真朱の姫神 第三部・ヤマト編
                                                                                  
 四、 小竹宮

 三月二日朝、ウチノタケルの号令は全軍に行きわたった。
 軍団は急にあわただしくなった。水夫(かこ)は忙しく立ち働き始めた。帆を上げ、櫂を操り、棹をさす。川の遡上は帆走だけではとても無理なのだ。帆を操り、櫂で漕ぎ、棹もさす。ウチノタケルの船を先頭に、一列になって日高川を喘ぎ喘ぎ上っていく。二艘目にオキナガヒメの乗船が行く。しんがりがオオトモヌシの船だった。
しばらく行くと流れが速くなり、進まなくなった。
水夫のほとんどが船を下り、軍兵の大部分も船を下りる。川岸より引き綱で船を引くためだった。両岸から引ければ良いのだが、足場が悪くたいてい片側からしか引けない場合が多い。それも出来なくて川中に入って引くこともある大変な重労働だった。
 めいめいがそれぞれの船を必死で引くのだ。
それでも岩が多くなり流れはますます急で、もう遡れないギリギリのところまで来てからオキナガヒメをはじめ、将士らが船を降りた。そこからは陸路だった。
 廻船させるため水夫の全員と一部の将士を残して船と別れた。 
 まず最初の本陣は吉野白銀岳・小竹宮(しののみや)と決めている。船を離れてからの初めての宿泊地予定は龍神邑である。そこまでは一日で行かねばならない。かなりの強行軍である。ヤソグモを先頭に尾根伝いの道をわき目もふらず進軍した。道が細いので一列になって歩く。尾根伝いの道はともすれば水不足に悩まされるのであったが、要所要所には水の用意がしてあった。ヤソグモ配下のものが動いているらしかった。
 陽がおちてしまった頃やっとの思いで龍神邑に到着した。夜間の行軍は無理である。オキナガヒメらは邑長のタツノスグリの家で一泊した。ここから先は完全に丹生族の支配地といっていい。安心して休める。村には温泉が湧出していて、久しぶりに汗を流した。
軍兵らも温泉に浸かった後、丹生の杜などで野営した。

 三月三日、まだ暗いうちに出発した。遠津川を通り、一路白銀岳を目指したが途中、平谷邑辺りで夜となり岩陰などで全員が野営した。
 三月四日、やっと丹生古田の里に着いた。全て尾根伝いの道ばかりであった。
 古代の道路はすべて尾根伝いに発達したと思われる。平地ならまだしも、山岳部は山の斜面を切り開いて道を作るのは容易ではなかった。川に沿って道が作られたのはもっと後の時代である。川の近くほど斜面は急で雑木も多く、山の斜面を削り取るのは困難であった。険しい山ほど山頂の方が樹木も少なく歩きやすいものである……
 古田の里の南、櫃ヶ岳まで来た。この辺り一帯はいたるところで赤茶色の丹土が露出していた。足元に転がっている石ころも朱色を含んでいる。ここは「その山に丹あり」と云われた辰砂の産地なのだ。丹生の一族は水銀朱の採取と精錬が生業である。そもそも丹生とは丹の生産地を意味する言葉だった。
 山頂まで来ると、そこはちょっとした広場になっていた。 
 オキナガヒメはウチノタケルと、この山の北の端の木立の切れた見晴らしから、前方を見渡していた。隣にはホムタノ王子を抱いた乳母もいた。トヨはそのすぐ後ろへ来た。その横には、ヤソグモが控えている。トヨは前方を指差していった。
「ヒメミコさま、あの山が小竹宮(しののみや)のある白銀岳(しろかねだけ)です」
「おお、やっと着いたようじゃの」
「あれが白銀岳でござるか、とするとその向こうに見える山は黄金岳(こがねだけ)ですな」
 ウチノタケルがいう。
「はい、一番北の黄金岳からこの櫃ヶ岳まで、金・銀・銅と連なり、人々は吉野三山と申しております」
 この吉野三山は神の住む山として丹生一族が特別尊崇している山であった。
 見晴らしから戻ってくると白銀岳・小竹宮から迎えの者が来ていた。迎えは吉野丹生首(にうのおびと)がよこしたらしい。
 「ヒメミコさま、小竹宮から迎えが来ております。そろそろ出立致しましょう。もうすぐそこでございます」トヨは遠慮がちに出立を促した。

 小竹宮は白銀岳の山頂にあった。山頂にしてはかなり大きな広場となっている。北側ほど高くなっていて奥から、神殿、拝殿と建てられ、左手西側にも建物があった。広場には丹生一族の主だったものが迎えに出ていた。オキナガヒメを先頭に正面へ進んでいくと、全員が跪拝した。
「ヒメミコさま。ようお越し下されました。お疲れでございましょう」
 中央の温和な表情の老人が進み出た。
「それがしが吉野首、丹生の豊耳でございます」と老人は続けていう。
「それがしの隣は井頭(いのかしら)といい、ほかは井光の年寄りどもでございます。まずはひと時、お休みくださりますよう」
 豊耳と名乗った老人はさらに続けて言った。
「ヒメミコさま。大臣さま。ご安心なされ。吾らは命を賭けてホムタノ王子さまにお味方しますぞ。」
 豊耳は誰に聞いたか、もう皇子の名を口にした。

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