やさか掲示板

過去ログ6[300]〜[251]

[300] Re[299]: はじめまして~ヾ(*^-^*)ゞv 投稿者:マルヤ 投稿日:2004/04/18(Sun) 23:04
> 素敵なHPですね(*^^*)ノワクワク♪
> 楽しませていただきました♪

お越しいただきありがとうございます。
ダイエットですか、今のところ私は太っていないので、その必要はな
いようですが、脅威の写真集は拝見しました。

[299] はじめまして~ヾ(*^-^*)ゞv 投稿者:睦美 投稿日:2004/04/17(Sat) 16:29


こんにちわヾ(*^▽^*)ノ
WEBめぐりからお散歩にきました〜
素敵なHPですね(*^^*)ノワクワク♪
楽しませていただきました♪

私のHPも覗いて見てネ(^_-)-☆
自分のダイエット体験とその仲間のHPです。
驚異の体験写真集で楽しんで見てくださいね。
それではまた。(^o^)/
http://www11.ocn.ne.jp/~ureshii/index.htm
 

http://www11.ocn.ne.jp/~ureshii/index.htm


[298] [293]続 /長寿桜 投稿者:マルヤ 投稿日:2004/04/13(Tue) 21:37
●島根県隠岐諸島・島後の世間桜より長寿の桜がありました。
福島県三春町の「三春滝桜」です。
ここでは、桜・桃・梅が同時に花を咲かせ、三つの春が一度に訪れるというので町名になったそうです。
町の東南にどっかと根をおろす、このシダレザクラは樹高12メートル、広げた枝は20メートル。
花が咲くと、まるで滝が流れ落ちるように見えることから、この名がついたそうで、樹齢は千年を超えているといいます。

●まだありました。
山梨県武川村のお寺の境内にあるエドヒガン「山高の神代桜」は、樹齢1800年〜2000年だそうです。
広げた枝は30メートル、樹高13メートル。国の天然記念物に指定されいます。
三春の滝桜、岐阜の薄墨桜と並んで、日本3大桜の一つ。

桜の木の寿命は種類によって随分違うようですが、一番短命なのはソメイヨシノ、最も長寿なのがエドヒガンのようです。
上には上があるものですね。
/以上4月9日産経新聞夕刊および、「google」で検索・要約

[297] Re[295]: さらにゴメンナサイ<(__)> 投稿者:恋川亭 投稿日:2004/04/08(Thu) 15:59
> セントラル・フラワーで、ビユティーカントリーと呼ばれていたその大国は、

私はこの部分を、
『セントラル・フラワー&ビユティーカントリー』
と誤まって読んでいました、この『で』は「〜において」の『で』だったのですね。句読点の意味を取り違えていました。
『IN セントラル・フラワー,』と読むべきでした。
すみませんです。<(__)>

[296] どうもすみませんm(__)m 投稿者:恋川亭 投稿日:2004/04/08(Thu) 15:49
検索で目を付けられないようにと思ったのですが、紛らわしいこってす。
自国外へも言論統制を強要してくる国々ですから、困ったこってす。
自由と民主と伝統文化を大切にしていきたいですね。
ちなみに「美国」は、本来中国が表記しだした略語のようです。日本のように「米」をメと発音しないので「美」でメイとしたようですね。

[295] Re[292]: 美国とは 投稿者:マルヤ 投稿日:2004/04/08(Thu) 10:28
ハングルではアメリカ合衆国のことを「美国」と漢字表記するので(言葉を替えれば「美国」のハングル読みが米国のことなので)以下の文章は…

> セントラル・フラワーで、ビユティーカントリーと呼ばれていたその大国は、

○モーニング・フレッシュでビューティーカントリーと呼ばれていたその大国は、…と訂正すべきですね。

セントラル・フラワーは…中華
モーニング・フレッシュは…朝鮮

と意味付けしたいのだろうとは思いましたが、ああ、紛らわしい……。


[294] Re[292]: デイ・ドリーム 投稿者:恋川亭 投稿日:2004/04/08(Thu) 01:40
こんばんは、お疲れさまです。私のアホな夢にレス頂き有り難うございます。m(__)m
ちょっと、この掲示板の主旨と離れちゃうカナとは思ったのですが、スミマセンでした。ただ、セントラル・フラワーは、ミックス・ピープル・カントリーたるビューティフル・カントリーたるライス国とはまた別でして。(^^;)

さて、やはり桜は格別ですね。理屈や言葉では表せません。個人的にはシビアでも、春に桜を見るとなぜかホッとします。
古代史のトンデモ渡来説が賑やかな中、いつも思い出すのが天武天皇さまのアノみことのりです。渡来人にも色々事情があったのでしょうね。引用します。

天武天皇、六年六月の詔から
『汝等が党族(やから)、本より七つの不可(あしきこと)を犯せり。是を以て、小墾田の御代より、近江の朝(みかど)に至るまでに、常に汝等を謀るを以て事(わざ)とす。今朕が世に当りて、汝等の不可(あ)しき状(かたち)を将責(せ)めて、犯の随(まま)に罪すべし。然れども頓(ひたぶる)に漢直(あやのあたひ)の氏を絶やさまく欲せず。故、大きなる恩を降して原(ゆる)したまふ。今より以後(のち)、若し犯す者有らば、必ず赦さざる例(かぎり)に入れむ。』(岩波文庫「日本書紀 第五巻」より)

> 「命は地球より重い」とか言った者がいたというが、それは少し違う。明らかに個人の命よりは地球のほうが重いものである。  

当時、中高生の私は『戦場カメラマン達のたくさんの報道写真を、ろくすっぽ見てないのかな?この爺さん。』と思った記憶があります。
                                    > ---此噺昨夜夢---

・・・・笑い転げ〜 (^^)/

[293] 世間桜 投稿者:マルヤ 投稿日:2004/04/07(Wed) 20:42
もうすぐ花の季節も終わりですね。
産経新聞に以下のような記事がありました。

4月6日夕刊/桜をめぐる10の話題/
/島根県隠岐諸島・島後の世間(よのなか)桜/より

隠岐諸島・島後の国道485号沿いの川を隔てた脇道から少々急な山道を登る。
建福寺の旧跡を後に10分程歩き、竹薮を抜けると、二本の世間桜が姿を現す。
薄紅色の花をつけた「女桜」と、白い花を咲かせる「男桜」だ。いずれも高さ10メートル、幹周りは3メートルを超える。
江戸時代の貞享五年(1688)に著された地誌「増補隠州記」の中には、
「世ノ中能年ハ花咲、悪年ニハ必花咲事ナシ、其故ニヤ世ノ中桜ト云伝ル」との記述がある。
「世の中が良い年は花が咲き、悪い年は花が咲かない」。当時からすでにこの桜の不思議な力が知られていた。
凶作の年は花をつけないとされ、江戸時代は花の咲き具合で人々がコメの作柄を予測した。
その開花状況は遠く離れた幕府にも報告されたことことから「世の中知らせ桜」称されたそうで、樹齢は650年という。

桜はその種類によって寿命が随分違いますが、ソメイヨシノは30年から50年位で自然に枯れるといいます。
ちなみに山桜は100〜200年、枝垂桜は300年位といいますので、世間桜の650年は特別長寿ですね。


[292] ラストナイト・ドリーム 投稿者:マルヤ 投稿日:2004/04/07(Wed) 20:26
セントラル・フラワーで、ビユティーカントリーと呼ばれていたその大国は、双子の赤字で経済は火の車だったにもかかわらず、世界警察を標榜して虚勢を張り続け、とうとう自ら崩壊の道をたどった。
やはり“奢れる者久しからず”の諺は生きていたと、今も学校で教訓として語り継がれている。
その国は資源に恵まれ、国土は広く肥沃で、農産物も豊かに実ったが、自然の恩恵を忘れ驕り高ぶり、さらに生産を高めようと機械化に走り、大地からの恵みを搾取し続けた。
その結果地下水はたちまち枯渇し、土地は痩せ乾き、砂漠が広がり始めたことがこの国没落の端緒だった。
その国ビユティーカントリーは多民族国家故に精神的支柱が脆弱なため、ことさら国家意識を強調し、自由・平等・友愛の思想を掲げて、唯一絶対の神を信奉させようとしていた。
そして強力な軍隊を維持し、世界の経済を支配して「ワンワールド計画」を推進した。
よく考えると分かるのだが、「自由・平等・友愛」の精神と「唯一絶対神」は相容れないものがある。もともと内部に矛盾を抱えていたのだ。それだけに体制の瓦解が始まるとその進行は早かった。
ビユティーカントリーは、もともと人種の坩堝と言われたほどの多民族国家だったので、国が没落すると民の離散は早かった。
それぞれが先祖に所縁の国に舞い戻ったが、祖国では受け入れられず、それぞれが少数民族と化して今も各地を彷徨っている。

それにしても国が弱体化すると、その民は哀れである。世界各地を流浪するか、特定の国に寄生するしか生きる道はない。
その意味で国は大切である。生活と命の大本である。国に命を捧ぐという考えは間違ってはいない。
「命は地球より重い」とか言った者がいたというが、それは少し違う。明らかに個人の命よりは地球のほうが重いものである。                                                   ---此噺昨夜夢---

[291] SF・『倭族自治区解放化計画』! 投稿者:恋川亭 投稿日:2004/04/06(Tue) 23:57
 もう数年前になりますが、セントラル・フラワーの首相が豪州訪問時の首脳会談で、『日本なんて、あと20年もすれば無くなります。』と述べたと、読売新聞に報道されていました。地理的に無くなる訳ではありませんので、日本国という国の体制が無くなる(ようにする)という宣言ですね。

 それと前後して、わが国の高官が、北の京での、モーニング・フレッシュの高官との協議の際、『謝罪と賠償と言っても、何も国土全部を提供せよと言うわけではない。』と要求された旨、読売新聞に報道されていました。暗に『九州島割譲をもって賠償としよう』ということです。

 いずれも、ちゃんとした新聞で報道された記事ですが、当時それほど話題にはなりませんでした。むしろ、無視されていた様子です。でも、これらの記事には、それぞれの国の本心・姿勢がポロリと出たことを示していると思います。

 モーニング・フレッシュの場合、九州島割譲を望んでも、列島が『倭族自治区』となった時点で、自動的に『東海省』となることでしょう。
 兵を動かすことなく、経済・政治の依存度を深め、教育・社会風潮の変化促進、そして人間の移住増大によって着々と計画は進行できます。定住するフォーリナーの参政権・選挙権が認められれば楽勝ですし。さすが孫子の国。
 今、ネパールでM派を使い工作しているハデな手法とは全く異なり、気づいたときには解放準備完了としたいようですね。根回しは済んでいるのかも。

 沖縄で、セントラル・フラワーの意向を受けた独立活動が宣伝されはじめたときに、政府はその島でサミットを開催し、守礼の門を印刷した2千円札を発行することで、そこが我が国であることを強くアピールしました。サミットは無事成功するも、計画した首相は不可解なタイミングで不可解に病死。2千円札もなぜか死蔵されて市中で目にしません。

 今、非常に小さな島を巡った、『謀略と捏造』をリアルタイムに見ています。南沙や西沙での、比と越の困惑は現実の事態です。ネパールも現実、チベットやウイグルも既成事実。インドも依然として警戒を解いていません。
 わが国の場合、その「非常に小さな島」だけで済まない計画があるようですね。ホントは昔から憬れの列島だったのではないのかな〜?
 僕は右・左もないノンポリなので、軍も役人も活動家も好みません。上記は新聞記事だけを見ていて思いついたSFですヨ。
 でも『倭族自治区』となって解放されたら、神社や遺跡は尽く破壊廃棄されるのでしょうねぇ。

[290] 承[288][286][277]: 偽者達の饗宴 投稿者:恋川亭 投稿日:2004/04/04(Sun) 19:19
 小学校高学年から中学・高校とごく普通の公立校でしたが、まさにリアルタイムで、自称革新系の狂師達により、良識常識の有る当り前のごく普通の教師達がパージされていく様子を目前で見て育った世代です。
 そして我が恩師達は、僕達を送り出した後、たいした間もなく、定年までまだ残しているというのに退職していたか、5〜60代の御歳で亡くなられていました。生徒一人ひとりの人生を思い、保護者の生活を思い、学校・地域社会を思い、そういった人を思って行動していたベテランの教師ほど、次々に赴任してくる新参の狂師達からパージの槍玉にあげられました。後、大人になってからヤット聞き出すことができたのは、卑劣な、あまりにも卑劣な内容ばかりでした。(T_T)

 ところが、先日の新聞記事によると、今また定年前に退職していく教師が増えているとか。生徒が手に負えなくなったばかりでなく、懇談会にガムを噛みながら臨む親や、途中で携帯電話に対応する親などが激増!子供より親に遠慮しなくてはならない現状に耐えかね退職していくそうです。自業自得と言えばそれまで、しかし、乱世ではありますネ。

 以来、心ある先生だけに、『先生』と呼ばさせて頂いています。

[289] Re[285]: Re[283]: Re[282]: こんばんは 投稿者:恋川亭 投稿日:2004/04/02(Fri) 23:41
マルヤさん、なにがしさん、有り難うございます。
なにがしさんが、ご紹介されていたのは、五来重先生でしたっけ?
ちょっと日にちが過ぎると、メモリーが消去される頭になってしまって・・・スミマセン。もとよりキャパが小さいもので。m(__)m

[288] Re[286]: Re[277]: 靖国参拝 投稿者:マルヤ 投稿日:2004/03/31(Wed) 20:58
>  襲と言う字の意味が話題になっています。

神奈備さん、ありがとうございます。
神奈備掲示板で話題になっていました百襲姫の「襲」の字ですね。興味深く読ませていただいていました。

世襲といえば大企業で一番成功したのは、トヨタ自動車でしょうか。
尤も、いきなりの世襲ではなく、実力のある大番頭が中継ぎをした訳ですが。
政治家先生の世襲は、つまり票田の引継ぎということだと思うのですが、
この場合は、担がれる者(神輿に乗る人)、担ぐ人、そのまた草履を作る人にまで、
あまねく恩恵(モノ、カネ)が行き渡るような仕組みが出来ていたからでしょうか。
こんな仕組みはいつまでもは機能しないとは思うのですがねえ。

>  先生と言われる稼業にモラルと使命感が欠如、これが今日のこの国の滅び行く様を形成しています。

これはまったく同感です。
この国の心の貧困は、世間で先生と呼ばれている人達に問題がある人が多いからだと思います。
戦後の行き過ぎた個人主義思想のため、「個」が蔓延り「公」が疎かにされる。
社会を構成する一番小さな単位ともいえる家族の絆が希薄になり、家庭環境が悪化、
健全な心を育めなくなった子供達が増えています。
子供を養育する立場にある親達がその義務を投げ出し、学校にそれを押し付けているとも聞きます。
教育現場の先生方自身が、奉職精神に欠け、教育者としての自信を喪失しているような方も見受けられます。

こんな時代にこそ、心の揺り籠としての鎮守の森が必要なのではないでしょうか。


[287] Re[285]: Re[283]: Re[282]: こんばんは 投稿者:マルヤ 投稿日:2004/03/31(Wed) 20:40
なにがしさん、久しぶりです。こんばんは。
PCが不調とのことでしたが、文字は打てるようになったようですね。
空海外伝/狩場明神物語の続編を期待しています。

[286] Re[277]: 靖国参拝 投稿者:神奈備 投稿日:2004/03/30(Tue) 20:45
> 靖国神社への参拝は、日本人として当然の自然な行為と思います。

 襲と言う字の意味が話題になっています。
 世情に、世襲と言う言葉があります。最近の日本では先生と称する一群の人々の系図に現れやすいようです。何故、世襲するのでしょうか。
 医者の場合、設備とつちかってきた患者どもが無駄になるからそうするんでしょうが、根本に経済的に恵まれた生活が保証される確率が高いと言うことがあるようです。
 役人の場合、国家公務員は試験に通ってからはコネです。だから小和田さんの娘が入省できるのです。基本は美味しい仕事。外務省の裏金はどうなったん。警察は?
 代議士の場合も言うにおよばす。最近、年金の問題であきれています。
 与党になりたがる政党のスポンサーの宗教団体もそう。
 先生と言われる稼業にモラルと使命感が欠如、これが今日のこの国の滅び行く様を形成しています。
 どうやれば救われるのか。国家・国民全員が貧乏になること、まさに国が滅ぶことが国を救うことになるんですね。

[285] Re[283]: Re[282]: こんばんは 投稿者:なにがし 投稿日:2004/03/30(Tue) 19:56
> 大山源吾氏って、なにがしさんがよく紹介されていらっしゃった方ですね。
いえいえ、私ではなくマルヤ様ですよ。私もマルヤ様に教えていただいたんですよ。(^^)v

[284] Re[283]: Re[282]: こんばんは 投稿者:マルヤ 投稿日:2004/03/30(Tue) 07:03
大山源吾氏は天川村在住、元小学校校長。
現在は宗教的活動をしておられるようです。お会いしたこともあります。

[283] Re[282]: こんばんは 投稿者:恋川亭 投稿日:2004/03/29(Mon) 23:36
大山源吾氏って、なにがしさんがよく紹介されていらっしゃった方ですね。
書店でも復刻版が並んでいたので・・・人気のある先生でしたか。

[282] Re[281]: こんばんは 投稿者:マルヤ 投稿日:2004/03/29(Mon) 20:31
恋川亭さん、こんばんは。
書き込みは、おちこちの掲示板で拝見してましたよ。

そうですね、吉野に所縁の歴史家、作家といえば前登志夫氏のほか、
故、田村吉永氏、
同、宮坂敏和氏、
中岡清一氏、
村岡 空氏、(西吉野村光明寺現住職)
それに大山源吾氏などが居られますね。

[281] ごぶさたしてます 投稿者:香具@恋川亭 投稿日:2004/03/26(Fri) 00:22
お元気でお過ごしでしょうか。その後、異常に多忙というか、缶詰タコ部屋状態が続き、なかなか脱出できず(今も)、大変ご無沙汰致しております。もう・・・春になりましたね。この掲示板は、いつも拝見しているのですヨ。
マルヤさんにご案内頂いた西吉野の別世界をいつも思いだします。ほんとうに別世界でした。書籍では前登志夫先生の本でずっと慕っていた世界でした。ウツシヨの・・・現実世界の吉野の扉を開けて頂いたのはマルヤさんです。聖地はやはり『先達により導かれる』空間なのですね。情報よりはるかに大切なのは人が差し出す掌なのだと実感しています。導師に幸あれ。

[280] 花の季節 投稿者:マルヤ 投稿日:2004/03/23(Tue) 23:05
桜の名所吉野山の桜は、その殆んどが白山桜で、本州の中部以南に多く自生する種類だといいます。
有名な「ソメイヨシノ」は、ヨシノの名は付いているものの、大島桜と江戸彼岸桜の交配種で、吉野の桜とは全く関わりがありません。
白山桜は開花を始める頃には若芽が出始めますが、一方ソメイヨシノは開花して満開になり散り始めてから若芽が出ます。
花を較べますとソメイヨシノの方が圧倒的に華やかで派手に咲きます。
狂おしく咲くとは正にソメイヨシノにぴったりの表現かと思うほどです。
対して白山桜は、若葉の間にひっそりと咲く感じで、楚々とした美しさがあります。

“歌書よりも軍書に悲し吉野山”“花散るやあヽ南朝の夢のあと” 
などの歌があるように、吉野山の桜は神々しいと言うより、一抹の寂しさと哀愁を感じます。
私は吉野に生まれながら、一度も吉野山の桜を見たことがなく、吉野を出て十年以上経った後、初めて吉野山に花見に行った時、実はがっかりしたのです。
あまりにもひっそりとして、とても見事とは思えず、これが有名な吉野の桜かと意外に思いました。
大阪周辺の桜はその殆んどがソメイヨシノで、爛漫たるその派手な様子をみなれていたせいでしょうか。

それから何年も経ち、仕事の忙しさに紛れ、(と言うより仕事と遊びに夢中で)桜の季節になっても、いつ花が咲いて散ったのか気付かなかった年が何年もありました。
五十を過ぎる年になって、ようやく花を愛でる気持ちが芽生えてきました。それと共に毎年吉野へ通うようになり、山桜の美しさに魅せられるようになっていったのです。
初々しい若葉の合間に山全体がけぶるように、ほんのりと桜色に染まる風情はなんとも言えない美しさです。

おしまいはやはり西行の歌、二首

“あくがるる心はさてもやまざくら散りなんのちや身にかへるべき”
“思いやる心や花にゆかざらん霞こめたるみ吉野の山”

[279] 桜の季節 投稿者:マルヤ 投稿日:2004/03/23(Tue) 14:25
3月21日の産経新聞「産経抄」にこんな記事があった。<以下引用>

>この花見という日本独特の風習は稲作から生まれたのだという説がある。万葉集の研究家だった故桜井満氏の『節供の古典』によれば、古代の人々にとって桜の木には稲の霊が宿っていた。だから、その咲きぐあいを見て秋の実りを占うため、花見が始まったという。>山に桜が咲くのはちょうど、田んぼに種をまいて苗代を作るころ、つまりコメづくりが始まる季節だった。人々はその前に、冬の間は山に帰っていると考えられていた田の神を迎えに行った。そこで狂おしいばかりに咲く山桜を見て神々しいものを感じたのだろう。>稲作社会にとって花見は、新しい一年の始まりでもあった。…後略。

[278] 桜の季節 投稿者:マルヤ 投稿日:2004/03/23(Tue) 13:55
大阪でも桜がちらほらと咲き始めました。
桜といえば古里の小学校校庭にあった大きな山桜を思い出します。

桜はいつも四月の入学式の頃、薄桃色の花を大きな枝一杯に咲かせ、五月頃には小さなサクランボの実をつけた。
小鳥がいつも実をついばみに来た。
低学年の頃はクレパスで、高学年になると水彩絵の具で、
誰かがきっとその桜を描いた。
後年、その桜の木が懐かしく見に行った。
あの桜の木は何処にもなかった。
小学校も跡形さえなく、ただ広い道路だけがあった。

 花を見し昔の心あらためて吉野の里に住まんとど思う 「西行」

[277] 靖国参拝 投稿者:マルヤ 投稿日:2004/03/09(Tue) 23:14
靖国神社への参拝は、日本人として当然の自然な行為と思います。
靖国神社は、明治2年(1869)に戊辰戦争で死んだ人達を祀るために創建されたそうです。
初めは東京招魂社と呼ばれ、明治10年の西南戦争後は、外国との戦争で日本の国を守るために、散って行った人達を祀る神社になったといいます。そして 明治12年に靖国神社と改められて今日に至っています。

第二次大戦で日本は敗れ、夥しい人命を失いました。
多くの人々や兵士が家族のため、子孫のため、国を守るために散っていったからです。
それらの行為を無駄だとし、靖国参拝を否定するなら、亡くなった人は犬死になってしまいます。
決して犬死などではなく、兵士はその流す血で現在の平和を導いてくれたのです。
(今の日本の繁栄と平和は、先の大戦の英霊で築かれた霊的結界の賜と思えてなりません)
日本国民のため、国のため散って行った人達を祀る神社に参拝することを外国からとやかく非難される筋合いはないはずです。
(外国でも戦士の共同墓地や英雄の墓で、鎮魂のための参拝や儀式が行われているはずです)
ましてや国内の同じ日本人から、靖国神社参拝を非難する声が上がるのは本当に遺憾なことです。
日本の戦前教育は全て間違いだと否定する占領軍の統治政策が効を奏したからかも知れません。

戦後、占領軍はこの戦争の責任は軍部の独走や、戦前の皇国史観的教育にあるなどとして、国際法にも違反するような都市への無差別空爆や、原子爆弾の投下を正当化しようとしました。
昭和二十年八月、すでに日本の敗戦は決定的だったにもかかわらず、長崎、広島に原爆のような残酷な大量無差別殺戮兵器を使用して追い討ちをかけたからです。これは人道的にも許されるものではありません。

忘れまじ(下記のサイトをごらんください)
【きのこ雲の下でおきたこと】
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/97abom/peace/05/kinoko.htm

http://www.chugoku-np.co.jp/abom/97abom/peace/05/kinoko.htm


[276] Re[275]: Re[274]: 真の独立国 投稿者:マルヤ 投稿日:2004/03/02(Tue) 01:27
神奈備さん、こんばんは。

> 同感です。

どうもありがとうございます。
クリントン氏、アナン氏も日本の神社に参拝予定があった…。それを尻込みしたのは、実は日本の外務省…そうでしたか。

ところで米国の宣伝広告は巧いですね。
やはりアメリカの宣伝屋(Publicity Agent)は世界一ではないでしょうか。アメリカ大統領の演説をテレビで見ていても、実に画面の細部にわたって心配りが行き届いていますね。大統領を中心に素晴らしい笑顔の大統領夫人、あるいは白人女性。そしてその周囲には様々な皮膚の色、髪の毛、顔かたちの違う有色人を配し、さもアメリカは自由と平等の国ということをアピールしています。
テレビだけではなく、世界中のメディアを縦横に駆使して、今や国際世論までも自由に操作しているかに見えます。
宣伝広告には、Advertising / Public Relations / Propagandaとありますが、いずれも巧みで、世界戦略的プロパガンダは特に強力に思えます。彼国の広告代理店は国家の情報戦略の中枢で暗躍しているようですね。
戦後の愚民化政策で魂を抜き、太らせた島国のゴイムらを、どう料理して食べようかと思案をめぐらしているように思えてなりません。

[275] Re[274]: 真の独立国 投稿者:神奈備 投稿日:2004/03/01(Mon) 21:30
同感です。

 前に訪日していたクリントンは靖国神社参拝を予定に入れていた。しかし腰を抜かして中止を懇願したのが外務省。
 今回、アナン国連事務総長が東郷神社に参拝する予定であった。アナン総長は、第三世界の出身として、99年前に白人文明の威容を有色人種に見せ付け誇示するかのようにアフリカ大陸を周回してマダガスカルから日本へ向けて出撃していったロシアのバルチック艦隊を、対馬海峡で撃滅した東郷平八郎大将の霊に敬意を表したかったのだそうだ。
 しかし、急にアナン事務総長の東郷神社参拝の予定が取り消されてしまった。やはり、外務省の懇願だったとか。六者会議への配慮だとか。

 これは、独立国の姿勢だろうか。どう見ても違う。

[274] 真の独立国 投稿者:マルヤ 投稿日:2004/02/27(Fri) 23:47
1952年4月の、「サンフランシスコ講和条約」発効より、早や52年が過ぎようとしています。
50年以上も前に、すでに独立を回復したはずの日本ですが、はたして現在の実態は真の独立国といえるのでしょうか。
「字統」「字訓」「字通」の字書三部作でおなじみの、今年93歳になる白川静博士は、新聞で次のように述べています。

「日本には今もまだ、よその国の軍隊がおって、東京のすぐ近くの空港と港に駐屯している。古くは『城下の盟い』といい、歴史上はこれを保護国という。我が国の真の独立のためには、かつての平和なアジアが回復されることが絶対に必要です。…中略…漢字の理解を普及させて、漢字文化を回復させ、かつての東洋を回復したい…」 -平成16年1月13日、朝日新聞夕刊より-

条約では、駐留軍のすみやかな撤退をうたいながら、米軍は今も日本に駐屯支配しています。主権国家に外国の軍隊が長年にわたり駐屯していること自体が異常であるのに、その事実に日本人は鈍感になっているのではないでしょうか。
米国に隷属依存している日本の現状は、「真の独立国」とはいえないと思うのですが如何でしょう。

[273] 自前の国家像 投稿者:マルヤ 投稿日:2004/02/22(Sun) 13:46
「日本海」という表記について日韓で問題になっているが、2月21日の産経新聞「産経抄」によれば、
ソウルの在韓日本大使館の広報資料で、韓国の世論に押されてか日本海を「東海」と表記していたという。
また、郵政公社は、日本固有領土である竹島の写真付き切手の発行サービスを拒否していたともいう。
これも日韓の領有権問題がらみである。
「産経抄」は、/なんという後ろ向き、なんというへっぴり腰だろうか。戦後の日本は、いわば“自前の国家像”を見失っていた。国家観念や国家意識の基本となるものは領土であり、ふるさとである。・・・/として批難している。
全く同感である。私は以前、自作の物語の中で、「井依翁」という登場人物に次のように語らせたことがある。

●「大王、年寄りが今まで長々と話しをしたのは、実はこの国の民族のことを言いたいためじゃ。この国の民は我が一族に限らず、実に様々な国の民族の血が流れておる。それを単一国家として、統率するには精神的な背骨が必要じゃ。それが宗教じゃと思う。一つは神道、もう一つは仏道じゃ」・・・中略・・・
「国家の基盤は・・・」と翁はさらに続けて言う。
「鉄と米だ」というのである。言い換えれば武器と食糧だが、この食糧を生産するためには鉄の農具が要る。つまり鉄と米を握った者が国を制すると言うのであった。
「しかしそれよりも大事なのは、……」と井依翁は語る。
国家が存続していくためには共通の歴史認識や価値観、愛国心といったものが求められる。混血民族であればなおのこと、共有の国家意識が必要であるというのである。
そのためにも、この国の正しい歴史書を作ることが急がれると翁は説いたのである。

[272] 昨日、建国記念の日 投稿者:マルヤ 投稿日:2004/02/12(Thu) 22:41
昨日2月11日は建国記念の日、戦前にいうところの紀元節です。
新聞の第一面のコラムに、どんなことが書かれているかを見てみました。

日経新聞は「春秋」
産経新聞は「産経抄」
朝日新聞は「天声人語」
読売新聞は「編集手帳」
この内、日経の「春秋」の次の書き出しには首をかしげます。

/腹の底からわき上がる強烈な渇望と、せつないまでの惜別の思いが、悲しい別れを少し早めたのかもしれない/牛丼の「食べおさめ」をめざす人々の列は、当初の予想をはるかに上回る駆け込み需要を生んだ。吉野家は今日から牛丼の販売を休止する。/……後略

これは何なのでしょう?牛丼が 「…せつないまでの惜別の思い…」 とは? 何を言いたいのでしょう?
誰が書いたのでしょう、とても日経の記事とは思えないのです。

それに比べ読売の「編集手帳」、
/天神様、菅原道真は幼名を「阿呼」といった。/……で始まっている。これはいい、よくまとまっていると私は思う。
他の二紙は特に感じるもはありませんでした。

公器としての大新聞の正論と、時には風刺をきかした主張を期待したいと思うのですが。

[271] [270]: 部分訂正 投稿者:マルヤ 投稿日:2004/01/29(Thu) 08:52
Re[270]の引用部分を以下のように訂正します。

> いわゆる「蔵王権現感得譚?」は、
…鎌倉時代中期に修験者仲間に広がった伝説で、それが今昔物語などで役小角が祈り出したようにつたえられるようになったのではないか………というような意味のことを「吉野路案内記」や「吉野その歴史と伝承」の中で宮坂敏和氏は述べています。

[270] Re[268]: 左近の桜 投稿者:マルヤ 投稿日:2004/01/28(Wed) 19:14
> 最近タチバナを調べていて、右近の橘・左近の桜ですが、これは神仙境である吉野からの神仙をお迎えするべく、宮殿や神社に植えられたようです。橘は常世からのお迎え。

「神奈備掲示板」で話題になっているタチバナ、興味深く拝見しています。

> 吉野と桜は切っても切れない関係にありますが、どうやら役小角が金峯神社での坐追い権現の像を刻んだ木が桜だったとか。> 実はこのことは他の多くのHPで見たのですが文献名はありません。最初のをコピペしたものかも。
> 文献はご存じありませんか。

いわゆる「蔵王権現感得譚?」は、…鎌倉時代中期に修験者仲間に広がった伝説ではないか、それが今昔物語などで役小角が祈り出したようにつたえられるようになった。………と「吉野路案内記」の中で宮坂敏和氏は述べています。
それが絵巻物などにされて広まったのではないでしょうか。(「役行者絵巻」として各所に残されている、大英博物館にもあるらしい?)
未確認ですが、蔵王権現が桜の木に刻まれる話は、その巻物の中に絵で描かれているか、今昔物語に書かれているからかも知れません。

> それと、マルヤさんは桜と吉野との関連は「10世紀初頭の「古今和歌集」が始め」と慎重な見方をされています、小角の話は眉唾との認識?

当方のHP「吉野へようこそ」の下記のページに、
…万葉集には桜を詠んだ歌が43首あるそうですが、吉野を特定したものは一首もなく、吉野の桜が登場するのは10世紀初頭の「古今和歌集」が始めで、その頃から吉野は花の名所として有名になり始めたといわれます。(「奈良の街道筋」青山茂著による)……と書きましたが、

紀氏ゆかりの紀貫之の歌に、(古今和歌集にはこの歌と、紀友則の歌の二首が吉野の桜を歌っている)
「こえぬ間は吉野の山のさくら花 人づてにのみきヽわたるかな」とありますね。
吉野が花の名所として評判になりはじめるのはやはりこの頃のようで、そのあと「後撰集」、「勅撰集」と続き、「新古今和歌集」では西行など、吉野の桜の歌で賑わいます。役行者と蔵王権現がもてはやされるのに伴って「花の名所・吉野」も有名になって行ったとも言えるのではないでしょうか。
●「小角の話」は、続日本紀などにも記述があるし、実在した人物ではないかと私は思っています。
でも、「日本霊異記」の吉野山と葛城山の橋架話は勿論眉唾ものと思いますし、釈迦如来−千手観音−弥勒菩薩−と次々祈り出し、最後に感得したのが蔵王権現で、その像を傍らの桜の幹に刻んだ等は、後の付会と思っています。

http://www5.ocn.ne.jp/~miyosino/sakura.htm


[269] 左近の桜 訂正 投稿者:神奈備 投稿日:2004/01/27(Tue) 20:52
坐追い

蔵王
です。

[268] 左近の桜 投稿者:神奈備 投稿日:2004/01/27(Tue) 20:51
最近タチバナを調べていて、右近の橘・左近の桜ですが、これは神仙境である吉野からの神仙をお迎えするべく、宮殿や神社に植えられたようです。橘は常世からのお迎え。
吉野と桜は切っても切れない関係にありますが、どうやら役小角が金峯神社での坐追い権現の像を刻んだ木が桜だったとか。
実はこのことは他の多くのHPで見たのですが文献名はありません。最初のをコピペしたものかも。
文献はご存じありませんか。

それと、マルヤさんは桜と吉野との関連は「10世紀初頭の「古今和歌集」が始め」と慎重な見方をされています、小角の話は眉唾との認識?

[267] Re[266]: 立てばシャクヤク 投稿者:マルヤ 投稿日:2004/01/23(Fri) 22:18
●美人に弱い中年の快釈?(チン解釈)

醜女の字を当て、人を欺いても独り占めしたいほと。
オメメの可愛いピチピチギャル。
衣では隠しきれない豊満ボディ。

[266] 百合の花 投稿者:神奈備 投稿日:2004/01/22(Thu) 21:24
伊加賀色許賣命 二代の大王の妃 よっぽどのべっぴん
遠津年魚目々微比売 紀の国の女 若鮎の体と目病み女の魅力
衣通姫 シースルーのセクシーさにぞっこん

[265] Re[264]: 美人の紹介 投稿者:マルヤ 投稿日:2004/01/21(Wed) 18:04
神奈備さん、こんにちは。
寂しい思いをしていました所、ご来房ありがとうございます。
「美人の紹介」嬉しいです。いにしえの神様ではなく、平成の女神さんを紹介頂ければもっと嬉しいのですが。

> 和歌山の御坊市に塩屋王子神社が鎮座、別名を美人王子といいます。神社名やその愛称で美人とついているのは今のところこの神社だけです。
> 他の神社の由緒書き中に美人と云う文字がはいっている一覧

美人の坐す神社情報、知らなかったことが多くうれしいのでが、遠い所はなかなか行く機会がなさそうです。
近くでは玉津島神社は参拝しましたので、次に近いところで行けるとすれば、御坊市の塩屋王子神社、宮津市の和貴宮神社、岐阜県の野宮神社です。頑張って今年中にでも美人の宮へ表敬訪問してみたいと思います。
 
さて、美人と言えば神々のうち、美人ナンバーワンは誰かと考えました。やっぱり貫禄でアマテラスさんですかねぇ?
まあ、この御方は別格として…

●自分勝手な思い入れと、希望的美人神ランキングです。
1………ワカヒルメ(丹生都比売神)
2………コノハナサクヤヒメ(阿陀比売神):http://www.kamnavi.net/as/uda/adahime.htm
3………イチキシマヒメ(弁財天女)
       ここから後はむつかしいナ…と言ってもバチ当りな自分の想像による好みです。
4………タカテルヒメ
5………シタテルヒメ
6………ミヒカヒメ
       おっと、グラマー美人を忘れていました!
7………アメノウズメ (グラマラスなだけでなく、ダンスもお上手?)
いずれがアヤメかカキツバタ、美人の女神様達が外にも大勢いらっしゃる(どんなもんですか、このランキング順は?)

ところで美人と言えば、四面楚歌の故事でゆかりの「虞美人」を思い出しますが、
この「美人」は女官位の一つなのだそうですね。
尤もあの英傑、項羽の愛人だったくらいですから、誰もが羨むくらいの美人だったことでしょうね。

[264] 美人の紹介 投稿者:神奈備 投稿日:2004/01/20(Tue) 21:43
和歌山の御坊市に塩屋王子神社が鎮座、別名を美人王子といいます。神社名やその愛称で美人とついているのは今のところこの神社だけです。

他の神社の由緒書き中に美人と云う文字がはいっている一覧

富士嶽神社 群馬県館林市小桑原富士原 木花佐久夜比賣命
御祭神は御名のとおり咲光映の意にて木の花のごとく美人にし坐して孝順推譲の美徳
を兼備して天孫瓊々尊が高千穂峯より海浜遊幸の際目にとまり妃となられた。

比比多神社 神奈川県伊勢原市上粕屋 神吾田鹿葦津姫命 又の御名 木花咲耶姫命
美人図がある。 歌川国経筆 享和二年十二月吉日 荻野住人神崎氏等三名納

野宮神社 岐阜県岐阜市近島 檀林皇后
野宮神社は檀林皇后(西暦七八六〜八五〇)を主神とし、速開津比賣神、瀬織津比賣
神、気吹戸主神、速佐須良比賣神の四祭神を合祀し殖産興業の祖神として、また子弟の勉学を司る神として古くから崇敬を集めているお社であります。主神の檀林皇后は贈太政大臣正一位橘清友公の御息女で橘嘉智子姫と申し弘仁六年(西暦八一五)嵯峨天皇の皇后になられたお方であります。皇后は人となり寛和絶世の美人で佛教への信仰も篤く京都嵯峨に檀林寺を建立されたほか多くの宝幡や繍文の袈裟を作り、これを僧慧萼に託し唐(現在の中国)の寺院にも多数寄贈されております。

和貴宮神社 京都府宮津市宮本 天照大神 (配祀)伊邪那美命 豐受毘賣神 伊邪那岐命 天水分神 天御中主神 海津見命 猿田彦神 國常立尊 阿賀姫神
神代のその昔々、和貴宮神社は社の直ぐ右手に鎮座する波越岩あたりまでが海辺であった。この磐境は神の依代として崇められ、祭神は天照大神、猿田彦神、事代主神(恵比須大神)、弁財天等その効あってか、特に美人の参拝が多かったとか、終日鈴の音が鳴り止まなかった由。

玉津島神社 和歌山市和歌浦中 稚日女尊 息長足姫尊 衣通姫尊 (配祀)明光浦靈
衣通姫尊は第十九代允恭天皇の妃で第五八代光孝天皇の御代に合祀された。衣通姫尊は絶世の美人であられ、其の麗しさはその名のとおり「衣を通して光り輝いた」と伝たえられる。

古茂理神社 愛媛県西条市中野 木花之佐久夜毘賣命
祭神の木花之佐久夜毘賣は、大山津見神の娘で石長比賣の妹。美人の神様にて神武天皇の御祖母にあたられ、後世安産育児の神として信仰あり。中野村(現在の中野)の産土神。


若八幡神社  福岡県田川市夏吉 應神天皇 仁徳天皇 神功皇后 神夏磯姫命 小笠原忠眞  
神功皇后は第九代開化天皇の曾孫息長宿禰王の御娘で息長足姫と御名を申し上げます。母は葛城高額姫です。第十四代仲哀天皇の二年に皇后に立たれました。御幼少の時より、聡明で智慧にすぐれ而も、絶世の美人でした。

[262] 謹賀新年 投稿者:マルヤ 投稿日:2004/01/02(Fri) 00:33
あけましておめでとうございます。

当方、OSを入れ替えてアプリケーションとの相性が、しっくりと行かないのもあり、まだ完全に元通りの状態ではありません。
でも出来るだけ早く整備して、以前のように少なくても月に一回くらいはHPの更新をしたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願い致します。

[261] PC修理 投稿者:マルヤ 投稿日:2004/01/01(Thu) 21:38
PCが動かなくなり、休んでいました。
原因としては、主に海外からの迷惑メールによるウイルスの感染ではないかと思っています。
それでまず、感染していると考えられるファイルを全て削除しました。そして思い切ってOSも「Windows Me」から「Windows 2000」に入れ替えました。
また、あまりにも未承認広告などの迷惑メールが多いので、メールアドレスも上記のとおり変えています。
まだPCが以前の状態に復帰できていませんので、当方HPのリンクには未だ反映できていません。
メールアドレスの変更をお願い致します。

[260] Re[258]:頌春 投稿者:マルヤ 投稿日:2004/01/01(Thu) 18:25
chasukeさん、あけましておめでとうございます。
昨年はありがとうございました。
今年もよろしくお願いします。

上海へは10年程前ですが行ったことがあります。
「旅行記」なつかしく、早速拝見します。

[259] Re[257]: 新しい年 投稿者:マルヤ 投稿日:2004/01/01(Thu) 18:11
神奈備さん、新年おめでとうございます。
昨年は何かとお世話になり、ありがとうございました。
今年もよろしくお願い致します。

>  マルヤさん、あけましておめでとうございます。
> 最近、ホツマツタエに接する機会があり、ちょっと読んでいるんですが、どうも江戸時代、町民文化が盛んになってきてからの作品のように思えます。

「青草掲示板」での記事は拝見しました。
私も以前より秀真伝をはじめ、九鬼文書や武内文書、宮下文書、東日流外三郡誌などのアヤシイ古文書に興味を持って、その種の本を読んだことがあります。
詳しいことは良く知らないのですが、私もそれらの古文書の内の多くは、後世(特に江戸時代)に捏造されたか、旧家に伝わるその種の本に何者かが加筆・改編した疑いを否定できない部分が多いのではないかと思っています。
興味深いところもあり、もう一度読み直してみたいと思います。

[258] いいお年を 投稿者:chasuke 投稿日:2003/12/31(Wed) 22:11
今年も拙い弊サイトにお越し頂き有り難うございました。
メインコンテンツの海外旅行記の更新を心掛けてきたものの
海外に出掛ける機会に恵まれないまま年も暮れようとしております。
幸い、年末に上海・蘇州・無錫に行くささやかな機会がありましたので
さきほど取り敢えず旅行記としてアップすることができました。
お越し頂いてご覧頂ければ幸いに存じます。
来年がいいお年でありますようお祈り致します。

http://homepage2.nifty.com/chasukekun

[257] 収録・保存ミスをしました。


[256]収録・保存ミスをしました。


[255]収録・保存ミスをしました。


[254]収録・保存ミスをしました。


[253]収録・保存ミスをしました。


[252]収録・保存ミスをしました。


[251]収録・保存ミスをしました。


 【※】上記過去ログ[251]〜[257]は、当方の不注意のため保存できていません。投稿していただきました方には本当に申し訳ありませんでした。
    投稿内容が分かりましたら、お知らせいただけるとうれしいです。(マルヤ)