まほろば
「古代史から日本を読む」 上田正昭対談集/学生社
                          (司馬遼太郎との対談より)

「実証を抜きにして学問は成り立たないので、実証そのものはひじょうに大切ですけれど、それだけでは歴史は書けない。歴史をどう考えるか、どう見るかと言うこと、それからどう叙述するかということ、そこには歴史するものの洞察力がはいってきます。ですから歴史家とは、歴史分析の方法と、歴史叙述と、そして歴史観、この三つを備えた人でしょうね」 と上田正昭もと京大教授は語っている。




日本の霊的危機

戦後に否定された日本の歴史や道徳教育によって、今、霊的危機に直面していると云えるのではないか。

西欧の価値観・文化によって日本がなくした大事なもの?
それは日本の道徳や美的感覚、家族の絆。唯物主観の歴史・考古学、個人主義がはびこり、国家理念の欠落によって国体と家族制度が崩壊していく。
外国人さながら自国の悪口ばかりをあげつらう、自称進歩的知識人、文化人、学識経験者による自虐的歴史観など、彼らが日本人の精神をどんどん腐敗させていった。

「子孫のため、誤られた歴史はかきかえられねばならぬ。この戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のため撒いたことであることは明瞭だ」
「アメリカはABCD包囲陣を作り、日本を経済封鎖して、石油の禁輸を行い、ハルノートを突きつけ日本を開戦に踏み切らせた張本人である」と昭和27年11月6日の極東軍事裁判で、インド代表判事 ラダビノード・パール博士は言ったそうである。
「日本歴史の特性」の著者、坂本太郎東大教授は
「輝かしい平和と独立を保ち続けた日本の歴史を、世界に稀有な存在だと知るとき、国家愛、民族愛、伝統愛は油然として湧き起こらねばなるまい」と言っている。

今の日本ほど、建国以来の歴史の中で、精神的に退廃した危機的状況はないと言えるのではないだろうか。








なにごとの在しますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる
                                  西 行

Here, in this holy place,
I feel the underlying unity of all religions .
Arnold Toynbee 29 November,1967
「この聖地において私はあらゆる宗教の根底的な統一性を感得する」
         アーノルド・トインビー   昭和42年11月9日


 
古代 人は神とともにあった

すべてのものに人は神の声を聞く

風に祈り 雨に感謝し 嵐におののいた

恵みと災いは紙一重 その意思は神にあると信じた

石にも神は宿り 木にも聖霊は棲む

小さな昆虫 地をはう蛇にも

神の摂理はあるとして敬う

人は自然に生かされていた

その自然におのずと頭を下げ

天と地 または海 山 川

そこにあるすべてのものを祭った 
「神と女の古代」 楠戸義昭/毎日新聞社より 
歴史について
伊勢神宮に参拝した先哲
01.05.17
歴史に学ぶ・・・「カルタゴ」
カルタゴ:(Carthage)はBC.814〜146BC.に北アフリカに栄えた都市国      家で、現在のチュニジアがその地にあたり、地中海を挟んだ       ローマの対岸にあった。正確には「カルト・ハダシュト」新しい      都市の意味

カルタゴは紀元前6世紀頃、地中海に面した北アフリカで最も隆盛を極めた都市国家だったが、第一次から第三次までのポエニ戦争でローマに滅ぼされた。
この国は緑豊かで国民は勤勉、教育が行き届き西地中海最大の商業国、海運国として栄えていた国だったという。
この国の歴史を見ると、第二次ポエニ戦争までは、驚くほど近代の日本に似ていることに気付く。
まず,
〇国民は教育が行き届き勤勉であった
〇相当な軍事国(特に海軍)でもあった(戦前の日本に同じ)
〇貿易立国で大変な経済力があった
〇第二次ポエニ戦争後も、わずか10年位でで賠償金を一括返済出   来るほど復興発展をみせた
〇大帝国ローマの忠実な同盟国であった(現在日本はアメリカの忠実  な同盟国)
〇造船技術に秀で海運技術の発達した経済大国であった。
なぜカルタゴは滅ぼされたのか
第二次ポエニ戦争後、ローマも驚くほどの経済発展を遂げたカルタゴは、ローマの忠実な同盟国として講和条約を結んでいたが、たび重なる隣国ヌミディアの国境を脅かす挑発にたまらず、ローマの承認を得ずにヌミディアに侵攻してしまう。
かねてよりカルタゴに妬みと脅威を感じていたローマは、待ってましたとばかり,一気にカルタゴに大軍を差し向け、条約違反の名分のもと、女子供から老人にいたるまで一人として生かさず全員を殺戮。都市を悉く破壊し尽くした。
地には草一つ育たぬように塩まで撒き、徹底して地上からカルタゴを抹殺してしまったという。
カルタゴの教訓
ご存知アメリカは、現代のローマ帝国と言っていいと思う。
大国ソ連が崩壊した今、現代の大帝国として世界に君臨しているのがアメリカだ。しかも世界最強の軍事力を誇っている。
もともと彼らは古代ローマ帝国の末裔でもある。
一方、日本は民族はかなり違うと思うが、その文化や経済はカルタゴに酷似している。
日本は第二次大戦後、アメリカと講和条約を結び同盟関係にあるがもし日本が隣国と国境紛争が起こった場合、この日米間の条約はどう作用するのだろう。
自衛上、国内の法整備や事前協議事項についても慎重な対応と対策が懸案となる。
カルタゴ
●前6世紀頃、最も栄えた地中海に面した北アフリカの都市国家。
●建国は紀元前814年、ティルスの王女エリッサの建国という。
●フェニキア人の子孫、ポエニ(カルタゴ人)の国。
●フェニキア人はヘブライ人に近いセム族人種。
●彼らは頭にハチマキを付けたり、まげを結ったりしていたという。
●人口は200BC頃20万人位だったという(50〜70万人の説もあり)
●宗教は多神教で、一柱の神を神々の上に頂いた。
●最初の最高神は太陽神でもある男神バール・エシュモンで、前5  世紀以降は処女神のタニトだった。
●神主や巫女がいて、神学校もあった。
●人の子供を生贄にする習慣があった。
●強力な軍隊があり、傭兵制であった。
●300BC.頃、カルタゴには既に鉄製武器が大量にあった。
●300頭の象部隊、4000頭の騎馬部隊に歩兵は2万人あった。
●カルタゴの周囲は全長37kmの城壁で守っていた。
●第二次ポエニ戦争ではハンニバル将軍は象部隊を率いてアルプ ス山脈を越え進軍した。
●無条件降伏をして象や武器をローマに没収され、講和条約を結び
 自衛軍のみ許された。
●隣国との国境紛争が原因でローマに攻撃され第三次ポエニ戦   争が始まり、146BCローマの執拗な攻撃でカルタゴは地上から   跡形なく消えた。

★ポエニ戦争:第一次264〜241BC 敗戦
         :第二次218〜201BC 無条件降伏
         :第三次149〜146BC 国家消滅

★汝の智慧と明哲によりて汝富を獲金銀を汝の蔵に収め、汝の大いなる智慧と汝の貿易をもて汝の富有を増しその富有のために心高ぶれり・・・
汝正しからざる交易をなして犯したる多くの罪を以て汝の聖所を汚したれば我なんぢの中より火を出して汝を焼き凡て汝を見る者の目の前にて汝を地に灰となさん 國々の中にて汝を知る者は皆汝に驚かん汝は人の戒懼となり限なく失果てん  (エゼキエル書 第28章)









  

   
日本はカルタゴの歴史から学ばなければならない。
21世紀の「カルタゴの悲劇」とならぬことを祈るばかりである。
少なくとも隣国の挑発に乗せられて、紛争することの愚だけは避けねばならないと思うものである。

      ’01.08.15 第二次大戦敗戦の日に    丸谷 巖     


参考文献:「世界大百科事典」 /平凡社 
      :「ある通商国家の興亡」 森本哲郎/PHP研究所
      :「カルタゴ人の世界」 長谷川博隆/筑摩書房
      :「舊新約聖書」   /日本聖書協会



      
まほろば