もう一つの聖櫃伝

丸谷いはほ
                                                                                  
  α、プロローグ  

 ……西暦紀元前五八七年、新バビロニア国王ネブカドネザル二世が、エルサレムに侵攻してソロモンの神殿を破壊した。その時、ソロモン王が神殿の奥の間に大切に保管した「聖櫃(アーク)」が、何者かによって盗まれた。それはアカシア材で作られた宝物箱とでもいうべきもので、その大きさは、長さ二半、奥行一半、高さ一半アンマ(一アンマは四五センチ位)の寸法で仕上られていた。その箱には持ち運びができるよう、下部に二本の棒竿を通し固定されていたという。
 しかし、実はここで盗まれたものは偽物で、本物の聖櫃はすでに無くなっていた。
 ……これより遡ること数百年、紀元前十世紀頃、エチオピアからシバの女王が、イスラエル王国の都エルサレムにソロモン王を訪ねてきたことがあった。ソロモン王はこの異国の女王を一目で気に入り帰国を押しとどめた。しばらくエルサレムに滞在した女王は、間もなく子を宿した。
 ……ソロモン王の死後、シバの女王が生んだソロモン王の息子がエルサレムを訪ね、帰国の際に至聖所に安置されていた聖櫃をどこかへと持ち去った。それは、そのとき王国にソロモン王の血を引く正統な後継者がいなくなっていたため、ユダの大司祭がシバの息子に託したのであった。もちろん至聖所には、本物とそっくりの贋物の聖櫃を残しておいたのである。
           
 ……時は移り、紀元前二百十二年の中国・・・  
 ここ秦国の都・咸陽には各地から大勢の人たちが集まって来ていた。
 戦国時代の覇者となった秦王瀛政(えいせい)が始皇帝を名乗り、その時から自分を埋葬するための巨大な陵墓の建設に着手していた。この労働にはほとんど刑徒があてられた。また同時に咸陽に阿房宮と呼ぶ壮大な宮殿の建設にも取りかかり、加えて北から侵攻する匈奴に対する防御として、長城の修築など巨大な工事を推し進めていた。これらの労働に駆り出されているのは大部分が農民である。その労働は過酷を極めていた。農民と言っても実際は奴隷そのもので、各地から強制動員されたものである。秦国は群県制を敷いているので、各地の群守県令に人数を割り当て徴発を命じたのであった。もちろん全てが農民ばかりではなく、各地での戦争で捕虜にした兵士を奴隷として使ってもいる。彼らは工事の最先端に派遣され、苛烈な労働作業に従事させられていた。
 咸陽の中心街では農民の姿はほとんど見かけない。
 夕方になると市街で遊興しているのは、上級官吏と一部の将士、御用商人の類だけであった。市街地には彼らの欲望を満たす施設がある。酒場や食堂、それに娼館である。
 ほかには様々な雑貨・道具を扱う商店があった。鍛冶や石工、大工らの職人たちは道具を携えて工事現場に駆り出されている。
 始皇帝は道教の信奉者でもあった。先年は泰山において三皇五帝の故事にちなむ封禅の儀式を挙行した。神仙思想に傾倒して各地から高名な方士を呼び寄せ、不老長寿の仙薬を求めた。その方士の一人が徐市(じょふつ)/徐福であった。
 徐市は、はるか東方海上のかなたに蓬莱、方丈、瀛洲(えいしゆう)という三つの神山があって、仙人が不老長寿の霊薬を作っていると始皇帝に説明し、ある時始皇帝を海岸に案内して蜃気楼を見せた。そして、あれが仙人の住まう神仙境です、私があそこへ行って仙薬を貰ってきましょうと言い、始皇帝の求める不老長寿の霊薬を手に入れるとして、以前に二度も東海の彼方へ航海に乗り出したことがあった。しかしいずれも失敗して舞い戻っていた。
 一度目は大鮫に邪魔をされて命からがら逃げ帰ったと言った。
 二度目は、大鮫を殺す為に強力な弓が必要だと要求して、弩の名手を連れて行った。そして様々な困難に遭いながらも遂に神山にたどり着き、仙人に会ったが贈物が足りないと言われ、仙薬は手に入らなかったと言い訳をした。何が足りなかったのかと始皇帝から尋ねられた徐市は、
「黄金はもちろんのことですが、他に百工と童男女三千人、それに五穀の種が要ると言われました」と答えたのであった。百工とは様々な技術を持った職人のことである。
「それで不老長寿の仙薬はもらえると言うのだな」
 始皇帝は納得し、徐市がいう仙人の要求に従う約束をして三度目の航海を命じた。

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