真朱の姫神 第四部・黎明編
                                                                                  
 五、カシオペア座(錨形星)
                     
 歴陽県烏江(うこう)の港では次々と物資の積み込みが進んでいた。積み込みが済むと乗組員が乗り込んでいく。一隻あたり五十人とあらかじめ決められていた。積載物資が多いので船の大きさの割には乗員が少ししか乗れないのである。
 出港準備のできた船から沖合に出て、船団単位で待機するよう指示されていた。沖合に出るまでは帆を揚げず、船の左右から出ている櫂で漕ぎ出す。
 航行順は第八船団からで、次は第七、第六…と逆順で沖合より船出して行くことに決められていた。特使将軍の徐市(じょふつ)は、第一船団の第一船に搭乗している。
 全六十四隻の大船団に物資と乗員の搭乗が完了すると、港を管轄する郡の司政官が引き連れてきた郡兵の軍鐘の音を合図に、船団は一斉に帆を上げて東に向けて出航していった。

 航海は順調だった。出発前から心配していたほど海は荒れず、穏やかな海路だった。
 船は帆走と人力の両用だ。風向き次第で櫂を漕いで行くのである。逆風での帆走はまったく無理だが、横風は帆を上手く操れば前方に進行できる。
 第一から第八船団まで六十四隻もの船数になるので、自然と縦に長くなる。船団は東に向かって航行していた。
 未知の海に乗り出す場合、行く先にどのような危険が待ち構えているか知れないので、指揮官の船は後ろから行くのである。
 第八船団が先頭を行き、第一船団は一番後の船団になるが、その八隻のなかで徐市の乗る第一船は最後尾の一つ手前で航行した。しんがりは朱虹(しゅこう)らの乗る船だ。この船の船長は政庁から派遣された船乗りで船団の監視を言い遣っているようであった。もちろん徐市の乗る第一船にも政庁の手先らしい船乗りもいた。

 経験を積んだ船乗りに指導され、訓練を経て少年たちも船乗りの一員として立ち働いていた。慣れない船上生活では日常的に様々な問題が起きていた。食事、排泄、睡眠などでいざこざが絶えずあった。未だ成人していない少年たちである。少女も半数近くいるので異性関係にも注意が必要だった。船上では絶えず職業訓練がなされた。

 第一船団の第二船に朱虹とその仲間たちが乗っていた。最後尾の船である。
 朱虹の老執事、丹渓(たんけい)は船団の他の者達からも頼りにされた。船長は政庁から派遣されてきた人物だったが、丹渓が大変な知識人だと分かると大いに重用した。船上での様々なもめ事も、親が子供にさとすように説得して少年達を指導した。集団の中には経験豊かな老人が必要なのだということが船長もよく分かったようだった。丹渓は方角が計れる器具
(※)を持っており、それを使って正確に方位を示すことができた。彼は様々なことに対処できる能力があったので、他船の船長も船縁(ふなべり)を寄せては、この船に乗り移って相談にきていたほどである。

 朱虹の侍女小蘭(しゃおらん)は少女達に、船内での食事作りなど軽作業の合間、熱心に織物を教えた。少女達は小蘭をシャオニャン(小娘)と呼んで慕い、何かと相談するのだった。
 従者の若者四人は、一年の訓練期間を経て誰もが見違えるように逞しくなっていた。船上ではもう一人前の船乗りのように働くことができた。彼らは仕事の合間に、呉徳が連れてきた金属精錬士に就いて専門に鉄や丹の製法を学んでいた。
 朱虹(しゅこう)は少年少女達の中から適正を見て、敷物や家具調度品の意匠基本を教えた。資質のありそうな者達には実地に指導していた。彼女自身も、乗船している専門の職人から必要な技術の教えを乞うこともあった。たとえば養蚕の技術である。
 養蚕は、この技術がないことには絹織物は作れない。船には桑の苗や蚕種(カイコの卵)を積んできていた。しかしこの技術は簡単ではなかった。扶桑国に上陸したら必ず役に立つ技術である。朱虹は自ら、職人に懸命に学んだ。先ず自分が会得してそして少女たちに教えていこうと思ったからだった。

 朱虹は夜、船からよく空を見た。そして思う。
 ああ、胡傑(こけつ)。今どうしているの?いつ来てくれるの?、必ず戻ってくると私に誓ってくれたことは嘘だったの?と聞きたかった。むかし国で楽しく暮らしていた頃もよく空を見た。寒い冬の夜、まだ子供だった私は、胡傑に馬に一緒に乗せてもらって丘に行き、夜空を見たことがあった。そのことを思い出していた。その時も今のように北の空を見上げた。北の空には美しく輝く錨形の星が天空高く昇っていた。
朱虹は、胡傑が昔話して聞かせてくれたことを思い出した。
(姫、あの錨形の星座をごらん。あの中で一番明るい星がカシオペアと言うのですよ)そういって教えてくれた。
(それは姫のご先祖の女王さまの名です)そう言って胡傑は説明した。

 その話によると、カシオペアはエチオピアのシバ女王の子孫でイスラエルのソロモン王の血も引いている。先祖は北イスラエルに代々住んでいた。カシオペアが姫だった頃、北イスラエルは連合王国で、十もの氏族に分かれた属国から成り立っていた。その内の国の一つがカシオペア姫の父王の国だったのである。しかし、北イスラエル王国は氏族間で抗争が始まり、父王は戦争で死亡。王女だったカシオペアは一族を引き連れ、戦乱を避けて東に移住して国を作って女王となったのである。その後、北イスラエル王国はアッシリアに滅ぼされ、国民の殆どが捕虜としてアッシリアに連行されてしまった。からくもアッシリアの捕虜となることを逃れて小国を築いていたカシオペア女王は、将軍と結婚し王子をもうける。時が過ぎ、王子が成人すると王位を譲り、カシオペア女王は薨去した。女王が亡くなったその夜、代々国王に仕えてきた占星博士が次の王となる王子に北天の星を指し示し、今宵新しい星が生まれました。見てください。女王様が天空にのぼられて輝いています。今生まれたあの星はカシオペアという名となります。と博士が告げたのだという。

 そのような話を胡傑は聞かせてくれたのだった。
 朱虹は胡傑が語ってくれたその話を思い出していた。
 季節は夏の初めになっていた。今、空を見上げてもあの美しく輝く星はない。北の空には柄杓形の七つ星が寂しく光っていた。この隣が太白星で真北の方角である。昔より晴れた日の夜の方角のしるべにされていることは知っている。
(胡傑も今、この星を咸陽の都で見ているかも知れない)そう考えてふと、もう戦地に遣(や)られて死んでいないだろうかと心配になってきた。
「女王さま、どうか胡傑をお守りください」
 朱虹は甲板にひざまづいて北に向って祈った。いまは空に見えないが、カシオペアがきっと胡傑をこの船に導いてくれる。冬の季節には、きっと一緒にあの星を見ることができる。確信に近い期待に朱虹の胸が大きくふくらんだ。

※方角が計れる器具=羅針盤以前に、やはり磁石を利用して南方向を見る道具があったようである。磁石の性質を持つ鉱石を木に埋め込んだようなもので、水に浮かべて計ったと思われる。

目次へ 次頁へ