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神社 大麻山・彌榮神社(いやさかじんじゃ)と読むそうだ。故人の三浦尚さんが島根県立大学の聞き取り調査(インタビユー)での回答である。浜田市三隅町大字井野の三浦家は、代々廻船問屋だそうで。あの高杉晋作の騎兵隊へもお金の援助をしたとのこと。世界最初の缶コーヒーもこの家がてがけたもの。「花神」の司馬遼太郎氏も井野の地に来られ面談されたと聞く。 ここからは私の仮説であるが、663年に「三瓶山」が大噴火して中国地方全域が焼失してしまった。渡り鳥が越冬の為、大陸より木の実をほうばり、高島や大麻山で休息したとき、種を落し、ほんの少しの緑が宿ったと考える。品種としては、秦の始皇帝が探させた。「不老不死」秘薬原料・実「ナシカズラ」「ハマヒサカキ」紙漉きの原料「楮こうぞ」の木。 高島と大麻山を結ぶライン。こと三隅川。「スサノヲ」を名乗る若者が、高島、八曾(やそ)、大麻山へと順序よく、「鬱陵島」の杉の苗木を植樹した。人々は感謝して小さな社を建立したのが、高島の「祇園」社、八曾の「彌榮」社、大麻山の「彌榮」社。この後、「江の川」を下り海へ出た人々が目にした「緑」へ入植するのは、当然のことであり、「田の浦~八曾」へ和邇族。「小野」へ小野族。 「大麻山」へ牟婁物部族(むろもののべぞく),阿波忌部族(あわいんべぞく)。「大麻山のたたらの大穴」で生き延びた鬼刀禰族(おおとねぞく)が存在し、「緑の地」を求め争った。 行基や人麻呂、不比等は古事記、日本書紀、出雲風土記、万葉集を書き遺したが、「墨」倹約の為に「文字」を変換した。 鬼おおー>大おお。 雨あまー>天あま。読みがわからないが、龍ー>神。穴なかー>中なか。門とー>戸と(尺のうえは「’」)。読みがわからないが、彌榮ー>八坂。 「墨」の造り方。木材を燃やし「すす」を集め(植物の汁)で固めてつくる。この時代、①火つけ石が普及していない。②材木が十分にない。紙漉きと墨造りではどちらが楽で、どんなに「墨」が貴重品であったかわかる。不思議なのは、平城宮跡よりある時代から異常に多くの木簡が発掘された。「やらせ」と思われる。
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