真朱の姫神 第三部・ヤマト編
                                                                                  
 八、磐余若桜宮

 三年春、磐余に建設中の都が完成した。
 三月、その造られたばかりの宮殿でホムタノミコ(品陀和気王子)立太子の式典が内外の国司、郡司を召して盛大に行われた。東の蝦夷、西や南の隼人、熊襲も貢を調えて訪れた。
 オキナガヒメが内外にヤマトの威容を示し、国力を誇示した式典であった。
 新羅王、百済王も御調(みつぎ)を携えた重臣を遣わして祝辞を述べた。
都は大和国磐余の地に造られ、朱雀の御門の左右にはオキナガヒメが愛でてやまない桜の若木が数多く植えられていた。そのなかには、吉野若桜宮より移植した波波迦の木もあった。その式典の日、ハハカ桜は朱色の見事な花を咲かせていた。

 毎年、磐余の宮の桜は見事に咲き誇った。人々は若桜宮とよんだ。

 十三年春二月、オキナガヒメの命により、ホムタノミコは若狭を巡幸することになった。
 お供にはウチノタケルを筆頭にカズラノオニト、オオトモヌシ、モノノベノイクイらの武官にウチノタケル子飼いのアダノオを加えて大和国磐余・若桜宮を若狭に向けて旅立った。この巡幸には神祇官中臣のイカツノオミは参加せず、代わりにオキナガヒメの名指しにより、丹生のトヨが一行に加えられた。
 三輪山の杜、大倭の杜、石上の杜を見ながら上つ道を北上した。三笠山の麓から、津川に出て、山城へと行き、宇治川を越えると近江に到る。その道は先の戦で忍熊王子征討軍が進軍した経路と同じであった。
 近江に着くと瀬田の大津から、安曇の海人部らが操る船に乗り換え、淡海(琵琶湖)を北上した。この辺り一帯はオキナガヒメの父息長宿彌王の生地でもある。この西岸には坂本の穴太(あなお)があり、丹生族ゆかりの者も多くいる。
 さらに北上して塩津に上陸した。そこからは陸路で敦賀を目指した。若狭に入ると海に行き禊をした。先の戦で大勢の人を殺めたからである。禊を済ませてから、越前国角鹿(こしのさきつくにつぬが)の行宮に入った。
 その晩、ウチノタケルは夢を見た。
 夢の中でこの地に坐すイササワケノオオカミ(伊奢沙和気大神)がお出ましになり、
「吾(あ)が名を王子の御名に変えたいと欲する」と云われた。
「どうぞ、仰せのままに」と、ウチノタケルは夢の中で答えていた。自分自身もよく判断できないままそのように答えていたのだ。朝になりウチノタケルはトヨを部屋に呼んだ。
「トヨよ、ゆうべ夢にイササワケノ大神が現れ、我に神の名を交換したいと云われた。これはどういうことと思うか」
 ウチノタケルは昨夜の夢をトヨに話し、意見を聞いてみた。
「タケルさま、それはおそらく彼等が恭順を示すという神のお告げでしょう。つまりこの若狭一帯の国の者達は、太子となったホムタノ王子につき従うに違いないと判断できます」
「なるほど。いや、儂もそう思う」
 ウチノタケルはよき神のお告げとして、早速、太子に自分の意見をまじえて進言した。

 次の日の朝、角鹿の仮宮には、太子巡幸を伝え聞いた人々が集まった。皆それぞれの貢を携えている。彼等は主に越前国、若狭国の海部(あまべ)の部族長らであった。
 イササワケ大神を奉祭する祝長(はふりのおさ)が太子にお目通りを願い出てきた。
 太子が引見すると祝長は言った。
「太子さま。吾らはイササワケ大神を斎祀(いつきまつ)る海部でございます。まずもってご挨拶に、貢を持ってまかりこしました」
 見ると入鹿魚(いるか)や大小さまざまの多くの魚を携えている。そして言葉を続けた。
「吾らが神、イササワケ大神の事でございますが、大神とは恐れ多く、これより笥飯明神(けひみょうじん)と名を変え、ヤマトの大神のもと、御食津(みけつ)を司る神としてお仕えしたいと、吾が神は申されます。どうかお聞き届け下さいますよう」と平伏した。
「あい分かった。良い心がけである。その様にするが良い」
 ホムタノミコは鷹揚に応えた。特に考えて判断しなければならないようなことは何一つなかった。昨日あらかじめウチノタケルが話しておいたからだった。
「お聞き届けありがとうございます。これより先、年毎に海の産物を途絶えないよう奉ります」
 彼らは口々に忠誠を誓い、帰っていった。
 すべて思い通りにことが運んだ。こちらの方から何も言うことはなく、相手から申し出てきた。そのあと、それぞれの村長にもホムタノミコはウチノタケルと共に引見した。十三才になったばかりの太子であったが体格もよく、すべてが鷹揚で、すでに大王の風格がにじみ出ているかに見えた。その日のうちに予定の行事を終えた。
 あくる日、浜に出て禊を行い、改めて笥飯明神に詣で拝礼した。
 
 しばらく角鹿の行宮(あんぐう)に滞在した。
 暖かい春の日差しが心地よいある日の朝、ウチノタケルは太子に、海岸線を見て廻りたいと願い出て、丹生のトヨと行宮を出た。角鹿の大津(港)は行宮の北にある。そこは若狭角鹿御崎の入江で波は穏やかで船の発着に都合よく、諸国への海路の要衝でもある。外つ国との交易もこの大津が利用されていた。
 二人きりでいるのは久しぶりだった。磐余から道中はずっと一緒だったが、二人きりにはなれなかった。歩いて大津に行った。そこは入江でありながらかなり水深があり、大型船でも接岸できるよう造られている。
 海鳥が猫のような鳴き声を上げながら飛んでいる。浜風を利用しながら空間に静止して、海上に浮上してくる魚群を狙っている。そして時々急降下しては確実に魚を捕らえていた。
 二人は並んで歩いた。鳥は人を恐れず、手を伸ばせば届きそうなくらい、近くの空間に浮かんでいた。二人は向こうに見える浜の方へ向かって歩いていた。
 細かい美しい砂が広がる浜を話しながら歩いた。 
「タケルさま。お役目お疲れさまでした」
「トヨも、お互いにな。何とかこれで無事帰れそうじゃ」
「ヒメミコさまの御威光で、この地の海部も確実に太子さまの支配下でございます」
「それにしても太子さまはご立派じゃった」
「大王となられる素質充分ということでございますか」
「いや、それは何も分からん。儂の直感だけじゃ。が、あの鷹揚さが良い。すでに忍熊王子にも勝った」
 二人は海に向かって、浜に足を伸ばしてすわり話しを続けた。
「さすがに太子さまはヒメミコさまの御子です。それにタケルさまの・・・いえ、・・勿論素質は充分でございましょう。」
 トヨは途中で言いごもり、そして続けた。
「吾らが丹生一族はヒメミコさまと太子さまに賭けたのでございます。そして忍熊王子に勝ちました。しかし本当に勝てたかどうか、いえ、それで良かったのかどうかはまだ先でなければ分かりませぬ。太子さまが王の王として大帝国を築かれ、文字通りの大王として諸国を従えたとき、初めて吾らの賭けが勝ったと云えるのでございます」
「儂も太子さまの将来に期待している。ヒメミコさまに引き続き太子さまにも仕え、偉大な大王となられるよう、お助けしたいと考えておる。それに儂も丹生に縁の者じゃ、これからも力をあわせ支えていこう」
 ウチノタケルはトヨの手を引き寄せて握った。それに応えるようにトヨも力を入れて握り返していう。
「タケルさま。話しは違いますが、ヒメミコさまは私たち二人のことはご存知ないのでございましょうか」
 トヨは前から気に掛けていることを聞いた。
「実は、そのことは儂も気にしていた。じゃが今度はっきりと分かった。おそらくずっと前から気付いておられたに違いない。此度の太子さまのお供を、二人して命じられた時、儂は初めて気がついた。そんな事はすっかりお見通しで、敢えて供に付けたのじゃと思う。二人で協力して太子を守り、補佐して育ててくれと期待をなされたのであろう。トヨ、お前もそうは思わぬか」
 ウチノタケルはトヨの目を見て、説くように話した。
「ウチノタケルさま、私もそうではないかと思っておりました。ヒメミコさまは男のような御気性ゆえ、私には良く分かるのでございます。わたしもそのお立場ならきっとそうするでしょう。男と女の恋情より、やはりヤマトが大事なのでございます」
「ヤマトか、トヨもヒメミコさまに負けず劣らずの気性じゃ。次の世は男に生まれるがよろしかろう」
 ウチノタケルは笑いながら、ちょっぴり皮肉を言った。
 トヨは(もぅ、タケルさまのいじわるッ)とでも言うように、目顔で表わし、握っていた手に力を込めた。右からさしていた日輪はもう真後ろに廻って来ていて、強い光が浜を照りつけていた。明るい日差しが今は憎らしく、切ない思いがトヨの胸をもたげた。
「あぁ、」トヨは小さく吐息をもらし、ゆっくりと腰を上げた。 
 あくる日、太子一行は角鹿の行宮を後にし、大和への帰路に着いた。
 
 磐余若桜宮では太子の帰還を待ちわびていた。
 その日のため、太子のいろは、オキナガヒメは神酒を醸していた。
 
 太子一行が大和に帰還すると大后のオキナガヒメは祝宴を開いた。
 その宴(うたげ)のため特別に醸していた大御酒を太子に献り、そしてオキナガヒメ自ら歌った。
    
   この神酒(みき)は 我が神酒ならず
   酒(くし)の司(かみ) 常世(とこよ)にいます 
   石立(いわた)たす 少御神(すくなみかみ)の
   豊寿(とよほ)ぎ ほき廻(もとへ)し 
   神寿(かむほ)ぎ ほき狂(くる)ほし
   まつり来(こ)し御酒そ 
   残(あ)さず飲(お)せ ささ
  
(日本書紀・巻第九より)
            
 祝宴の大殿には、ウチノタケルなど主だった廷臣たちと共にトヨはいた。父の豊耳もいる。正面上段に着座するオキナガヒメと太子のホムタノ王子を、頼もしく見つめながらトヨは考えていた。(太子はきっと偉大な王に成られる事だろう。私は父の意思を引き継ぎ、吾らが一族と共にこの政権を陰で支えていこう。それが吾ら一族の役目であり、これからも、この国ヤマトにふさわしい盟主を立て、守り行かねばならぬ)トヨは父豊耳の言葉を思い出し、気持ちを新にするのだった。
 ウチノタケルが歌う、太子の返歌が続いて聞こえる。
   
   この神酒(みき)を 醸(か)みけむ人は
   その鼓(つづみ) 臼(うす)に立てて
   歌ひつつ 醸みけれかも
   舞ひつつ 醸みけれかも
   この神酒の 神酒のあやに
   歌たのし ささ
  
 (日本書紀・巻第九より)
            
 宴のさんざめきはいつまでもつづいていた。
                                     
              
真朱の姫神 第三部・ヤマト編 了

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