真朱の姫神 第三部・ヤマト編
                                                                                  
 三、日高軍評定

 和泉国大鳥郡の逆瀬川に泊めておいた軍船へ戻ると、急いで出航の準備をして、川を下り、海に出ると、すぐに帆をあげ南紀へ向かう。
 日高川河口の大津でオキナガヒメはウチノタケルと落ち合うことになっていた。生まれて日の浅い皇子のことが気掛かりだった。 
 オキナガヒメとカズラノオニト以下の一行を乗せた船は、遠く左手に陸地を見ながら南下した。右手西方に淡路の島が見える辺りの大小の島々の間を抜け、岬を廻り込むと紀ノ川の河口はすぐ近くだった。紀ノ川を遡上すればヤマトは近いのだが、それだけはできなかった。紀伊国はヤマトの支配が完全には及んでいなかった。交流はあるのだが従属国になっている訳ではない。紀王は誇り高く、軍団は強く、敵にまわすと手強かった。もしその紀王が忍熊王子と手を組んでないとは言いきれないからだ。
 陸地から大きく離れた西の沖を更に南下、有田沖をさらに行き、日御崎を過ぎると追い風となり船足が早くなった。ようやく日高川の河口近くまで来た。この辺りにウチノタケルが率いる船団が待っているはずである。そのまましばらくいくと遠くに帆柱が見えてきた。かなりの数である。帆は上げていない、碇泊しているのだ。用心しながら近づいていくと、向こうも気づいたのか赤い旗が左右に二度づつ振られた。合図に間違いはない、ウチノタケルらの船団だった。
 すぐ横に着け船べりを合わせると、ウチノタケルらがオキナガヒメノの乗っている軍船へ移ってきた。乳母らしき女が王子を大事そうに抱きかかえている。

「ヒメミコさま、お待ちしていました」
 ウチノタケルもいつからか「ヒメミコさま」と呼び始めている。
「大臣(おおおみ)、ご苦労でした」
「王子さまはたいそう元気ですぞ、乳母(めのと)も良い女が見つかりもうした」
 ウチノタケルが目配せすると、乳母は王子をオキナガヒメに差し出した。
 オキナガヒメは愛しそうに王子を抱きかかえると、そっと頬をよせた。
「ミコよ、元気かえ。おお、笑った、笑った」
 オキナガヒメノは微笑んだ。
「大臣、王子の名はホムタとしました。ホムタノミコ(品陀王子)です」と言うと、もう一度頬ずりをした。
 母に戻ったのはほんの少しの時間だけだった。すぐに乳母に王子を戻すと、
「大臣、すぐ軍議を始めよう、誰かヌシとイクイを呼べ」と言い、続けて、
「イカツにオニト、そしてトヨ お前達も一緒に来よ」
 傍らに控えていた三人に言った。オキナガヒメは先にたって船上の屋形へ入っていく。三人は大臣の後に続いた。屋形に入ると床にあぐらをかいて座る。後から来たオオトモヌシとモノノベノイクイも入り口付近に座った。
「謀反の忍熊を如何に討つかだが、皆はどう思うか」
 オキナガヒメは言った。
「いやいや、その前に大臣に話さねばならぬ」と続けていう。
「我は彼らを討つに忍びず、天野宮で宇気比をして、戦を避けるすべはないかとお尋ねした。そう致したら大神はいわれた。我らが王子は、全ての国を統べる大王になられる方じゃと。その王子に刃向う者は国を乱す元になる故殺せと。はっきりそう云われたのじゃ。そうであったの?トヨにオニト」
「はいッ その通りでございます」
 二人は声を合わせて答えた。
「最もな御神託です」
 ウチノタケル大臣は答えていう。 
「それに、香坂は死んだ。そこで相談じゃ。我らはこれからどうするか。どの道を還り、どう攻めるかどう思う?」
 オキナガヒメは六人の顔を一人一人見ながら聞いた。
「大臣からまず考えを述べてくれませぬか」
 オキナガヒメはウチノタケルに意見を求めた。
「吾(あれ)は紀ノ川を遡りヤマトへ入り、態勢を立て直して一気に奴らを殲滅すればよいと思います。まず、紀ノ川の河口まで戻り、紀王に協力を求めて紀ノ川を通行させてもらうのです。この川を遡ればヤマトの宇智郡まで楽に行けます。そこまでいければ吾等(あれら)の味方は大勢いる。それで大軍勢に仕立て直して敵を一気に攻撃しましょう」
「紀王の心が知れぬ、協力するかに見せて、吾等に襲い掛かるやも知れぬ」と思案顔のオキナガヒメ。
「いや、心配はないと存じます。吾等が紀ノ川尻沖の海を通過した際、黙認してくれた。気付いていない訳はない。それから見ても敵対するとは思えません」
「大臣、それはただの日和見(ひよりみ)じゃ。ヌシはどう思う?」
 オキナガヒメは次にオオトモヌシに聞いた。
「吾は大臣と同じ考えにございます」
「イクイはどう思う?」同じく今度はモノノベノイクイに聞いた。
「吾も大臣の云われる通りと思います」
「イカツはどう思うぞ、やはりお前も大臣と同じか?」
 オキナガヒメは向き直って次はイカツノオミに聞いた。
「違います。吾は紀ノ川を通るのはやはり危険だと思います。ここから日高川を行けるところまで遡り、そこからは陸路で尾根伝いに竜神邑から遠つ川へ出て、吉野の郡、丹生古田の里に出て丹生川に沿って下り、宇智郡に出て、そこで新たに兵を募り一気に北上すればよいと思います」
 イカツノオミは慎重だった。
「オニトはどう思うぞ」
 オキナガヒメはカズラノオニトに聞く。
「分かりませぬ。吾はただヒメミコさまに従うのみです」
「トヨ、お前も考えを述べてくれぬか」
「はい、ヒメミコさま。トヨはかように考えます。途中まではイカツさまと同じでよろしいかと思います。日高川を遡り、丹生古田の里までは一緒ですが、そこからが違います。丹生川に沿って下ると、吉野川に注ぐ川尻から北が宇智郡ですが、そこはヤマトと紀伊の国境でやはり危険だと思われます。丹生川沿いに下るのではなく、逆に遡る方が安全です。それも川筋沿いに上るのではなく、尾根伝いに川上の方へ攻め上るのです。白銀岳小竹宮(しののみや)にに吾らが一族の主だった者を集めます。そこで作戦を練っていただき尾根伝いに北上し、秋つ野あたりに降りて全軍をまとめて押し出すという手は如何でしょう」
「トヨよ、ずいぶん周到な計画じゃな。それは誰の考えじゃ。トヨ、お前ではなかろう」
「はい。これは吾らが主(あるじ)、丹生首(にうのおびと)の考えであり、吾らが一族の総意でもあります。吾ら丹生一族はヒメミコさまとホムタの王子さまに賭けています。吾らは命に代えてお二人をお守りし、吾ら一族の戦える者は皆武器を取り加勢します。ヒメミコさま、どうかこのトヨをお信じ下さいませ。トヨは首から『必ずお連れ申せ』ときつく言い付かっています」
「しかしトヨ、お前はこの日高から道案内ができるのか?」
「はい、無論のこと。吾もできは致しますが、先導の山伏をこの日高に呼び寄せています。今これに」とトヨは言い、片手を上げると大きな声で呼んだ。
「ヤソグモ これへ!」すぐに屋形の外で声がした。
「ヤソグモはこれに控え居りまする」
 低いが良く聞こえる声音だった。みると黒装束のいかつい男が、屋形の外の甲板で平蜘蛛のように叩頭している。
「ヒメミコさま、やつは熊野や吉野の山々を駆け回っている犬飼(いぬかい)です。信頼できる者です」
 オキナガヒメは彼の方を一瞥すると屋形の中から声をかけた。
「ヤソグモとやら、よろしくたのむぞ」
 オキナガヒメはもう、トヨに任そうと決めたかのようだった。
「大臣、我はトヨの進言をいれて、丹生者を頼ろうと思う。大臣の父(かそ)は紀国ゆかりの人ゆえ、今も紀王と通じない訳ではないとは思うが、この度は用心をして山越えとしよう。忍熊征討の暁には、ヤマトに帰順するよう大臣の伝手で紀王の懐柔をはかって欲しい」
 ウチノタケル(建宇智宿彌あるいは武内宿禰とも)の父は、紀国のウジヒコの娘が生んだ子で、幼年期に大和宇智郡にきた。子供の頃から暴れ者でならしたが、成人してからは勇猛さに加え、思慮深く近隣の評判となり、ウチノタケシ(宇智猛)と呼ばれていた。時の大王オオタラシヒコは彼を認め、宿彌の姓を賜り重用した。人々は「タケシノウチノスクネ」または「ウチノタケルノスクネ」と呼んだのである。これが初代であり、今はその二代目(建宇智宿彌)となり、大臣(おおおみ)でもあった。
「大臣、仔細はトヨに聞いての、皆の指図を頼みます」
「分かり申した。では早速出立の準備を致しましょう」
 軍評定はオキナガヒメにより決定された。決定したとなれば行動が急がれる。
「それではトヨどの、儂の船へ行こう」
 軍議の面々はそれぞれの持ち場に戻っていった。

目次へ 次頁へ