現代ジャーナリズムの問題点

 まず初めにジャーナリズムとは何かという問題から入りたい。
 ジャーナリズム(Journalism)とは、『マスコミュニケーション辞典』によれば、「日々生起する社会的な事件や問題について、その様相と本質を速くまた深く公衆に伝える作業。またその作業を行う媒体をいう」とあり、『日本のジャーナリズム 内川・新井編』では、「時事的な事実や問題の報道・論評の社会的伝達活動」であると述べられている通り、とりわけ公共性の強い情報を扱うことをいうようだ。一方マスコミュニケーションとは、一言で言えば「大量にコピーしたものを不特定多数に伝える行為」であって、関連語彙ではあるが意味は違う。しかし「ジャーナリズムの一員であるジャーナリストが、いわゆる“マス・コミ”を通じて大衆に情報を伝達する」というような言葉の使い方はできるだろう。

ジャーナリズムにおける正義とは勿論、真実の報道であろう。ジャーナリズムのもともとの意味は「日記を付けること」だそうである。それも毎日毎日正確につけことから始めなければならない。
 報道の自由は民主主義の基盤として不可欠である。ジャーナリズムは権力を監視し、国民の番犬としてその圧力に屈することなく、国民の知る権利に応えなくてはならない。しかしながら昨今はそのスタンスはかなり危うくなってきているのではないか。勿論ウソの報道をしていると言うのではない。ウソではないが報道内容に偏向・片寄りがあるように見えてならない。巨大な勢力が国際世論を彼らが意図している方向に誘導しているようにも窺える。大手広告代理店が国際世論まで操っていることは周知の事実でもある。情報操作によって選挙を通じて政治の方向まで変え得る力を持つ。また、不当な侵略・戦争行為すら正当化するかも知れない。
「ワン・ワールド」、「グローバル・スタンダード」などの美名のもと、このスローガンを掲げた“超国家勢力”が、世界各国の資源・経済・金融・科学技術など、あらゆる分野を支配しているようである。世界中のジャーナリズムやマス・コミ機関を、巧妙に間接的な支配下に置いているとも聞く。このような強力な力の背景の中で、はたして報道の正義は守り続けられるか甚だ疑問である。
 また一方でいかに報道の自由といえ、新聞やテレビなどの公器は国民に非常に大きな影響を及ぼすので、国益についてもっと真摯に考える必要があるのではないだろうか。以前にマス・コミは「ロッキード事件」で、民族主義派の有能な政治家を失脚させた。スキャンダルや様々な疑惑報道が原因で有名な民間の企業人をも失墜させたりしたこともあった。これは国家的な損失である。
 近年のデリバティブの導入問題、イラク問題。最近の日本の金融機関の再編や統合。最近の原油価格の異常な高騰等々。枚挙にきりがない程、これらすべてに国益を睨んだ国家戦略が絡んでいる。

超国家的なグループは世界のあらゆるマスメディアを支配していると考えられ、これらを動員させたプロパガンダはすさまじい威力を発揮する。意図ある国際戦略に基づいたニュースソースを世界中に配信してもいる。
 たとえばアメリカなどの強大な軍事力を背景に、全世界を支配して、最終的には言語、通貨などの一元化をはかり、世界国家を樹立することも可能と思われるほどだ。
 日本は独立国家のはずである。アメリカの走狗になるようなことだけは避けてもらいたいと思うものである。
                                            以 上      

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