真朱の姫神 第三部・ヤマト編
                                                                                  
 六、息長帯日売

 三月五日、磐余蛇穴(いわれのさらぎ)に集合した大軍団を前にして、オキナガヒメはタケフルクマを将軍(いくさのきみ)に任命して、全軍をゆだねた。
 タケフルクマは数万の兵を率いて山城の方面へ進軍した。軍団には、一族の命運をかけた丹生族が多数を占めていた。その丹生族の中には女軍(めいくさ)も混じっていたようだった。
 山城の泉川(現在の木津川)を渡り、さらに進軍して宇治川に到ると、忍熊王子側の将軍、イサヒと宇治川を挟んで対峙。全面対決をしたが、タケフルクマの策略が功を奏し、イサヒ側が敗れて忍熊王子と共に敗走した。タケフルクマ軍は凄まじい勢いで迫り、近江の逢坂で追いつくと、敵を悉く斬り伏せた。さらに逃げた兵を栗林(くるす)で斬った。血は栗林に溢れたという。忍熊王子とイサヒの二人は逃げて隠れるところもなく、淡海の瀬田で入水して死んだ。

 戦が終わりオキナガヒメとホムタノミコは磐余の行宮(あんぐう)に住まいした。仮の宮である。忍熊王子を破り敵はなくなり、この年、暦を改め、(摂政)元年とした。
 将軍タケフルクマが凱旋してよりこのかた、オキナガヒメは将士の報償などで休む間もなかった。翌年春を過ぎ、ようやくその殆どを済ませると、次はウチノタケルと共に吉野ヘ向かった。気に掛けていた丹生一族の報償を残していたからである。同行したのはカズラノオニト以下、小数の精鋭と数人の付き人だけであった。もう敵対する勢力はなくなったし、特に吉野は信頼を置いている丹生族の本貫地で安全だったからだ。

 オキナガヒメらは磐余から室(むろ)を通り、奉膳(ぶんぜ)を経て吉野川のほとりに出て、淀を渡り秋津から吉野白銀岳を目指す。秋津からの山道は、比較的緩やかとはいえ、、初夏の木漏れ日は汗を誘う。 
 白銀岳・小竹宮に着くと丹生首、豊耳が迎えた。トヨもいる。
「ヒメミコさま、ウチノタケルさまも、ようお越しくださりました」
 豊耳とトヨは丁重に跪拝をして、別室へ案内しようとすると、
「まずは、丹生都比売(にうつひめ)神にご拝礼しよう」
 オキナガヒメは丹生大明神とは言わず、丹生都比売神といい、ウチノタケルと共に石段を上って拝殿へ行く。豊耳とトヨは後に従った。
 拝礼を済ませて別室へ入ると、丹生の年寄りらを前にして、正面に着座するとオキナガヒメは言った。
「先の戦での丹生一族の働き見事でした。大后(おほきさき)の我と、次に太子となるホムタノ王子より改めて礼を申します。そなたらの働きが無ければこの戦、果たして勝てたかどうか。まさに天照大神のご神託通りであった」
 オキナガヒメはまず戦功を称えた。そして言葉を続けた。
「天照大神のご託宣によりこの宮では、これより丹生大明神改め丹生都比売神としてお鎮りとなった。つまりこの宮は丹生都比売神を主祭神に、山王神の波宝(はほの)神を相殿でお祀りする事となる。その外の丹生の神社も同様に、すべて丹生都比売神に改めてもらいたい。丹生都比売神は恐れ多くも天照大神の御妹(いろも)神で在られます」
 神名の改名はあらかじめ双方で話し合いがなされていた。
「これで、我らヤマトの朝廷(みかど)と丹生の部族は固く結ばれた。これから先の御世に於いても相争うことはない。吉野は朝廷の聖地となった」オキナガヒメはさらに言葉を続ける。
「そこで神領のことです。豊耳どの申してみられ」
 豊耳はそれに答えて、
「そのことにございます。実は我が娘のトヨが昨夜、夢枕で丹生都比売さまのお声を聞いたそうにございます」
「トヨよ、遠慮なく申してみよ」横からウチノタケルがトヨに発言を促す。
「はい、ではヒメミコさま。申し上げます。昨夜、丹生都比売さまが私めの夢うちに、黄金岳へご降臨あそばされ、忌杖(いみつえ)を指し示し賜いてご託宣なさいますには、今まで通りの吉野のご神域のほか、新に北は十市、古瀬。南は遠津川から熊野までお示しなさいました」
「そ、そうかの?」
 オキナガヒメはちらりとウチノタケルを見る。
 ウチノタケルは眉毛一つ動かさないで聞いている。
「相分かった。それで割付させましょうぞ」
 オキナガヒメはウチノタケルの顔を見つめつつ答えた。
「ヒメミコさま、かたじけのう存じます」
 豊耳はじめ、丹生の者達は全員が平伏した。戦後の最も大事な用件の一つ、丹生族との報償契約を終えるとオキナガヒメはその日のうちに磐余の仮宮へ帰っていった。

 磐余の仮宮に戻り、奥の自室に入るとオキナガヒメはウチノタケルを呼んだ。
 オキナガヒメのほうが年上だった。しかし二人きりのときは少し話し方が変わる。
「大臣(おほおみ)、あれで良かったのかえ」声が少し甘い。
「あれとは、丹生都比売さまのことでござるか」
「そう、それに神域の事です」
「ヒメ、あれで良い」ウチノタケルはこともなげに答える。
「丹生大明神を天照大神さまの下に組み入れるのは成功とは思いますが、神領は少し振舞い過ぎではないかえ」
「あれぐらいは与えねばならん。安いものじゃ」
「丹生都比売さまが夢で託宣なされたという、トヨの言葉通りにすることはないではないか。ええいっ、大臣はいつも手ぬるい。戦は勝ったのです。あとは力でねじ伏せればよいものを」
「相変わらず気性の激しいお方じゃ。やはりヒメの本性は男じゃな」
 ウチノタケルは続けてオキナガヒメに説いた。
「いいですかヒメ。彼等を敵に回すと手強いですぞ。彼等は丹砂を独占し、精錬の技術もある。丹砂で財を蓄え兵を養っている。手強い連中は味方にしておくに限る。彼等の儲けを、我らは税として巻き上げればよいのじゃ。分かりましたかの」
「巧くは言うが、我には大臣が奴等の味方をしているように聞こえますぞえ。ええ、もう良い。この話はこれきりとしよう。……もそっとこちらへ寄れませぬかえ」
キナガヒメはウチノタケルの手をとり、しなだれかかっていった。

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