へ参詣いたしました。

そうでしたか!すぐ近くですのでご一緒させていただきたかったです。
また近辺へお越しの折は、日曜以外でしたら大抵都合がつきますので、ご連絡いただければ嬉しいです。

> 日立造船の社宅の西から歩いて行ったのですが、先に丘があり、それを越えると境内でした。
> その丘ですが、何となく墓標と言うか古墳のような感じでした。

すぐ近くに「赤峰市民広場」という運動場があるのですが、その台地の南西角に関電の送電鉄塔があります。そこがが「伝・仲哀天皇陵」と地元でいわれているのですが、古墳のような感じの所は他にもあるようです。

> また東に延びた参道も不思議な感じで、通常ある神社とは何かが違うような印象です。
>

はい。この神社の参道は、東から、南から、西からと三方から境内に続く参道があります。西側の小山田村からの道を表参道として、初詣などは石段下から並んで参拝しますが、あるいは東からの道が最も古い参道かも知れませんね。道も細く今はあまり通られていません。
今まで気付きませんでしたが、言われますと確かにご指摘のように、東側から境内の森を抜ける参道は不思議な感じのする道ですね。(東・南・西の三方の入り口各々に鳥居があります)

[403] 住吉神社 投稿者:神奈備 投稿日:2006/01/30(Mon)
お近くの住吉神社へ参詣いたしました。
日立造船の社宅の西から歩いて行ったのですが、先に丘があり、それを越えると境内でした。
その丘ですが、何となく墓標と言うか古墳のような感じでした。
また東に延びた参道も不思議な感じで、通常ある神社とは何かが違うような印象です。

[402] 旧暦元旦の神宮 投稿者:やさか 投稿日:2006/01/29(Sun)
本日1月29日は旧暦元旦。
早朝からお伊勢さんに参詣しました。
例年は1月3日にお参りするのですが、今日お参りしたところ、1月3日と変らない大賑わいでびっくり。
高速を出るとすぐ、伊勢市内は車の洪水。
外宮から内宮と参拝しましたが、駐車場はいっぱいで、境内も人の波。
帰宅は夜八時になってしましまいました。
でも、雲ひとつない青空、好天に恵まれ清々しい一日でした。

 かむながら お遷りましませ 神のみやしろ 

[401] 日本酒について 投稿者:やさか 投稿日:2006/01/20(Fri)
日本酒が美味しい季節ですね。
毎年この季節になると、バーボンを止めてもっぱら日本酒ばかり飲んでいます。

さて日本酒は米から作られていますが、では最高級品で“美味しい”と言われている「魚沼産のコシヒカリ」で日本酒を造ると美味い酒ができるのでしょうか。
美味しい米は、ふつうタンパク質が多いので、これを酒にすると雑味になるといいます。
酒造米として最高と言われているのが、ご存知兵庫県産の「山田錦」ですね。
この米は、
1.表面の糠層が薄い
2.タンパクの含量が少ない
3.精米する時に砕けにくい
……と酒造りに最も適しているといいます。
米と米麹だけでつくる「純米酒」のほか、醸造アルコールを加えて調整している日本酒もありますが、
この添加アルコールは、原材料として使用した米の重量の10%以下に制限されています。
もちろん好みにもよりますが、一般的に日本酒(清酒)は次の条件で味が決まると言われているようです。

1.原料とする粳(うるち米)の品質。
2.使用する水。
3.酵母。
4.酒造り職人(杜氏)の腕。
5.調整や保存などその他条件

日本酒の80%は水なので、水の良し悪しによっても大きな違いが出るそうです。
養分の多い水でつくった酒はやはり良いが、鉄分は適さないといわれ、
一般的に硬水でつくると辛口に、軟水でつくると甘口になるといいます。

●御神酒と日本酒

http://yasaka.hp.infoseek.co.jp/omiki.html