集団のダイナミズム(集団心理)

                 集団の心理メカニズム

人は、なぜ群れ、どう行動するのだろう。集団としてのまとまりから、そのなかでの協調と対立。いったい集団の中ではどのようなメカニズムが働いているのか。また、どのような力が作用しているのか考察してみたい。


多数者への同調

世間には実に様々な集団がある。
 
学校では、それぞれクラスやクラブなどがあり、社会においては会社の部署や趣味の会、また、遊び仲間等々、多くの集まりがある。それぞれの集団には特有のルールや行動様式、価値観が形成されているものである。その中でメンバーはその集団に帰属し、その枠組みの中での規範に基づいて行動するように求められる。
 しかし、中には規範を受け入れないメンバーも出てくる。このようなケースでは、逸脱者に対して多数者の力が行使される場合がある。


少数者の影響力

では、少数者は抵抗を放棄して多数者に従う他はないのであろうか。そうではない。少数でも影響力は発揮できるはずである。多数者は集団心理として、合理的な判断をしないままに、その時の空気によって多数派に寄りかかっただけに過ぎず、冷静になって考えれば反省する場合が多いはずである。集団心理の起源は、敵が出現したときの団結本能だとされているように、多数派に組みした方が自分の身の安全が保障されやすいからとも言える。
 それ故にその集団の空気を少し入れ替えてやれば、少数者といえども影響力を発揮できる可能性は出てくるはずだ。その為には一貫性が必要で、根気よく自分達の立場を変えることなく主張すること。そして少数者の仲間の意見が統一されていることが必須条件となる。少数者がこうして一貫した立場をとることによって、多数者の中にも、自らの立場に疑問を持つ者が少なからず出てくる。これが人々の中に葛藤を生むこととなるのである。

心理学は英語で Psychologyというが、これはギリシャ語の心や魂の意Psycheと、言葉や論理を意味するlogosとの合成語といわれる。このことからも分かるように心理学は心の学問といえる。
 
心には色々の側面がある。人は集団になると、大胆になり、勇ましい結論を出す傾向があるといわれ、個人の考え、行動、感情などは、集団過程の中で強まる傾向があるようだ。そのような空気にも、ちょっとした風向きの変化から大きな変革への可能性が芽生える。同調者が増えることによって、今までの少数者が多数者に取って代わることは大いにあり得るだろう。


集団においての意思決定

集団においての意思決定は、その集団のリーダーの力によるところが大きい。つまり、集団メンバー全員の大多数の意見が反映されて決まるとは限らないのである。集団心理からみると、一般的に多数派と思われる意見にくみしやすいのが普通である。
 
また一方ではリーダーに従いたいという性格もある。リーダーが先に考えを出し、側近、幹部が続いて意見を述べてしまうと、その他大勢のメンバーは異をとなえ難くなり、リーダーが示した方向で決定されてしまう。それでも形の上では多数決には違いないのである。
 これら意思決定には、大きな問題となる次の二つの側面が考えられる。  その一つは多数者による決定の誤謬
 もう一つはリーダーによる決定の誤謬である。
 多数決の問題点とは、リーダーによる方向付けが前もってなされていない場合でも、正鵠を射た決定とは限らないことである。という訳は、だいたい大衆(群集・一般人)というのは、おおよそ愚昧なものであり、それらが多数を占めた結論が正しいかどうかは、大いに疑問があるところだ。
 もうひとつのリーダーによる決定の問題点とは、リーダー自身が決定者として相応しい人物かどうかの一点にかかるからである。
 物事を大所高所から判断できる、リーダーシップを持った人物であれば言うことはないが、その逆であれば集団は維持できず崩壊の憂き目に遭うこととなるだろう。
 一般的にいえば、有能な少数の人たちだけで議論を尽くし、合議の上で決定するのが望ましいと言えよう。


まとめ―集団のダイナミズム―

人は、群れたい本能とでもいうべき性質がある。また、人々には強力なリーダーに従いたいという心理も潜んでいる。集団の流れのなかでは、個(己)は主張し難い空気がある。そして大きな流れの中では、個は埋没して多数の意見の趨勢に同調しやすいものである。そして多数者の意見が正しいものとは限らないにもかかわらず、多数が正義となる。
 
しかしながら、集団において個人が私的利益に走ると、集団全体の利益を損ない、ひいては個人の利益も減少させてしまうという社会的ジレンマもある。
 また、特定の集団のメンバーに所属すると、他の集団に対しての偏見や差別に繋がりやすいと言える。「カテゴリー化」つまり、我々と彼ら(身内と他者)というように分類され、「我々」という内集団には優越感を持ち、対して「彼ら」という外集団に対しては、蔑視や偏見を持つようになりやすい。そして我々仲間に対しては、それぞれを集団内の個性として認めながら、彼ら他者に対しては十把一絡げにしてしまい、個性を認めないようなところがある。
 社会的アイデンティティはもちろん大切な部分ではあるが、自己の所属する集団が大切であるのと同様に、他の各々の集団も認めることも大切である。

様々な集団がお互いを尊重して、共生できる豊かな社会が広がることが望まれる。

以  上 
参考文献: 『複雑さに挑む 社会心理学』亀田達也・村田光二著
『心の理解を求めて』橋本憲尚編著(堀田美保著)
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