真朱の姫神 第三部・ヤマト編
                                                                                  
 五、丹生の盟約

 その日のうちに白銀岳小竹宮の神殿前広場に、吉野で初めての本陣が設けられた。
 大臣のウチノタケル、部将のオオトモヌシ、モノノベノクイ、カズラノオニトら軍議に参加する者達が集まってきて、オキナガヒメを中心にして軍評定が始まった。中臣のイカツノオミ、丹生の豊耳や、トヨも同席していた。
その時であった。今まで晴れていた空がにわかに暗くなり、まるで夜のようになった。空には暗雲が垂れこめている。
「どうしたのだッ」口々に皆が叫んだ。
「これはどうしたことか?」オキナガヒメは豊耳に質した。 
「このような変事を、阿豆那比(あづなひ)の罪というそうでございます」
 すかさず答えたのは年寄り筆頭の井頭だった。
 オキナガヒメが祈ると昼の明るさに戻ったが、黒雲は上空に残ったままだった。
 軍議は中止され、すぐに宇気比をすることになった。小竹宮の神殿には丹生の祖神、波宝神(はほのかみ)が丹生大明神として祀られている。その神殿前の沙庭(さにわ)に宇気比の準備がされた。
神主(かむぬし)にはトヨがなり審神者(さにわ)は豊耳、琴は井頭が弾いた。この宇気比は丹生族の主導で行われた。トヨに懸った丹生大明神は次のような意味のことをいった。
 アヅナヒの罪とは、二社の祝(はふり)を一緒に葬っている罪のことである。何処かでこのようなことがあったはずである。このことに限らず神につかえる者は、同じ所に葬ってはならない。それぞれが生まれた土地に葬らなければならない。つまり、それぞれの神にはそれぞれの土地がいる。というようなことだった。
 井光(いひか)の年寄りに聞くと
「天野(あまの)と小竹(しの)の祝を同じ土地に合葬したことがあったように思う」という。
 すぐ人を遣わして墓をあばいてみた。するとその通りだった。すぐに棺を改めて別のところに埋めた。すると黒雲は去った。
「この地は何という邑か?」とオキナガヒメが聞く。
「安場と申します」と年寄りが答えると、オキナガヒメは豊耳に
「これからは夜中と改めるが良い」と命じた。

 この宇気比でオキナガヒメは感じることがあった。ウチノタケルを小竹宮の別室に呼んで意見を聞いてみた。
「先の宇気比のことですが、大臣はどうおもいますか」
「ヒメ、あれはよくよく考えねばならん。丹生の者らはこの戦に一族の命運をかけている。我らも彼等に酬いねばならん、何らかの保障をしなければなるまいな」
 二人だけになると、いつもオキナガヒメは急に丁寧な言葉を使い、逆にウチノタケルは鷹揚になる。
「やはりそうですか。土地が欲しいということですか」
「その通り、もっと広い神域を与え、身分も保証してやらねばならんだろう。それと丹生大明神の扱いだな。これが一番の問題となろうな」
 オキナガヒメは、なるほどと思い、考え込んでしまった。
 しばらく考えてから、腹が決まったかのように言った。
「今夜、宇気比をします。神主は我がなりましょう」
「それが良い。それでは我が審神者をやり、イカツに琴を弾かせよう。軍議は後でよろしかろう」

 夜になり、先と同じ神殿前の沙庭で宇気比が始まった。
 神殿前に額づいたオキナガヒメは瞑目していた。琴はイカツノオミが弾いている。審神者のウチノタケル大臣はオキナガヒメが神懸りするのを待ち続けた。
 少し時間がかかっているようだ。ほかの者達は遠巻きにして、月明かりがほのかに照らす沙庭をじっと見つめて、息を潜めていた。
 真榊を小さく振りながら、何かを口の中で唱えていたオキナガヒメはすーっと立ち上がった。そして身体を揺らしながらくるりとこちらを向き直り、身体が大きくなったかのように格好をつけた。やっと神懸りしたらしい。
「我は大神なり。何用ぞ!」
 オキナガヒメの口を借りた大神は居丈高に言い放った。
 すかさずウチノタケルが審神する。しばらくやり取りが続いた。天照大神らしい。神名を確認した後は尋ねにかかる。
「かしこし大神、忍熊王子との戦(いくさ)、勝てましょうか?」
「勝てる。丹生の者どもの力を借りれば勝てる」大神は答える。
「大神、我らが将軍(いくさのきみ)は誰がよろしいか?」
「タケフルクマがよかろう」と大神。
 建振熊とはヤマトに残している留守居役で、オキナガヒメ子飼いの部将だった。
「大神、敵の将軍は誰でございましょうか?」
「それはイサヒである」と大神は答える。
 それは忍熊の皇子が一番頼りとしている伊佐比宿彌のことである。
「大神、作戦をお授け下さい」
「しらぬ、……」大神は答えない。
「大神、作戦をお教えください」ウチノタケルは重ねて問う。
「しらぬ、が勝てる、信じよ。……」
 それきり大神は黙ってしまった。イカツノオミが弾く琴の音は少し大きくなった。ウチノタケルは話を変えた。
「恐れながら大神、丹生大明神をご存知か」
「よくは知らぬ」大神はそっけない。
「かしこし、大神。この戦で丹生大神の助けを借ります」
「我よりほかに大神がいる筈はない。……名を変えよと言え。丹生の神ゆえ『丹生つ姫』とな。我の妹(いろも)にしてやろう」
 オキナガヒメの口を借りた天照大神はことさら強く言い、さらに続けた。
「この戦、勝ちたる後は、丹生の者どもの身分を保証し、充分に神領を与えよ。吉野は神の坐(いま)す地である」 
「かしこし、大神。悉皆承りました」
 ウチノタケル大臣は沙庭で平伏した。

 宇気比を終えるとウチノタケルは、神懸りの解けたオキナガヒメに内容を報告した。
 すぐに軍議が再開された。
 オキナガヒメは、宇気比の結果を改めて軍議の席で示してその通り決定された。その後の軍評定は早かった。まず、山邊のタケフルクマを将軍とする。ヤマトの各地から味方を糾合して、磐余の蛇穴(さらぎ)で集合。大軍団を仕立てて一気に北上し、宇治辺りで決戦しよう、という事となった。その夜の内に、オキナガヒメの名でタケフルクマに使者が出された。同時に援軍要請の使者を各地に飛ばした。

 あくる朝になり、小竹宮を去るにあたってオキナガヒメはウチノタケルと伴に豊耳に会い、、礼を述べた。
「豊耳どの、世話になった。これは新羅の王から手に入れたものじゃ。我の念持仏としていたが記念に渡したい」
 オキナガヒメはこう言って、丁度膝の上に載せられる位の黄金の仏像を白い旗と共に手渡した。
 そのあとウチノタケルと共に神殿に上り、もう一度ていねいに拝礼した。
 帰り際、境内の桜を見て言った。
「波波迦(ははか)じゃな、この桜は?」
「はい、ヒメミコさま、前には鹿占(しかうら)に使っておりました」豊耳は答える。
「綺麗な色じゃ、小山田の斎宮にもあった。我はこの花が子供の頃から好きであった。おお、そうじゃ王子にも見せてやろう」
 オキナガヒメは乳母を呼び、桜を見せるように言った。桜を見てホムタノ王子は機嫌よくニコニコとわらっている。
「豊耳どの、この小竹宮(しののみや)はこれより、若桜宮と改めるが良い」
 オキナガヒメは上機嫌で目を細めて言った。


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