真朱の姫神 第五部・未来編

丸谷祥雲
 
 六、奈良遷都

 日本は、大きな自然災害に次々と襲われていた。 
 台風や洪水、地震などである。それに加えて各地で火山活動が活発になってきていた。
 中でも日本中が注目して、その成り行きを一番心配していたのが富士山の動向だった。近年中には大噴火を起こすだろうと言われていた富士が、この年とうとう噴煙を上げたのだ。東京五輪を終えた翌年だった。
 それまで富士山の周辺では、毎日火山性の微動地震が続いていた。いよいよ大噴火が近いと見た気象庁は観測に本腰を入れはじめた。精密観測をすると山体の膨張が認められた。山中湖では水位が下がりはじめていた。その後、八合目位の東南山腹から初めての噴煙が上がったのである。

 いよいよ富士山が大噴火を起こすのは決定的だと人々は噂をした。日本中がニュースに釘付けとなった。富士周辺の村や町は怯え大騒ぎになった。でも、噴火の兆候が見え始めただけでは、引越するわけにもいかない。休日だけに来る別荘生活者や趣味の菜園を楽しむために季節移住して来ているような身軽な人たちは早々と引越をはじめた。みんなが浮き足だってきても、そこに生活の基盤を置いている人たちは簡単に引越をする訳にもいかなかった。大部分の人たちは「今しばらく様子を見よう」ということになる。

 政府にとっては「富士山噴火」ということになると、このまま捨ておけないない重大事だった。大噴火にでもなれば首都機能が麻痺するのは明白だったからである。
 噴出した溶岩、或いは火砕流で高速道路や新幹線が分断される。「これは一大事!」と今度ばかりは、政府も首都の移転を真剣に考え、即候補地の選定に入った。首相の側近たちは、
「噴火に伴って降りそそぐ火山灰の被害の外、北方から侵略される危険もある。この際思い切って関西方面へ遷都しましょう」と言いはじめた。首都機能を移転するだけでは済まされないと言うのである。では、一番安全な地域は何処か?
 首相の諮問機関からは
「それは奈良盆地以外には考えられません」と答申してきた。
 政府首脳は考えた。遷都とは帝都移転と同じ意味である。
「天皇にも江戸城皇居から、お移りいただかねばならない」
 諮問機関の、ある信頼できる人物はこう言った。

 以前にも首都機能の一部の移転については検討されたことがあり、法的には一九九二年に「国会等の移転に関する法律」が成立していた。さらに一九九九年には「国会等移転審議会」が候補地として三地域を選定していた。その三地域というのは、「栃木・福島地域」「岐阜・愛知地域」「三重・畿央地域」の三候補地だった。しかし移転費用は当時で十数兆円とされ、厳しい財政状況下ではとても困難である、そのような費用があるなら、他に急を要する用途が山ほどある等々、反対意見が多く、そのうち首都機能の一部移転問題は立ち消えとなっていたのである。

 ところが事情が急変したので今回の審議は、国会等の移転ではなく、首都機能が麻痺するかも知れない事態に対応しての「遷都審議会」であった。
 当然前回の三カ所の候補地が再検討されたが、最終的に候補地として残されたのは「三重・畿央地域」の畿央地域だった。
 そして最終の審議会では、首都としては広大な平地が望ましいとされ、やはり古代より都が置かれた奈良の地が帝都として最も条件が良いということで、最終的に遷都先は奈良盆地と決定された。

 あとは専門家集団によって奈良盆地内の、どの場所に都を造営するかの検討がなされた。土地の取得で一番問題になるのは必要な広さが確保できるかどうかだった。最初に目が行くのは藤原京があった地域である。この周辺は史跡公園になっていて、今でも藤原宮及び藤原京の発掘調査が続けられていた。また、「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」として世界遺産登録に向けての下準備を進めている段階でもあったが、この際は緊急事態だった。そのような事より、是が非でも遷都しなければ日本の存続そのものが危うかった。
 政府の肝いりで奈良三山に囲まれたこの地域に新帝都を建設することに決定された。
 そのように決定すれば、あとはできる限り迅速に工事を進行させるだけだった。歴史的な遺跡の調査や保存など様々な問題が残っていたが、それまでに行われた成果を元に、緊急に調査結果として纏められた。

 工事は日本の総力を挙げて進められた。まず皇居、そして国会議事堂と監督諸官庁である。これだけの大工事を富士山が噴火するまでに完了しなければならない。
 一方、北海道や種子島周辺の日本領海へ不法侵入は後を絶たなかった。中国と韓国は、日本海で日本との海戦をを想定した軍事演習を続けていたが、いよいよその演習が実戦さながらの様相を帯びてきており、日本への侵攻間近のように緊迫感が漂ってきていた。
 もちろん政府は、中国、韓国の両国に厳重に抗議しているが、演習を止める気配はなかった。日本の自衛隊は離れて監視するだけで直接阻止行動はできなかった。集団的自衛権は認められてはいたが、その頼りとする米軍は、一向に阻止行動をしようとする動きはなく、見て見ぬふりをするばかりだった。
 相手は日本を戦争に引き込もうとしているのは明白だった。いや中国や韓国だけでなく、同盟国のアメリカそのものが、日本を戦争に引きずり込もうとしているようでもあった。

 その頃には、政府も国民も大体彼等の魂胆が分かりかけていた。それは日本国の存亡にかかわる大事な局面だと皆が承知していた。「ここはどんなことがあっても彼等の陰謀に乗ってはならない」
 日本には第二次大戦の悲惨な教訓があった。
 国家の一大事に追い込まれた日本は、以前までは政府と国民がしょっちゅう対立していたにも拘わらず、この危機を迎えて一致団結できた。

 日本政府は、前回中止した国民投票を実施した。
その結果、大多数の国民がアメリカの統治下に加わることに賛同した。その結果をふまえて米国に対して正式に申し入れをすることになった。
「日本は、アメリカ合衆国に加盟したいと希望する。もちろん合衆国の一州となれば貴国の法律に全て従うつもりである」と。
 このような意味の要望を正式文書で差し出したのである。
 日本側にしてみれば、一戦も交えずに軍門に下るのは、大和魂の武門の国としては些か不甲斐なさ過ぎる。
 だが日本としては、もう血を流し合う悲惨な戦争はこりごりだった。終戦の日に二度とこのような、血を血で洗うような戦争は決してしないと心に誓ったのだった。「不甲斐ない」「惨めだ」と言っても先の大戦を思えばいくらでも我慢出来る。少なくとも命は守れるし、血も流さなくて済むのだ。

 今回の日本の身の振り方についても、前回と同様に首相の諮問機関の同じ人物から井角建に事前の相談があった。
 井角は前回と同様に、次のような意味の意見を述べていた。
-----この地上から戦争を無くそうとすれば、全世界を支配できる軍事力を持つ一国家に全世界を統一してもらうことだと思う。今世界を見渡して見ると、それはアメリカ以外には考えられない。古く日本の歴史を考えてみても、戦国時代は群雄が割拠してむごたらしい戦争が続いた。それを信長が些か強引な力によって統一の方向付けをした。秀吉がその業績を引き継ぎ、ご存知家康が太平の世を招来した。そのような事を参考にしてみてはどうか。そこで現代の世界だが、今アメリカが世界統一の最有力候補だと思う。いかにも乱暴なやり方をしそうだが、まずアメリカに地平(ぢなら)しをしてもらったらどうか。その為にも今はアメリカの支配下にずっぽりと組み込まれるのが最良の日本の処世術だと思う。アメリカの五十一番目の州になることを自ら進んで申し出て、まずはアメリカの世界支配に手を貸そうではありませんか……と。

 それで、世界中から戦争がなくなるのであれば、それで大いに結構と井角は考えたのである。
 アメリカ合衆国に加盟する条件として、前にも言ったように、奈良県を特別区として自治の権利を認めてもらうこと。そこには皇居を定め、前例通りの天皇制を認めること。また日本は、JAPANではなくNIPPONの表記で統一すること。それらのことを引替え条件としてなら、アメリカ合衆国の五十一番目の州になっても良いと井角は意見を述べた。
 しかしそのような条件を付けてアメリカが了承するだろうか?と政府筋は気にかけた。それに対して井角は、
「アメリカの立場になってよく考えてみてください。血塗らずして日本が手にはいるのですよ。きっと受け入れますよ」
 井角は自信を持って政府高官に返答した。
 日本政府は、井角が提案した内容をそのまま交換条件として、合衆国に加盟の申し入れをした。
 おそらくアメリカは、待ってましたとばかり喜んで了承するだろう。井角には先の展開が手に取るように見えた。
 
 結果的にアメリカは、日本を合衆国に組み込むことを了承し、その前提条件としての要望をことごとく認めたのだ。
 何故アメリカが日本の要望を悉く呑んでまで、自国の州に加えたのだろう。
 日本は戦前から資源の乏しい国と思われていた。しかし二一世紀を迎えて以降、日本近海には豊富な海底資源が眠っていることが分かって来た。近年の調査では、エネルギー資源として特に有効なメタンハイドレート、金やコバルトなどのレアメタル、レアアースなどが大量に埋蔵されていることがアメリカにも知られていたからである。この貴重な資源は、アメリカとしては是非確保しておきたいものだった。それにこの資源の発掘には高度な技術が必要だった。
日本を属州にしてしまえば、資源とその発掘の技術が労せずして手にはいるのだ。

 井角は思う。アメリカは、というよりもワンワールドを企図する勢力は、日本がどのように抵抗しても、いずれ彼等はこの資源を根こそぎ奪い取りに来るだろう。それなら無駄な血を流さないうちに、日本の方から先に彼等の懐に飛び込んだ方が良い。そのような考えからアメリカの五十一番目の州になるのが良いと政府筋に具申したのだった。もちろんアメリカは日本を自国の州に加えるだろうことを見越しての話だった。
 それだけではない。おそらく彼等は、世界中で探している聖櫃が、日本に隠されていると、すでに察知しているのではないか。それなら、尚更どのような条件を付けても、アメリカは日本を州の一つに加えることだろうと、井角は確信していたからである。 
 正式に合衆国に加盟して、その後に日本が、いや、合衆国日本州DYが盟主となって世界を統治する。その時にはどのように他国があがいても、他の勢力がどの様な手段で対抗しようとも、とても太刀打ち出来ないほど日本DY(District of Yamato)が名実共に力を備えているはずである。
 井角はひとりほくそ笑んだ。

 日本は、正式にアメリカ合衆国の五十一番目の州となった。
 それまでのいわゆる日本人は、すべてアメリカ人となった。もちろん人種的にはそれまでの日本人と変わりはないが、国籍がアメリカ人となったのである。言うまでもないことだが、あらゆる事がアメリカ合衆国法に制約されることになった。それまでの日本国民と最も大きく違うところは、徴兵制度の義務を負うことである。
 それまで気楽に暮らしてきた日本人にとって、徴兵に応じなければならないというのは大きな覚悟が伴った。しかし考えてみると暮らしている国を護る徴兵制というのは、或いは当然の義務とも言える。
 アメリカ国籍となることによって、命の危険が伴う徴兵には応じなければならなくなるが、一方で良いこともあると思われた。それは、国民一人一人が妥協を許されなくなり、良いことは良い、悪いことは悪いとはっきり峻別されることだった。

 社会保障制度も今までのような手ぬるい基準では支給してもらえなくなるだろうと思えた。生活保護についても、それまでのような甘い基準では支払われなくなるどろうと予想できた。
 仕事に就かず、したがって社会保険料も払わず、長年にわたって遊び暮らしてきた人間が、生活に困ったからと言ってそう易々とは生活支援はしてもらえなくなる。旧日本では、長期間社会保険料を払ってきた給与生活者が受け取る年金額より、困窮者の生活保護費の方が多いというような矛盾がある。おそらくそのようなことはアメリカ国民になれば決して許されないだろうと思われる。つまり、まじめに働いてきた国民には、国はそれだけの最低保障はするが、遊び暮らしてきた者は例外とされるだろうということだ。その点はアメリカの方が、信賞必罰を正確に実行するような気がするのだ。

 富士山は」相変わらずいつ噴火を起こしても不思議でない状況が続いていた。各地でも火山活動が活発になり、至るところで小さな憤煙を上げていたが、日本がアメリカに編入されたため、国境線の不法侵入はまったく無くなっているのが、せめてもの救いである。
 遷都という意味ではなくなったが、東京から関西方面への政治の主要機関の移転は続けられていた。日本州の州都を東京から奈良へ遷す大事業である。富士山の大噴火は決定的と思われ、新たな州都機能の整備が急を要していた。州都奈良はニッポン・ディーワイ(Nippon D.Y.)と呼ばれ、そこには天皇が住まう皇居と、日本州会議場の建設が決定されており、工事は急ピッチで進められている。


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