やさか掲示板

過去ログ12 [650]〜[601]


[625] 一燈照隅 萬燈遍照 投稿者:やさか 投稿日:2010/08/18(Wed)
内外の状況を深思しよう
このまゝで往けば 日本は自滅する外はない
我々はこれをどうすることも出来ないか
我々が何とかする外はないのである
我々は日本を易えることが出来る
暗黒を嘆くより一燈を点けよう
我々は先ず周囲の暗を照らす一燈になろう
微かなりとも一隅を照そう
手のとどく限り 到る処に燈明を供えよう
一人一燈なれば 萬人萬燈である
日本は忽ち明るくなる
是れ我々の一燈照隅行 即 萬燈遍照行である
互いに真剣にこの世直し行を励もうではないか

『安岡正篤 瓠堂語録集』/関西師友協会発行 信條集より

[624] 夏の終り 投稿者:やさか 投稿日:2010/08/06(Fri)
65年前の今日8月6日は、人類史上初めて原爆が投下された日である。
広島に1,945年8月6日午前8時15分。
続いて3日後の8月9日午前11時2分、長崎に2個目の原爆が投下される。
同8月10日、ポツダム宣言を受諾。同8月15日敗戦をむかえる。

そして何回も夏は巡り、もうすぐ65回目の終戦記念日がやってくる。、
昭和20年8月15日は、日本が対外戦争で初めて敗れた日とされている。
ところが歴史を俯瞰すると、日本の国にとって実質的な敗戦は過去に三度あると考えられる。

第一回目の敗戦は1,854年3月、ペリ−が来航して開港をせまられ、いわゆる不平等条約を締結させられた時。
第二回目の敗戦は1,945年8月、言わずと知れた太平洋戦争での無条件降伏である。
第三回目の敗戦は1,985年9月、G5によるプラザ合意を受け入れさせられたとき。
この三度目の敗戦が日本にとって、経済的な意味だけでいえば実質的に最も大きい損失を被った敗北だったかも知れない。
まずこれによってアメリカにあった膨大な日本のドル建て債権は半減させられただけでなく、深刻な影響を経済界に与えた。
為替レートの極端な円高、低金利政策等によるバブル経済の始まりである。
終戦後の日本経済は、20年で奇跡の復興を遂げたが、
プラザ合意後から始まったバブル経済とその破綻をきっかけとするいわゆる平成不況は、
日本経済に大きな影を落とし、20年以上経った今もその暗いトンネルから抜けきれずに喘いでいる。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

今も手を変え品を変えて、日本の権益が浸食され、富が収奪され続けています。
ではこの苦境をどうすればいいのでしょう?

個人はあまりにも無力です。
できるのは、水を大切にしたり、つましい生活を心がけたり、
ささやかなメッセージをネット上に発信する位しかできません。
でも、まったく希望が無いわけではありません。
ひとりひとりが現状に気付き、覚醒すれば、日本は大きく変わる可能性があります。
日本が先に変わって行けば世界もかわります。
「百匹目の猿現象」に期待したいと思います。

[623] 中国の冗句 投稿者:やさか 投稿日:2010/08/05(Thu)
「今、世界に傾いている(とう)が四つあります。さて何でしょう?」
玄奘三蔵に所縁の中国陝西省大慈恩寺・大雁塔で、中国人の観光案内係が日本人観光客に、このような謎謎を出しました。

その答えとして、「ピサの斜塔」、「中国の大雁塔」、…この二つまではわかるのですが、あとの二つが分からない。

中国人ガイド嬢は流暢な日本語で、得意そうに言った。
「あとの二つは、中国共産党と日本の自民党ですッ」
これに日本人観光客はどっと笑った。

[622] 森を守れ、水を護れ! 投稿者:やさか 投稿日:2010/08/04(Wed)
日本の森が狙われています。
外資が虎視眈々と日本の森林をねらっているようです。

それは、大切なな水資源を今の内に確保しておこうとの国家的戦略によるものだと思われます。
世界中で水不足が大きな問題になりつつあります。特に中国の水不足は深刻なようです。
近い将来、水資源をめぐってその権利を奪い合う争乱も予想できます。
日本は、世界中が羨むほど豊かな緑と水に恵まれた国です。
石油やレアメタルなどの資源は、もちろん喉から手が出るほど欲しい重要な資源ですが、
それより、直接人の命にかかわる水の方が、最も貴重な資源と言えると思います。
日本には、この水が今のところふんだんにあり、それも世界一美しくおいしい水だといっても間違いではないでしょう。

ところが、この大切な森林が世界中から狙われているようなのです。
木材価格の低迷で経営が立ち行かなくなった山林を、1ヘクタールあたり20〜30万円というような価格で、
広大な面積の森を何者かが買い集めているらしい。(1ヘクタールは約1町歩。1町歩=3000坪)
ブローカーが暗躍し、日本人社長名のダミー会社や、株主の背景がよく判らないような会社が取得しているため、
実際の所有者は良く判らないのが現状だといいます。
報道によりますと、東京のコンピュータソフト開発会社が、平成18年だけで4,300ヘクタールもの森林を取得したそうです。
これは国家の安全保障の上からも重要な問題だと思います。
森林は水源地でもあります。広大な森林の売買には厳格な法規制をかけるべきだと思われます。

[621] Re[619]: 対馬の山 投稿者:やさか 投稿日:2010/08/03(Tue)
神奈備さん、こんにちは。
書き込みありがとうございます。

>  …水資源の問題に加えて、国境であること、領土こねらっていることは特に気をつけたいものです。

全く同感です。
日本の様々な分野が浸蝕されているにもかかわらず、この国の多くの人達は未だに平和呆けしているのでしょうか。
ゴールデンタイムにテレビをつけると、
相変わらずTV番組の多くは低俗な番組を垂れ流し、出演者は髪をブロンドに染め、雛壇に座って媚びへつらっています。
いやになってチャンネルを切り替えると、ピントの外れたような政治家の迷走が撮されるている。
さらに番組を変えると、ニュースでは悲惨な報道が飛びこんできます。
日本人の美徳は何処にいったのでしょう。
あとは神仏にすがるしかないのでしょうか。

[620] Re[617]: 丹生の川上 訂正 投稿者:やさか 投稿日:2010/08/03(Tue)
[617]: 丹生の川上は、7月31日に掲出したものを部分訂正して本日再掲しました。
そのため[617]と[618]は、共に投稿日が繰り下がっています。

[619] 対馬の山 投稿者:神奈備 投稿日:2010/08/03(Tue)
 一部の韓国人は対馬を自国の領土だと言っているようです。
 前に対馬に行った時、観光地をぞろぞろ歩く韓国人観光客の姿が目立ちました。日本の神社境内の奥にまで入り込んでいる連中もいました。
 韓国人は対馬の聖山に登ったり、また山地を買いあさっているようです。
 心ある地主さんは売らないと頑張っているようです。水資源の問題に加えて、国境であること、領土こねらっていることは特に気をつけたいものです。

[618] 最近読み直した本 投稿者:やさか 投稿日:2010/08/03(Tue)
以下は、私が最近読み直した本です。
その読後の感想を、独断と偏見でメモとして残しておきます。
―――――――――――――――――――――――――

『丹生の研究』松田壽男著
最初に読んだのは十数年前。今読み直しても色褪せしていない鮮やかな朱である。丹の研究には必読の書と思う。
後の研究者のほとんどが松田氏論をベースにして、自論を展開しているようだ。
問題は、各地の神社境内でどのようなサンプルを採取できたかにつきる。
つまり、選び取れたその土次第で、水銀濃度の分析値は何十倍も違うと思われる。
余談だが子供の頃、おとな達が農道の拡幅工事をしていた時、墓穴を掘っていた時、目の覚めるような鮮やかな赤色の土を見たことがある。また近年でも大水が山間の道路に水流をつくり、道が抉り取られて多くの水銀鉱石が剥き出しになっているのを見たことがある。そこは地道だったからである。残念ながら次に行った時にはコンクリート舗装されてしまっていた。
この私が見た例の地域は、松田博士が見向きもしなかったところである。
採取してきたサンプルでの水銀濃度比較はナンセンスとも言える。サンプル次第。

『朱の考古学』市毛勲著
“日本古代朱の史的研究” とサブタイトルにあるように、古代朱について網羅されており、緻密に研究された労作だと思う。

『古代の朱』松田壽男著
この本は上記、丹生の研究のダイジェスト版。これで十分。

『開創已然の高野山』中田法壽著
この本は面白い本である。 二度繰り返して読んで行間から感じられるものがあった。読み方次第。
歴史本というより民俗学系。

『大和誕生と水銀』田中八郎著
この本は自らを土蜘蛛の末裔とした語り口が面白い。間違った記述を散見するがよくまとめていると思う。
やはり松田先生の著書をベースにしているようだ。

『黄金と百足』若尾五男著
この本も民俗学系。各地の伝説から鉱山にまつわる神々や習俗を興味深くとらえていると思う。

[617] 丹生の川上 投稿者:やさか 投稿日:2010/08/03(Tue)
丹生大明神は水光姫神だったのでしょうか。金精明神だったのでしょうか。
それともやはり丹生都比売神だったのでしょうか?
私は、天武朝以降の丹生川上神社の祭神は、下社の祭神と同様の水神であったと思うのです。
天武天皇の政策による水の神の創建というのを信じたいと思います。

それより、現在の丹生川上神社が三社に分かれてしまっていることの方が私は気になります。
いきさつには触れないでおきます。
何とか本来のあるべき姿に戻せないものでしょうか。
三社の内の二社が昔からの神社名と違う訳ですが、これでは御祭神も居心地が悪いのではないでしょうか。
いや、そのことで未だに御神霊は彷徨っておられるかも知れません。
社名を変えた当時、村の氏子さんたちも、社名を代えることには戸惑いがあったはずです。 
心ある氏子さんは、実際元の姿に戻してほしいと思っているに相違ありません。

丹生川上神社の三社問題は、大切な問題だと思います
天武天皇が創建したと伝わる丹生川上神社が、川筋が違う、場所もちがうところに三社もある訳はありません。
ボタンの掛け違いは直さないといけないでしょう。ひとつ違えばみんな違うことになるからです。
古来より父祖代々崇敬してきた神社が、仮に現在の社名と違うとしたら残念というほかありません。
また心の問題でもあると思うのです。
できるだけ早く精査しなおして、正しい裁定を待ち望むものです。

[616] Re[615]: 訂正 投稿者:やさか 投稿日:2010/07/31(Sat)
了解しました。
私も何かほっとした気持ちです。

ありがとうございました。

[615] 訂正 投稿者:かまど 投稿日:2010/07/31(Sat)
>ですから先ほどカキコした部分については何も書いてません。

すいませんこれは、「ですから先ほどカキコした部分以外については何も書いてません。」の間違いです。
m(_ _)m

http://kamado.blog.ocn.ne.jp/niu/


[614] 無題 投稿者:かまど 投稿日:2010/07/31(Sat)
私も見解が違ってもいいと思っています。ですから先ほどカキコした部分については何も書いてません。
 
先ほどカキコしたのは、私が間違ったカキコをして、やさか様がそれによって間違った解釈をしてしまったらと思った次第です。ですからほっとしました。
 

http://kamado.blog.ocn.ne.jp/niu/


[613] 丹生についてのメモ(5) 投稿者:やさか 投稿日:2010/07/30(Fri)
[丹生川上神社とは]

丹生川上神社下社の祭神は「丹生大明神」とも呼ばれていたようだ。
では、丹生大明神とはどのような神なのだろう。
もう十年以上も前のことになるが、下社の前宮司から、
「丹生大明神というのは、丹生都比売神のことである」聞いたような記憶がある。
古代より吉野丹生族が祀っていた神には「水光姫神」がいるが、これは吉野丹生の主族、井光が祭る女神である。
『新撰姓氏録』では「吉野連が祀るところの神」となっている。この神は「水」の字が入っているが、水の神ではなく採鉱の神といわれている。
他にも吉野の山王神とも言える「金精明神」もいるが、これは金峰山寺の守護神でもある。いずれも金属神だ。

ところが、現在の丹生川上神社は、
上社:高?神(タカオカミ)
中社:罔象女神(ミヅハノメ) 
下社:闇?神(クラオカミ)
 …といずれも龍蛇神で水の神でもある。

では実際のところ、丹生川上神社の祭神は金属神なのか水の神なのか?どちらが正しいのだろう。
ここで前出の松田壽男の「ニウヅヒメのヤマト系変化説」を思い出す。
つまり、採鉱・精錬などの金属神が時流にあわせて祭神の性格を変遷させていく説である。
社伝によると、丹生川上神社は天武天皇により白鳳四年(648?)に創建されたと伝わる。
つまり、この地にあった丹生族の神社を、新たに水神の神社として創り直したとも考えられるのだがどうだろう。
丹生川上神社は、各地にあるにある丹生神社とは違うのである。また、丹生都比売神社でもない。
丹生川上神社は、農耕それも特に水稲栽培を推進させようとする天武政権の政策に基づいた別格の神社といえよう。

[612] 丹生についてのメモ(4) 投稿者:やさか 投稿日:2010/07/30(Fri)
[吉野・丹生族とは]

古代の吉野には、丹生という地名があり、丹生川があり、丹生社もあって、所謂丹生族が居住していたが、丹生氏などというような氏族はいなかった。
吉野の首長は吉野氏である。この吉野氏には二流ある。

吉野眞人:これは敏達天皇の孫の出自で百済王にも繋がる王族。『新撰姓氏録』では左京皇別16番目に記載あり。
       吉野の支配者で、同族の吉野連に吉野丹生族を支配させた。天武天皇の側近でもあった。

吉野連  :『新撰姓氏録』には大和国神別地祇に記載あり。「加彌比加尼之後也」とみえる。
       実質の吉野丹生族の支配者。水光姫を奉祭した。
      『続日本紀』によれば、吉野連の一族には吉野連久治良、
     『続日本後紀』では、吉野連豊益、吉野連直雄がいたことがわかる。豊益は外従五位下の官位で吉野郡大領であった。

では、天武朝以降、天皇の名のもとに全国各地の丹生族を統轄したのはどのような人物だったのだろう。
あくまでもこれは推定だが、職掌からみてそれは、息長丹生眞人ではなかったか。
『新撰姓氏録』右京皇別の二番目にに記載されている人物である。
最上位左京皇別筆頭、息長眞人と同祖なので地位に不足はない。
その支配下には丹生部だけでなく、土師部・壬生部・丹治比部・埴生部などをも差配していたのではないかと思われるのである。
丹生を統べていたのは息長氏だったと私はみている。

[611] Re[610]: Re[609]: 丹生についてのメモ(3) 投稿者:やさか 投稿日:2010/07/30(Fri)
かまどさん、こんにちは。

誤解ではありません。中田法壽氏と同様に、区別して稚日女には「尊」の尊称を、
丹生都比売には「命」の尊称を、私が意識して付けたのです。
ここでの論旨は、「姉妹関係ではない(と思う)」と言いたかったのです。

歴史観は人によって違いがあります。
また、同じ本を読んでも咀嚼の仕方によって受け取り方に違いが出ることはあると思います。
私は私なりに古文献を読み、先賢・先達・先輩方の著作を参考にさせていただいて、
それをふまえて私見を述べています。
意見の違いがあっても諒解願いたいと思います。

[610] Re[609]: 丹生についてのメモ(3) 投稿者:かまど 投稿日:2010/07/30(Fri)
こんにちは。

> ところで、この丹生都比売はどのような神なのだろう。
> 「神武天皇が丹生の川上にのぼって天神地祇を祀られた際、稚日女尊は丹生都比売命と名を変えられて祀られた。故に丹生都比売命は稚日女尊と同神なので天照大神の妹神である」
> …というような説?もあるようだが、それは違う。
> そのような記述は『記』『紀』に無い。
> 稚日女尊は天照大神の妹神かも知れないが、丹生都比売命は天照大神の妹神ではない。(と思う)
> 「尊」と「命」は尊貴さが違うからである。しかしながら地祇から天神に格上げされた可能性はあるだろう。
 
 
私が今まで間違ってカキコして誤解を生じていたらいけないので、ちょっとだけ書かせて戴きますね。誤解でなければ全く問題ないです。
 
「稚日女尊は丹生都比売命と名を変えられて祀られた。」これは神武天皇が変えたのではなく、一族が変えた話なので記紀に出るような話ではないです。私の書き方だと神武天皇が変えた様に取れましたかね。(^^;)
 
それと、私どこかで丹生都比売命と「命」を使ってましたかね。うちの古文書をざっと見ましたが「丹生津姫尊」はあっても「丹生都比売命」の記載はありません。ただ、後世中田法寿氏の本では、うちの古文書の引用部分は「丹生津姫尊」と書きながらも、引用でない部分は「丹生津姫命」となぜか「命」を使っています。うちの古文書が全て正しいと言う訳ではないですし、もしかしたら奈良では丹生都姫様は「命」になってるところもあるかも知れませんしね。ちなみに爾保津姫は「命」ですね。
もし、私が以前間違ったカキコをして、それを参考にされていたら申し訳ないのでこの場をお借りして訂正させて戴きたく宜しくお願いします。

http://kamado.blog.ocn.ne.jp/niu/


[609] 丹生についてのメモ(3) 投稿者:やさか 投稿日:2010/07/30(Fri)
[丹生都比売とは]

ニウツヒメ神は、丹生都比売・丹生津姫・丹生津媛・爾保都比売というように漢字表記されている。
しかし、この神名を音で写すなら 「爾保都比売」が一番近いようにおもわれる。
と言うのは、「丹」には「に」の音が無いからである。
丹は漢音呉音ともに/tan/或いは/dan/で、語頭の子音に「n」音は無い。
丹生都比売と爾保都比売が、もし別神だとすれば、
厳密に音写するなら、「爾布都比売」とでも表記しなければならない。
「都」と「津」の用字は、漢音呉音ともに「つ」の音があるので、どちらでも差支えはないだろう。

ところで、この丹生都比売はどのような神なのだろう。
「神武天皇が丹生の川上にのぼって天神地祇を祀られた際、稚日女尊は丹生都比売命と名を変えられて祀られた。故に丹生都比売命は稚日女尊と同神なので天照大神の妹神である」
…というような説?もあるようだが、それは違う。
そのような記述は『記』『紀』に無い。
稚日女尊は天照大神の妹神かも知れないが、丹生都比売命は天照大神の妹神ではない。(と思う)
「尊」と「命」は尊貴さが違うからである。しかしながら地祇から天神に格上げされた可能性はあるだろう。

この丹生都比売神は、丹生族が斎祀った神なので「丹生の神」、つまり本来は採鉱や精錬の神であったと考えられる。
しかし、国人の生産活動の中心が稲作に移行するに伴い、人々の要求に基づいて祭神の性格さえ変容してきたという。
松田壽男の 「ニウヅヒメの大和系変化説」である。
氏は、「もともとの水がね姫祭祀を失って…ニウヅヒメからミズハノメへ、そしてオカミ信仰へと変遷した」 というのだ。
時の政権が農耕、特に水稲栽培を奨励したからでもあろう。
大和国中(くんなか)や吉野の神社をみてみると、この説は大いに首肯できる。
祭神も時代の要請で変遷して行き、後の時代では、丹生都比売神は水の神や農耕・稲穂の神、
はては織物の神だと云われても否定できない道理である。

松田壽男著『丹生の研究』p.115には、次のように記されている。―以下引用―
「彼らはニウヅヒメノの機能を農耕に求めてしまった。しかも後代には、それに一層の尾ヒレをつけて、農耕殖産産業の神と宣伝して、この女神を時流に乗せようとしたのである。実をいえば、古代の鉱業神であったニウヅヒメの影が薄れた原因は、農耕の全面的な発達にある。それにもかかわらず、丹生氏はその農耕をニウヅヒメに附会して、その祖神を曲解させてしまった。丹生氏は自らの手で祖神を葬ったといえるであろう」―

[608] 丹生についてのメモ(2) 投稿者:やさか 投稿日:2010/07/29(Thu)
[丹生氏]とは

古代に「丹生」という苗字/名字、氏名(うじな)は無かった。(と思う)
文献における丹生氏の初出は、太田亮氏の『姓氏家系大事典』によれば、
「至徳元年(1384)四月の[大和武士交名]に丹生氏見ゆ」とあり、これが初出かと思うのだがどうだろうか。
他には南北朝時代の初め頃、名和長年の軍に属して活躍した丹生義範の名がみえるが、これも1330年代と判断できる。
つまり丹生氏という氏族は、さほど古い氏族名ではないと思える。

…と言うと、疑問を持つ向きもあろう。また反論もあると予想できる。

――『新撰姓氏録』に“息長丹生眞人”という人物が記載されているではないか?
――『万葉集』に“丹生王”“丹生女王”の歌が載せられているではないか?
    というような質問が有りそうである。

前者について言えば、なるほど『新撰姓氏録』は815年の完成であるので、それ以前にこの人物は実在したことになるが、息長丹生眞人は丹生氏ではなく息長氏である。
何故そういえるのかと言えば、

息長:氏族名、
丹生:職掌(この場合は丹生部を統括する意か)
真人:姓(かばね)の一、684年制定の八色姓の第一位
    …と以上のように分けて考えられるからだ。

後者について言えば、なるほど『万葉集』巻三、巻四に丹生王(にふのおおきみ)のつくれる歌一首、丹生女王(にふのおおきみ)太宰師大伴卿に贈れる歌2首が見える。
この歌は朱鳥元年(687)から天平二年(750)位までの歌のようだが、これも丹生氏の意味ではなく、丹生部を司る王族ではないかと考えられる。当時、「丹生王」或いは「丹生女王」と言えばどの人物を指しているか誰もが分かったのだろう。

私が考える「丹生氏」という氏名(うじな)は、中世以降に丹生部に所縁の一族が、丹生(氏)と名乗りはじめたのがその初代であろうと思う訳である。

以前にも書いたことがあるが、丹生氏について考えるときすぐ思い出すのは、丹生川上神社下社の前宮司上杉氏から聞いた言葉である。
それは、丹生神社や丹生都比売神について様々な話を伺った後、丹生氏の話になり、
私が 「吉野には丹生氏がいなかったのですか?」 とお尋ねしたところ、
「ハハハ、みな丹生氏ですよ!」と笑われてしまったことだ。
丹生族・丹生部は、おしなべて丹生氏と言えるということだろう。
なるほど言われてみれば、武田も新田も足利も土岐も村上も…みんな源氏だと言うのと似通っている。

息長丹生眞人という人物は、『新撰姓氏録』右京皇別の二番目にに記載されており、左京皇別筆頭の息長真人同祖と記されている。
それから考えてみても、丹生部は当時の国家にとって特別重要な職掌を担っていたと思われる。
(大化の改新645年に民部は廃止されたとされている。〜部とは言わないまでもその職制や仕組みは後の時代まで残っていたのではないだろうか)

[607] 丹生についてのメモ(1) 投稿者:やさか 投稿日:2010/07/28(Wed)
丹生について書きはじめる予定がなかなか立ちません。
それで現時点の自分の考えを、メモとして掲示板に残しておこうと思います。

[丹とは]
漢語でいうところの「丹」tan/danとは、朱砂(丹砂、辰砂)Sinnaberのことである。
日本に漢字が伝わった時、日本で「に」と呼ばれていた鉱物が中国で“丹”といわれていたものだったので丹の字を当てた。
それで丹とは、本来は水銀の原料であるところの朱砂のことであった。
『和名類聚鈔』には、「赤色の土、あかつち、あかに」とみえるが、赤土には水銀系の赤色の土と、鉄系の赤い土がある。
後には黄色味の強い鉛丹(四塩化鉛)Virmilionが誤用され、丹と言われたようだが、これは古来の丹の字の意味ではない。
丹=水銀と言えないが、本来の用語からは、丹=ベンガラとも言えないと思う。丹≒赤土とは言えるだろう。
一般的には、赤色の鉱物を丹と称していたように思える。

『丹生の研究』松田壽男著には以下のように記されている。
「要するに天平以前の日本人が“丹”字で表示したものは鉛系統の赤ではなくて、古代シナ人の用法どおり必ず水銀系の赤であったとしなければならない。この水銀系のアカ、つまり紅色の土壌を遠い先祖は“に”と呼んだ。そして後代にシナから漢字を学び取ったとき、このコトバに対して丹字を当てたのである。…中略…ベンガラ“そほ”には“赭”の字を当てた」
丹生=朱ではないが、丹=朱砂とは言えよう。

では[丹生とは]何か?
丹生とは、上記“丹”の生産やその産地を“丹生”といい、ひいてはこの生産に携わる者たちをも丹生と言ったと考えられる。
この仕事を生業(なりわい)とした者達がいわゆる「丹生族」であり、これが丹生部であろう。
土師部、壬生部、丹治比部、埴生部は丹生部民とも関連する部族だったはずである。
私は、自作の物語『真朱の姫神』の中で、
「古代ヤマトでいう丹とは硫化水銀(朱)、四塩化鉛(丹)、褐鉄鉱、赤鉄鉱、酸化鉄(赭)をいい、その生産・精錬を主に生業とする部族を丹生族といったのである」とした。
広い意味では、水銀はもちろん、金・銀・銅・鉄などの採鉱や精錬、土器製作や土木工事をも含む、
凡そ土に関わるすべてに丹生部は係わっていたと思われる。
(つづく)

[606] 山上の海津神社 投稿者:やさか 投稿日:2010/07/27(Tue)
西吉野・竜王山に鎮座の「海津神社」に参拝してきました。

今までも何度か参拝を試みたのですが、地元でも社名や鎮座地をほとんどの人が知らないので行けなかったのです。
大体は見当がついていたのですが、あまりにも道が細く険しいのと民家を横切らないと行けないようなので躊躇いがあったせいでもあります。
今回は、丈夫な杖に鈴を付けて山道に分け入りました。
鎮座地は竜王山の頂上の近くでした。
帰り道、竜王山から見る銀峯山は美しい円錐形で印象的でした。

↓海津神社/竜王山 八王子社/ムネノタイラ

http://yasaka.hp.infoseek.co.jp/watatsumi.html


[605] Re[604]: 無題 投稿者:やさか 投稿日:2010/07/16(Fri)
> 小論文楽しみにしています。

丹、丹生、丹生族、丹生都比売、丹生氏…
などからモチーフを採りたいと思うのですが、
他に優先してやりたいと思っていることがあるので、
これはいつできるかわかりません。

ありがとうございました。

[604] 無題 投稿者:かまど 投稿日:2010/07/16(Fri)
>丹生氏?
 
どうとらえればいいのでしょうか?(^^;)

小論文楽しみにしています。

http://kamado.blog.ocn.ne.jp/niu/


[603] 丹生氏? 投稿者:やさか 投稿日:2010/07/16(Fri)
> そうそう本を作る話なんですが、私もそろそろ書き始めようかと思っているのですが、…

期待しています。

吉野・丹生の里で生まれ育った者として、「丹生」には人一倍思い入れがあります。
私も小論文として纏めてみたいという思いを持っています。

[602] 無題 投稿者:かまど 投稿日:2010/07/15(Thu)
個人的には、丹生氏の鉱山師の可能性はあるかも知れないとは思っています。それは銅との関わりはチラホラ見れるからです。
 
ただ、丹生氏の職能と丹生都姫様のお名前とは別物と考えています。それは当家の祭り方で分かるのですが、この場ではお話できません。もしご興味があれば今度お会いしたときにでも。
 
そうそう本を作る話なんですが、私もそろそろ書き始めようかと思っているのですが、問題はうちの本家が古文書の内容を載せることを承諾してくれるかです。
 
まずは、話を聞きたい人があれば、お話し会なんかやってみたいなと思っています。まあ、なかなかおられないでしょうけど。(笑)

http://kamado.blog.ocn.ne.jp/niu/


[601] Re[600]: 補足 投稿者:やさか 投稿日:2010/07/15(Thu)
早速の書き込みありがとうございます。

> >丹生氏の立場から言えば違うとしか言えません。
>  
> 上記の様な書き方をしましたが、これは「丹生とはやはり赤土のある土地、或いは丹土の産地を意味したのではないかと私は思います。」とのコメントに対してではなく、「丹生都比売さんは、「赤土の産地のお姫さま」とでもなるのでしょうか。」に対してのコメントです。
> すいません。補足しておきます。

失礼しました。
【丹】と【丹生】は違うと思います。それで使い分けして、
丹はベンガラや赤土とすれば、「丹・生」とは、その生産や産地を意味するのではないかと思ったのです。
それで、その言葉が単純に意味するところを繋ぐと、「赤土の産地のお姫さま」とでもなるのでは、
と思ったのですが違いましたか。すみません。