真朱の姫神 第三部・ヤマト編
                                                                                  
 七、丹生の姫神子

 トヨは吉野郡丹生の古田で生まれた。父(かそ)は吉野首の豊耳。母(いろは)は宇智郡布々木の里長の娘であった。トヨには腹違いの兄が三人いたが、一番上は精錬の技術を学ぶため新羅へ渡ってもう何年もなる。他の二人の兄達は各地の一族の山(採鉱・精錬現場)を任されてこの古田の里にはいない。丹生族の家では男より娘の方が大切にされた。家系は母系を主に継承したからである。
 丹生族の長は一族の象徴であり、元宮の姫巫女が継ぐのが慣わしだったが、その元宮の姫巫女も又、首の娘であることが望ましかった。豊耳は娘に恵まれず四十を過ぎてからやっと初めて生まれたのがトヨだった。年を経てから授かった待ちに待った娘だったので、いとおしくてならなかった。しかし、愛しいとはいえ豊耳は決して娘を甘やかさなかった。むしろ男の子以上に厳しく鍛え教育した。
 トヨを本来の丹生族の首長たる小竹宮の姫巫女を継がせようと決めていたからである。トヨがまだ小さいころに母は亡くなったが、父の愛情を受けてすくすくと育った。
 トヨは小さいころから女の子とは遊ばなかった。いつも男の子とばかり遊んでいた。川遊びをしても、駈っこをしても初潮を見る十二歳頃までは男の子に負けなかった。自分のことを女の子と思っていなかったのである。十三才ごろから神の教えを学び、護身術の手ほどきを父の豊耳から受けてから、武術を習い始めた。トヨは筋がよくめきめき上達した。身体も成長し、女らしいふくらみを見せ始めた十五歳になった頃でもトヨは異性に興味はなかった。人目を引くほどの美しい娘に成長してからも、自分の美しさに気づいていなかった。その頃出会ったのがウチノタケルだった。

 ウチノタケルは、父の建宇智宿彌(初代)が丹生の長老の一人、井之口の娘に産ませた子である。それでウチノタケルは吉野にはなじみがあった。
 ウチノタケルはトヨの父豊耳に頼まれ、吉野へ来るたびトヨに、儒教や道教などの学問を教えたのである。トヨは覚えがよく、学問にも優れた理解を示し、それと共に日を経るに従ってウチノタケルを慕い、ウチノタケルが住む宇智郡へ一緒に出かけたりもした。トヨの男性の理想は父だった。その父とよく似た雰囲気を持つ、ひとまわり以上も年の違うウチノタケルに自然と惹かれていった。そしてトヨの方からすすんで身を任せ、ウチノタケルを愛するようになってしまったのである。
 
 ウチノタケルの父は稚足彦大王(わかたらしひこのおおきみ)と同じ日に生まれ、大王に重用されていたがその大王が亡くなった。次の大王、足仲彦(たらしなかつひこ)にも仕え愛されたが、オキナガヒメを大后に迎えて暫くした頃、建宇智宿彌(たけしうちのすくね)初代は亡くなり、その子のウチノタケルが召されて、二代目建宇智宿彌になった。宇智郡の長ともいえる立場となり、父に続いて足仲彦大王に仕えたのであった。大王から采女を与えられ妻とした。自分の勝手は許されなかった。まして丹生の姫巫女のトヨを娶ることなど、とても出来ない相談だった。
 トヨは勿論そのことは理解できた。自分の立場は良く分かっているつもりだった。
 ウチノタケルを愛してはいたが、添い遂げようとは思わなかった。それは姫神子(ひめみこ)としての自覚であった。それは一族や父を裏切る行為になるからである。トヨは割り切って考えようとした。生来、男のような性格で一旦こうと決めるとトヨにはそれが出来る。特にウチノタケルがオキナガヒメに仕え、大臣となってからは、なかなか会える機会がなかった。
 トヨはその頃、古田の里で義母と暮らしていた。朝のうちは丹生の姫巫女としての神務めがあるので小竹宮へ通っていた。家は里でも山の上のほうだったので、山頂の社までは近い。。父の豊耳は白銀岳小竹宮で他の神官や巫女らと起居している。
 
 ある日の午後、里の家に使いの者が、トヨ宛の手文(てぶみ)を持ってきた。竹簡である。トヨが心待ちにしていたウチノタケルからだった。次の月の朔日午後に会おうとあった。その場ですぐに了承した旨をしたため、使いにその竹簡を手渡した。
 その日が来ると、トヨは歩いて待ち合わせ場所の、秋つ野の降剱(ふりけん)の杜へ向かった。吉野川の少し手前だから遠くはない。ウチノタケルの屋敷は宇智郡(うちのこほり)にあったが、大臣としてオキナガヒメに仕えてからは、磐余(いはれ)の仮宮で別室を与えられ、そこで起居していた。政務に忙しく、屋敷に帰る間も惜しかったからである。部屋は手狭で不便であったが、新宮建設の計画が進行中で、自分の屋敷もその中に作る予定だったのでそのままにしていた。品陀和気王子の立太子の式典を、この磐余蛇穴に新しく建設する壮大な都の宮殿で執り行おうと考えていたのである。その帝都建設の総指揮官でもあるウチノタケルだったが、その忙しいさなか、なんとか時間を取ったのだ。
(きっとたった一人で、馬に乗ってこられる)
 久しぶりに会えるウチノタケルのことを思うと、胸がどきどきした。
(早く会いたい、私も馬に乗れればすぐにでも行けるのに・・)
 トヨは前から馬に乗りたいと思っていた。それで父の豊耳に頼んだこともあったのだが聞き入れてはもらえなかった。女で馬に乗るものはいなかったからである。
 ウチノタケルのことを思いながら歩いた。早く会いたくてどんどん足が速くなる。
いつのまにか降剱の杜に着いていた。そしてトヨは空を見上げる。
(少し早く着きすぎたみたい)ついひとりでに笑みがでた。日は真上だった。
 鳥居をくぐり、少し坂になっている道を社に向かって歩いた。社で手を合わせてトヨは祈った。その社は経津主の神を祀っている。人影は見えなかった。
「フツヌシノカミさま、私は欲は申しません。ただもう少しタケルさまと会える機会を増やしてください」トヨの素直な気持ちだった。
 お祈りしてから自分でも可笑しかった。
(丹生の神に仕える身でありながら、他の神にお願いしてしまうなんて)
 トヨは今度は黙ったままで手を合わせ、もう一度拝礼した。拝礼を済ますとすぐにもとの参道の入り口へ戻ってきた。ウチノタケルの手紙には鳥居前でと示されていたからだ。

 鳥居の傍でそれからも暫く待った。 
(急用ができたのかしら)トヨは少し心配になってきた。
 その時遠くから蹄の音が響いて、一気に近づいてきた。
 紛れもない、ウチノタケルだった。黒々としたみづらが眩しくみえた。
「トヨ、さあ、お乗り!」
鳥居の前で馬を止めたウチノタケルは、手を差し伸べた。
トヨがその手を掴むと馬上から引っぱり上げ、後ろに座らせようとする。トヨは思い切って足をあげ、男のように足を開いて馬の背に跨った。
(やっと会えた)トヨは男の背に頬を寄せた。
 ウチノタケルはゆっくりと馬を歩ませながら言った。
「トヨ、遅れて悪かった。供の者が一人では危険だというんだ。吉野川まで来てやっとの事で追い返したよ」
 もう言葉は要らなかった。男の腰に腕を回し、さあ駈けてと言わんばかりにぴたりとその背に抱きついた。 
「さあ、駈けるぞ!」ウチノタケルは馬にムチを入れた。
 なだらかな秋つ川の川沿いを二人乗りの馬は軽快に駈けた。
トヨの裳裾は風になびいた。白妙の衣も風にゆれる。ていねいに櫛をいれ、後ろで綾織の紐で束ねた美しい黒髪も、長い尾を引いて風にたわむれる。
 そのまま川沿いの道を行くと吉野川との川合いに出た。今度は吉野川の流れに沿って川下に向かって駈ける。
トヨはうれしかった。しあわせだった。このままずっと居たい。
 馬の背から伝わる振動が心地よかった。トヨはうっとりとして、回した手に力をこめて男の背に胸を押し付けた。顔が上気して身体もあったかくなってきていた。
 川沿いの土手道をしばらく走ってから、河原に下りた。向こう岸に渡るためである。
いつも通る渡しは避けた。人目に触れやすいからだった。
 浅瀬のある川下に向かって馬を歩ませていく。足場が悪くなりウチノタケルは下馬する。
その辺りでは阿陀の鵜飼らが梁(やな)を仕掛け、筌(うへ)を伏せ、鮎やゴリを捕っている。
馬は歩きにくそうだった。ウチノタケルはトヨを乗せたまま轡を取り、河原をさらに下流に向かって歩く。少し先の砂場になっているところが、ちょっとした浅瀬になっていて渡れそうだった。
 ウチノタケルは手綱を持ち直して浅瀬に入り、先にたって馬を引いた。二人乗りのままでは馬に負担がかかりすぎるし、瀬の深みにはまり流される危険もあったからだ。渡り始めるとやはり、かなり深いところあり、流されそうになりながらやっとの思いで渡りきった。向こう岸に着くとトヨは馬を下りた。

 馬を川辺の灌木に繋ぐと、岩陰の乾いた砂の上に二人で腰を下ろして休んだ。トヨの裳裾は腰のすぐ下のところまで水に濡れていた。ウチノタケルも、もちろん袴はずぶぬれで衣服の袖も濡れていたが目もくれず、トヨの足元に来て、身に付けたままの裳裾を手でつまむと、端のほうから水を搾り始めた。
 トヨはなすがままにして、ウチノタケルの目を見つめていた。
「タケルさまッ 抱いて!」
 いきなりトヨはウチノタケルにしがみついた。目はうっとりと潤んでいる。トヨは大胆にウチノタケルの身体に上からのしかかっていくと、熱い唇を寄せた。身体も火のように燃えている。ウチノタケルは下から手を回し、トヨの着けている裳をくつろがせると、トヨのほうからすぐに体を合わせていった。
 久しぶりだった。二人は一気に燃え上がった。

 至福の時間(とき)が過ぎ、二人が愛の余韻にまどろんでいると、少し先の岩陰で人の動く気配があった。それをを感じたトヨは下からウチノタケルに目で合図を送る。それとは知らず賊は、岩陰伝いに近づいてくる。トヨはいつも身に付けている腰の刀子(とうす)をそっと抜いた。「ヤーッ!」間近に近づいた賊は気合とともに一刀両断とばかり剣を振り下ろした。
 シュッ、間髪を入れず無言で放ったトヨの刀子はいち早く賊の喉を貫いていた。
 賊は剣を取り落とし、前に打ち伏して悶えた。賊も何が起こったか分からないであろうと見える。見事な技だった。
 トヨはウチノタケルから体を外すと、起き上がって賊を面返した。
知らない顔だった。目はすでに焦点は定まらず虚ろだった。口はパクパクと動かしているが、喉を貫いた刀子が声帯を破壊し、声が出ない。
「早く楽になるが良い・・・」
 そう呟きながらトヨは刀子の柄を握り、すーッと手前に引き抜いた。一気に血しぶきが上ったが、トヨはすばやく交し一滴の血も浴びない。すぐに二人は身つくろいをして、辺りを見廻ったが他に賊は居そうになかった。

 川を渡ったこの辺りはもう、宇智郡だったがウチノタケルの屋敷へ行くのではなかった。
 先代の建宇智宿彌の時から仕えている子飼いの家臣アダノオの家を利用していた。口が堅く信頼できる男だったので、トヨと会うときなどは、いつも使っていた。
 家に着くと食事の用意ができていた。水もたっぷりと用意されていたので、濡れた衣を脱ぎ、水を使って布で身体をきれいに拭いた。トヨの身体はアダノオの妻が手伝って汗をぬぐった。さっぱりとした二人は、こざっぱりとした衣をまとい、食事の席についた。
 蒸かした米にゴリの煮付け、鮎の焼き物、山菜の煮物、きのこ汁といった料理だった。酒(ささ)も添えられている。アダノオの妻は二人に酒を注ぐと部屋を出て行った。
 酒を一口飲んで、ウチノタケルはいった。
「先ほどは助かった、トヨがいなければ我の命はなかったかも知れぬ」
「私がいなければタケルさまは、あのような隙を見せはしません」
「いや、しかし驚いた、トヨがあれほどのてだれとは」
「言わないで下さい。恥ずかしうございます」
 トヨも酒を口にした。二人は飲み、食事をしながら話を続けた。
「いやはや、それにしても危なかった。この辺りにもまだ敵がいようとはのう。じゃがトヨ、ここは安心してくつろいでくれ。誰もこの家には入って来れぬ」
「タケルさまはヒメミコさまの覚えめでたく、権力を一手にして、妬まれているのかも知れません」
「何が覚えめでたいものか、儂は懸命に国のため働いているだけじゃ」
「ホムタノミコさまは大臣(おほおみ)のお子という噂もございます」
「儂の子だと、バカな。・・・はて、妬いているのか?」
「妬きは致しませぬ。元々期待はしていません。私は男に添えるような女ではありません。一族のために生きねばならない立場なのです。それゆえタケルさまを一人占めしようなどと、思いもかけないことです。誰に子供をつくらせようと知ったことではありませぬ。もし、どうしても独り占めしたいと思おうものなら、たとえヒメミコさまであろうとも、決して引き下がるものではありませぬ」
 トヨはウチノタケルの目を見て、はっきりと言い切った。
 ヒメミコさまとはもちろん、大后のオキナガヒメのことである。
「おお、怖い女子よ。そなたもやはり本性は男であったか」
「そなたも?とは、それはヒメミコさまのことでございましょう」
「又それをいう。トヨ、もうその話はよそう」
「いえ、やはりトヨは女でございます。ウチノタケルさまはトヨの初めての殿御ゆえ、愛しゅうてなりません。欲は申しませぬ、でも時々は会いたい。只それだけでございます」
 トヨは近づいてきて、ウチノタケルの手を取ると、自分の胸に押し付けた。そしてウチノタケルの目を覗き込むようにしていう。
「タケルさま、このような男がおりますか。ええ?」
 トヨは自分の胸にあるウチノタケルの手の上に自分の手を重ね、胸を押さえて言った。
「いや、違いない。トヨはまぎれもなく女だ。それもとびきり美しい」
 ウチノタケルは、上衣(うえきぬ)の合わせ目から、じかにトヨの乳房に触れた。トヨの心には、女と男が同居しているらしかった。
 この年冬十一月、先の大王、ナカツヒコ(足仲津彦)の殯(もがり)を終えて、河内国長野に陵をつくり葬った。

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