ユビキタス社会について

 情報化時代といわれて久しい。いうまでもなく情報化時代の先導役はコンピュータだ。

1946年にアメリカで開発された「ENIAC」が世界初だとされているが、爾来、当初日本で電子計算機といわれたこの機械は長足の進歩を遂げ、重量が40トンもあった真空管の塊のようなこの機械を、桁違いに性能向上させ、その延長上で個人用のパーソナル・コンピュータ(PC)にまで進化させた。

現在のコンピュータは、炊飯器に使用する簡単なマイクロチップから、高度な処理能力を必要とする航空機のCPUに至るまで現代文明に無くてはならない「頭脳」として重用されている。そしてこれらコンピュータは人々に有効利用され、情報を収集し、加工し、発信する道具として現在の情報化社会を築きあげたと言っても良いだろう。これは、その情報を伝達したり保存したりする、いわゆるメディア(媒体)をも発達させた。

「情報の乗り物」といえるメディアは高度な展開をみせ、コンピュータ・情報機器の発達と相まって現代文明を支えている。
 そして21世紀を迎えた今、「ユビキタス」や「ユビキタス・ネットワーク」、「ユビキタス・コンピューティング」などという言葉が聞かれるようになった。
 ユビキタス(Ubiquitous)とは、「神は(あまね)くしろしめす」という意味の、ラテン語を語源とする英語で、「いつでも、どこにでも存在する」という意味だ。では、何が遍在するのだろう?

いつでも、どこでも「情報ネットワーク」につなげられる環境があり、利用者がそれをあまり意識せずに誰もが簡単に利用できる技術を、ユビキタスコンピューテイングと呼ぶ。
 この概念はゼロックス・パロアルト研究所のマーク・ワイザー氏によって、
1988年に提唱された考えである。氏はコンピュータの利用形態を3世代に分けた。そして、
@メーンフレーム:1台の大型コンピュータを多人数で使用。
Aパソコン:1台のコンピュータを1人で使用。そして、
Bユビキタスコンピューティング:1人を多数のコンピュータが取り巻く。と説明した。
 つまり、いつでも、どこでも、誰でもネットワークに繋げて、あらゆる活用ができることが「第3の利用形態」だと提言したのであった。そして理想的には、利用者が機器の操作法を習熟しなくても容易に利用出来るような環境こそがユビキタス環境だと考えたのであった。
 国産OS「TRON」の開発者として有名な東大教授の坂村健氏は、
1980年代初頭に「どこでもコンピュータ」と命名した、人間中心のコンピュータ環境理論を提唱していたといわれる。すでに未来を見据えていたわけだ。

 夢の社会がすぐそこに来ているようだが、解決しなくてはならない問題点も多い。課題は接続技術の標準化と簡素化であり、一番大切なのはセキュリティーの確保である。また、多言語対応と翻訳機能の充実のための技術開発などだ。ユーザーの中には様々な意見もあるようだ。例えば、「便利なことと、豊かであることは別ではないか」あるいは、「システムが故障してしまった時はどうなるのか」、「人間らしさが失われはしないか」、「本当にそこまで必要か疑問に思う」等々である。

便利さやスピード化の陰で、人間として最も大切な何かが失われて行くように思われてならない。

以 上  

参考文献:『ユビキタス・コンピュータ革命』板村 健著   『情報の社会学』小林修一、加藤春明 共著