新ブロック [17] :2012年7月~2012年12月まで





チビヨン、お疲れさん!投稿者:やさか投稿日:2012年12月25日(火)

  写真は、私が呼ぶところのチビヨンこと、チビ四駆の「PAJERO Jr」です。

この車は5年ほど前、走行距離約33,000㎞の中古車を買ったものです。
現在は75,000km余りですが、この小さな四駆で多くの神社巡りをしました。
車体は軽四並みですがなかなかの力持ちで、この車でなければとても登れないないような
急坂の悪路を辿って山頂の神社によく参詣しました。
特に細く険しかったのは、神崎郡・笠形神社、吉野・深戸神社、同じく海津神社でした。
途中で引き返そうかと思ったことは何度もありましたが、方向転換ができないので立ち往生覚悟で突っ込んだものです。
幸い今まで大きなトラブルもなく、参拝して帰ってこれました。

ところが近頃このチビヨン君、疲れたのかオートマ・ミッションの調子が悪くなってきているのです。
初年度登録からみると、もう16年程にもなりますので残念ながら老体のようです。
馬と同じような対人間年齢換算をしますと80歳位になるかとも思います。
近々引退をしてもらわないと仕方がないかも知れません。
チビヨン、お疲れさん!

●地域の氏神さま、住吉神社に参拝しました





勝ったのは白馬  投稿者:やさか  投稿日:2012年12月24日(月)

  有馬記念が終わりました。
勝ったのはゴールドシップ。
13番人気のオーシャンブルーが2着に絡んだ以外は大体人気馬が上位にきています。
残念だったのは、エイシンフラッシュの騎手が急遽入れ替わったことです。
穴馬として期待したスカイディグニティがもう一息というところでしたね。
優勝馬のゴールドシップは金の船ですが、馬体は芦毛の白馬なので、
馬名はシルバーシップでも良かったとも思いますが、有終の美は「金」で正解でしたね。
とにかく豪快な勝ちっぷりでした。

日本のフィギュア・スケート選手は男女ともに、そして競走馬も世界に通用する能力があるようです。

Re: 年末の風物詩 投稿者:やさか投稿日:2012年12月23日(日)

  > ●私の三点馬券/
> 主馬券(馬連)2-13
> 穴・補助券(馬連)  2-3、3-13

上記のような表現をしましたが、本来は
本線:2-13
押え:2-3、3-13と書くべきでした。

そして、恐い馬を一頭忘れていたことに今気付きました。
8勝馬のトゥザグローリーです。最近は勝利から遠ざかって忘れられていますが、これは実力馬です。
(もう一頭の8勝馬、ネヴァブションは老いすぎ)
それで、対抗馬ルーラーシップとの組み合わせ
●9-11を押え馬券として追加したいと思います。これで合計4点買い。
 

年末の風物詩 投稿者:やさか 投稿日:2012年12月21日(金)

  年末の風物詩といえば、真っ先に私は「有馬記念」を挙げたいと思います。
有馬記念競争の枠順・出馬表が発表されると
“今年もいよいよ最後だなあ”…と今年1年の感慨にふけり、
来年に希望を託したいと思いがつのります。

さて今年も中央競馬グランプリ・有馬記念が、12月23日、中山競馬場で開催されます。
そこで本日発表された確定枠順から、またぞろ勝馬券を占ってみたいと思います。

●本日21日午後6時の単勝人気
1位:⑬番ゴールドシップ
2位:②番エイシンフラッシュ
3位:⑨番ルーラーシップ
4位:④番ダークシャドー
5位:⑮番ナカヤマナイト

●私の予想/優勝候補(強い馬の順位)
本命馬:⑬番ゴールドシップ
対抗馬:⑨番ルーラーシップ
単穴馬:②番エイシンフラッシュ
着穴馬:③番スカイディグニティ
着候補:⑯番ルルーシュ

●私の三点馬券/
主馬券(馬連) 2-13
穴・補助券(馬連)  2-3、3-13
この馬券で明後日夕方、笑えるか?笑われるか?…どうだか。
 

秋の丹生都比売神社  投稿者:やさか  投稿日:2012年11月10日(土)

  ニウツヒメノミコトを祀る、伊都郡の三社を久しぶりに参詣しました。
丹生都比売神社境内は、今紅葉のまっさかり。女神の坐すにふさわしい雅やかな社殿が、より一層華やいでみえました。
丹生酒殿神社境内の大銀杏は、黄葉が進まず青葉のままでした。
丹生官省符神社は、拝殿前に立てられた「空海と狩場明神出逢い」大看板の意匠替えがなされていました。

●丹生都比売神を祭る伊都郡の三社:[参照頁]http://www5.ocn.ne.jp/~miyosino/info/niutuhime.html






 

Re: 大台ヶ原/訂正  投稿者:やさか  投稿日:2012年11月 6日(火)

  > No.145[元記事へ]

> 11日の日曜日、吉野郡上北山村大台ヶ原へ行ってきました。

大台ヶ原へ行ったのは、11日ではなく、11月4日の日曜日でした。
今気付きましたので訂正します。
 

大台ヶ原(続)  投稿者:やさか  投稿日:2012年11月 5日(月)

  大台ヶ原は、標高1400~1600mのゆるやかな起伏が続いた台地で、日本有数の多雨地域として知られています。
この台地の最高峰は日ノ出ヶ岳(標高1695m)だそうで、雨上がりで空気が澄み切った晴天には、
遠く富士山まで遠望できると言います。
駐車場前のビジターセンターから、片道40~50分で日ノ出ヶ岳山頂まで上がれる手軽なコースがあります。
ほとんどが緩やかなので、小さな子どもさんからお年寄りまで安全に山歩きが楽しめるのでおすすめです。

撮影機材:カメラCONTAX TVS2/Vario-sonnar 28~56mm F3.5-6.5 フィルムCODAK GOLD 100
     (前項の写真3点共)
以下写真3点省略





 

大台ヶ原  投稿者:やさか  投稿日:2012年11月 5日(月)

  11日の日曜日、吉野郡上北山村大台ヶ原へ行ってきました。
大阪から車で3時間あまり、紅葉の見頃が過ぎているからか道中混雑もなくスムーズに走れました。
それでも駐車場は満車状態で奈良・大阪・三重・神戸ナンバーの車で溢れていました。
大型バイクに混じって、ゼロハン・ミニバイクも誇らしげに並べて置かれていました。
写真は、奥からHONDA・エイプ、モンキー、カブなどですが、
この小さな車体でここまで上ってくるのは、随分疲れることでしょう。

大台ヶ原ドライブウエーは通行無料ですが、毎年11月下旬から翌年四月下旬の間は冬期閉鎖されます。






 

Breatharian  投稿者:やさか  投稿日:2012年11月 1日(木)

  「ブレサリアン」と呼ばれ、呼吸のみで、食物はおろか水をも一切口にしない「不食主義者」が世界には実在すると言われています。
2004年9月発行の『リビング・オン・ライト』改訂新版の埴原由美翻訳本では、「21日間のプロセス」と題して、食物を摂らなくても生きていける肉体に改造する訓練方法が紹介されています。
原本は、1996年Jusmuheen著『Living on Light』のようですが、実際に著者本人はこの10年間ほとんど食事をとらず、光(プラナ)だけで生きているそうです。
はたしてそのようなことは可能なのでしょうか?

『見えない世界が病気をつくる』を著わした山内昌(光雲)氏は、
「人間は神に近い、最高に進化した存在なので本来何も食べずに生きていけます。大気中にあるプラナをうまく取り込めば水さえ飲まなくても健康に長生きできるのです」と言っていました。
その著書(上記)の44P~52Pには、神様の薦めによって半ば強制的に、100日以上にもわたる水も飲まない断食をしたときの様子が書かれています。
断食することを了解したあと、どうしても食べたくなって食べようとすると、手が動かなくなったり、口から食べ物が飛び出したりして食事ができなくなったこと、そのうち幻覚が見え始めたこと、精神病のようになり、しばらく躁状態が続いたこと等々。
精神異常をきたす一通りの体験をすぎると、やがて精神状態が普通に戻り、同時に断食をしていても全く食欲を感じない体質に変わっていき、大気中に充満しているプラーナ(気)を直接体に取り入れることで、身体に必要な栄養にすることができるようになったと書かれています。
ところが、あまりにも身体が痩せてきて周りの人たちが心配するので断食を止めたいと神様に申し出、許しを得て断食を解かれた頃には体重が30キロ余りまで落ちていたと記されています。
光雲師は「100日以上全く食物や水を摂らなかった」と断言していました。
神様から「アナタは今世界ではじめて、まったく飲まず食わずで生きていける人間になりました」と言われたとあります。
でも、健康だけれど階段は上がれない、風に飛ばされそうになるので断食は止めたが、その後は小食にしたそうです。
実際私が初めて出逢った頃の光雲師は、肉食は全くせず、野菜と魚を少々。日本酒がとても好きな方でした。
 

天皇賞結果(続)  投稿者:やさか  投稿日:2012年10月28日(日)

  ●レースの着順と、レース前の馬券投票人気は次の通りだった。(最終発表人気による)

1着:エイシンフラッシュ (5番人気)
2着:フェノーメノ    (1番人気)
3着:ルーラーシップ    (2番人気)
4着:ダークシャドウ    (4番人気)
5着:カレンブラックヒル (3番人気)

優勝馬は一昨年のダービー馬だったので、実力的にこのメンバーでは上位だったのだと思う。
2着に入った馬も順当に力を発揮した結果だろう。今年の3歳馬は強かったのに違いない。
ちなみに、レース後調べて分かったのだが、勝ったエイシンフラッシュ号の体重は、
奇しくも一昨年日本ダービーに勝った時と同じ486キロだった。
どこかに符合するところがあるものである。
 

秋の天皇賞の結果  投稿者:やさか  投稿日:2012年10月28日(日)

  天皇賞レースが終わった。
馬券は見事にはずれたが、絵のような感動のドラマを見た気がした。
忘れていたが、勝った5歳馬のエイシンフラッシュは一昨年のダ-ビ-馬だった。

イタリア人のデムーロ騎手は、天覧席前までくると下馬し、芝生に跪いて天皇皇后に最敬礼をした。
天皇賞で日本人騎手でも天覧席に向かって下馬し、跪拝したことがあったかどうか私は知らない。
デムーロ氏は、「天皇皇后両陛下の前で勝てたのは名誉だった」という意味の言葉を述べた。
このレースに備えて彼は、調教助手に任さず二週続けて自分で乗り、追い切ったそうである。
インタビューに答えて 「(エイシンフラッシュは)僕が乗るのを待っていて勝たせてくれた」とも言った。
そして何度も何度もタテガミを撫で、首筋をたたいて勝利を讃え疲れをねぎらっていた。
礼儀正しく、優しい心を持ったスポーツ選手なのだろう。特にさわやかな笑顔が印象に残った。

レースは結果的言えば、思いのほか今年の3歳馬強かった。
2・5・6着に3歳馬がくい込んでいるからである。立派に古馬に対抗できる力があったということだろう。
特に2着のフェノーメノには驚いた。菊花賞を回避して、天皇賞に駒を進めるだの実力が充分にあった訳だ。
 

秋の天皇賞  投稿者:やさか  投稿日:2012年10月28日(日)

  秋の天皇賞レースが今日15時40分にスタートする。
1番人気は6番ルーラーシップ、2番人気は16番カレンブラックヒル、3番人気フェノーメノである。
そこで直前の勝ち馬予想をしておこうと思う。

私は次のように考えている。
50年近くにもなる私の馬券投票歴から、競馬はやはり強い馬が勝つと思う。
だが、その時の馬の体調、レース展開のあや、騎手の判断やその巧拙もあるだろう。
勝つためには様々な要件が整っていなければならないだろう。
「八百長」というのも完全には否定できない。
だが、余計なことを考えても判断ができなくなるので、私はただ「強い馬」が勝つとだけ考えている。
そこで強い馬はどの馬かだが、このレースはレース経験の多い馬が多いので、ある程度実績から判断できる。
私が挙げる強い馬は、つまり実績馬である。
⑮トーセンジョーダン ⑱トゥザグローリー ⑥ルーラーシップの順。
3歳馬が人気になっているが、このレースでは思い切って外しておきたいと思う。
次に挙げるのは現時点での好調馬である。絶好調の馬は実績馬を上まわることが多々あるからだ。
④フェノーメノ、⑯カレンブラックヒルは絶好調だが3歳馬なので古馬に対しては不利と見ては外す。
⑭トランスワープと①ナカヤマナイトを残す。

●結論としての購入馬券
枠連1-7、7-7 馬連1-18 の3点のみ

もう3時間あまりで発走になる。
さて、初めての掲示板上の予想結果はどうか?
 

丹生川上神社・下社秋祭り

 投稿者:やさか  投稿日:2012年10月14日(日)17時50分48秒
  さわやかな秋風がそよぐ今日十月14日、丹生川上神社下社の秋祭りに参列してきました。
お祭りでは、おそらく100年以上も奉納されていなかったともいう神楽が古式ゆかしく披露されました。
また、お祭りのあとで、新たに着任した?「白黒二頭のお馬さん」がお目見えしました。
お参りした人たちは、タテガミを撫でたり、背中に触れたり、お孫さんを背に乗せてもらって記念撮影をするなど、
神武天皇ゆかりの、丹生の里の秋を大いに楽しんでいました。

●以下の写真は神殿前の御神饌です。クリ・アケビ・ザクロ・柿・椎茸など山の幸がいっぱい。
(祭典が済んだあとで、御神饌の一部を写真に撮らせていただいたものです)





 

寺ヶ池の景観  投稿者:やさか  投稿日:2012年10月12日(金)

  次は河内長野市の寺ヶ池へ、同じ1960年代製の古いカメラとレンズを持って試し撮りに行きました。
築堤記念碑によりますと、これは農業用水を貯める人工のため池で、江戸時代の慶安二(1649)年に完成したものという。
当地の庄屋であった中村與次兵衛という人物が農業用水を確保するため、水は10km以上南にある地域から水路を作って運んでくるという計画を立て、
水源地からこの池(現在地)までの土地の高低を、夜に提灯を持った人に一定間隔で立たせ、土地の高低を見ながら水路を通す場所を決めるなど、
延四万人もの人力を投じて大変な難工事の末に完成させたそうです。
そして、それから360年あまりも経た現在もなお地域の田畑を潤しています。
今は周囲は2,200メートルで寺ヶ池公園として整備され、市民プールやテニスコートなどもあって市民憩いの場と親しまれています。

写真(上)の遠景は、葛木山地(葛城山・金剛山)。使用レンズ/NIKKOR 135㎜ F3.5
写真(中)と(下)いずれも渇水期の寺ヶ池。使用レンズ/NIKKOR 85㎜ F1.8
●カメラはNikomat FTn、使用フィルムはKODAK GOLD1






 

狭山池の景観  投稿者:やさか 投稿日:2012年10月11日(木)

  体育の日、大阪狭山市の狭山池へ古いカメラをひっさげて撮影に行きました。
この池は大阪狭山市にあって、七世紀後半に築造された日本最古のダム式ため池といわれています。
池の外周は3キロメートルほどで景色も良く、中年の人達や、子ども連れの若い夫婦の散歩やジョギングで賑わっていました。池の北側には安藤忠雄の設計で有名な「狭山池博物館」あります
また、この池から東方には金剛・葛城や二上山が遠望できます。

写真(上):西堤から東方の眺望、二上山と葛木山系。右手前にはPLの塔。
写真(中):南堤から北方の眺望、マンションや住宅地が広がる。
写真(下):東堤から北方の眺望、北堤の向こうに狭山池博物館が見えている。
●撮影機材:Nikomat FTn/43-86mm F3.5/フィルム KODAK GOLD100







 

堺市の石津神社  投稿者:やさか  投稿日:2012年10月 4日(木)

  堺の石津神社まで足を伸ばしました。
ここでは、同じカメラNikon FでレンズはNIKKOR 35㎜ F2.8を装着して試しました。
(上)石津の杜 (中)社殿・拝殿 (下)境内社です。
使用フィルムは前項に同じ。ここでの露出は、絞りf8とf5.6 シャッタースピード1/125です。
前から思っているのですが、標準レンズは50㎜よりも35㎜の方が具合がいいですね。
標準50㎜は画角が狭すぎて、特に神社の撮影には困ります。
全景を入れようとしても、後ろへの引き代が足りない場合が多いからです。

神社については、神奈備にようこそ「石津神社」を参照ください。http://kamnavi.jp/en/izumi/kamiisitu.htm






 

大阪南部郊外の秋景色  投稿者:やさか  投稿日:2012年10月 4日(木)

  最近入手した二本のレンズの試し撮りに出かけました。

場所は「大阪府立花の文化園」西側を流れる石川の近辺です。
その土手の景色を、古い機械式銀塩フィルムカメラとレンズで撮影してみました。
カメラは、1959年製のNikon F、レンズは1964年頃の製品NIKKOR50㎜ F1.4、フィルムはKODAK GOLD100です。
いずれも石川の土手と河川敷ですが、上の写真は「前ボケ」 中は「後ボケ」 下はクローズアップのテスト撮影のつもりです。
ご存知の通り、この古いカメラは露出計すら内蔵していない機械式です。別に露出計も持っていないので全て感にたよって露出を決めました。
ちなみに絞りは開放F1.4とF2.0、シャッターは1/500と1/1000の組み合わせで写しました。





 

百日紅 -さるすべり-  投稿者:やさか 投稿日:2012年 9月28日(金)

  百日紅は春の桜とともに日本の季節に色取りを添えてくれます。
「さるすべり」の語源は幹が滑らかで、猿も滑るほどということからのようです。
表記は、百日も咲き続けるという意の漢名からといいますが、
なるほど観察していますと、7月に入るとすぐ咲き始めて今日現在も咲いています。
Wikiによりますと、「…紅の濃淡色または白色」 となっていて、近辺の住宅地を見て廻ると花の色は、
紅・桃・白と三色ありました。

写真(上)は、7月末ごろ撮影した「百日紅」/撮影機材:NikonS2/NIKKOR 5㎝ F1.4, フィルムKodak GOLD100
写真(下)は、9月26日撮影した百日紅です/撮影機材:CONTAX Tvs2/Vario-Sonnar3.5-6.5, フィルムは同上。



 

ニコンのレンズ  投稿者:やさか  投稿日:2012年 9月28日(金)

  昨日は、1964年頃Nikon製の標準レンズ/NIKKOR-S Auto50mm F1.4/を格安でネットで見付け、
先日は又、1959年頃の同様広角レンズ/NIKKOR-S Auto35mm F2.8/を探し出して共に入手しました。
先月やっとみつけた中望遠/NIKKOR-HC Auto85mm F1.8/を含めると、私の手持ちは次のようになります。

●Nikon Fマウントの旧レンズ
――――――――――――――――
標準レンズ/NIKKOR 50㎜   F1.4
標準レンズ/NIKKOR 50㎜   F2.0
標準ズーム/NIKKOR 43-86㎜ F3.5
広角レンズ/NIKKOR 28㎜   F3.5
広角レンズ/NIKKOR 35mm  F2.8
中望遠〃 /NIKKOR 85mm  F1.8
望遠レンズ/NIKKOR 135㎜  F3.5

同じヴィンテージの、Nikon Sマウント・レンズは50㎜の標準1本しか持っていません。
それで、いつかはNikon S用の広角35mmレンズを手に入れたいと思っているのですが、これがとびきり値が張るのです。
昔から小型35ミリカメラの標準レンズは50㎜とされてきました。
でも50㎜は画角が狭すぎるので、どうしても35㎜が必要となってきます。
それで、Nikon S2も標準として使うには、広角35㎜が一番ぴったりだと思うのですが、中古市場にはあまり出てきません。
もし見付けても、びっくりするほどの値段が付けられているので、こちらの方は諦めるほかありません。
 

ツァイスレンズの写り  投稿者:やさか  投稿日:2012年 9月12日(水)

  「CONTAX Tvs2」の写りを試しています。
試すと言っても技術不足で、Carl Zeiss/Vario-sonnarレンズの良さを未だ引き出せていません。

Tvs2は、レンズシャッター式のコンパクト・フィルムカメラです。
機能としては、オート・フォーカス/マニュアル・フォーカス切り替え可能な合焦機構と
絞り優先オート/プログラムオートの露出制御システムを備えています。
それで、例えば「プログラムオート」にしておけば簡単に写真を写すことはできるのですが、
このカメラは簡単に良い写真は撮らせてくれません。
写真撮影の基本的な知識があり、このカメラの個性を熟知している者でないと
単に美しいだけの写真も撮れないように思います。
露出補正をしたりもできるので、良い写真を撮るためには高度な技術がいるのかも知れません。
ピント合わせも露出も、中央のスポット計測なので何れも抜ける場合が多いの要注意です。
操作慣れも必要だし、まだまだ良い写真は撮れそうにありません。

下の写真は9/9日曜日の「りんくうアウトレット」の風景です。
この日は薄曇りの空でしたが、ツァイスレンズ独特の青が少し出ているように思うのですが如何でしょう。






 

つるはし村  投稿者:やさか  投稿日:2012年 9月11日(火)

  鶴橋の地名は、旧平野川に架かっていた「鶴の橋」に由来するそうです。
鶴橋駅は、JR・近鉄・地下鉄が交差す鉄道の要所で、JRと地下鉄は大阪市天王寺区に、近鉄は生野区に所在します。
ご存知この辺りは戦後の闇市の跡で、次第に商店街として形成されていったようです。
現在も「鶴橋卸売市場」、「鶴橋市場商店街」「鶴橋本通商店街」の大看板がアーケードにかけられてあり、
昔の面影が残っていて今も多くの買い物客や通行人があります。
昭和20~40年代、この鶴橋の商店街はは大いに賑わいました。
生鮮物、菓子、雑貨、日用品など殆どの商品はこの市場で買えたのでした。
近鉄沿線の小売店は、大部分の仕入れはこの鶴橋で用が足りたと思います。
商品によっては、船場・丼池・久宝寺の卸売り街や松屋町から仕入れたようです。

さて1枚目の写真は鶴橋駅前ですが、正面はJR環状線のガードです。
2枚目・3枚目は、この鶴橋駅中央口から北東すぐの「比売許曽神社」です。
拝殿正面には大阪府神社庁の張紙が掲出されていて、
「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」との南州翁遺訓がありました。
撮影:CONTAX Tvs2, 使用フィルム/FUJIFILM superia premium400

参照:神奈備にようこそ・比売許曽神社
http://kamnavi.jp/ym/hiboko/himekoso.htm






 

てんのじ村続)  投稿者:やさか  投稿日:2012年 9月 7日(金)

  新今宮から天王寺駅方面へ向かう大通りで、山王町から市大病院前へ行く坂道辺りから、
東方向には工事中の「あべのハルカス」が正面に見えます。
JR天王寺駅前を少し東に行って天王寺公園に入りました。
この公園内の道は市立美術館や動物園に通じる道でもあります。
14年ほど前に美術館へ来た時は左右に露天が並び、真昼から酒を飲んいる人達や、
露天のカラオケ店でマイク片手に大声を張り上げている人々が大勢居て、この下り坂の通りを抜けるのは大変でした。
ところが今は露店は無く、通路は清潔で美しい花木の植え込みが左右に作られ整備されています。

天王寺公園を西に出て、いわゆる「新世界」に入ると間近に通天閣が聳えていました。
新世界へ行ったのは30年ぶり位でしたが、平日にもかかわらず想像以上に大勢の人たちで賑わっていました。
通天閣は大人気で入場待ちの行列ができていました。
今は、難波=新世界間に双方向無料バスが運行されて、何れも乗降者で満員でした。
通天閣周辺のお店は、どの店も入口にはアメリカ生まれ?の「ビリケンさん」が鎮座しています。

●写真は前項と同じく、CONTAX Tvs2/で撮影。使用フイルム同。






 

てんのじ村 投稿者:やさか  投稿日:2012年 9月 5日(水)

  「てんのじ村」巡りをしようと、JR新今宮駅から大通りを東へ歩き、阪堺線霞町駅を左手に見て飛田方面に向かいました。
この辺りは一昔前とはかなり通行人の様子が違うようです。
バックパッカーと言うんでしょう、一人旅の旅行者や二人連れのリュックサックを背負った旅人らしき人達によく出逢います。
以前から大通りに面して安宿が多くあったところですが、今はそれぞれがビジネスホテル風に改装しています。
そのような簡易ホテルに多くの外人が出入りしているのです。外国の旅行ガイド本か何かに載っているのでしょうか。
或いは口伝てで西成のホテルは安いと評判になっているのでしょうか?若者や中年の旅行者を多くみかけました。
飛田本通商店街は「動物園前商店街」と名を変えていました。
この通りを南に抜けて行ったところに、昔「飛田新地」呼ばれていた有名な遊郭がありました。
今でも飛田新地料理組合のもとに小料理店が軒を並べて営業しています。
昔から大勢の人達で賑わった飛田本通商店街、新開筋商店街ですが、
今は各地の商店街と同様、軒並みにシャッター通り化していました。
てんのじ村は、上方芸人発祥之地といわれ、この辺りは多くの寄席芸人が住んでいたらしいのですが、
今でも多くの古い民家が残っています。
商店街や地元の市場が無くなって、高齢の人達は正に「買物難民化」しているようです。

撮影:CONTAX Tvs2, 使用フィルム/FUJIFILM superia premium400
写真上:飛田本通商店街、 写真中:山王町○○商店街、 写真下:営業中の小料理店





 

帰ってきたCONTAX  投稿者:やさか 投稿日:2012年 9月 3日(月)

  修理に出していたCONTAX Tvs2が戻ってきました。
文庫本とMinolta 16QTを置いて撮影しましたので大きさを比べて見てください。
Tvs2は、15年前に発売されたコンパクト・フィルムカメラなのですが、重さが電池別で375gもあって、
一眼レフの半分くらいもの重さなので、とてもコンパクトとは言えないかも知れません。
ちなみにミノルタ16QTは40年前のポケットカメラで、電池込みで150gの重さしかありません。

Tvs2発売当時価格は15万円もする高級機でしたが、今ではびっくりするほど安価で手に入れることができます。
CONTAX Tシリーズの中では、最もお買い得な機種だと思います。
ツァイスレンズ Vario Sonnar は、どのような写真を見せてくれるのか楽しみです。
 
 

アブナイ、アブナイ! 投稿者:やさか 投稿日:2012年 8月29日(水)

  危ない、あぶない、狙われています。
日本の優良企業は狙われています。手口は色々ありますが、
庇を貸して母屋を取られたり、店子を入れて家主が追い出されたり、提携した企業の責任を代替させられたりと。

訴訟を起こされ莫大な賠償金を取られ、様々な難癖を付けて和解金を取られ、
消費者やマスコミを煽りリコール問題に発展させ、罰金や保証金を取る等々。
世界的にある分野で秀でた民族資本の優良会社は、特に狙われやすいと思います。

事業拡大の企業戦略のもとに、是非とも必要と大金を投じて傘下に組み込んだ子会社の訴訟問題から
その賠償に莫大な損失を被ることは、あり得ることと考えておかねばならないでしょう。
一旦狙われたら三年以内に何かの消費者訴訟問題が起こるでしょう。
それは綿密な計画のもとに練られたものだからです。
だから、だいきんさんアブナイ、ハバナイ気を付けて “Have an eye !! ”
 

堺・山之口商店街と開口神社 投稿者:やさか 投稿日:2012年 8月28日(火)

  旧堺市街の中心地で、堺の名店が軒を並べていた「山之口商店街」にある開口神社に40年ぶりに行ってきました。
この商店街は戦前の最盛期、大阪・心斎橋に並ぶほどの繁華街だったそうです。
ところが現在では往時の面影が全くなく、全国各地で進行している所謂「シャッター通り化現象」の例にもれず、
大部分の商店が堅くシャッターを閉じていました。

これはご存知の通り、大規模小売店舗法(旧・大店法/昭和48年制定)による規制が徐々に緩和され、
主として米国の外圧によって、後の平成12年に廃止に追い込まれたことが最大の原因です。
「消費者の味方!」「価格破壊!」…などのスローガンのもと大規模小売店が全国各地に展開して
地方の小売店を廃業に追い込んだのでした。
結果的に消費者は得をしたのでしょうか。否、そのようなことはありません。
短絡的にみれば小売価格は確かに安くなったでしょう。しかし地域雇用は大幅に減少しました。
そして販売の現場では対面販売がほとんど無くなって、ほのぼのとした地域社会も失われてきて、
逆に殺伐とした無味乾燥の、冷たい人間関係が増え広がって行ったのです。
そして今や「買物難民」という言葉さえ生れています。
生活に大事なのは雇用、即ち賃金だと思います。経営効率を高めるため能率や生産性のみを追求すると雇用は減り、
相対的な賃金低下を招くように思います。

考えますと昭和30年から50年位までは、間口半間のタバコ店だけで母子が生きて行けました。
商店街では八百屋さん・魚屋さん・肉屋さんはもちろんのこと、果物屋さん・毛糸屋さん・豆腐屋さん等々も、
それぞれ店員がいて、一家の生活も充分成り立っていたのです・・・・・
それが今では、酒・煙草・米、三つの販売権を併せ持っていても経営が成り立たないといいます。
アレアレ、またまたこんな話しになってきました。
言いたいのは、「もう少しゆっくりと歩きませんか」と言いたかったのです。
賃金が安くなっても「全員が雇用を確保できるように」。政治家さん知恵を出してください。

さて開口神社は、山之口商店街の中ほどから境内入口があります。
境内には[三国丘高等学校発祥之地]、[泉陽高等学校発祥之地]の石碑がありました。
●参照:「神奈備にようこそ」開口神社 http://kamnavi.jp/en/izumi/aguti.htm



 

Zeiss/Vario-Sonnar  投稿者:やさか 投稿日:2012年 8月24日(金)

  今一番魅力的で高性能なカメラは何でしょう?
私は、ずばりFUJIFILMのⅩ100だと思います。

今一番買いたいと思うカメラは何でしょう?
私は、これもFUJIFILMの製品でⅩ10を選びます。実用的にはこれが一番ではないでしょうか。
大きく重い今までの一眼レフの時代は終りを告げているような気がするからです。
カメラ好きの皆さんが選ぶとすれば、貴方はどのカメラを選びますか?

私は「機械式のフィルムカメラが好きだ」と言ってきましたが、あれは趣味の世界で、別ものという考えです。
もし「カメラは一台に限定して使え」という条件のもとに選ぶなら、やはりコンパクトな高性能デジカメになってしまいます。
自分の場合、一番多く写す写真は神社関連の写真で、HPか掲示板用に使うことが多く、デジカメが便利だからです。
先頃に友人宅でCONTAX T3で撮影した風景写真を見て、その描写力に驚き、ツァイスレンズに惚れこんだ訳ですが、
神社の写真が多い私の用途では単焦点レンズのT3では不満足です。
様々な使用シーンを考えると、一番使い勝手が良いのはマニュアルズームの「FUJIFILM Ⅹ10」だとの結論に至りました。
ところが残念ながら高価ですぐには買えません。2、3年経って年式が古いものから値崩れしてくれば買おうと思っています。

でもやはりZeissレンズの魅力に取憑かれているので、コンパクトで高性能なコンタックスTシリーズを早く手にしたくなります。
それで、中古カメラ店を廻り、ネットで探すなどして、大幅に値下がりしている「CONTAX Tvs2」を買うことにしました。
これは28ー56㎜ズーム「Vario-Sonnar」なので、単焦点のT3より解像・描写性能は劣ることは承知の上です。
一番の問題はF3.5ー6.5と、どうしょうもないほどF値が暗いことです。
レンズの暗さはフィルムでカバーする以外にはなく、今まで使ったことの無い「ISO400」を使おうと覚悟を決めてのことでした。

ところが、カメラを手した時点で故障を発見。幸い保証付だったので現在は修理出し中です。
修理から戻ってくるのを楽しみにしています。

●誤記訂正
前項8月22日の記事中「阿倍野王子神社」及び「阿倍野神社」の表記は間違いでした。
正しくは、それぞれ「阿倍王子神社」と「阿部野神社」でした。ここに訂正いたします。

阿倍野はるかす  投稿者:やさか  投稿日:2012年 8月22日(水)

  先日、天王寺・阿倍野界隈へ数年ぶりに行って驚きました。様相が一変しているのです。
まず一番に、近鉄阿倍野橋ターミナルに建設中の「あべのハルカス」に驚かされました。
2014年春の開業とかで、工事は急ピッチで進行しています。
完成すれば地上60階建で高さは300メートルにもなる超高層ビルが誕生することになります。
[高さ西日本一]の横断幕が掲げられていて、鉄骨はすでに高さ250メートルを軽く越えているようでした。
阿倍野筋を挟んで西側から写真を撮ろうと古いカメラを向けたのですが、とても50㎜レンズの画角には納まりませんでした。

昨今の阿倍野は大規模開発の真っ最中で、その変容ぶりは見紛うばかりです。
阿倍野筋は倍ほどにも拡幅され、その東西にあった商店や民家などは昔の面影を一変して、
近代的な都市空間に生まれ変わろうとしています。
特に阿倍野筋西側は、広大な売場面積の「あべのQ'sMALL」が大賑わいで、若い男女で溢れていました。
この辺りは、大阪の最も新しいファッシヨン・タウンとして、若者たちに注目されているようです。今やミナミには無い活気を感じます。
帰りには近くの安倍晴明神社、阿倍野王子神社、阿倍野神社に参拝しました。

●写真はいずれもNikon S2/NIKKOR-SC.5㎝ F1.4で撮影
上:あべのハルカス(工事中)
中:あべのQ'sMALL・ 4階のガーデンエリア
下:阿倍晴明神社








Re: Zeiss 投稿者:やさか 投稿日:2012年 8月15日(水)

  > Nikonではなく、Zeissのお話を。
>………

Kuboさん、書き込みありがとうございます。

Zeissといえば、先日久しぶりに元教職の友人に会って彼の家に行き、見せてもらった写真のことを思い出します。
実に驚くべき仕上がりの写真でした。4切位のサイズに紙焼されたものなのですが、素晴らしい解像力、描写力を見せつける写真でした。
シルクロードの風景なのですが、西域の荒涼たる景色が見事に表現されており、岩肌や黄土の質感まで細密に表現されていました。
誰が撮ったのか?カメラは?…と聞いてみると彼自身がコンパクトカメラで撮ったものだというのです。
天候が良かったのでまぐれで撮れたと笑った後、実はツァイス・レンズのお蔭だというのです。

彼は職業柄、生徒達の写真を撮るため、趣味としてカメラを始めたそうです。
それで先ずNikon F2を買い、レンズも一通り揃えたそうです。この趣味は実は先日まで私は知りませんでした。
その後も様々なカメラを使ったそうですが、一番気に入ったのが行きつけの写真屋に薦められて買ったCONTAX T2だったそうです。とても気にいって使っていたが盗難に逢い、同じT2を買おうにも製品が無く、また写真店の薦めで後継機のCONTAX T3を買ったと言います。
つまり、このT3で撮影したのが上記の見事な写真だった訳です。
それは実に良く撮れた写真で、45(シノゴ)のビューカメラの作品かと思える出来映えでした。
私が最近見た写真の中では、今評判のFUJIFILM-X100の作品見本に匹敵すると思えるほどのものです。
それにしても最新鋭のデジカメ単焦点レンズの実力は侮り難いですね。
ちなみにCONTAX T3も単焦点レンズでしたね。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

それにしても、Kuboさんのカメラやレンズの知識は凄いですね。
何んとなく他分野の知識も圧倒的なものをお持ちのような気がします。
また、趣味?のコレクションも桁違いのようです。
時々はこの板上でお教えください。
 

Zeiss 投稿者:Kubo 投稿日:2012年 8月14日(火)

  Nikonではなく、Zeissのお話を。
実は私はZeissが大好きである。Zeissといっても、JenaとDresdenのZeissである。世界最初のペンタプリズム搭載一眼レフ、ContaxSは大量にコレクトした。多分15台以上あるだろう。ContaxSの進化系、D、E、F、FB、FM、FBMはすべて集めた。ContaxSのSはSpiegel(鏡)の略である。さすがに400台くらいしか作られなかった、SのA型は手に入れられなかったが、B、C、D1、D2は入手できた。問題はレンズ。ZeissはTessar、Planar、Sonnarなど、レンズの歴史に名を残すレンズが多い。Tessarは中でも有名だろう、4枚構成、で、シャープ。BiotarやFlektogon、Distagon、というレンズの歴史上見逃せないのもある。特にFlektogonは25mmF4という当時かなりな広角を登場させ、最終的にはあの超傑作20mmF4、それの発展F2.8を作った。大口径のF2.8はすばらしいとしかいいようのない、平坦に写る(周辺がゆがまない)。これを見て、西ドイツはDistagon25mmF2.8を作り、これは今もZeissのカタログにある。後に21mmF2.8というものすごいレンズをつくる原動力になった。このDistagon21mmもカタログにあるはずだが、ものすごく高い。以前ヤシカがZeissと協業でレンズを作っていた時のものは2本持っているが、ものすごく周辺が落ちない。Flektogon20mmF2.8、M42マウントと共に、今もマウントアダプタで使いたいレンズである。キャノンやニコンの超広角レンズもこれらの変な形の従兄弟とかであったりする。結局今もカタログにあるということは硝体の新世代移行を除けば、レンズ設計が非常に良いということなのだ。ヨーロッパのレンズの発色を気に入らない人は多い。だが私はぼんやりした空の青さをしっかり青に再現してくれる、ヨーロッパのレンズがすきだ。Meyerも好きだが、Zeissが一番すきだ。すきなのはやめられないのだ。
 


Vintage Nikon 投稿者:やさか 投稿日:2012年 8月 3日(金)


写真は近頃愛用中のニコン三兄弟です。
向かって 左/ニコンS2,中/ニコンF,右/ニコマートFTn です。
機械式の銀塩フィルムカメラは、外観や操作感すべてが私は好きなのです。

フィルムを巻き上げて、露出を決めて、構えて、シャッターを押す。
動作の一つ一つがいい。
巻き上げレバーの感触、フィルムの擦れる音、シャッターチャージのクランク歯車音。
シャッタースピード・ダイヤルを廻す指の感触、僅かな機械音。
神経をファインダーに集中してピントの山を探す。
両脇を絞り、カメラがブレないように構えて、シャッターボタンを指の腹で押し込む。
時間と空間を切り取るシャッター音。特にこれがタマラナイですね。
シャッター音は、メーカー機種によってそれぞれ個性があります。

●Nikon S2: 絹羽二重・ゴム引き布幕フォーカルプレーン、横走。 /シャッター音は“タパッ”
 写真のS2は、いわゆる黒ダイヤルと呼ばれる後期型で、製造番号から1958年初め頃の製品と思われる。

●Nikon F: シャッターはS2に同じ布幕フォーカルプレーン、横走 。/シャッター音は“カパッ”
 写真のFは、日本光学マーク入りの極初期型。製造番号から1959年中頃の製品と思われる。

●Nikomat FTn: シャッターはチタン幕フォーカルプレーン、縦走。 /シャッター音は“カシャッ”
 写真のFTnは、1972年初め頃に新品で購入したものなので71~72年の製品。

三者三様の個性がありますが、S2は、ご存知レンジファインダー・カメラなので一眼レフではありません。
つまりクイックリターン・ミラーがないので振動が少なく、布幕シャッターなので音は特に静かで柔らかです。
ニコンのRFカメラは、Ⅰ、M、S、S2、S3、SP と進化してきました。
Ⅰ・M・S型までは、外観はコンタックスで内部機構はライカのコピーといわれてきたらしいのですが、
S2型から世界に認められる製品として成長していったようです。



日本株式会社 投稿者:やさか 投稿日:2012年 8月 2日(木)

  戦後しばらくは「日本株式会社」と各国から揶揄される程、官民一体となって殖産に励んでいました。
ところが、近年の政府は「自由化」の圧力に屈して国内産業を保護するどころかあらゆる規制を取っ払い、
外国資本の進出にに協力しているかに見えます。
売国奴的政治家や官僚、マスコミの一部がアメリカに阿り、その手先のような動きをしているようだからです。
それで、戦後に育った民族資本の優良会社も、社名は残っているものの、
その実質の支配権は外資に移ってしまっている会社も少なくないように思われます。
そして独立しているはずの日本に、未だ外国軍隊が駐留していて睨みをきかせているのです。

戦後、海外の技術を取り入れ、急速に機械製造技術が発達したように一般的に言われますが、
戦前から日本の精密機械製造技術は、世界的にも高水準だったようです。
軍事技術では、戦艦・航空機の開発製造技術は決して欧米に退けは取ってなかったと思います。
特に中島飛行機の星形12気筒エンジンは軽量で高出力、世界最高水準の技術だったと言えるでしょう。
また軍事関連技術では、双眼鏡・潜望鏡・照準器などの製造で磨いた光学技術は、
後のカメラやレンズの製造に生かされました。
日本光学などは、こうした軍事上の国策に基づいて設立されたという経緯のある会社だったのです。
当時の光学技術は、何と言ってもドイツが世界一で、レンズで有名なカール・ツアイスは距離計の特許も持ち、
その特許に抵触しないよう各国とも工夫を凝らしたといいます。
戦後そのドイツの特許が無効になったとかで、日本を含め各国ともツアイス社の技術を継承しているコンタックスやライカの模造に走ったのでした。
また日本では、戦前の飛行機製造技術が、オートバイや自動車の製造に生かされ、
またたく間に世界を席巻する名品を生む基になったようです。

さて、戦前よりの技術の蓄積で世界に冠たる優秀な工業製品を輸出してきた日本ですが、
今は高度成長期の栄光が薄れて来ています。
1971年のニクソンショック以降、[1ドル=360円]が実質廃止となり、
1985年のプラザ合意の時点で[1ドル≒250円]。さらに急激な円高が加速して、
1987年所謂ブラックマンデーで[1ドル≒150円]になり、それでも円高は止まらず、
何と今では1ドル当たり78円前後で推移しています。
このような極端な円高では、日本の製造産業は立ち行かず、日本の製造業の多くは仕方なしに
海外にその生産の拠点を移しました。
このことによって、日本の基礎的な製造技術の多くが海外に流出したと思われます。
例えば、電子機器に欠かせない部品を作る日本独自の精密金型の製作技術などです。
海外に生産拠点を移すと、秘密にしておきたい根幹技術も漏れてしまうようです。

古くは中国から、近代においては欧米から、多くの技術供与を受けたと思える日本ですが、
今は技術立国の日本、輸出に依存した産業構造の日本ですので、
このまま円高が続き、虎の子の技術がそのまま盗み取られては、それこそ日本は沈没してしまいます。
とは言え、技術はいずれ真似られるもの、伝わるもの、いえ、伝えるべきものかも知れません。
独自の技術が保持できなくなった今、少なくとも日本の伝統的な精神性だけは護っていきたいものです。
そうすることによって、また新たな技術がこの日本に自然と生れてくるように思うからです。

戦後60有余年 投稿者:やさか 投稿日:2012年 8月 1日(水)

  戦後67年目の夏を迎えました。
1952年にサンフランシスコ講和条約が発効して、60年を経過したことになります。
焼跡から出発した日本経済は、世界中が驚くほどの復興を遂げましたが、
1985年の「プラザ合意」により、極端な円高誘導を仕組まれました。
それによって日本経済は昭和から平成の時代に入ると下降線をたどりはじめ、
円高による貿易の不利を回避するため、挙って海外進出を企てた製造業界は、国内空洞化現象を生み、
“Japan as Number One”とまでいわれた日本経済は、今や青息吐息の状態です。
加えて、東北大地震による大津波災害や原発事故がありました。
さらに、台風や集中豪雨による自然災害が各地を襲っています。
また近隣国から、我が国領土への侵略危機も具体的な兆候を見せはじめています。

このように近年日本には様々な災害が降り掛かって来ています。
一周干支・60年は、昔から一つの区切りですが、大戦後、日本の神々や英霊達によって、改めて列島に築き廻らされていた結界が、
戦後60年を過ぎた今、ここに来て綻びはじめているような気がするのです。
それで、まだまだ日本には、様々な災害や苦難が襲いかかるような気がしてなりません。
このように日本を取り囲んでいた霊的バリアーが崩れはじめたのは、如何なる事に起因しているのでしょうか?
それは、「大和ごころ」を忘れた日本人があまりにも多くなってきたことが原因ではないでしょうか?
和を尊ぶ日本人、人を思いやる日本人、礼儀正しい日本人、勤勉な日本人は、いつたい何処へ行ってしまったのでしょう。
大和ごころを持つ日本人が少なくなってきたことは、日本が弱くなってきたことと決して無縁ではないと思います。
揺るぎはじめた日本を立て直すには、まず日本人としての矜持を正すことからはじめなければならないと思うものです。

Re: 預言歌 部分訂正 投稿者:やさか 投稿日:2012年 7月19日(木)

  前文の歌詞、間違いに気付きました。以下のように訂正させていただきます。
>
× 海狂うて叫び 風鳴いて走り 夏の空に火の花を咲かすとき
○ 海狂うて叫び 風鳴いて走り 稲妻空に火の花を咲かすとき

ツタンカーメン預言歌/星よ星よ七つ星よ 投稿者:やさか 投稿日:2012年7月18日(水)

  前にもこの掲示板に書きましたが、夏になると私は次の歌が大変気になります。

それは平成9(1997)年11月のある日のことでした。
「異常現象によるあらゆる災害は、世界に先がけて日本に現われるだろう」
「富士山がすべり、高さも半分になるようなことが近年起こる」と山内光雲師は言い、
不思議な声音と、信じられないほどの圧倒的な声量で次の歌を謡った。

――――――――――――――――――――――――――――――――――
ツタンヤ ツタンヤ ツタン ヤヤヤヤ ヤオー
オオオオオオオー

七つの星が北に起こり 七つの星が八つになるときに
地が揺れまわり 地が揺れ海持ち上がって 山越えるとき
大和の国に大いなる船 空より降りて
助くる日そこにあれば山すべて動き
汚れたる大地を をーーーーーー オーーー
清める波来て 山をむしり 崖を落とし 地の底にーー
悪しき土塊(つちくれ)を その割れたる赤き土の火の間に投げ込む
海狂うて叫び 風鳴いて走り 夏の空に火の花を咲かすとき
冨士山(ふじやま)動き その日がその周りの町 全て海の底に入るとき
神 初めて雲に乗りて降りてくる その時もはや
悪しき魂の人皆 消えて消えて消えて消えて消えて 収まる地

地こそ神の降り来る清らかな地になれば 二度と汚すこと許されじ
山に登れ 苦しき人よ手あげて船に乗れば
愛しき男 優しき女 賢き子供たち 全て五億の数に有れば
うれしい嬉しの国 その新しき国そのままの 形ある国に連れられて
良き思い 清らかな魂と 健やかなる身体仕上げて
神の国に降りる日 神様と共に働きを待つ

日暮れて 暗き闇有れば 星七つ空に舞いて 舞い舞いて散る
闇の夜 無くばよし 昼の昼の時の続く新しき地の上の
神の国こそ此の地に現れる日近し
うれしやな 大和に平和また再び来たれば
桜 桜 桜の花が咲き
白き衣 全ての傷跡に覆いたれば嬉しい
ヤン ヤン ヤン  ヤヤヤヤヤン ヤン
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

この歌は山内光雲師をして「神が私の声帯を使って預言した」と語りました。
師によれば、「曲が聞こえ、勝手に口が動き、歌いだす感じ」と言いました。
そして“歌は予言”と言い、それは大抵韻律を伴って伝えられるというのです。
光雲師によれば、その大災害がはじまるのは平成11(1999)年7月23日からと明言していました。
そしてその日が近づいてくると、
「日本が大災害を被るのは避け得ないが先延ばししてくれている」と言い、何事もなく当日が過ぎて行きました。
そして3年を経て平成14年になった時、
「いよいよ第一次の地球変動が7月23日からはじまることになった」
「それで天上界へ、もう10年先延ばしにしてもらえるよう掛け合いに行く。これはひかりの神の召命だ」
…と言って昇天しました。
それから10年、この平成24年7月23日がその期限となります。

光雲師に聞いた第一次の災害とは、富士山の崩落のようです。
そのため大量の土砂が一気に斜面を駆け下り、田畑や民家、建物や車両など全てを駿河湾、相模湾まで押し流すそうです。
東海道新幹線、東名高速道路が分断され、日本の首都機能は麻痺しそうです。
もし、このようなことが現実に起これば、日本の損害は天文学的な数字になることは間違いないでしょう。
あの美しい富士は見る影も無く、高さも半分になるといいます。

このような大災害が起こることの無いよう今は祈るばかりです。
でも、備えあれば憂いなし「荒唐無稽の話し」と片付けず、政府はあらゆる災害を想定して、シミュレーションし、
災害を最低限に留められるよう、あらかじめ出来うる限りの対策はとっておくべきと思います。
個人はこのような大災害には手の打ちようがないほど無力ですが、心構えだけでもいるのではないでしょうか。
(平成23年6月15日付「やさか掲示板」関連記事)

南朝行在所 投稿者:やさか 投稿日:2012年 7月17日(火)

  Nikon S2, Nikon F に続き Nikomat FT2の試写を兼ねて
天野山金剛寺に行きました。

使用フィルムは、Kodak GOLD 100 レンズはNIKKOR43-86㎜ F3.5
天候は晴天、シャッター1/125秒、絞りはf8 及びf11
露出計は使わないので現像してからしか判らないのですが、
3枚とも露出がオーバー気味ですね。特に1枚目が過剰のようです。

●被写体は、天野山金剛寺境内「南朝行在所」と諸建築。
案内看板には次のように墨書されていました。
――――――――――――――――――――――――――――――
重要文化財 南朝行在所
拝観日・日曜と祝日
平日でも前もって電話で申し込まれた方は拝観していただきます。
電話(0721)52-5832
――――――――――――――――――――――――――――――




衝動買い 投稿者:やさか 投稿日:2012年 7月15日(日)


  カメラのキタムラ中古品コーナーで、陳列ケースの中に見付けました。
/Nikomat FT2 \2,980 レンズ無し/露出計不良、モルト劣化

店員さんに出してもらって触ってみました。裏ブタに汚れが少しある位で私には良品に見えます。
展示品の中古レンズを仮に付けてもらって覗いてみました。
「このままでは写せません。まずモルトを取り換えないと光が入るかも知れません。露出計は故障しています」
それに、ファインダーにホコリが入っていますし製品の保証はできないと店員は言うのです。
なるほど内蔵の露出計は動きません。そしてファインダーにはホコリが見られます。でも機械自体が中も外も美しいのです。

触ると欲しくなってしまいます。買って帰りました。
自分は普通の撮影では露出計を使わなくても写せるので、故障していてもいいと思ったからでした。
これが昔の機械式カメラの良いところです。主要な部分は殆ど故障しないし、電池がなくてもとにかく写るのですから。

ファインダーのホコリは家で空気を吹き付けると全て取れました。
結果的には、専門店にモルトの張り替えだけを依頼しました。¥3,500ほど
中古Nikon純正ストラップをネットで買いました。送料・手数料共¥2,500ほど
カメラ本体¥2,980を加えると、何と1万円(但しレンズ別)で昭和50年の一眼レフが手に入ったのです。
今機械式の銀塩フィルムカメラが安くなっています。
往年の名品を格安で手に入れて楽しみたいと思っています。

●写真:最近入手したNikomat FT2


飼猫物語 投稿者:やさか 投稿日:2012年 7月 8日(日)

  写真は、隣家の塀にいつも遊びに来る二匹のネコですが母子のようです。
この右側の黒っぽい親ネコを見ると、子供の頃吉野で飼ってた「エクちゃん」をいつも思い出します。

「エク」は、今でも姉弟が集まったときに話題に出る程の特別な猫でした。
私とたしか同い年位で、狩りが上手なとても賢い雌ネコでした。
よくネズミを捕って来ては家の誰かに見せ、その後きれいに丸ごと食べてしまうのです。
ネズミ捕りが上手で近所でも評判になっていました。
ある時、噂を聞きつけた隣村の人が、ネズミが増えて困っているので
しばらく貸してくれないかという話しがあり、家に来て連れて帰ってしまいました。

4・5ヶ月後、見事に役目を終えたというので姉が自転車で迎えに行きました。
ところが、帰ってきて姉が言うには、
「自転車の後ろの荷台に、籠に入れて乗せて帰ったん。せやけどじきに籠から逃げよった。どこへ行ったかわかれへん。しゃないさかいそのまま帰ってきたんや」と言いました。
皆んなは、普通は向こうの家に戻るはずと期待していたのですが、とうとうどちらにも戻りませんでした。
………それから半年後、毛は抜け汚れヨレヨレになった一匹のノラ猫が家に来ました。
やせ細って見る影も無く、みすぼらしい猫でしたが、よく見ると何とそれがエクちゃんだったのです。
迎えに失敗して以来落ち込んでいた姉が大喜びしたのは言うまでもありません。
この話しは、エクちゃんを特に可愛がっていた母と姉から後で聞いたもので、このことは私は知らなかったことでした。
名前が何故「エク」なのか聞かずじまいでしたが、まだ幼かった姉が名付けたのかも知れません。
その頃は、両親と年の離れた姉二人に、私と妹の六人家族でしたが、
エクちゃんを一番可愛がっていたのは、私より八歳年長の長女でした。
エクちゃんの話はまだ続きます。

一年ぶりに我が家に戻って来たエクちゃんは元気になり、前通りよくネズミを採り、毎年多くの子を産みました。
それでも仔猫は残ることなく、それぞれすべて喜んで貰われて行きました。
それからもネズミ捕りの上手なネコとして何年も過ごしました。
私の家は農家で犬も飼っていました。ほかには牛とヤギ、ニワトリが何羽かいました。
その頃私はネコが好きではなく、あるとき妹をそそのかして一緒に母親に言いました。
「猫化けが恐いさかいエクちゃんを捨(ほ)ってしもてヨ」
その時エクちゃんは11歳になっていたと思います。
母親は「そんなことでけへんッ!」怒って聞きませんでした。
別の日にも「エクちゃんが手で水屋の戸を開けてたで。もう化け猫になるで。早よほってんか」
また妹と二人で母親に言いました。母親はひどく私を叱りました。
…数日後、エクちゃんの姿が見えなくなりました。
母と姉はそこら中探し回りました。やはり何処にも見つかりませんでした。
姉は隣の家の人に「きのう、うちの畑の藁積みの上でポツンとすわってるの見たで」とだけ聞いたそうです。
それっきりでした。

エクちゃんは写真のような黒っぽい毛色のネコでしたので見るたびに想い出されます。

雨の吉野山 投稿者:やさか 投稿日:2012年 7月 6日(金)

  先日の日曜日に小雨が降る中、大阪から吉野へ向かいました。
先ず吉野神宮に参拝すること、中古カメラのテスト撮影、そして「嘉兵衛番茶」を買うことが目的でした。
吉野神宮に参拝した頃から雨足は猛烈になって、傘をさしていてもズブ濡れになるほどでした。
仕方なく下千本駐車場の休憩場で小雨になるのを待ち、改めてテスト撮影。
そして今回の目的の一つ 番茶を買って帰路につきました。

●写真(上):吉野神宮境内の紫陽花(※クリック大)
[使用カメラ]Nikon F、[使用レンズ]NIKKOR 50㎜ F2、[使用フィルム]Kodak GOLD iso100
[露出データ]シャッター1/60秒、絞りf4 (雨天)

●写真(下):霧が立ち上る下千本(※クリック大)
[使用カメラ・レンズ・フィルム]上に同じ
[露出データ]シャッター1/30秒、絞りf5.6 (雨天)

●7月3日付掲示板写真「西吉野町湯川」の上下2枚
[使用カメラ]Nikon S2、[使用レンズ]NIKKOR-S・C 5㎝ F1.4、[使用フィルム]同上 iso100
[露出データ]シャッター1/125秒、絞りf8 (晴天) 

ヴィンテージ・カメラ 投稿者:やさか  投稿日:2012年 7月 5日(木)

  オートバイは昔から好きですが、カメラも大好きです。
若い頃に人気があった一眼レフカメラと言えば、ニコン、ペンタックス、キャノン、ミノルタだったと思います。
私が初めて手にした本格一眼レフカメラは「ニコン・フォトミックFTn」という機種でした。
それはプロ写真家が好んで使う高級品だったのですが、新品同様の中古を先輩から格安で譲ってもらったものでした。
続いて2台目もニコマートを買うなど、ずっとニコン製品を使っていました。

あまりカメラを使うことが無くなって20数年経ちました。
そして最近ヴィンテージ・カメラに興味を持ちはじめたのです。
それで手元のカメラやレンズをオーバーホールに出しました。
時々持ち出して使ってみると昔の機械式銀塩フィルムカメラは、最近のデジカメにはない味があります。
更にネット上のオークションや、中古カメラ店を覗いてまわるようになりました。
最近ほとんどの人達はデジカメに移行し、フィルムカメラを使わないようになった為、
ヴィンテージと言っても大幅に値崩れしているようです。

●写真(上): Nikon S2 /昭和30年のレンジファインダー・カメラ
●写真(下): Nikon F   /昭和34年の一眼レフ・カメラ




西吉野町湯川 投稿者:やさか  投稿日:2012年 7月 3日(火)

  西吉野町湯川に行きました。
湯川の地名伝説につきましては『西吉野村史』に、大和の伝説として次のように紹介されています。
「昔このちに湯が湧き、湯川の地名が起こった。現在も小字に湯壺という所がある(湯壺は今赤松領だが昔は湯川領だった)ところがある時、馬のわらじを洗ってから湧出が止まり、その湯は有馬にとんでしまったと伝えている」
旧吉野郡古田荘12ヶ村の一「湯川村」は、この地の総氏神・波宝神社の宮座を務める湯川・赤松・百谷・平沼田4ヶ村の一つで、四年に一度交代で宮座がまわってきます。
同村史によりますと、中でも湯川村は“宮本”といって特権を持っていて、「[神蔵大明神 湯川宮本]と墨書された旗が向い辻に立たぬとお渡りができぬ」
…というようなことが記されています。
ちなみにの田村吉永( 文学博士/1893-1977)は、この湯川の出身。

●写真は、村内にひっそりと佇む神社。社名はどこにも無く、通りかかりの地元の人に聞くと「ハチマンさん」というのだが、後で調べた村史には記載なし
●次の写真は蔵王堂。村史には以下のようにある。―――――――――――――――
大堀にある。湯川との堺の辺。白銀小中学校から数百メートルのところ。
吉野蔵王権現のひながたといわれるが、いかにもとうなずかれる見事な堂である。立地もよい処が選ばれている。
境内に古松聳え風致頗る佳。堂は方三間、重層、入母屋造、機瓦葺。周囲に縁をめぐらし、上層には勾蘭がある。
総円柱、組物は下層大斗肘木(花肘木)上層は出組(一斗)。軒はまばら棰を打つ。
内部は正面と左右三方を畳敷きとし、中央は拭板敷で奥に仏壇を設け厨子を造る。
本尊 蔵王権現像、右手に三舒、左手に刀印を結んで腰に当て、片足をあげてろっぽうを踏むような形に造られる。
怒髪天をつき大きく口を開き眼を怒らす憤怒の形相ものすごく、なかなか結構な作と拝せられる。