新ブロック [23] :2015年7月~12月


真朱の姫神 完結

投稿者:やさか 投稿日:2015年12月31日(木)
もう一つの大和物語『真朱の姫神』は、2001年1月1日より書き繋いできました。
そして足かけ16年、本日12月31日に書き上げた「未来編・あとがき」をもちまして連載を終了いたします。
お読みいただきありがとうございました。寸評でもいただければ幸いです。
真朱の姫神・未来編 http://www.yasaka.org/KOBO/mirai_001.htm

次作もやはり女神を主役にした物語を書いてみたいと思っております。
現時点では漠然と、持統天皇か神功皇后の娘時代を物語にできないかと思案中です。
筆者:やさかことマルヤ

西吉野の富有柿

投稿者:やさか 投稿日:2015年11月22日(日)
1枚目の写真は、五條市西吉野町堀内農園さんの富有柿です。
これは、最も大きい等級の「4L」にランクされるもので、食べても味は最高でした。
どうです、見るからに美味しそうでしょう。
見た目に美味しそうで、赤く完熟しているのに歯が立たないほど堅い実が私は大好きです。
それを私は、いつも丸かじりします。(今のところ歯は自分の歯で噛めています)

2枚目の写真は、同じ西吉野町平沼田地区の柿畑です。
今この地区全体が、柿の実の色づきと柿の葉の紅葉で、赤く染め上げられています。
写真正面奥に三角に山容が見える山は、吉野三山の一「黄金岳」です。

洛北の紅葉(続)

投稿者:やさか 投稿日:2015年11月10日(火)
1枚目の写真は、「土井志ば漬け本舗」北側に架かる花尻橋から見た高野川の紅葉です。
この花尻橋のたもとには、大原村社御旅所があって、その花尻の森には「おつう伝説」があります。
以下は、大原観光保勝会の説明看板より(ママ)

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むかし昔、大原の里におつうという娘が住んでおりました。

ある日上洛の若狭の殿さまの目にふれ、おつうは玉の輿、殿さまの国元に召されたのです。

それはそれは夢ごごちの毎日を過ごしていたのですが、やがて、

おつうが病にかかると殿さまの心も変わって、おつうは戻されてしまったのです。

おつうは悲しみのあまり大原川の女郎淵に身を投じました。するとたちまち、その美しい姿は大蛇に変わりました。

そしてある日、都入りする殿さまの行列が大原の花尻橋を通りかかったところを襲ったのです。

暴れ狂う大蛇は家来によって一刀のもとに切り捨てられましたが、その夜から激しい雷雨や悲鳴に見舞われました。

恐れおののいた里人たちは、大蛇の頭をおつうが森に埋め、尻尾を花尻の森に埋めて霊を鎮めました。

今でも、大原の里にかかる朝もやは大蛇の姿に棚引いていますし、花尻の森ではおつうの鎮魂の行事が残っています。


洛北の紅葉

投稿者:やさか 投稿日:2015年11月 9日(月)
里の駅大原・朝市をのぞきに行ってきました。
朝6時、大阪を出発した時には降っていなかった雨ですが、昨日は一日中降り続いていました。
その雨の中、高野川沿いの紅葉を見て回りました。
漬物で有名な「土井志ば漬け本舗」で昼食を取り、他に立ち寄ったお店では、ぜんざいや珈琲などをいただいて、京都大原の、秋の情緒に触れてきました。

●写真の黒ネコと小坊主地蔵さん、特に小坊主さんが可愛いでしょ。

河内のノラにゃん

投稿者:やさか 投稿日:2015年10月 6日(火)
1枚目は、三毛猫の母子
2枚目は、この子供たちの父にゃんかな?
毛色からはそのように思えるのですが、この子たちの近くには茶トラのボス猫がよく居ます。


河内のノラにゃん(続)

投稿者:やさか 投稿日:2015年10月 5日(月)
1枚目は、貫禄たぷり!ボス猫の茶トラ
2枚目は、ボス猫とその子どもらしい2匹の子ネコ

萩城下町

投稿者:やさか 投稿日:2015年 9月18日(金)
山口県萩市の萩城・城下町とその周辺を散策しました。
木戸孝允旧宅、高杉晋作誕生地、そして松陰神社周辺の松下村塾、吉田松陰旧宅などです。
その町中で、多くの観光客が行き交う道路に、美しい毛並みの黒猫が、優雅に寝そべっていました。
萩のノラにゃんかと思ったのですが、撮った写真をよく見ると、首輪らしきものが見えるので或いは飼い猫かも知れません。
ノラにしては毛並みが美しすぎますよねぇ?

蒸気機関車 C571

投稿者:やさか 投稿日:2015年 9月15日(火)
蒸気機関車やまぐち号に乗りに行ってきました。
JR山口線・津和野駅から新山口駅まで、所用時間約2時間の路線です。
沿線には所々では、鉄道ファンがカメラの三脚を立ててシャッター・チャンスを狙っていました。

私が蒸気機関車に乗ったのは、昭和35年が最後だったと思います。
その頃の国鉄五条駅から、確か王寺経由天王寺駅までだったと記憶します。
汽車特有の走行音、汽笛の叫び声、煙の臭い、何もかもが昔を思い出させてくれます。
客車は5両編成でしたが、それぞれに趣向のあるレトロな雰囲気で仕上げられています。
山越えの道では、今にも止まるのではないかと思うくらいスピードが落ちますが、
それでも喘ぎ喘ぎ上って行きます。
村落や町外れを通る時は農家の方々や親子連れ、子供たちなどが手を振ってくれました。
懐かしい昔の思い出がよみがえるひとときでした。

●写真は、出発前の津和野駅で撮影したSLの勇姿です

奥吉野・十津川

投稿者:やさか 投稿日:2015年 8月24日(月)
古くは「遠津川」であったと、司馬遼太郎氏は『街道をゆく』「十津川街道12」に書いています。
このように十津川村は本当に遠い秘境です。
国道168号線の始点、五條市の桜井寺前・本陣交差点から約70㎞ほど、約2時間半ばかりの道程で、十津川村の中心部に至ります。
道中は、平成23年9月の大水害の爪痕が残っていて、今もいたる所で道路工事が行われています。

写真は、十津川村役場背後を流れる十津川です。
この写真の鉄橋左側に共同浴場「滝の湯」があります。
ここは元は旅館だったそうで、こぢんまりした設備だけれど、改装したばかりのようで、
廊下など杉の香りが匂い立つような清潔感がありました。
川沿いの露天風呂は風情があって、湯質も心地よく特にお奨めです。
もちろん内湯もあり、いずれも掛け流しで、ゆったりとした温泉気分が楽しめます。

湯泉地温泉・滝の湯HP:http://www4.kcn.ne.jp/~t-yoko/54-nara/54-tousenji.html



戦後70年(続2)

投稿者:やさか 投稿日:2015年 8月15日(土)
今日は終戦の日である。
昨日8月14日の「戦後70年の首相談話」は概ねあれで良かったと思う。
世界から誤解をされ、国益を大いに損ねた、村山に続く小泉談話をそのまま継承したものでなくて幸いだった。
あのような表現でまとめあげるのが精一杯のことだったと思われる。

ところで近頃気になることがある。
それは、「反中」「嫌韓」といったの文字が踊る、いわゆるヘイト本を書店の新刊でよく目にすることである。
これでは日本が、中国や韓国・北朝鮮に対して敵対しているように写るではないか。
これは何かのキャンペーンだろうか。こういう流れには特に注意が必要である。
これは、何者かの意志が、ある目的を持って反日感情を煽って、紛争に導こうとしているのではないかと勘ぐられる。

日本と中国、日本と韓国、または北朝鮮に戦争させようとする陰謀かも知れぬ。
ある国とある国を敵対させ、紛争させ、戦争させることも政治である。また逆に友好条約を結ぶことも、やはり政治である。
戦争も平和も、国益を視野に入れた国際政治の一方法論であろう。

極東で紛争が勃発して東洋人同士が殺し合い、漁夫の利を得るのはどのような勢力だろうか?
これには注意しなければならない。戦争屋が儲けるだけである。
世界には、世界有数の技術力・工業生産力を誇る日本が、この世から無くなってしまえば好都合と思っている国がある。
このように思っていて間違いはないだろう。

これから先の日本には多くの国難が押し寄せるだろう。
軍靴の音や、隣国の危険な噂を聞くことが増えるだろう。
でも、私たち日本人は惑わされてはならない。「耐へ難きを耐へ、忍び難きを忍び……」しても戦争をしてはならない。
どんなことがあっても二度と戦争をしてはならないと、今日の終戦記念日に際して改めて思うものである。

戦後70年(続)

投稿者:やさか 投稿日:2015年 8月14日(金)
PHP研究所発行の月刊誌『Voice』8月号の見出しにあるように、まさに今日本は危機的な転換期に直面していると思う。
終戦後70年を経て、日本の古い神々や戦争で散華した英霊たちが、戦後に改めて構築した結界が崩れはじめたのだろうか。

そう思えるほど近年の日本は、防ぎようのない巨大な自然災害や、近隣諸国からの軋轢に苦しめられている。
それだけではない。アメリカの忠実な同盟国の日本に、友好国のはずのアメリカが次々と難題を突きつけてくる。
TPP交渉で日本の農業を潰しにかかり、自動車などの日本の工業製品には難癖をつけて大量にリコールさせる等々。
また、日本の内政にまで干渉して、またぞろ日本を戦争に巻き込もうとしているかのようにもみえる。
しかしながら、日本のマスコミは大衆に正確な情報を伝えていないことが多いようだ。
報道の公器、テレビ放送では相変わらず、知ってか知らずか呑気にバカ番組を垂れ流している。
ネット世界は、セックス・スクリーン・スポーツのいわゆる「3S」に毒されている。
大衆には最も肝心な事は知らせず、ただ盲目的に働くだけの家畜人間を増やすことを目的としているかに思える。
こうしたいわゆるマスコミ媒体のトップクラスは、十分この効用を知っているのではないだろうか。

石原は安倍を見事だと評価しているようだが、大きな分岐点にさしかかった日本の舵取り役としては私は大いに心配だ。
いささか心許ない気がしてならない。
というのは、首相はアメリカに迎合し過ぎるような気がするからである。
いざという時、アメリカは日本を戦争に巻き込みこそすれ、護りはしないだろう。
戦争屋は、中東の次は極東でと、戦端を開く計画を練っているかも知れないのだ。
(いずれも敬称略)

戦後70年

投稿者:やさか 投稿日:2015年 8月12日(水)
『VOICE 8月号』に、「戦後70年、日本の十字路」という特集があった。
その中に、石原慎太郎の「私は諦めない。平和の毒を払拭しろ」と題した記事がある。
ジャーナリストの上島嘉郎を聞き手とした、二人の対談形式の構成だ。

その中で聞き手は、「文学と政治という対局の河を渡ってこられ、いま、何を為し得たか、また為し得なかったか、その満足や悔恨をうかがわせてください」と聞き、
その問いに対して石原は「私は、文学と政治という対極的な方法を併せて自らのものとし、この二つの方法における思考と実践を私なりの努力でずっと行ってきた。この本(『歴史の十字路に立って』)もその複合的な軌跡を明かしたものだけれど、二つの対極的方法の内で、私自身のさまざまな振幅やひずみが私に何をもたらし、何を喪わしめるかという予感がありながらその道を選んで歩んできた結果は、(亀裂にはまった)という実感だね」と答えている。

また、「政治家としての石原慎太郎の苛立ちは、同時に文学者として感性を追求した結果でしょうか」の問いに対して氏は「まさにそうだね」と答え、
また、三島由紀夫について尋ねられると
「三島さんは初めて会ったときから、ぽっと出の若造の私に、できの悪い学生に精一杯付き合って合格点を出してやろうという教授のような苦労をいろいろしてくれました。有り難いと思いました」としながらも、
「三島さんは結局、精神と肉体の分裂を抱えて、それを統合できずに死んでしまった」と言い、
「私が三島さんの死を咎めざるをえないのは、日本は日本でなくなると警鐘を鳴らし続けた氏が、まさにいまこそその予見は当たって、日本はすべての戦後構造を大幅に、できうればすべて払拭しなくてはならぬ時に来ているにもかかわらず、この本質的危機の時代に三島由紀夫を欠かしめるという不忠と無責任を自らもたらしたということです」とも言っている。

三島由紀夫が自らの手で身罷ってからもう45年近くになる。
石原が思っているように、三島は日本とって掛け替えのない人物だったと今更ながら思う。
三島が政界に進出しようと準備を整えているとき、いち早く石原が政界に打って出たため、
三島はその行動を取り止めたとも言われている。
二人とも愛国者であることは他言を要しない。
惜しむらくは、死に急いでしまった三島由紀夫のことである。
あの勇気、あの愛国心を政界で発揮してもらいたかった。
一方の石原は、自分の文学の世界ほど、政界では勇気が発揮できていなかったように思う。
二人して政界で存分に活動していれば、政治は変わり、もっと明るく希望のもてる国になっていたのではないだろうか。

石原は、政治家は権力を持たなければダメですと言い、安倍首相を評価している。
「政治家は、役人にない理念や発想力で役人を使って物事を動かさない限り何もできない。その意味で、いまの安倍総理は見事だと思う。おじいさん(岸信介)の遺訓みたいなものもあるのだろうが、彼は身体を張ってやっているし、国家国民のための「権力行使」という政治の本質的な使命から逃げていない。/中略/阿部くんには、この『平和の毒』を日本から払拭し、自らの頭と足で起つ国を粘り強くめざしてほしい」

(敬称略)

河内のノラにゃん(続)

投稿者:やさか 投稿日:2015年 7月20日(月)
写真の三毛猫は、3月20日投稿「2匹の美形ネコ」の母ちゃんと覚しき雌です。
子供たちが大きくなった今も、離れた所から見守っています。

真朱の姫神

投稿者:やさか 投稿日:2015年 7月 1日(水)
【真朱の姫神】最終編を書いています

この物語は、2001年1月1日に「もう一つの大和物語」と副題をつけて連載をはじめたものです。
長い間、続編を出していませんでしたが、最終の「未来編」を近日中にアップをはじめたいと思います。
思い返しますと、私がホームページを始めたのは、この物語を世間に出したいが為でした。

それで、2000年の11月にHPを開設、「吉野へようこそ」のタイトルを付けて吉野関連の情報を発信し始めました。
そして年明けの1月1日から“真朱の姫神”の連載をはじめたのです。
計画では「現代編」「飛鳥編」「ヤマト編」と、全3部作で終了しようと思っていました。
そして予定通り、この3編は約半年で書き上げました。
ところが、何年か過ぎると続編が書きたくなりました。それで8年後に第4部「黎明編」を書いたのでした。
その頃から第5部を、「未来編」として書き、完結させようと決めたのです。
この第5部は「預言書」のようなものになりそうなので、物語の後半は書き上げるのが遅れそうです。
でも、今年中、2015年中には完結させるつもりです。
お読みいただければ幸いです。

●真朱の姫神:http://www.yasaka.org/KOBO/yokoso3_003.htm



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