やさか掲示板

過去ログ8 [400]〜[351]


[400] Re[399]: Re[398]: 謹賀新年 投稿者:やさか 投稿日:2006/01/03(Tue)
あけましておめでとうございます。
かまどさん、お久しぶりです。ありがとうございます。

丹治川?丹治遺跡ともによく知りません。
当方のリンク先で「吉野ウェブ」アオイコンサルタント(株)さんがありますが、そこの所在地は吉野町丹治です。
代表者は、たしか林さんと言われる方でが、この方は何かと良くご存知だと思います。面識はないのですが電話で話をしたことがあります。
一度メールか何かで問い合わせられたら如何でしょう。
お役に立てなくてすみません。


話が変わりますが、丹生廣良先生が昨年ご逝去されているようですね。(年末にご子息よりのハガキで知りました)残念なことです。遅まきながらご冥福をお祈りしたいと思います。

私、元日には家族と自宅近くの氏神さんへ、今日朝からは西吉野の産土さんに初詣に行き、今帰宅したところです。
昨年九月に五條市に併合された西吉野村ですが、今日は大変寒く小雪がちらつき、銀峯山上には所々に先日来の積雪が残っていました。この様子ではたぶん天野の里や、もちろん高野山も雪でしょうね。
本年もよろしくお願いします。

[399] Re[398]: 謹賀新年 投稿者:かまど 投稿日:2006/01/03(Tue)
あけましておめでとうございます。
ご無沙汰しております。

今年は吉野にいければと思っています。以前丹治川?あたりをうろちょろした事はあるのですが、これといって何も見つけられなかったのですが、先日丹治遺跡なるものがあるという話を耳にしまして、親戚のご老人?をお連れしたいなあと思っておる次第で。

やさか様何かご存知でしたらご教授宜しくお願い致します。

では、本年も宜しくお願い致します。

[398] 謹賀新年 投稿者:やさか 投稿日:2006/01/01(Sun)
もえ出ずる若葉の色ぞ美くしき花さき実のる末も見えつゝ
(河内国錦部郡住吉神社 御神籤 第四十四番末吉)

あけましておめでとうございます。
昨年に引き続き、できるだけパソコンから離れて過ごしたいと思います。 

[397] Re[396]: Re[395]: メルアド変更 投稿者:やさか 投稿日:2005/10/16(Sun)
> このように公開しますと、自動採取されて、迷惑メールがまた来るようになることを心配しています。
> 小生は
> http://kamnavi.jp/adress.htm
> のように、ダミーをくわえて公開しています。ミクマノさんのをヒントにさせていただきました。

神奈備さん、ありがとうございます。
いいことを教わりました。
迷惑メールが多くて困っていたところです。
早速真似をさせていただきます。
([395]は投稿者名:やさかにメルアドをリンクしていましたので削除しました)

[396] Re[395]: メルアド変更 投稿者:神奈備 投稿日:2005/10/15(Sat)
> 迷惑メールが多いのでメールアドレスを変更しました。

このように公開しますと、自動採取されて、迷惑メールがまた来るようになることを心配しています。
小生は
http://kamnavi.jp/adress.htm
のように、ダミーをくわえて公開しています。ミクマノさんのをヒントにさせていただきました。

[394] みろくの世 投稿者:やさか 投稿日:2005/09/26(Mon)
七年ぶりに「おほもと」の聖地、亀岡の天恩郷と綾部の梅松苑を訪ねました。
清々しい境内は萩の花が咲き始め、秋の薫風が神苑をわたります。

そこで目にしたのが、「みろくの世」-出口王仁三郎の世界-/上田正昭監修/天声社の本です。早速買いました。
「みろくの世」とは、理想的な地上天国のこと。
『…二十一世紀を平和の世紀・人類愛善の時代にするために、本書の刊行がその“光明世界”の実現に寄与することを願ってやまない』と上田正昭先生の監修のことばにあります。

聖地を巡ったあと、式内小幡神社に参拝してから帰路につきました。

ネット上で「みろくの世」が注文できます。
天声社(URLは以下)

http://www.tenseisha.co.jp/


[393] 人権擁護法案 投稿者:欲衿蚕 投稿日:2005/07/19(Tue)
日本文化、いや日本そのものの危機です
力を貸してください

http://blog.livedoor.jp/pinhu365/ 


[392] 一休さん 投稿者:やさか 投稿日:2005/06/16(Thu)
宗教的なものに興味を持ち始めた30年前、密教に傾倒して高野山にのぼり、
ある寺院の宿坊に入って修行の真似事をしたことがありました。
私の宗教的な関心は空海に始まっています。
そして、様々な宗門をたずねて、今は各地の神社詣で。
でも最近また、空海に関心が戻っている自分に気づきました。
神祇信仰にも篤い空海さん、この偉大な人物に興味は尽きません。

パソコンさわるのが倦んできたので、この辺でひとやすみ。一休さん、一休さん。

[391] Re[389]: 訂正 投稿者:やさか 投稿日:2005/06/11(Sat)
> 「詩人空海」というタイトルの本があります。
「詩人空海」という本はありません。
書店に注文を出して分かりました。訂正します。

●「弘法大師と現代」と題して、筑摩書店より刊行された書物に、
「詩人空海」と題する村岡空氏の論文が収載されているようです。

[390] ああ、倦んだ 投稿者:やさか 投稿日:2005/06/11(Sat)
このような記事を見つけました。

“なかきよのとをのねふりのみなめさめなみのりふねのをとのよきかな”
「長き夜の遠の眠りの皆目覚め波乗り船の音のよきかな」
……これは、上から読んでも下から読んでも……タケヤブヤケタの名文ですネ。
この歌は「眠りを流し、惰眠を戒める歌」といいます。(H17.1.4付の読売新聞夕刊より引用)

それにしてもパソコンをさわることに倦んできました。

[389] 詩人空海 投稿者:やさか 投稿日:2005/06/11(Sat)
「詩人空海」というタイトルの本があります。
この本を著したのは、西吉野村光明寺の住職で、詩人でもある密教研究者の村岡空氏ですが、今年の三月ご逝去されています。
氏はこの本のタイトルのような「詩人僧侶」でもありました。
生前は空海の道についてなど教わりました。
あらためて感謝申し上げ、ご冥福をお祈りしたいと存じます。

[388] 空海と求聞持法(続) 投稿者:やさか 投稿日:2005/06/10(Fri)
空海が何時虚空蔵求聞持法を修したかですが、
「三教指帰」に「勤念土州室戸崎。谷不惜響明星來影」とあり、「高野大師行状図画」には、
室戸崎で修行(真言を唱える)していると、明星が口の中に飛び込んできたとする絵と文があります。
この時が求聞持法を修した瞬間だとすれば、それは三教指帰を著す24歳以前となります。

さて、この三教指帰の「爰有一沙門呈余虚空藏聞持法。其經説。若人依法誦此眞言一百萬遍。即得一切教法文義諳記。」の文中の「真言」ですが、虚空蔵菩薩の一般的な真言は、「おんばさら あらんたんのう おんたらく そわか」だと思うのですが、
調べてみると、唱えたマントラは「ノウボウ アカシャキラバヤ オンアリキャ マリボリ ソワカ」のようです。
これを百万遍唱える。そうすると記憶力が開発されて、一度見聞きした事は一切忘れない。それだけでなく一読しただけで内容まで理解できる抜群の頭脳に改造されるといいます。
このマントラを何回も唱えると、声帯は震え、肉骨は鳴動し、頭蓋が振動して、脳を活性化させるということでしょうか。
マントラが持つ固有の振動数が重要なのでしょうか。
この時代に唐で頭脳明晰化特殊修練術として開発され、行法として確立し「虚空蔵求聞持法」と名付けられていたのでしょう。
有効な振動数さえ解れば機械的に頭部を振動させても良い理屈ですが、これも大変な苦行になるとおもわれます。
やはり、深山幽谷に座して虚空蔵菩薩の真言を唱えること一百万遍。
一日一万編を続けて百日間唱え続ける。一万編の真言を唱えるには五・六時間はかかるようです。
やはりこれでないといけませんね。

参照:吉野山の神々/桜本坊(日雄寺)

http://www5.ocn.ne.jp/~miyosino/yosinoyama.html


[387] 空海と求聞持法 投稿者:やさか 投稿日:2005/06/09(Thu)
空海は求聞持法をどこで修得したのでしょう。
空海の著書「三教指帰」によれば、
「爰有一沙門。呈余虚空蔵求聞持法。其経説。若人依法。誦此真言百万遍。即得一切教法文義暗記」とあり、/一人の沙門から虚空蔵求聞持法を授かった。この法によれば(虚空蔵菩薩の)真言を百万偏となえれば、一切の教法の内容がすぐ理解でき暗記(一度読んだら忘れない)できるようになる/そうです。
この時代、大学では専ら経典や書物を暗記する能力が求められたといいます。
強力な記憶力を養う求聞持法は、官許の高僧になるためには是非とも修したい秘法だったのではないでしょうか。
中村元氏は、「空海は求聞持法を勤操から入唐前に授かった」としております。
空海は20歳のとき和泉国槙尾山寺で、勤操僧正を戒師として出家・得度を受けているといいますので、この時に修したのでしょうか。
三教指帰を著したのが24歳、唐へ出発したのが31歳。この渡海までの7年間は不明ですが、各地で修行したようなので、この青年時代に何処かの山地で修したのかもしれません。

西吉野村の郷土史家辻本武彦氏は、
「京都の大学を抜け出した(犯罪行為)空海は、川原寺から芋峠又は越部越えをして比曾寺(吉野寺)に入ったとする。同寺は当時中国(唐)僧なども居て、一種の治外法権地域で、ここなら捕らわれる(犯罪行為なので追手に)心配がない。この寺で空海は中国語を習い、また求聞持法のことを知ったのではないか。そしてこの行法の実践をするため吉野山へ登ったであろう。当時の吉野山は修験道が未発達で、山林修行者のための「日雄寺(ひのおじ)」があったようである。以後の空海は求聞持法実践の場所を求めて、深山を転々としたといってよい…後略。これは、密教研究者の村岡空氏が初めて公にした説でもある」(辻本氏から頂いた手紙より引用)としています。 

この説によるなら、空海は大学を逃走?して比曾寺に入り、まもなくして求聞持法を知り(あるいは修行の手解きを受けて)、のち各地に山岳の行場を求めて修行する内、ついに修得したということになります。
それは24歳までだったのでしょうか、あるいは31歳までの7年間のうちだったのでしょうか?
また一沙門とは誰だったのでしょう。

吉野で、勤操大徳でもなく、名も無き一人の優婆塞と出逢い、直伝を受けたのかも知れませんね。

●参照:比曾寺(吉野寺)

http://www5.ocn.ne.jp/~miyosino/yosinoji2_002.htm



[386] 還暦と惑星の公転周期 投稿者:やさか 投稿日:2005/05/07(Sat)

今年は乙酉年。私は60年前のこの年に生まれました。
ちょうど干支が一巡しましたので、還暦ということになります。そこで還暦について考えてみました。

では干支(えと)は、十二支に陰陽五行を配当したものだが、これはどういう意味を持つのだろうか。
「十二支」は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥。 これは西洋占星術では獣帯12宮(ゾディアック)にあたる。
「十 干」は、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸。 つまり、木・火・土・金・水の五行に陽陰(兄・弟)をあてたもので、これは陽陰(日月)と五惑星の組み合わせともいえる。
干支は甲子から始まり癸亥まで60通りの組み合わせがあるので、一巡するには60年かかるということになる。
ではこの60年という単位は何に由来するのか。
太陽の周りを地球が一周する時間が一年(地球年)、木星は12年、土星は30年。この最小公倍数が60なのである。つまり宇宙(限定された太陽系の一部ではあるが)での太陽・地球・木星・土星の位置関係が60年に一度、同位置に回帰するというわけである。
つまり還暦とは、自分が生まれた時と同じ星の位置に暦が還るということだろう。

西洋占星術によれば、現在は魚座の時代から水瓶座の時代に移行中であるといい、又、もうすでに水瓶座の時代に突入しているともいう。
地球は歳差運動をしており、この周期が25,920年でプラトン年ともいわれ、これを黄道上の12宮で分けると1星座あたり2,160年(プラトン月)となる。今、水瓶座の時代に入ったところだとすれば、前の魚座の時代はおおよそ1〜20世紀まで、21世紀〜40世紀まで位が水瓶座の時代となる。
終焉した魚座の時代は、「魚」に代表されるイエス・キリスト時代ともいえようか。
(いや日本で言えば“真魚”に代表される空海の時代ともいえるかも知れない)
さて、来る水瓶座の時代とはどのような時代なのだろう?
物質文明から精神文明へ、価値観が変わり、新人類が出現するともいい、また2012年にはフォトンベルト光子帯に地球がすっぽりと入ってしまうともいう。
このフォトンベルトは人類をライトボディ化し、覚醒させ、超能力を開花させるかもしれないそうである。
ところで1プラトン年(25,920年)を1干支(60年)で割ると432干支となる。
この432という数字も興味深い不思議な数字ではある。
 “ ニイサンヨッテハオカザキノカブ ” なんちゃって・・・。

[385] Re[384]: 余計なこと 投稿者:やさか 投稿日:2005/03/23(Wed)
神奈備さん、こんばんは。
“余計なこと”なんてとんでもない、困っていたところです。ありがとうございます。
もともとパソコンの基本的な知識が不足しているにもかかわらず、勉強不足なんです。またウイルス対策も、ウイルスバスター2003を入れたままで、更新契約の手続きもしていませんでした。
早速OCNのページを見て、「ウイルスチェックサービス」があったので申し込んでおきました。もう少しPC関連の情報も仕入れるようにしたいと思います。
ありがとうございました。

[384] 余計なこと 投稿者:神奈備 投稿日:2005/03/22(Tue)
OCNのページを見ますと、メールのウイルスチェックや多分会員サービスとしてメールを受信せずに画面上で確認するページがあると思われます。そのようなものを使いますと相当防御できるものと思います。

[383] Trojan Horse? Spyware? 投稿者:やさか 投稿日:2005/03/21(Mon)
アクエモン達が侵入して、またまたPCが変になり、大掃除をしました。
迷惑メールも増えていたので、メールアドレスも変えました。
今日、だいたい復旧できましたので、またHPも更新していこうと思います。

[382] PC故障? 投稿者:やさか 投稿日:2005/03/15(Tue)
PCが不調で、当分レスポンスできなくなりそうです。

[381] 赦すまじ 無差別爆撃 投稿者:やさか 投稿日:2005/03/10(Thu)
60年前の本日3月10日未明、東京下町上空にB29の大編隊が襲来し、爆弾の雨を降らせた。
その攻撃は凄まじく、日本の木造家屋を焼き尽くすために開発されたM69焼夷弾は、人口密集地帯の住宅屋根を貫通し、辺り一面は火の海と化した。
このB29の編隊は司令官カーチス・ルネイに指揮された米軍である。彼らは上空から国際法違反の無差別爆撃を実行した。
特に赦せないのは計画的に焼夷弾で炎の壁を作って退路を断ち、火炎に追われて逃げまどう人々めがけて、容赦なく機銃掃射をあびせたことである。
この大空襲では30万発以上の焼夷弾が投下され、死者は10万人以上にもなった。
死者の多くは無抵抗な女性や子供、老人であり、入院中の病人も多くいたという。
この日の空襲に続き、米軍は日本の大都市に次々と焼夷弾の雨を降らせた。あげく8月6日広島に、9日には長崎に原爆を投下、一瞬にして20万人以上もの人々を虐殺したのである。
(これは余談だが、のちに日本政府は航空自衛隊の育成に協力したとして、カーチス・ルメイに勲一等旭日大綬章を贈っている。ちなみにこの時の総理大臣は佐藤栄作で、その後ノーベル平和賞を受賞した。どういう神経なのだろうか)

近年彼らは原爆こそ使用しなかったものの、都市に対するこのような無差別爆撃をイラク戦争でも行った。このような非道な行為は、どのような理由をつけて正当化しようとも赦されることではない。
3月6日のNHKスペシャルでも東京大空襲の記録番組があった。

●忘れまじ、赦すまじ/東京大空襲
参照写真: http://www.history.independence.co.jp/ww2/raid/f01.jp      http://www9.ocn.ne.jp/~sensai/
●忘れまじ、赦すまじ/広島・長崎原爆
参照写真: http://www.ask.ne.jp/~hankaku/img/hiro1.gif  

http://www9.ocn.ne.jp/~sensai/


[380] 反核と平和 投稿者:やさか 投稿日:2005/03/09(Wed)
ここに栗原貞子さんの「生ましめんかな」という詩がある

こわれたビルディングの地下室の夜だった
原子爆弾の負傷者たちは
ローソク一本ない暗い地下室を
うずめていぱいだった
生ぐさい血の臭い 死臭
汗くさい人いきれ うめきごえ
その中から不思議な声がきこえてきた
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。
マッチ一本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と「私が産婆です、私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた
かくてあかつきを待たず産婆は
血まみれのまま死んだ
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも      (朝日新聞3月7日夕刊より)

この詩をよんで、涙しない日本人はいましますまい。
3月6日、原爆詩人、栗原貞子さんは亡くなられた。ご冥福をお祈りしたい。

[379] Re[378]: 絵本「空海」 投稿者:かまど 投稿日:2005/03/07(Mon)
> 「あなただけの弘法大師空海」
結構本屋へいっては空海関連の本を見ているのですが知りませんでした。早速探してみます。

[378] 絵本「空海」 投稿者:やさか 投稿日:2005/03/07(Mon)
「あなただけの弘法大師空海」という本を書店で立ち読みしていて、思わず買ってしまいました。
現代の絵巻本ともいえるこの空海伝は、そのもととなる絵は高野山地蔵院所蔵の「高野大師行状図画」から採られ、その絵解き文を平易な伝記に書き直したのは作家の立松和平氏です。
とてもいい本で娘たちのも読ませようと思っています。
(空海さんと狩場明神さんの出逢いからの場面が6頁にもわたってありますよ。発行:小学館 ¥2800フルカラー)

[377] Re[376]: Re[375]: こんな会話だったかも? 投稿者:かまど 投稿日:2005/03/04(Fri)
>また少しずつこの辺りのことを教えてください。

この会話は空海の手紙に「大名草彦の分かれ」と書かれているので、それより想像して書きました。ただこの手紙が紀氏に出したものか、丹生氏に出したものか分からないのでなんとも言えないのですが。

[376] Re[375]: こんな会話だったかも? 投稿者:やさか 投稿日:2005/03/01(Tue)
> 「わしゃ、家信はんとは親戚なんですわ。わしのご先祖は大名草彦の分かれなんですわ」

これは空海のせりふですね。空海といえば佐伯氏、サエキといえば山の民エミシ?この系譜ですか。ふーむ興味深い。
丹治家信は丹生祝氏に養子入りしたとか。そして狩場明神と謂われたそうですね。また少しずつこの辺りのことを教えてください。

> 関西弁ではなかったでしょうが(^^;)

いやまったく。どんな言葉だったのでしょうね。奈良や和歌山の田舎弁と少し似ていたかも知れませんね。

[375] Re[374]: Re[373]: Re[372]: Re[370]: 町石道 投稿者:かまど 投稿日:2005/02/28(Mon)
>汗をかきかき語らいながらワンコらと上って行きはったんかいなぁ。
もしかしたらこんな会話だったかも?
「わしゃ、家信はんとは親戚なんですわ。わしのご先祖は大名草彦の分かれなんですわ」
「えっ、そうなんですか?」
「はい、ですから是非高野を開くときは手伝ってほしいんですわ。」
「いいですよ、よろこんで。この地は丹生、大伴、丹治の一族が住んでおりましてな、なかなかうまくいかんのですわ。みな仲良くしてほしいんですけど。その点で仏教に大きな期待をしておりますのや。」
関西弁ではなかったでしょうが(^^;)

[374] Re[373]: Re[372]: Re[370]: 町石道 投稿者:やさか 投稿日:2005/02/28(Mon)
> そうです。よくご存知で。三谷坂はまっすぐ丹生津姫神社に向かって上っていきます。つまり最短経路。急な上り坂ですが早い人ですと徒歩1時間で標高500mの天野まで辿りつきます。法親王も歩かれた道です。

そうでしたか。丹生都比売さんのファンとしては、やはり三谷の急坂を上って天野の里へ詣でないといけませんね。(天野大社を参拝した後、二つ鳥居で自然と町石道に合流しますね)
空海さんも、狩場さんもこの坂道を上って行かれたのでしょうか。

空海さんは錫杖をつき、狩場さんは二匹の犬を連れ、教良寺では路傍の大石で矢を研ぎ、汗をかきかき語らいながらワンコらと上って行きはったんかいなぁ。

[373] Re[372]: Re[370]: 町石道 投稿者:かまど 投稿日:2005/02/28(Mon)
> ところで高野山詣での参道のことですが、町石道が整備される以前は紀ノ川南岸の三谷から丹生酒殿神社を経て三谷坂を通り、丹生都比売神社を参拝して高野山に向かう道の方が「勅使道」で、むしろこの方が表参道といえるかも知れないそうですね。

そうです。よくご存知で。三谷坂はまっすぐ丹生津姫神社に向かって上っていきます。つまり最短経路。急な上り坂ですが早い人ですと徒歩1時間で標高500mの天野まで辿りつきます。法親王も歩かれた道です。

[372] Re[370]: 町石道 投稿者:やさか 投稿日:2005/02/27(Sun)
> 5月の連休に、…前半に大分の丹生、後半に町石道を歩こうかと計画中。

それは楽しみですね、うらやましい。実現しましたら道中譚?をまた聞かせてください。

> …ただ、三谷坂で残念なのは丹生津姫降臨の瀧が見れないことです。丹生大明神告門の「石口」にあたるのですが。綺麗な瀧だと思うんですけどね

「丹生津姫降臨の瀧」ですか?以前にどなたかに聞いた気がします。神奈備さんの掲示板で拝見したのかな?
きっと美しい滝でしょうね。三谷方面へ行った折には、沢の水音に耳をすまして歩き、きっと見つけて見たいと思います。
ところで高野山詣での参道のことですが、町石道が整備される以前は紀ノ川南岸の三谷から丹生酒殿神社を経て三谷坂を通り、丹生都比売神社を参拝して高野山に向かう道の方が「勅使道」で、むしろこの方が表参道といえるかも知れないそうですね。

[371] やさか様すいません 投稿者:かまど 投稿日:2005/02/27(Sun)
原因わかりませんが、重複して書きこんだようです。お手数をお掛けしますが369を削除して下さい。すいません<(_ _)>
それと370の「翌日」は「前日」の間違いです。訂正します。

[370] Re[368]: Re[367]: Re[366]: 町石道 投稿者:かまど 投稿日:2005/02/27(Sun)
やさか様、こんにちは。
5月の連休に、大分の丹生(大分市、臼杵市)、佐賀の丹生(嬉野)を巡る予定でありましたが、大阪での会議が入り、前半に大分の丹生、後半に町石道を歩こうかと計画中。
ただ、町石道初めていって、道を間違わずに歩ける所なのか分からないので心配なのですが。1町って確か100Mほどだったと思うので多分大丈夫だと思うのですが、ちょっと不安。地元のイベントで「町石道を歩く」なんてものが五月の連休中にあれば助かるのですが、インターネットで調べておこうかと思っています。
話は変わりますが、2月13日に毎日新聞?主催(1月27日の毎日新聞で三谷坂がでたから)で三谷坂をあるくイベントがあったようですが、残念ながら翌日に九州に帰ってきたので参加できませんでした。ただ、三谷坂で残念なのは丹生津姫降臨の瀧が見れないことです。丹生大明神告門の「石口」にあたるのですが。綺麗な瀧だと思うんですけどね。地元でも以外と知らない人が多いんですよ。見やすいところにあっても、木々で隠れていたりしてみなさん気づかずに通りすぎてしまうのですが。

丹生川上神社下社もまたいって見たいと思っています。前回は余り時間がなかったので、周辺まで目が行きませんでしたが、今度は時間とっていこうかと思っています。前回では気づかなかったことに気づくかも知れないと思ってまして。

[368] Re[367]: Re[366]: 町石道 投稿者:やさか 投稿日:2005/02/26(Sat)
“町石道 ”益々歩いてみたくなりました。
もし行けました折には「方参り(この言葉知りませんでした)」ではなく、「ふたつ鳥居」から丹生明神、高野明神を遥拝して、必ず丹生都比売神社へ寄りたいと思います。できれば丹生明神の神紋の入った「けさ」を着けて。
そして高野山周辺の山々や、熊野方面へも足を伸ばしてみたいものです。

●早速検索してみましたら、ありました。ふたつ鳥居の写真もでていました。↓

http://www.katuragi.or.jp/tyouisimiti/gaidosimasyou.htm


[367] Re[365]: Re[363]: おひさ 投稿者:かまど 投稿日:2005/02/25(Fri)
やさか様
はずかしながら私も町石道は歩いたことがありません。歩いて見たいと思いながら和歌山へ行くことも少なく、時間的余裕もなく、いけていないのが現実です。
今年こそは高野山まで歩こうと思っているのですがいつになるのやら。できれば寒い季節と暑い季節ははずしたいなあと思っています。

神奈備様
>鳥居が二つ並んでいる所
「ふたつ鳥居」ですね。一方が丹生明神、一方が高野明神の鳥居ですね。丹生津姫神社を遥拝するところです。
今は高野山が世界遺産になって、町石道を通られる人が多くなっていますが、二つ鳥居から遥拝される人は少ないでしょうね。まずそんな場所だと知らないと思いますし。なんか説明された看板があればいいんでしょうけど。でもできれば実際に丹生津姫神社まで降りてもらいたいですね。
今では知らない人が多いのですが、お遍路さんは遍路の最後に高野山へ登るとき、丹生津姫神社によっていました。よらない場合は「片参り」と言うのですが、今ではみなさん電車で登られるので、二つ鳥居から遥拝もなくなってきてます。少し寂しいですね。余談ですが、何故片参りというかといいますと実は知らないのですが、恐らく、お遍路さんが身につけている「けさ」に丹生明神の神紋が入っているので、道中丹生明神が守ってくれて、無事遍路できたことの報告とお礼で丹生津姫神社によっていたんだと思います。けさの紋が丹生明神の神紋だと知っている人はほとんどの人が知らないんでしょうね。PR不足ですね。

[366] Re[365]: Re[363]: おひさ 投稿者:神奈備 投稿日:2005/02/25(Fri)
町石道は歩いたことがあります。途中には柿畑が多く、そこに除草剤が多くまかれていて、九度山産の柿は食べないでおこう等と思いながらでした。鳥居が二つ並んでいる所を過ぎてかた丹生都比売神社に参詣、それから回り込んで再び山道を登りましたが、真っ赤と云うか濃紅の土の坂を登り、ここは水銀朱の産地なのだろうと悦にいっていました。
高野山の周辺に多くの修験の山があるようです。また熊野への道のあるようで、高野と書いたのは高野から熊野のイメージが先行したようです。

[365] Re[363]: おひさ 投稿者:やさか 投稿日:2005/02/25(Fri)
神奈備さん、ありがとうございます。
こちらこそご無沙汰しています。

山歩きですか、いいですね。修験道は私も興味は持っているのですが、とてもとても。
でもせめて高野山を下から徒歩で登りたいと思っています。
コースはやはり慈尊院から町石道を通り、丹生都比売神社を経て高野山への道ですね。
これがいわゆる表参道になるのでしょうか。
前からこの道を行きたい行きたいと思っているんですが、いつになりますことやら。

[364] Re[363]: おひさ 投稿者:かまど 投稿日:2005/02/24(Thu)
神奈備様ごぶさたです。
和泉ですかー。高野の方がきついですかね?高野まで歩きたいのですが・・・。
ちなみに丹生津姫神社まで歩けば高度的には高野までの3分の2近く登ったことになるんですよ。だいたい徒歩1時間から1時間半。そうおもえばそうでもないかもしれませんよ。
是非吉野や高野も歩かれてください。感想やどんなだったか教えて下さいね。

[363] おひさ 投稿者:神奈備 投稿日:2005/02/24(Thu)
 やさかさん、かまどさん、ご無沙汰です。
丹生都比売神社のHPのCG、あのような発想で、往古の神社の姿を見せるとは凄いアイデアだと思います。それだけで人を呼び寄せそうです。

 修験道も神仏習合にの一つの姿でしょうが、吉野や高野はきつそうなので、暖かくなったら紀伊と河内や和泉の境界の山々を歩きたいと思っています。すこしは楽かも。

[362] Re[361]: Re[360]: Re[359]: 公式HP 投稿者:やさか 投稿日:2005/02/19(Sat)
こんばんは。

> CG見られました?
見ました、見ました。Media Player で見ることができました。

> 昨年…あれは確かまだ廃仏毀釈前のCGだったと思います。
そうです。神仏分離以前の境内の堂塔などの様子が、3DCGで再現されています。五分以上もの上映時間のかかる長編ですが、本当に良く出来ていると思います。近畿大学と高野山大学の協力で丹生都比売神社の制作と書かれていました。
画面中の文字が小さくて読めないのが残念でした。

>また丹生津姫神社いかれた時は神主さんに話し掛けて見てください。
若い神官の方ですね、その方でしたら二度話をさせていただいたことがあります。。私が初めて参拝した折お会いしたその方は、大学を出たばかりですとの話でしたので、今はもう30歳位におなりかも知れません。
また参拝の機会がありましたら話しかけさせてもらいます。

[361] Re[360]: Re[359]: 公式HP 投稿者:かまど 投稿日:2005/02/18(Fri)
こんばんは。
CG見られました?私はダウンロードしても見れませんでした。機種が古く更新していないので当然なんですが(^^;)
昨年製作中のものをみさせていただいた時でも結構感動しました。完成品はさらによくなってるんだろうなあって想像しています。ちなみに、あれは確かまだ廃仏毀釈前のCGだったと思います。昔の図面から再現したそうです。
もし、また丹生津姫神社いかれた時は神主さんに話し掛けて見てください。親切なのでいろいろ建物のことなど詳しく教えてくれますよ。丹生津姫神社の新しい面が見れると思います。
余談ですが、検索してみると意外なところでCGの裏話が見れました。いろんなところで協力してもらってるんだと驚きました。

[360] Re[359]: 公式HP 投稿者:やさか 投稿日:2005/02/17(Thu)
> 丹生都比売神社の公式HPが公開されてました。

かまどさん、こんばんは。
丹生都比売神社の公式HP、早速アクセスしてみました。
情報量はまだ少ないようですが、CGは良く出来ていると思いました。

開設は2月4日となっていますが、流石かまどさんは情報が早いですね。
ありがとうございました。

[359] 公式HP 投稿者:かまど 投稿日:2005/02/16(Wed) 23:22
こんばんはです。
丹生都比売神社の公式HPが公開されてました。

http://www.niutsuhime.or.jp/

[358] Re[357]: 天野酒 投稿者:やさか 投稿日:2005/02/14(Mon)
> 今度いった時に買ってきます。純米酒です?
> 今度は天野酒にしまーす。河内長野駅周辺で買える所ってありますかね?

純米酒というと思います。
天野酒の原料米は徳島県の「山田錦」だそうです。
河内長野の酒販店ならどこの店でも1・2種類は置いてはいると思いますが、
河内長野駅前すぐの蔵元で直販もしてくれるので、全種類揃っていてその方が良いと思います。
●西條合資会社/蔵元/TEL:0721-55-1101
ネット販売もしているようです。下記HP参照ください。

http://www.amanosake.com/


[357] 天野酒 投稿者:かまど 投稿日:2005/02/13(Sun)
>新酒鑑評会で金賞を受賞しているそうですネ。
ええっ、そうなんですか?買ってくるの忘れました。今度いった時に買ってきます。純米酒です?
今回お土産に地元で新しくできた「わかひめちゃんサブレ」を買って帰ったのですが、今度は天野酒にしまーす。ところで河内長野駅周辺で買える所ってありますかね?

[356] Re[355]: おひさしぶりです 投稿者:やさか 投稿日:2005/02/12(Sat)
> こんばんは、かまどです。
> 今日は河内長野の金剛寺にいってきましたよ!ちょっと調べものの関係で。
> 丹生高野神社の屋根の吹き替えするようで、費用捻出のため木の皮が売られてました。そこに祈願を書くんですが、早速書いてきました。

かまどさんお久しぶり、ありがとうございます。
南朝ゆかりの天野山金剛寺ですね。座主は仁和寺の門跡さんとか。
いいですね、このお寺の雰囲気は。このお寺の鎮守社、丹生高野神社の屋根の修理をするんですか?近くなの知りませんでした。この神社は金剛寺の向かいの小高い山の麓と、山頂付近の二箇所に鎮座していますがこの社殿の屋根ですね。としますと桧の皮ですかね。
もう少し暖かくなると、休日には小中学生が画板や絵具を持ち込んで、境内で写生をする姿が多く見受けられるようになります。
近々私も久しぶりに参詣して、僅かばかりの協力をさせてもらいたいと思います。

> 話は変わりますが今九州にいまして、今年は少し自分の時間がとれそうなので大分の丹生、佐賀の丹生、あたりにでもいこうかと計画しております。そのときはまた報告します。では。

うれしいですね。私には遠くて行けそうにない所ですので、ぜひ教えてください。楽しみにしています。

ところで、その昔この金剛寺の僧房で醸造され、門外不出と云われたというご存知「天野酒」ですが昨年、新酒鑑評会で金賞を受賞しているそうですネ。
これは美味しい!イケます。わたしは専らこれです。手土産や使い物にも喜ばれます。今や河内長野の特産品でお奨めですね。

[355] おひさしぶりです 投稿者:かまど 投稿日:2005/02/12(Sat)
こんばんは、かまどです。
今日は河内長野の金剛寺にいってきましたよ!ちょっと調べものの関係で。
丹生高野神社の屋根の吹き替えするようで、費用捻出のため木の皮が売られてました。そこに祈願を書くんですが、早速書いてきました。お寺も神社もおなじで、修理などの費用を捻出するのに大変な苦労されているんですね。
話は変わりますが今九州にいまして、今年は少し自分の時間がとれそうなので大分の丹生、佐賀の丹生、あたりにでもいこうかと計画しております。そのときはまた報告します。では。

[354] 謹賀新年 投稿者:やさか 投稿日:2005/01/01(Sat)
○風吹けば風ふくまゝに港よしと百舟千舟うちつどいつゝ○
       伊弉諾神宮 国生み御神籤・第四十三番 [大吉]
  
あけましておめでとうございます。
昨年はありがとうございました。今年もよろしくお願いいたします。

[353] GoLiveやーい! 投稿者:やさか 投稿日:2004/12/18(Sat)
Mac/OS9以前のOSで使用できる、ホームページ制作ソフトを探しています。
「GoLive6 for Mac」が一番欲しいのですが、旧版なのでどこにも売っていないのです。
どなたか格安で譲って頂けませんか?
箱や取説がなくても、登録が出来なくても、使えればそれで結構なんです。

[352] Re[351]: 辰砂層 投稿者:やさか 投稿日:2004/12/16(Thu)
ありがとうございます。神奈備掲示板[5838]拝見していました。
>「辰砂は黒雲母石英閃緑岩(安山岩、花崗岩の変質した白土の硬質なものの如き外観)、その中に辰砂が層状を為す。細くもあり太くもある。」
…ということは、辰砂といっても赤い鉱石とは限らず、白っぽい鉱石にも層となってあるということですね。

この前、生野銀山へ行った折に「生野鉱物館」へも入って見たのですが、実に様々な鉱石があるものですね。幾何学的で不思議な結晶、魅惑的な深みのある色を宿している石たちもあって、魅入ってしまいました。

[351] Re[350]: Re[349]: 川上ダムの昨今は 投稿者:神奈備 投稿日:2004/12/15(Wed)
> [参照]
> http://www.kkr.mlit.go.jp/kinokawa/siraya/project_team/index.html

ありがとうございます。白化したように見える岩の中に辰砂層が潜んでいると言う文献もありました。(神奈備掲示板[5838] )

大滝ダムダの対岸の写真は、皆さんのご協力で
http://www.kamnavi.net/ny/kawakami.htm
に掲載しています。赤ではなく白ですね。