青春きらきら
 一、二の夏

 俺たち中学時代からの遊び仲間は、高校二年生になると、その夏揃って生駒山上遊園へアルバイトに行くことにした。
 マサやん、カツヤ、アキ坊と俺の四人だ。
 マサやんが持って来た話が動機だった。同じ高校の上級生が去年バイトに行って随分楽しかったと聞いたというのだ。
 なんでも夏場はアルバイト生を八十人ほども採用して、その内女子が五十人、男子が三十人だという。七月中旬から八月終り頃まで四十日間ほどの期間採用で、通勤の都合で内三分の一くらいのバイト生は泊まり込みだった。圧倒的に女子が多いので、普段女の子に縁のない男子でも彼女ができるという。

 生駒山上には遊園地とレストランがあって、そこの臨時アルバイトだ。ビヤレストランやバーベキューガーデンのウエイター、ウエイトレス、遊園地遊具の係員等々の仕事だった。
 また、山頂には関西各局のテレビ電波塔があって、それぞれの塔屋ビルでは喫茶・パーラーを営業していたので、そこの調理補助やウエイター、ウエイトレスの仕事もあった。ビールや洋酒を提供し、カクテルも作るので本職のバーテンも季節雇用されていた。レストランでは寿司も出していたので寿司職人も数人いた。経営主体は電鉄系の観光会社で、営業は朝十一時から夜十時までだった。
 服装はといえば、男子は白い七分袖のボーイ・コート。女子も同じく七分袖のウエイトレス・コートが制服として貸与されるが、男子のズボン、女子のスカートは自前ということだ。履き物は男女ともズック靴が一番良いけれど、サンダル履きでも良しとされた。

俺たち四人は採用されることが決まると、いつも集まる算盤教室二階にあるアキ坊の勉強部屋に集まって相談した。
「ケンちゃん、ズボンはどないするねんな?」
 マサやんが俺に聞いた。
「そやなあ、どないしょう? ズボンやったら何でもええんやろ。そやけど学生服の替えズボンという訳にはいかんやろ。俺はどっかで探してくるわ」
「俺はGパン穿いて行くわ。どうせすぐ汚れてしまうやろからな」
 仲間では一番背が高く、Gパンが似合うマサやんが言う。
「そやけどな、ズボンは二本要るのとちゃう?」
 一番おとなしい性格のアキ坊が言う。アキ坊は算盤塾の次男坊で、どんなことにも慎重なのだ。彼は小さな頃から愛称がアキ坊で、成長してからも同じように周りから呼ばれていた。仲間うちでは一番小柄でニックネームがぴったりとくる。
「そやな。一本は皆Gパンにしょうか。カツヤはどないするねん?」
 俺はアキ坊の意見に同意して言った。
「父親(おとやん)の古い替えズボンを『永和のオジン』とこへ持って行って作り直してもらうわ。もう一本は俺もGパンや」
 カツヤのいう「永和のオジン」というのは元百貨店洋服の仕立屋で、今も小遣い稼ぎに長屋で細々と仕事をしている老人だった。
 俺たちは、鶴橋の国際マーケットに行って洋服地を安く買入れ、自分好みに替ズボンを仕立ててもらったり、既製品を流行のスタイルに改造してもらったりしていた。そこは又、俺たちワルガキの溜り場にもなっていて、オジンにエロ写真やエロ本を見せてもらったりしている、隠れ家のような所でもあったのだ。

 父親が不動産店を経営しているカツヤは、学生服すらドスキンで仕立てていた。俺たちは特にズボンには凝って、学生ズボンも流行のノータックで、太もも部分は細目にし、裾幅は九インチ前後のいわゆるラッパズボンにした。芸能界からそのシルエットが流行しはじめていたからだ。それだけでなく、飾りの包(くるみ)ボタンや、尾錠(びじょう)を付けたりもしたのである。
 父親が建築現場監督の俺と、消防士を父に持つマサやんは、裕福な家のカツヤと全て同じようにはできない。
 仲間四人は相談した上で、アルバイト用のズボンはGパンと、汚れても惜しくない替えズボンの二本を持って行くことになった。
 アルバイト用とはいっても、ええ格好(かっこ)しいの俺たちは、スタイルが大いに気になる。俺は質流れの花紺サージのズボンを安く買い、永和のオジンに頼んで好み通り仕立て直しをしてもらった。
 
 昭和三十年代後半は大変なレジャーブームで、モータリーゼーションの発達と相まって何処の行楽地も満員の盛況だった。
 生駒山は、大阪府と奈良県の県境にあって標高六四二メートル。近場の行楽地として、特に春から夏にかけては大勢の行楽客を集めていた。来客は、バスや自家用車で生駒山ドライブウエイを経由して山上まで上がってくる人々と、近鉄生駒駅から山上行きのケーブルカーでやってくるのとがあった。  特に夏場は、夕方になると黒山のような乗客がケーブルカーが山上駅に到着するたびにあふれ出てきた。夕涼みの会社仲間や家族連れ、アベックなどだ。山上行きの最終ケーブルは午後十一時、帰りの生駒駅行き最終も午後十一時だった。電鉄系のレストランの営業は午後十時までだったが、個人経営の飲食店も数店あって、遅くからやってくる客にも対応していた。
 ビールや酒などのアルコール類を飲んでも、よほど酔っていない限り、みんな平気で運転して帰るのが普通だった。

 生駒山上は単車乗り仲間にも知られた人気のスポットだったので、バイトが待ち遠しかった。
 府立高校に行っていた俺は、夏休みに入る七月二十一日からしかアルバイトができなかった。仲間は同じ布施市に住んでいたが高校は同じではない。俺以外は大阪市内に通う私立高校生だったので七月中頃から夏休みになり、先に仕事に就いた。
 五日ほど遅れてバイトに入った俺は、電鉄経営の中で最も大きいビヤレストランに配属された。大きなKIRINの看板を掲げたレストランだった。大阪平野が見える西側には広いテラス席があって見晴らしも良く、最も人気があって大勢の客を収容できた。店の立地は生駒山の頂上付近の西側斜面なので真下に谷が広がっていた。
 従業員は、「マスター」とみんなが呼んでいる、大柄で貫禄たっぷりなコック長でもある店長と、他に料理人五人、寿司職人二人、売店レジ一人、男子アルバイト三人、女子アルバイト五人位だった。
 他にもバーベキュー・レストラン、喫茶・パーラーなどもあって、俺の仲間は別々の店に配属されていた。

 毎日毎日驚くほどの客が来た。噂で聞いていたとおりだった。
 夕方六時を過ぎる頃は文字通り真っ黒になるほど客が入った。平日昼でも大勢の客があった。休日前の夜は客が行列を作るほどで入りきれない日が多かった。大部分の客は大阪側からやって来ていた。バスや自家用車、単車、電車とケーブルカーで来た客だ。
 折からの行楽ブームで、誰も彼もが遊びに行かなければ世の中に遅れるかのように競って遊びに出た。近場の遊びでは映画館やアイス・スケート場が賑わいを見せ、夜の繁華街では、アルサロやキャバレーに大人たちが群がって遊んだ。夏場は、安く楽しめる市民プールが長蛇の列を作った。手軽に遊べるパチンコ・麻雀・玉突きなどは、仕事帰りのサラリーマンや学生に大人気で、場所取りしておかなければ遊べないほどだった。遠くの行楽地でもスキー場、海水浴場が賑わい、各地の温泉場・旅館が活況を呈しはじめていた。

 昭和三十四年に夢の超特急といわれた新幹線が着工して、昭和三十九年十月に東洋で初めて開催される東京オリンピックまでの開業を目指していた。日本中が、オリンピック開催が決まった事を喜び、それに伴う道路網の整備や建築需要に、日本中に建築の鎚音が響いて建設ブームに沸きかえり、経済界は好況の波に乗っていた時だ。
 若者の目は明日への希望にきらきらと輝き、大人達も今日より明日、今年より次の年と、毎年収入がうなぎ登りに上昇して、右肩上がりで生活が豊かになっていくことを信じて疑わなかった。
 実際国民の収入は毎年確実に増えていた。特に職人や肉体労働者の賃金はきわめて高くなってきていた。求人数は求職者数の倍近くもあり、そのような労働事情から、彼らの賃金は一般サラリーマンをはるかに上回っていて、勤労意欲も旺盛だった。消費意欲ももちろん旺盛で国中が元気な人々であふれていた。もちろんサラリーマンも、明日の心配をせずに遊べる時代がやってきていたのだ。
 そのような人々が大衆レジャーを求めていたので、近場の生駒山遊園などに大勢の人が押し寄せた。特に夏の生駒山はあふれるばかりの人達で賑わった。

 俺たちバイト生は一週間の内、平日に一日の休みが交代で取れた。一日三食の賄い付きで風呂にも入れた。アルバイトの宿舎には当時営業を止(や)めていた山荘が当てられた。山荘にはそれぞれ三部屋あり、一部屋に三、四人が寝泊まりした。もちろん男女は別棟に分けられている。こうした山荘は山頂周辺に十棟ばかりあって、学生アルバイトと臨時従業員の宿舎に当てられていた。宿舎は洗面とトイレ付きだった。風呂は、観光会社の管理事務所横に従業員用の大風呂があって、勤務終了後に男女交代で入るのだ。

 仕事は忙しかったがとにかく楽しい毎日だった。連日山上は大賑わいだった。特に夕方から夜の来園者はすごかった。毎日毎日ウソのように大勢の人たちが押し寄せた。平日の昼でも多くの来客があった。日・祝日は出勤で、月曜日など平日が休みの人も多かったからだ。学生アルバイトはほとんどが高校生で、だいたい女子は奈良県側から、男子は大阪の高校生が多かった。大学生よりも高校生が多かったのは、むつかしい仕事ではないし、少しでも賃金支払いが安く抑えられるからだろう。
 仕事は忙しくてもエネルギーは有り余っていたので、アルバイト生達は一日の仕事を終えると集まって遊んだ。よく集まったのはAテレビ電波塔ビルのパーラーと、Bテレビ塔のパーラーだった。俺たちはBテレビ塔に行くことが多かった。
 そこは閉店後も出入りができたからである。本職のバーテンも我等と同じ仲間となって遊んだ。もちろん、ビールやウイスキーは存分に飲めたし大いに喫煙もした。男子高校生は全員タバコを吸った。女子高生でもタバコを吸う者は多くいた。タバコだけは自前だが酒類は勤務している店で貰ったものだ。
 アルバイト中も、布施で遊んでいた時と同様に、俺はケンちゃんと呼ばれ、他はマサやん、カツヤ、アキ坊とそれぞれ呼び合っていたので他のアルバイト仲間にも自然とその呼び名が定着した。

 泊まり込みのバイト生の内、大阪から来た男子高校生は七人いた。その中で俺たち布施から来た仲間は四人、いずれも中学時代からの遊び仲間だった。
 飲食施設のアルバイトの他、駐車場、売店、遊園地の乗り物、お化け屋敷、野外劇場にもそれぞれアルバイトがいた。泊まり込みのアルバイトは女子二十人、男子十人くらいだ。男が少ないので俺たちはよくもてた言ってよい。山上での女の子は積極的だった。
 一日の仕事を終え、それぞれの職場で賄いの夕食を摂ると男女交代で大風呂に入る。そのあと気の合った者達同士で毎日のようにパーティーをする。客は気前のいい人達が多かったのでビールやウイスキーを余分に注文して、置いて行ってくれるような人たちもいたからだ。店の人達も些細なことは言わなかった。従業員も季節雇用の臨時採用が多かったからでもある。

 その頃最も流行っていたのが「ドドンパ」というダンス・リズムだった。
 毎週日曜の昼はアトラクションが催され人気歌手が来演した。野外劇場に出演するのだが、遊園地の入場料さえ払えばアトラクションは無料だった。入場料に含まれていたのだろう。その頃大人気だった渡辺マリや北原謙二が来たときは会場は熱気に包まれた。アルバイト仲間の女性達は、北原謙二来演の時、昼食に出したカレーライスを、彼の残り皿から食べた子もいたくらいだった。
 北原謙二のヒット曲では
「♪ 君には君のー夢があーり、僕には僕の夢があーる ♪……」
 渡辺マリのヒット曲では
「♪ ドドンパッ、ドドンパッ、ドドンパが私の胸にー、消すに消せーない火を付けたー ♪……」
 皆んな大声で歌い、ドドンパのリズムで踊るのだ。両曲ともいわゆるドドンパだった。リズムそのものはルンバやマンボと似ている。

 山上ではいろんなカップルが自然と出来た。女子の方が多いので男子は付き合う相手に不自由なく、毎日が天国だった。と言っても俺たちはまだ高校二年生だったので、はち切れるほどの好奇心はあったけれどセックスまでする度胸はなかった。まだ未経験だったからでもある。
 最も刺激的な遊びは唇を近づけてタバコの煙を交互に吸い交わすことだった。これは俺たちが始めたあそびだったが、山上の仲間中に広がった。男女が互いに唇が触れ合うほど近づいて相手が吐きだした煙を残さず吸い込むのだ。これは刺激的だった。好きな相手の目を見て出した煙を残さず深く吸い込む。吸い込んだら又相手に返す。これを繰り返すと、はじめ白かった煙は段々と青く薄くなり遂には消えて無くなってしまう。深く吸い込むからか、このことによってニコチンが濃くなるのか、頭がくらくらして座り込むくらい刺激があった。
 浴場への通路で、山荘の入り口付近で、散歩に出た木立の前で、相手の女の子がもう下がれない位置まで押し込んで、両手を相手の顔の両側に突いてこれをやる。これは普通のキスよりも遙かに刺激的だった。唇を触れるほど近づけているのにキスをしないので、かえってときめいたのだ。

 アルバイト仲間ではいろんな噂が飛び交った。Bテレビ搭のバーテンが若い女子従業員と出来たとか、駐車場の係りをしている女高生アルバイトが男前の係の男にヤラレたとか、そう言った話だった。山上は開放的だった。行楽に来るアベックからも刺激を受ける。単車に二人乗りで来た男女とか、車でランデブーに来た二人、電車からケーブル・カーに乗り継いで山上に遊びに来た男女も、閉園時間になっても帰らない者達が多くいた。
 山上近くには、いわゆる連れ込みの出来る温泉旅館もあった。
 また、木陰で抱き合っているアベックなどもいてアルバイトたちも大いに刺激を受ける。

 奈良県側から来ている女子高生は、奈良県では有名な県立高校の生徒だった。その中の女高生に、桃子というひどく積極的な子がいた。うわさではアルバイトに入って二、三日の間にもう二人の男と付き合っているという。また地元のヤクザとも付き合いがあると聞いていた。皆んなは桃子のことを蔭でピチ子と呼んだ。俺は彼女をモモちゃんと呼んでいた。彼女はGパンのよく似合うスタイルの良い子だった。丸顔でグラマラスな体つきに不釣り合いな、ベイビー・フェイスだったので、俺は皆んなの噂はウソだろうと思っていた。
 ある日の晩、そのモモちゃんが俺たちが寝泊まりしている山荘に、俺に会いたいと訪ねてきた。マサやんら友だちは部屋の中に入れた。

 俺たちに割り当てられていた山荘には、部屋が三つあって中央の一番大きな部屋に俺たちが四人、奥の部屋には寿司職人が三人いた。入り口近くの部屋は予備室で、そこは空き部屋になっていた。
 その空き部屋に、仲間は俺とモモちゃんを入れてドアを閉めた。
 片隅には畳んだ布団があった。
 俺はマッチで両切りタバコの「いこい」に火をつけた。
 はじめは取り留めもない話をしていたが、どちらからともなく近づいてタバコの煙を交互に吸い合った。そのうち本当のキスをした。モモちゃんは凄いキスをする。舌を差し込んできて俺の舌に絡め、強烈に唾液をすすった。そんなキスは初めてだった。俺はニコチンの酔いではなくモモちゃんのキスで頭がクラクラした。
 となりの部屋には俺の仲間と、もう一つの部屋では若い寿司職人が酒を飲んでいた。俺たちの気配に気付いた俺の仲間が手を叩いて囃しはじめた。寿司職人もそれに合わしているようだ。
 下手(へた)だが、歌好きなアキ坊の声が聞こえてきた。
      ♪
 あの娘(こ)いい娘だ こっち向いておくれ
    キュッ・キュッ・キュー、キュッ・キュッ・キュー
 すねて横向きゃ なお可愛い
    ブンガ・チャッチャッ、ブンガ・チャッチャッ
      ♪
 (アキ坊の声に代わり、マサやんやカツヤの声が聞こえる)
      ♪
 早く挿(い)れてよ 痒(かゆ)くてならぬ
    キュッ・キュッ・キュー、キュッ・キュッ・キュー
 グット挿(い)れてよ 根本まで
    ブンガ・チャッチャッ、ブンガ・チャッチャッ
      ♪
 俺は、部屋の片隅に積んで置かれていた布団から、その一組を引き出した。モモちゃんを手招きして、敷き布団の上にごろりと寝ころぶ。モモちゃんはニコリとして、何の途惑いもなく左に寄り添い、上布団を引っ張りあげた。
 仲間たちは手を叩き、拍子を取って繰り返し歌い続けている。
 流行していた北島三郎の「ブンガチャ節」とその替え歌だった。 俺はたまらなくなって、モモちゃんの上にのしかかっていった。「ヤクザの女」という噂が頭をかすめる。
 モモちゃんは、ブラウスを自分で脱ぐとブラジャーまで取り去った。俺も綿シャツを脱ぎさって上半身は裸となる。二人は横向きに寝て向き合った。モモちゃんは俺の顔を引き寄せてチュッとキスをするとすぐ唇を外し、今度は俺の顔を自分の胸まで押し下げた。俺の唇はモモちゃんの右乳首に当たる。上布団がはがれてきた。
「吸って」彼女は甘え声で言った。
 俺がひとしきり舐めるように吸っていると、「すぽん」と音を立てて乳首を引き抜き、もう一方の左乳首を当てがった。
 俺は女を知らなかった。初キッスは去年に中学時代からの女友達としたが、セックスの経験は無い。どうしたらいいのかよく分かっていなかった。
「ケンちゃん童貞やろ」
 モモちゃんが言った。その通りだった。高校二年、まだその経験はなかった。
 俺はふと、今も大好きなその二つ年下の、初キッスをした子を想った。
「なあ、ケンちゃん、アレまだしたことないんやろ? 私が仕込んであげるわ」
 モモちゃんは続けてそう言うと、じっと俺を見ながらジーパンを脱いでパンツ一枚となる。
 俺も穿いていたサージのズボンを脱いだ。その日は、洗ったパンツがなかったので代わりに海水パンツを穿いていた。海パンは夏になるといつも持ち歩いているのだ。
 二人は上半身裸で抱き合ったが、キスをするばかりで、俺はそれ以上の行為に進めなかった。

 人から聞いたいろんな話が頭の中を巡る。
 布施の遊び仲間の中には「男になったで」というた者もいたが、この山上のアルバイトに一緒に来た四人の中では、誰一人経験している者はいなかった。女とやったと言った一年上の奴(やつ)は、自慢げにその時の一部始終を話していたことを俺は思い出していた。
「そこはなァ、お前らが思うているよりずっと下にあるんや。それだけ憶えとけよ」
 奴が言ったその話を思い出したが、やり掛ける度胸がなかった。また、つい先日にはBテレビ塔担当のバーテンの兄いからも「○×△の作法」とやらを教えてもらっていた。行為後どうすればよいのかも気になっていたので、それも聞いていた。
「終わったらな、『これで拭き』言うて、女の股に紙を挟んどいてやったらええねん。そうしたったら自分勝手に始末しよるわ」
 セックスの先輩はそう言い、
「ヤッタあとやから、きれいに拭いてあげたら一番ええねんけど、そんなことお前らようせんやろ」と続けて言った。
「そんな後始末のことより……」と先輩は更に続ける。
 一番大事なのは初めてする時や。中々すんなりとはでけへんよってなあ。初めにどないして上手にするか、肝心なのは……と具体的な俗語と擬態語を使って詳しく説明してくれた。
 俺の一番の恐れは妊娠だった。絶対に妊娠させないというような自信はまったく無かった。その為の知識も用意も何も無い。
 いろいろ考えると、初体験は女を買うしかないと前から考えていた。それで近い内に今里新地に行こうと思っていたのだ。
 ところが、今自分の身体の下に女がいる。迷う。手を出しかねた。
彼女は上半身裸、俺も半袖の綿シャツを脱いで上半身は裸だったが、二人ともパンツは穿いていた。
 いつの間にか囃し歌は聞こえなくなっていた。

 モモちゃんは焦(じ)れたか、俺の手を取って自分のピンクのナイロンパンツの上に置いた。俺はドキリとして反射的に手を引いたが、勇気を出してそろりと元の位置に戻し、そのままにしていた。そして、思い切ってパンツの上からその辺りをそっと撫でてみた。
 何かごわついた感じがあった。そっとパンツの中に手を入れて、そのごわついたモノを探るとそれはセロハン袋に入ったスキンのようだった。俺はびっくりした。手を入れて探るだけでも怖かった。 アソコに触れはしないかという恐怖があった。触るともう後に引けない気もした。俺はもう止めようと決心して手を引き上げた。
 モモちゃんは俺の手を上から抑えた。そして俺の股間をじっと見る。俺の下半身は薄い布地の、競泳用の海パンに覆われているだけだった。
 十七歳の健康な元気さは隠しようがなかった。
「あんた童貞違(ちゃ)うやろ?」
 モモちゃんは前と違う言葉で聞いた。
 俺は黙っていた。未経験だったが大人の男ぶりたかった。一方、高校三年のモモちゃんは既に大人の女だった。行為を想定して避妊具の用意をしてきているのだった。それも男が使いやすいように、それをパンツの中に入れていたのだ。でもそれを使う勇気は俺になく、結果的にそれ以上の行為はできなかった。

 それからもモモちゃんとは仕事を終えた夜に時々会った。
 ある時デートで山頂付近の周遊道路を歩いていて、すぐ先も見えないほどの深い霧に包まれたことがあった。二人とも髪の毛がべっとりと濡れるほどだった。方角も良く分からず歩いていると、ふいに目の前に温泉マークのネオンが見えた。この時モモちゃんは、この旅館に入ろうと言った。女の子の方から連れ込み旅館に誘われたのはこれが初めてだった。もちろんその時も入る勇気はなかった。
 やはり、ヤクザの女という噂が怖い。

 モモちゃんが部屋に来た後のある日、マサやんとカツヤが、本気になって俺に注意をしてくれた。
「ケンちゃん! ピチ子は本当(ほんま)にヤクザと知り合いらしいで。『ワシの女に手ェ出してくれたらしいナ』と言われ、どつきまわされたり、どないひどい目 に合わされるかも判れへんさかいなあ。ええかげんにあの子とは付き合いは 止(や)めた方がええと思うで」とマサやんが言った。
「そうや、極道の女いうのは本当みたいやで。殴られへんかっても『ポテキ代 出したれや!』とビビらされ、びっくりするほどゼニ取られるかも判らへん。 せやからなあ、ピチ子とは絶対に○×△だけはしたらアカンで」
 カツヤも同じように言ったのだった。
 
 忠告されていても、また俺は週一日のバイト休みに、大阪ミナミに出てモモちゃんとデートした。大人の女を連れているようで嬉しい気になれるからだった。モモちゃんはまだ高校生なのに、デートの時いつも薄化粧をしていた。化粧品のいい匂いがして俺の気持ちをくすぐった。
 ミナミでのデートは、流行っているスリッポンのコイン・シューズを履いて行く。グラマラスなモモちゃんは中ヒールのサンダルだ。
 繁華街を一緒に歩くと結構佳(い)い女らしく、振り返る男もいた。
 夕方、道頓堀橋の上でたたずみ、長いキスをしたあと、
「帰りとうないわ。泊まろ」と誘われたが、最終電車で無理に連れて帰った事もあった。
 また、別の夜、友達に借りた単車で出かけた時、「朝に山荘まで送ってくれたらええから何処へでも連れてって」とも言われた。そこまで言われても手を出せなかった。やはり(ヤクザの女)というウワサが怖かったのだ。

 山上では多くの事件があった。恐喝や喧嘩などである。生駒山上の管轄警察は奈良県生駒署だった。事件があると山下の生駒町からパトカーで駆けつける。でも彼らがやって来るのは、いつも事件の終わった後ばかりだった。連絡してから一時間以上は後になる。騒動が終わる頃を見計らって駆けつけているような感じだった。ヤクザ同士の傷害事件があったり、アベックの男が殴られ、女はいたずらされたり、犯されたり、男は銭を巻き上げられたりした。若者グループの喧嘩もある。

 我々アルバイトが巻き込まれた事件もあった。
 仕事を終えたある日の夜、女子アルバイト生二人が二人の不良に絡まれた。
「おい、デートせえへんか?」と無理強いしたらしい。
 たまたま近くにいたアルバイト仲間から知らせがあって俺たちは数人で駆けつけた。そして相手をボコボコにしたのである。どこの連中か知っている者がいて、あいつ等はきっと仕返しに来るでと言うので、報復に来ることが予期された。
 明くる日の夜、同じ店のバイトのヒロコとデートに出ていた。その日も借りた単車での二人乗りだ。東大阪の単車乗り仲間が、入れ替わり立ち替わり山上に訪ねて来るので、単車を借りることに不自由はしない。
 その晩仕返しに来る予感があったが、ヒロコとは前から約束していたので、二人乗りして生駒・信貴ドライブウエイに走りに出ていた。デートから帰ってくるとカツヤとアキ坊が遊園地ゲートで待っていて、「あいつら仕返しに来てんで」と知らせてくれた。
 俺はカツヤに山荘の寄宿舎までヒロコを送って行ってくれるように頼んだ。自分がデートした女は自分が送るのがスジだった。でも、俺は奴らを殴った時に顔を知られているので、カツヤに送ってくれるよう頼んだのだ。カツヤは、奴らを殴った時にいなかったので大丈夫の筈だった。女からみると、俺の行為は卑怯に思われるのは分かっていたが、俺が送ると多勢に無勢、今度は俺一人がボコボコにされるのは分かっていたからだった。

 問題は深夜だった。
 誰もが夜遅くの攻撃を予測していた。襲撃に備えてビール瓶や棍棒など武器になりそうな得物を手近に置いて寝た。
 同じ山荘に寝起きする寿司職人らは包丁を研いだ。それは俺たち学生アルバイトに対しての示威行為だった。普段から何かにつけてバイトたちに押され気味だったからである。まさか刺身包丁で進入した敵を刺す訳ではあるまい、とは思ったが急に緊迫感が増した。
 案の定、その深夜大勢が山荘に押し寄せて来た。奴らは俺たちが寝ている宿舎を知っていた。昼に調べたのか、殴った後俺たちが帰るところを同じ仲間の誰かが後をつけたかどちらかだろう。
 やがて、「出てこいッ」と怒鳴る声が響いた。
 我々は出て行っても勝ち目がないと思い、明りを消した中で各々がビール瓶や棍棒を持って身構えていた。
 とうとうドアが蹴破られ先頭の者が進入してきた。
 木刀や刃物は持っていないようだった。俺たちも素手で応戦した。相手は空手の構えをしている。こちらも拳法の心得がある者が何人もいて応戦した。乱闘になった。相手は圧倒的な人数だった。押され気味になってきた。

(これは勝てない)俺は逃げ道を確保しておこうと思った。
 後ろ側は雨戸が閉めてある。俺はアキ坊に目配せして二人で雨戸を素早く開けた。逃げ道ができたことが分かった仲間は向きを変えて出口に殺到してきた。もう負けは決まっていた。こうなればヤラれないうちに逃げるに限る。おれは真っ先に外へ出た。すぐ裏は植え込みがあったがその外側には鉄条網が張られていた。鉄条網を広げ、その間から転がるように外に飛び出した。アキ坊を広げた鉄条網の間から逃すと、続いて他の者も逃げ出てくる。
 逃げ道がないと必死で戦うが、引き口ができたとなると、雪崩れを打ったように逃げ散るのは当たり前だった。
 この喧嘩は俺たちの完敗だった。相手が倍ほどの人数がいたからでもある。アルバイトが全員力を合わせれば、人数の上でも決して負けないと思うのだが、今回は俺たちの宿舎の住人七人だけだったからでもある。それにまた喧嘩で、寄せ集めの寿司職人と高校生アルバイトが結束することはあり得ない。
 ほとぼりが冷めた頃、誰が言うともなく俺たちがビヤホールと呼んでいる仕事場のレストラン裏に戻ってきた。
 仲間の四人は皆大きな怪我もせず無事だった。慌てて逃げたので俺は掌と背中を鉄条網で傷つけていた。綿シャツは破れ血が滲んでいる。他の三人もどこかに殴られた跡や鉄条網の傷があったが、たいした怪我ではなかった。 女子アルバイトの誰かがこの事に気付いて警察に電話したはずだったが、とうとう警察は誰も来なかった。 

 またこんな事件もあった。
 天気のいいある日の午後、来店客のヤクザ者が、ビヤホールのテラスで指を詰めたのだ。
 どんな失敗をしたのかは知らない。ヤクザ者は五、六人で来ていた。テラスに陣取って、初めは何事もなくビールを飲んでいた。が、
「ヘタ打ちしやがってッ」という声が聞こえた。話の内容までは聞こえなかったが、若い衆の一人が何か失敗をして、どのように詫びをいれるかというような話しだったらしい。どうやら指を詰めることになったらしかった。俺は少し離れた所から様子を見ていた。
 これはヤクザ者(もん)の度胸試しともなる。
 しかし、この若い男はとんでもない奴(やつ)だった。ぐっと飲み干した大ジョッキを、テラス端のコンクリート角に叩きつけて割り、刃物のようになったジョッキの割れ口を自分の左手薬指に当てた。そしてうめき声を押し殺して、二・三度叩くようにして指を押し切ってしまった。この男は右手も左手も溢れた血で真っ赤にし、テラスのテーブルまで真っ赤に染めて、なんとガラス片で切断したのだ。鋭い短刀(どす)でも、度胸がなければ中々スパッとは切れないはずだった。よほど胆力の据わった男に違いなかった。
 おそらく本人は短刀を持っていなくて、兄貴分の持ち物を借りて汚すことを遠慮したものと思われる。
 酔っぱらいが出したゲロの後始末など、俺たちはテラスをブラシと水で洗い流し作業をする度に、いつもこの男の噂話をしたものだった。他にも様々な事件があった。喧嘩やいざこざは日常茶飯事だった。

 アルバイト仲間の男女間に何組ものカップルが自然とできた。
 相手は一つ年上だったが俺は二人の女の子を好きになった。
 自分で言うのもなんだが、俺達は実際よくもてた。何故かと言えばそれは勿論、男が少ないからだった。俺も何人かに言い寄られた。「話があるので」とか、「相談に乗って」とか「聞きたいことがあるので」など、本人が直接言ってきたり、誰かに言付けてきたりして、どこそこへ来てとか言うのだった。
 なにせ女が圧倒的に多いということもあって、話しかけてくる女の子は多くいた。その中で俺はモモちゃんとヒロコと付き合っていた。俺たち男子アルバイト生は高校二年が多かったが、女子アルバイトは三年ばかりだった。モモちゃんも、ヒロコも高三だった。モモちゃんは奈良の県立高校生で、ヒロコは大阪の私立女子高生だった。
 ある交代休日の夜、モモちゃんと大阪ナンバへデートに行って、最終ケーブルで山上駅まで戻ってくると、改札出口にすらりとしたヒロコの姿があった。すぐ側(そば)にナッツンがいる。今や遅しと待ち受けていた感じがした。ヒロコとナッツンは大阪市内の同じ女子高に通う親友だ。
 俺の友だちのマサやんも一緒だった。
「今夜は大阪で泊まりかと思うたで」
 マサやんが言った。
 ヒロコは駆け寄ってくると、悪いのは俺なのにモモちゃんに突っかかった。
「あんた、ええ加減にしときやッ」
 ヒロコは俺の手を握ると自分の方へ引き寄せて、モモちゃんを睨みつけた。
「あんたこそッ関係ないやろ。向こうへ行きッ」
 モモちゃんは、掴みかかるようにヒロコの方へ一歩踏み出した。
 どちらも引き下がる気配はなかった。
 すかさずナッツンがヒロコを押し留めた。マサやんはモモちゃんをなだめる。止めに入ってなければ、女二人の取っ組み合いになるところだった。 
 そのあと二人は口をきいたことがなかった。
 二人とも出身高校の女番長だったと後で聞いた。
 大体に俺は不良女子高生によく縁があった。
                       
 盆を過ぎると夏の生駒山は行楽客が目立って減ってくる。
 アルバイト生たちも終盤に入ると、バイトがきっかけで付き合い始めた男女間の、バイト後旅行の話が囁かれるようになる。
 モモちゃんとヒロコの喧嘩のあと、俺とモモちゃんの付き合いは希薄になり、ヒロコと親密さがました。それで男二人女二人で旅行に行こうということになった。俺とヒロコ、カツヤとナッツンのカップル二組四人だ。一方、モモちゃんは遊園地従業員の年上の青年と付き合いを新たにはじめたらしかった。他にも何組かのカップルができあがり、それぞれバイト後の計画が進んでいるようだった。
 俺たち四人は一泊で岡山県に遊びに行くことにした。
 計画は全部ヒロコとナッツンが立てて、俺とカツヤは彼女らに任せきりにした。行く先は、岡山後楽園と鷲羽山だった。

 アルバイトで貰った賃金の全額を持って、俺たちは国鉄大阪駅から山陽本線の急行列車で岡山へ向かった。
 彼女たちは、おしゃれな明るい色のワンピースを着ていた。そして二人とも同じような赤い中ヒールのサンダルを履いている。
 ヒロコはショートカットで、栗色の髪を美しくカールさせ、ナッツンは黒く艶やかな髪を肩で切りそろえていた。
 二人は薄化粧をして、すでに大人の雰囲気を持っている。特にヒロコは背が高くすらりとして、モデルをしていたことがあったと噂で聞いたが、改めて本当のことかも知れないと思わされた。
 山陽本線の車中、俺はヒロコと、カツヤはナッツンと同席で前後のシートを確保していた。
 道中は生駒山上でのアルバイトの話ばかりをした。
 彼女らは来年卒業なので、また山上でアルバイトを一緒にするようなことはないだろう。会うのもこれが最後になるかも知れない。
 昼ご飯は、大阪駅で買っていた駅弁を車中で食べた。

 国鉄岡山駅に着くと、彼女らは先に立って歩き、旅行案内所で当日の宿泊先を予約した。
「やっぱり年上の女はしっかりしているなあ」
「そやろ。ねーやんらに任せたのは正解やったな」カツヤも言う。
 宿が確保できて、四人は駅前の周辺を散策した。
 もう午後二時に近かった。
 一日目は後楽園に行くつもりだったのだけれど、誰が言うともなく面倒になったので予定を変え、喫茶店などで夕方まで時間をつぶし、早い目に旅館に入ろうということになった。
「洋食・喫茶・パーラー」と、赤と緑とオレンジ色で書かれた大看板を掲げた駅前の店に入った。
 俺とカツヤは少し腹がへっていたのでスパゲティーを食べることにした。ヒロコはレモンスカッシュ。ナッツンはクリームソーダを注文する。
 ウエイトレスは注文を聞くと、手板に挟んだ伝票に品名を書き込み、下側の白い伝票と手板をテーブルに残して向こうへ行った。複写になった勘定伝票のようだった。
「ミートスパとナポリタン。レスカとクリソ一丁づつですッ」
 向こうの厨房カウンターでオーダーする彼女の声が聞こえた。
「呼び方はどこでも一緒みたいやネ」
 ヒロコがナッツンに言った。
 生駒山上のビアレストランは厚紙の前売り食券で、半券を客席に残しておいて料理と引き替えにするシステムだった。
「コックさん達は夕方になると『さあ、これから戦争や』といつも言ってたのを思い出すわ」
 ナッツンが言うのを聞いて俺は、いつも芋の子を洗うように混雑する生駒山上の店を思い出した。
 夕方から閉店近くまで客はとだえることなく続き、店内は料理のオーダーと確認の大声が飛び交って、さながら戦場のような雰囲気になるのだ。
「忙しかったけど、おもろかったなあ」
 俺が懐かしむようにいうと、うんうんと皆同意顔だ。
 しばらく思い出話を続けた後、俺たちは予約しておいた旅館に足を向けた。

 旅館に入っても、二組が別の部屋にどのように寝るのかについて、俺とカツヤは何の相談もしなかった。すべて姉さん組に任せた。
 彼女らが旅館にどのように話し、また宿帳にどのように記入したか全然知らない。何もかもスムーズに進んで、二部屋をとり、まず、男同士、女同士で旅館の各々の大浴場に行った。
 入浴後、みんな浴衣着で戻ってきて一つの部屋で寛いでいると、
「食事は皆さん一緒でいいですね」
 仲居さんが言い、飲み物は? と聞いた。
「はい。四人で一緒に食べます。まずビールを二、三本持って来てください」
 ヒロコがテキパキと言った。
 仲居さんが大瓶ビールを三本持って来て、すぐに二本の栓を開けた。
 ヒロコが俺のグラスに、ナッツンがカツヤのグラスにビールを注ぎ、男も同様に相手にビールを注いだ。
 俺たち四人は大人のように声を揃えて言った。
「カンパイ」
 横で仲居の一人がニコリとした。
 ナッツンが小さな紙包みを手渡した。
 座敷机に料理が出てきた。中年の仲居二人が世話をしてくれた。
「あんたたち、夫婦になりんさい」
 先ほどニコリと微笑んだ仲居が、またニコリとして言った。
 俺たちが未成年であることは薄々感じているはずだった。

 夕食の後、二組のアベックは早々と二部屋に別れた。
 俺はヒロコと手をつないで部屋に入った。二人とも風呂はすでに済ませている。部屋には、夫婦の寝室のように二組の布団が寄り添って敷かれていた。
 二人は当然のように一つ布団に入った。ヒロコは俺の左側にこちら向きに寝る。自然に唇を合わせた。これがヒロコとの初キッスだった。
 ヒロコのキスも巧みだった。俺は右手を相手の背中に回わし、ツ・ツーッと尻の方へ降ろす。ごわごわとした手触りだった。 
 唇を外して相手の浴衣の紐をほどき、くるりと転がすようにして剥がした。
 彼女はシュミーズを着ていた。その下にブラジャー、パンツなど、しっかりと身に着けている。
「ヒロコ、手触り悪いわ。シミズぐらい取れよ」
 ヒロコは俺の言葉を無視して、俺の首に手をまわして又、キスをしてくる。 仕方なく俺はシュミーズの上から尻を撫でた。
 下側からシュミーズをたくし上げ、手を差し入れようとする。
「それだけは止(や)めて……」
 ヒロコは俺の手を押さえて拒む。俺は無言のまま彼女の前の方から手を入れかけた。途端、バサーッと襖が開かれた。
「ヒロコ! 止(や)めときッ」
 ナッツンが浴衣姿で飛び込んで来た。
 カツヤとナッツンの部屋は廊下を挟んだ向かい側だった。
 俺もヒロコも布団の上に起き上がった。二人とも浴衣の乱れを直し、紐を結び直した。
 すぐにカツヤが顔をだした。四人が顔を見合わせた。
 ナッツンとカツヤの様子から、出来ていないことが察せられた。
「ヒロコ、絶対にしたらアカンよッ」
 ナッツンは強い口調で言い残し、カツヤと自分らの部屋へ引き上げていった。
 ヒロコは隣に敷かれていた布団に移り、俺は一人で朝までぐっすり眠った。

 翌日、俺たち二組のアベックはバスで鷲羽山まで足を伸ばした。
 鷲羽山は素晴らしい景勝地で、観光ホテルの前は美しい砂浜が広がっていた。 空は美しく晴れ、瀬戸内の海は穏やかで海水浴に絶好だった。
 ところがヒロコは、「体調が良くないので海水浴はしない」と言い、ナッツンがそれにつき合って二人は水着を着ないで浜で遊ぶ。
 カツヤと俺は海で泳いでいたが、しばらくするとそれに飽き、浜に上がって四人で魚釣りをしたりして楽しんだ。
 俺たちは一日中海辺で遊び、もう一泊したが、それ以上の関係には進まず大阪に戻ってきた。
 大阪駅に着いた時、
「これで終りにして別れよか」とヒロコが俺に言った。
 この言葉を最後に、高二の夏は終わった。
                                           
                     
  第一話 了