新ブロック [22] :2015年1月~


巷の神々(続)

投稿者:やさか 投稿日:2015年 5月 2日(土)
(前記事よりの続きです)
それから40数年後、私はもう一人の巷の神に会うことができました。
それは、私が師事することになる山内光雲(昌)氏でした。
(山内光雲: http://hikarion.sakura.ne.jp/hikarinokai/kounkai.html

師は正に霊能者と言える方でした。「神主」にもなれて「審神」もできるのです。
勿論ここで言う神主は、神の依代(よりしろ)のことです。
つまり「神降ろし」が本当に出来るのです。
私の目前で何度も神降ろしを行ないました。
光雲師が最も気安く呼べる神は、アメノウズメでした。
師に解らないことは何もありませんでした。
解らなければ神を呼んで聞くのです。
もちろんの事ですが、呼んだ神がその場に姿を現す訳ではありません。
神は、お出ましになる訳ではありませんが、光雲師の声帯を使って質問に答えてくれるのです。
光雲師と一緒にいて話をしていると、時と場合によって呼んでいないのに口出しをしてくる場合があります。
このような事がありました。
真名井の羽衣伝説について話をしていて、ポールシフトに話しが及んだ時、
「今、大きな神さんが来られた。君の後ろに立ってはる」
私は背中がゾクッとしました。
「歌が入りますよ…あなたへのメッセージですよ」
と言って、神が光雲師の声帯を使って次のように歌いました。
http://www.yasaka.org/YAMATO/tutanc1.html

あとで師は説明を入れてくれました。
「これはツタンカーメンの預言歌です。富士山が滑って高さが半分くらいになります」
どうやら富士山大噴火による崩落現象のようです。
「預言は必ず韻律をともなって伝えられます」と師は言い、そして続けて
「ツタンカーメンのツタンは、ツターンで星の意味。カーメンはカルマで業の事だ」
氏の話を聞くと、いわゆる“王家の谷”で発見された少年王のツタンカーメンと、この歌は直接関係はないようです。
師は私に、このようにも言いました。
「実は君に、このような事を伝え、霊感を授けることが私の役目なのです」

じっくりこの歌を聴いてみてください。
普通の歌でないことが分かると思います。
霊的な力を借りずに、このような歌が出てくるはずがありません。
また、即興で歌えるはずがないことも分かっていただけると思います。

巷の神々

投稿者:やさか 投稿日:2015年 4月27日(月)
『巷の神々』を読みました。
これは、昭和42年に出版された石原慎太郎の著作です。
はじめ地元の図書館から予約し、取り寄せて読んだ稀少本です。
読んで見ると興味深い内容で、これは是非手に入れておきたいと思い、AMAZON経由で入手しました。
この本の内容ですが、『太陽の季節』で芥川賞を受賞した石原慎太郎が、
その十年後にこのような宗教観を持っていたことを知って驚きました。
「私は学生の頃、熱心なカトリック教徒である従兄が新興宗教を罵倒し嘲笑するのを聞いて妙な可笑しさに耐えられなかった記憶がある。御利益宗教など、とその従兄は言ったが、信仰する人間が、先ず神仏に求めるものが御利益でなくて他の何であろうか。また、それがどうして咎められるべきことなのだろうか。…(中略)…知識人の多くは、その従兄と同じ姿勢で新興宗教を嘲笑うが、それが宗教の否定、神仏への否定ならばともかく、相手が単に新興宗教であるということでならば軽率であり、…(中略)…現在ある発展をとげ、更に発展途上にある新興宗教を観察すると、それが極めて短期の発展過程に、既成の宗教、例えばキリスト教、仏教等の誕生発展と全くと言っていいほど同質の段階を踏まえて来ていると言うことに気がつく。現代の新興宗教の誕生、発展を眺めることで、逆に我々は仏教の教典や聖書に記されている奇跡がまぎれもない事実であったことを知るのである」
(以上石原氏の宗教観と思える箇所を引用)
今、82歳過ぎていると思える現在の氏の考えとは異なっているかも知れません。
これは昭和41年頃からサンケイ新聞に連載した記事を、纏めて同42年単行本として刊行したもののようですが、
当時氏は創価学会三代目会長池田大作氏を尊敬していたようなのです。
「池田会長はただ会長であって、決して教祖ではないが、しかし、彼は優れた哲学者であると同時に、もし他の宗教にあって教祖たらんとすれば、教祖ともなり得たような卓抜した能力と魅力を持つ人物でもある」
…と大層な誉めようなのです。
創価学会と同様に法華経を奉ずるもう一方の雄、霊友会の創立者久保角太郎、同会長小谷喜美の事も随分と好意的に書いてい、この本を著わした翌年には、参議院議員選挙に出馬してトップ当選を果たしています。
これは、霊友会系の票田を纏めて得たかに思えます。石原氏は、この頃から霊友会の信者になったようです。
この本は、「巷の神々」のタイトルでも想像できるように、当時の新興宗教から取材したもので、
その宗教の成り立ち、教祖の人となり、エピソードなどを盛り込んだ構成になっています。
登場する宗教団体は十数教団ですが、はじめに登場するのが霊友会です。
そして白光真光会、弁天宗、創価学会、立正佼成会、大本教、天理教等々。
登場する教団について中立の立場から書こうとした努力が伺えますが、氏が最も頁を割いているのが霊友会と創価学会でした。
その次に丁寧に記述されていたのが弁天宗で、石原氏は今東光氏に紹介されて初めて宗祖に会ったのだそうです。
「弁天宗宗祖大森智弁は、私が教祖自身の活躍中にじかに面談出来た一人であって、茨木で彼女の話を聞いて過ごした一夜は、私にとって甚だ印象深いものだった」
と氏は記しています。
智弁宗祖(吉井清子氏)は、明治42年吉野町飯貝生まれです。宇智郡野原村(現五條市野原町)十輪寺住職、大森智祥氏に嫁ぎました。
後に宗祖となる大森智弁氏は霊能者として有名になり、数々の奇跡を起こして病気を治し、
受けた相談に対して的確な対処法を示して人助けをしたことで知られています。

実は私も、子どもの頃“弁天さん”に病を治していただいた一人なのです。
10歳前だったと思います。目が悪く目医者で治療してもらっても直らない。
結膜炎のような症状で両眼とも良くなかったのです。それで母親が野原の弁天さんに私を連れて行きました。
相談の順番が来、私は母親と一緒に弁天さん(宗祖)の座卓の前に座りました。
宗祖と母の言葉のやりとりは覚えていませんが、宗祖が自ら薬草を手の平で捏ねておられたのを覚えています。
それをひとりの若い男性が私の左手首の内側に貼付け、包帯を巻いてくれました。
明くる日だったか包帯を取ると、腕時計大の水ぶくれが出来ていましたが全く痛くはありませんでした。
「水ぶくれは毒を集めた水分なので、それを捨てると直りますよ」と若い男性から説明を受けていたので、全く心配はしませんでした。
この時の若い男性は弁天さんの息子さんだと、後から母に聞きました。
結果的にこれで私の眼病は完治しました。
以来現在まで、目にゴミが入った時に洗眼してもらった以外で眼科にかかったことはありません。
この頃大和五條の弁天さんには、全国から病気や商売、様々な相談に人々が行列を作るほど訪れていたのです。
私が10歳頃はじめてお会いできた時の宗祖・智辯尊女は47歳前後だったはずです。
正に「巷の神々」と呼べる方の一人だったと思います。

宇智郡、桜の新名所

投稿者:やさか 投稿日:2015年 4月 2日(木)
五條市野原町の辨天宗・宗祖廟は、五條市の花見の名所になりつつあります。
本日は晴天にも恵まれ、満開の桜のもとで多くの市民が花見を楽しんでいました。
「辨天宗」といえば、智辯尊女(大森清子氏)が立宗した新興宗教ですが、
政財界の著名人が信者だったことでも知られています。
例えば笹川良一氏は檀家総代、松下幸之助氏も総代を務めたことがあるし、
政治家の原健三郎氏、女優の浪花千栄子氏も熱心な信者だったようです。
また、智辯高校は奈良県の野球強豪校として知られています。

写真は、信徒が「蓬莱山」と呼んでいる丘の桜です。
そのほとんどがソメイヨシノですが、本日が満開絶頂と見うけました。
夕方から天候が下り坂のようですので、残念ながら明日から散り始めるかも知れません。

●唄:大和や桜/音声付 よろしければクリックして聞いてください。
http://www.yasaka.org/YAMATO/yamatosakura.html

白クマ赤ちゃん

投稿者:やさか 投稿日:2015年 3月20日(金)
写真は今天王寺動物園で公開中のホッキョクグマの赤ちゃんです。
この仔は、ゴーゴとバフィンの間で産まれたメスの子どもですが、名前はまで決まってないようです(公募中?)
ゴーゴが白浜に出張中なので、今は母親のバフィンと暮らしています。

最新のニュースによりますと、戻ってくるゴーゴの次期花嫁候補が決まったとか。
メス1歳の(イッちゃん)を、「551蓬莱」さんが寄贈してくれるのだそうです。
パートナーになれば、めでたく“551”のペアとなりますね。

撮影は前に同じくNikon COOLPIX 510 オートモードです


河内のノラにゃん

投稿者:やさか 投稿日:2015年 3月20日(金)
近所のノラ猫ですが、二匹とも毛並みも艶やかで中々美形です。
撮影:Nikon COOLPIX P510 オートモード


猫は踊る

投稿者:やさか 投稿日:2015年 3月17日(火)
猫は「ニャーコンコン、ニャーコンコン」…と踊るらしいです。
『現代民話考』10/松谷みよ子著/立風書房刊より
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○秋田県能代市
隣の四日市という所で四日市の領地内だったものね。
四日市のそこの明神様って、明神様ね。そこさコジキ泊って夜中になったらみんな猫がた集まってきて「さあ今度始めようか」って、そして、踊る練習に付き合う時ね、始めようかって言ったけぢ、まだ、伊藤さんが来てないために、「伊藤さんが来ねば踊りもなんもならねぇ」って、その伊藤がまづ一番の師匠なわけだね。
んで、ここの家のほれ、猫であったてね。その子猫が連れて来て、ほして、次の日、伊藤さんち来て話したってね。
そして話して、そして話ししている時その猫が、小姑さ、ご飯与えたわけだ。
御飯食べながら、今度話ししていた時、今度その猫が戻ってきて、茶碗の上、ドンとはねたんだとこでそのコジキがそこから開けてみたわけだ。
開けてみたら、茶碗の底に鳥蛇入ってやったとかね。
話者・工藤フジエ。出典・「傳承文芸」16号(国学院大学民俗文学研究会)

○福島県石川郡平田村
「ヤジムケエのゴンボ猫、揃わねっきゃ、しっかと、ぼっこと揃わねえ、ニャーコンコン、ニャーコンコン」って、ここはねえ、神さま、神さまってとこはもと、皆踊りの場所だったのね。
盆踊りのね。虎猫も踊ったでねえの。
岩倉の観音さま、岩倉ってとこに、将軍さまの田村麻呂将軍さまが桜の木を植けたの。
そこさ集まって、酒飲んで、踊ってたんだと。
話者・坪井ムメノ。出典・『石川郡のざっと昔』(ざっと昔を聴く会)



出雲わらべ歌「ネコにゃんにゃん」
投稿者:やさか  投稿日:2015年 3月12日(木)
  出雲わらべ歌に「ネコにゃんにゃん」があります。

その歌詞の中に
「♪出雲よいとこ出雲の神社の前で、その広っぱでネコじゃじゃ、ネコたんんとたんと集まって神様と踊る」
…とあるのですが、ここに言う所の「出雲の神社」とは何処でしょうか?
普通に考えれば、それは「出雲大社」のことではないかと思えます。
でも、この社は古くは「杵築神社」と呼ばれていたらしいので或いは違うのではないかとも思われます。
それでは…と考えを巡らせてみると、元出雲と謂われる亀岡市の「出雲大神宮」行きあたります。
でも私は、古代の“出雲の神社”というのは、前記の何れでもなく、
実は大和国磯城郡出雲邑(奈良県桜井市出雲)にあったのではなかったかと考えています。

現在、その地には「十二柱神社」があります。
音声を貼付けましたのでよろしければお聞きください。
唄はやさかこと、マルヤです
http://www.yasaka.org/kamigami/izmo.html
 

やはり富士は美しい

投稿者:やさか  投稿日:2015年 2月23日(月)
  先週末、富士五湖をめぐりました。
もし、大噴火でもしたら二度とあの美しい富士山の姿が見られなくなると思ったからです。

今まで晴れた日の富士を、近くから見たことがありませんでした。
それで、人に聞いてみますと
「やはり冬の季節が空気も澄んでいて一番美しく見える」それに「雪を頂いた姿が富士にはよく似合う」
…と聞くのですが、行ってみると中々裾野から山頂まで、すっきりと晴れて見える日は少ないようです。
「見える見えないも、その時のお天道さんの気分次第」…と思い切って出掛けました。

土曜日に本栖湖から廻ったのですが、この日の本栖湖、精進湖、西湖からの富士は最高でした。
写真は、上から順に本栖湖・精進湖・西湖から見えた富士山です。
日曜日の河口湖・山中湖からの富士は、雨雲が広がって残念ながら見ることが出来ませんでした。





大日川 丹生神社

投稿者:やさか  投稿日:2015年 2月12日(木)
  久しぶりに西吉野町大日川地区を通りましたら、丹生神社拝殿建替え奉賛お願いの看板が立てられていました。
「賀名生の里 歴史民俗資料館」元館長の杉本弘一氏は、
今は丹生神社の禰宜さんとして丹生神社拝殿再建のため奔走しておられるようです。

 

高野山の名宝

 投稿者:やさか  投稿日:2015年 2月10日(火)
  あべのハルカス美術館で開催されている高野山開創1200年記念「高野山の名宝」を見に行ってきました。
空海の真筆と伝わる「聾瞽指帰」の現物を間近でつぶさに見たかったからです。

多くの国宝や重文が展示されていましたが、私が特に興味が引かれたのは、この聾瞽指帰と「弘法大師座像」でした。
この大師像は国宝でも重文でもありませんがドキリとするほどの印象が残りました。
それは、この座像は顔が僅かに左向きになっているからでしょうか。
座像は会場に入ってすぐ正面に展示されていたのですが、
正面からのお姿やお顔は、今まで様々な機会に写真で見慣れていたので特に深い印象はありませんんでした。
ところが通り過ぎようとして何気なしに振返った瞬間、真っ直ぐに目が合ったのです。
ドキリとしました。空海さんが正に今ここに居られるようでした。
改めてこの像が、或いは一番写実的な作品なのではないかと思わされました。

「高野山の名宝」開催期間:平成27年1月23日(金)~3月08日(日)
「聾瞽指帰」上巻の展示 :平成27年2月10日(火)~2月15日(日)
「聾瞽指帰」下巻の展示 :平成27年2月17日(火)~2月22日(日)

●写真は、あべのハルカス16Fの美術館入口と、同じフロア外側のガーデンテラス
 

「しもいち・おおよど古代史展」講演・討論会

 投稿者:やさか  投稿日:2015年 2月 9日(月)
  昨日の日曜日、吉野郡大淀町文化会館・ひだまりホールで開催された講演会を聴きに行きました。
会場は入りきれないくらい満員の盛況で、古代史ファンが熱心に聞き入っていました。
講師は、郷土史家で下市町文化財保護委員長でもある菊田仁郎氏と橿原考古学研究所の米川仁一博士でした。

まずはじめに菊田氏は、昭和20年~30年代の遺跡研究の体験談を話されました。
氏は当時岡峯古墳の発掘にも関わっており、軽妙な語り口で興味深い話をしてくださいました。
また後の討論会では、「これから先の自分の活動として、吉野離宮の痕跡を下市町内で探してみたい」
…と仰ったのがとても印象に残りました。

続いて米川氏は、吉野川流域の古代文化の概観を、旧石器・縄文から弥生、古墳、奈良・平安…と時間軸に沿って語られました。そしてレジュメで特別項を設けている「丹生川上神社の所在地について」の説明がありました。
そのなかで上・中・下各論社の主張する本社説の根拠を、紙面にて論社別に分かりやすく示し、
「いずれが本来の丹生川上神社かと言えば、下社の可能性が最も高い」としながらも
「『本来の丹生社がどこであったか』という問題は、発掘調査などで確実に奈良時代及びその前身の遺構を確認しなければ決着が付かない状況であることを改めて再認識させられる結果となった」と氏は締めくくられた。

いずれも、吉野の古代史ファンには勉強になる講演で、とても有意義な時間を過ごさせていただきました。
 


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