真朱の姫神 第四部・黎明編
                                                                                  
 三、旅立ち(仙薬を求めて)

 出航の期日が間近に迫ってきた。徐市(じょふつ)は航海の相談相手として、商人の呉徳(ごとく)に何かと相談をしてきた。呉徳は交易商人なので多くの国々を回っている。それだけに経験が豊富で各国の地理や海路の状況に詳しい。
 徐市には最終的な秘匿していた考えがあった。いっそそれを呉徳に打ち明けて協力してもらおうかとも思った。
 どこの海岸から出港してどの海の、どのような航路を通って東の果てにある扶桑国に行けばよいか知りたかった。どの航路をとれば安全に目的地へ到着できるかが問題なのである。全員はむりにせよ、できるだけ多くの人員を無事に運びたかった。もとより仙薬を持って帰国する気などなかったのである。

 徐市は今までの航海である程度のことは分かっていたが、なお経験の長い呉徳から情報を入れようとした。航海は、ほぼ前回と同じ航路をとるつもりだったが、出港地はもっと南の方が良いと思っていた。それは海流が利用しやすいからである。その確認がしたかった。実は他にも大切な要件があった。それは鉄器のことである。秦国の武器はそのほとんどが未だ青銅で作られていた。矛だけが鉄製だっただけである。徐市は鉄の威力を聞いていた。欲しいのは鉄精錬の技術である。それで農具を作りたかった。未開の土地の開墾にはどうしても鉄製の農具がいると思った。百工というほど多くの職種の工人を連れて行くが、採鉱・精錬の技術者がすくなかった。特に必要なのは鉄と丹に係わる技師だった。

 始皇帝からは不老長寿の仙薬を持ち帰るように言われているが、徐市は戻るつもりなど毛頭なかったのである。呉徳は秦国の御用商人としてよく朝廷に出入りしているが、いっそ呉徳にこの秘密を打ち明けて仲間になってもらおうか、などと考えたりする。
 徐市は思う。この国、秦は長くは続くまい。ここ数年で崩壊すだろう。始皇帝はあまりにも過酷な税や徭役を課し過ぎる。それに従わないと残酷な刑罰で処断するのである。民は疲弊し怨嗟の声が国中に満ちているではないか。きっと誰かが始皇帝打倒を掲げて旗をあげるだろう。天意も今やもう始皇帝にはないと思われる。呉徳も先のことを考えているはずだ。案外協力してくれるかもしれない。このように徐市は考えたものの、やはり始皇帝は恐ろしかった。(帰ってくるつもりはない)などとは、やはり呉徳にも打ち明けられない。

 遠洋に航海する場合、様々なことを予め想定して考えて置かなければならない。風向きのこと、水や食料のこと、病気対策、船団全体への指令や統率手段のこと等々。
 大陸では夏に海から陸に向かって風が吹き、冬には陸から海に向かって風が吹く。東海に向かって船出するなら、季節風からみれば秋口から冬にかけて航海するのがいいのだが、冬の船旅はあまりに過酷だ。海が荒れる季節でもある。目的地へは真冬の到着が想定できるので、それでは現地での生活基盤づくりが大変である。一方春口に出発すると、風向きはあまり良くはないのだが、到着後の活動はしやすい時期になる。住居とか食料となる作物の植え付けなど、なんとか生活の基盤作りができるだろう。航海は、季節風の代わりに海流を利用すればよい。いろいろ考えるとやはり春口に出発するのが良いと考えられる。それで出発は春先と決めていたのだった。

 以前から呉徳にはいろいろ話を聞いていたが、出発を間近にして最終確認のため呉徳を政庁の自室に呼んだ。
「呉徳、よく来てくれた」
 徐市は胡座から立ち上がると、歩んできて前の敷物に誘って言った。
「徐市様、どうぞご遠慮なくお呼びください。私はあなたのご用ならいつでも喜んで参じます」
 如才なく呉徳はいった。好意を持っているらしく笑顔で嬉しそうにいう。
「ありがとう、呉徳。あなたに会うと気がなごみますよ」
 本当に徐市は呉徳に会うと落ち着いた気分になるのである。何か安心感があって他人のような気がしない。それに知識が豊富なのである。徐市は航海に必要な食品や道具など、あらゆるもの一切の手配を委ねていた。
 徐市は、航海について呉徳から様々な意見を聞き、最終的に出航地は歴陽県烏江の港と決めた。
 そして、航海に必要な物資の集積具合を、傍らの役人に確認した後で言った。
「船積みに必要なものは大体揃ってきたようだね。人員もあらかた集まったんだが、工人のうち、もう少し金属精錬と鍛冶職人が欲しいと思うんだがどうだろう。」 
「徐市様、百工は、一通り職人が揃ったように聞いていますが」
「そのようなんだが、特に鉄と辰砂の伎人(てひと)がいるんだ」
「仙人の要望は、仙薬の代価として百工と童男女三千人でしたね?」
「それはそうなんだがね。もう少し金属精錬士が欲しいんだよ」
 呉徳は(なぜ鉄と辰砂にこだわるのですか、人数さえ揃えて渡せば、それで仙薬は手に入るのでしょう?)聞き返したいはずだが、と思いながら徐市は呉徳の返答を待った。
「分かりました。私が腕に覚えの職人を何人か用意しましょう」 意外にも呉徳はあっさりと答えた。

 出発を明日に控え、咸陽宮の政庁前は急に慌ただしくなった。駱駝や馬に乗せられた物資が次から次へと場内に入ってくる。人の出入りもひっきりなしとなってきている。総船団長で遠征将軍でもある徐市は、政庁前に全船長を集めた。
 船団は第一船団から第八船団まであり、船団長が八人。
 一船団は第一船から第八船まであって、総船数は六十四船となるので、船長は総員六十四名にもなる。各船団の第一船の船長が船団長を兼務する構成である。その六十四人の船長を集めると徐市は出航前の訓示をした。
「みんなよく聞け。皇帝陛下のご命令で明日からいよいよ遙か東海のかなたにある蓬莱(ほうらい)、方丈(ほうじょう)、瀛洲(えいしゅう)という三神山に向かって出発する。言うまでもないことだが、お前たち船長の役目は目的地まで無事に乗員を運ぶことだ。」 徐市は一人一人に目を移しながら力強い言葉を発した。
「いつ到着できるか、はっきりとは言えない長旅となる。その間、任された船の責任はその船長にある。つまり、乗員と積み込んだ物資の安全を守る責任のことだ。一船団八隻の責任は同様にその船団長にある。その八船団合計六十四隻の総責任は、もちろん総船団長であるこの私、徐市(じょふつ)にあることは言うまでもない」
 そこで徐市は一息ついた。
「いいか、大変厳しい航海になることは分かっている。船長はその船の乗員全員を自分の家族と思え。しかし甘えは許すな。こうした航海では一人の落ち度が全員の命にかかわることが多くある。部下の責任の所在をはっきりさせて規律を守らせろ。それが航海の安全につながるんだ」
 徐市は特に規律を守らせる重要さを説いた。
「もう一つ、言っておかなければならない大事なことがある。それは、少年たちの訓練のことだ。船員として手伝いをさせる一方、それぞれ職人としての技術も磨かせなければならない。これはこの一年の訓練期間中言い続けてきたことでもあるが、時間の空いた折にも寸時を惜しんで学ばせろ。」
 徐市は船長たちに諭すように言った。
「工人や童男女は異国に残すことになる。彼らがその地で生き残ってゆくためには、異国の地でも役立つ技術を持つことが大事だからである」
 徐市は熱っぽく語る。
 徐一は思う。まさかここでは言えはしないが、(帰るつもりはないんだ。これは大移民なのだ。東海の彼方の地に国を作る。そのための技術者であり、少年たちなんだ。みんな儂(わし)の大家族の一員なのだ)と声を大にして叫びたかった。

 その後、各船団の船団長を集め、政庁の役人と共に装備や積み荷を確認させた。この咸陽宮の一角に人員や装備・積み荷を集積させてから、水路と陸路で歴陽県烏江(うこう)まで移送し、それからその港に集まってきている外用船に積み込んで出港という手はずになる。
 この時、朱虹の従者が持ち込んでいた木箱も中を改められた。中には鍋釜や生活小物を入れてあった。その下に仕切蓋があり、役人がそれを外して驚いた。そこには骨片が入っていたからである。立ち会っていた丹渓がすかさず言った。
「これは我らが主人の父親の遺骨でございます。どうかお見逃しください」
 丹渓はその役人に金の小片を握らせた。

 その日の夕刻、総責任者の徐市をはじめ八人の船団長全員が、咸陽宮での壮行の宴に始皇帝から呼ばれていた。徐市は総船団長ともいうべき立場の航海遠征将軍である。
 広い宴会場の中央正面には、始皇帝の豪華な肘突きの胡座が置かれてあった。その前面中央には波斯(ぺるしゃ)製らしい敷物が敷かれてあり、その敷物に徐市をはじめとする八人の船団長が、皇帝から距離を置いて着座していた。

 しばらくして、文武官十数名従えた皇帝が入室してきて、文官が左、武官が右に、徐市らと皇帝との間の敷物に位置を占めた。宦官とおぼしき高官が口を開いた。
「本日は、皇帝陛下の勅により、仙薬求めの航海に明日出立する徐市らの為、壮行の宴を開いて下さることになった」
 丞相らしき高官は威儀を正して述べた。
「『今宵は宴を楽しめ。明日からの航海においては、朕の命令を忘れず、必ず仙薬を持ち帰れ』と皇帝陛下は言っておられる」と高官は続けて言う。
「陛下から賜っている胡酒があるので、ありがたく頂くよう」
 胡姫が出てきて、皇帝の右横の卓上にある硝子杯に壺から紅玉色の液体を注ぐ。続いて何人もの女官が出てくると、文武官、徐市ら船団長にも木杯を渡して注いでまわった。
「乾杯」皇帝が声を発すると一息に飲み干し、周りの文武官も、徐市らも杯に口をつけた。

 女官らが次から次へと料理を運び込んできた。皇帝の前には盛り卓が置かれ料理が満載にされる。敷物の上に直に座り込んでいる文武官や徐市ら船団長らの前にも、沢山の大皿が並べられた。
 宴は始められた。船団長らは誰もが食べたことがないような豪華な料理であった。
 しばらくすると、皇帝の席の対面側に楽器が持ち込まれた。箜篌(くご)や箏(そう)、胡笳(こか)・胡琴(こきん)などである。壁際には編鐘(へんしよう)も置かれた。そして妙なる音楽が演奏され始める。とすると、雅やかな絹の衣を纏った胡姫の踊り子らが大勢出てきて胡旋舞(こせんぶ)が踊られた。艶めかしいしぐさで胡姫らは腰をくねらせて踊る。
 宴も佳境には入った頃、先ほど冒頭に始皇帝の言葉を代弁した宦官(かんがん)が、徐市にすり寄ってきた。女のような柔い動作で、手のひらを立てて添えた口を徐市の耳に寄せて囁いた。
「皇帝陛下がお呼びでございます」
 小声だが高い宦官の声音に、徐市は虫ずが走る思いがした。その宦官に先に立って案内され、皇帝の前に進み叩頭した。
「徐市よ、近うよれ。」
 徐市は叩頭したまま、すこし前ににじり寄った。顔を上げよと言われ顔をあげると、威圧するような声で始皇帝は言った。
「徐市よ。これで三回目だな。今度こそ絶対に仙薬を手に入れて帰れ!」
「お前は車裂きの刑を知っているな。次の失敗は許さないぞ。わすれるな」と続けて言い、
 昨年の話だがと言って、始皇帝の命令で長年にわたり不死の仙薬を求めて廻った生某と侯某という二人の儒者の話を聞かされた。二人は何年経ても仙薬を手に入れられず、逃亡したが探索され、見せしめのため民衆の前で車裂きの刑にされたという話であった。
 これがきっかけで皇帝は、儒者を信用できない嘘つきだと決めつけて弾圧するようになった。いわゆる焚書坑儒はこれがきっかけだったのである
 この話はもちろん徐市は知っていた。徐市は大仰に恐れてみせ、更に平蜘蛛のように始皇帝の足下に叩頭してしばらく動かなかった。
「今度こそ必ず不老長寿の仙薬を持ち帰り、陛下にお献げ致します」
 徐市は何度も誓いを延べ、引き下がった。

 明くる日、徐市以下の船団乗組員一行は東方航海に旅立った。
 黄河支流渭水の北岸にある咸陽宮に近い船着き場から、次から次へと資材と人員を満載した船が岸を離れた。そのまま渭水の流れに乗って下り、河水に入る。黄色い河水の濁流は蛇行しながら東流している。開封で積み荷と乗員を降ろした。そこからは陸路である。
 秦帝国の全土は三十六の郡に分けられていた。一郡はさらに戸数一万前後の県に分割され、郡・県には司政官が咸陽から派遣され行政と軍事を担当していたのであった。県はさらに郷、亭、里などに分けられている。陸揚げする要所には司政官が待っていて何かと便宜をはかってくれた。始皇帝からの指令が行き届いていたのであった。始皇帝は各地から首都咸陽に至る道路を整備し、駅馬の仕組みを構築していたからである。まだまだ不十分であったが、都からの東路、南路、西路は重要だとして幹線道路には駅馬網ができつつあったのである。
 陸路を南下した一行は南京付近で江水を南に渡った。もちろん渡河は船に頼るしかない。物資や人員とも船に積んでは降ろし、陸路は馬や驢馬(ろば)、荷車などで運び、又船に積んでは、降ろすのだ。こうして歴陽県烏江の港まで河川や運河など水路を利用しながら物資を移送した。当然ながら陸路を行く場合の人員は、大部分の人々は徒歩で移動する。それもできる限りの荷物は背に担いだり手荷物として持ち歩くのである。
 大勢の人員は、あらかじめ決められていた航海船単位の乗組員構成で行動した。一船あたり五十人乗船。この船が八隻で一船団群を成し、これが八船団あって全部で六十四隻ある。総人数三千二百人になっていた。これだけの人数だと、一緒に行動することは難しいので、一船あたりの人数、五十人単位で行動している。
 大陸東岸の歴陽県烏江の港では、今回の航海用として新たに建造した船を含めて、六十四隻の船が、乗組員と物資の到着を待っている手筈になっていた。

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