真朱の姫神 第一部現代編
                                                                                    
 九、丹生の霊峰
 
 天気予報では「晴れのち曇り」ということだった。
 井角と佳与の二人は国道二四号線で五條市に入ると、天誅組の本陣跡として有名な桜井寺前で左に折れ、一六八号線を南へ向かって走っていた。戦前、五新鉄道が計画された路線である。
 丹生川に沿って進むと「南朝」ゆかりの地として又、「梅林の里」として有名な「賀名生(あのう)」に至る。ここは昔、穴穂(あなほ)または穴生(あなお)という邑(むら)であったが、佳字をあてて賀名生としたといわれるが、今は西吉野村の一つの字名となっていて、その辺りは今から登っていく標高六一二メートルの銀峯山(ぎんぷざん)がある西吉野村の南部地域に当たり、林業と梅干し用の青梅がこの地の主な産業である。それに対して北部は果樹の里として知られ、特に富有柿は日本一の産地となっている。

 トンネルを過ぎて城戸(じょうど)というところから、県道下市線に入り北に行くと十日市に出る。そこは丹生川に支流の紅葉川が合流する川合いで、目指す「波宝(はほう)神社」が鎮座する銀峯山々上への登り口がある。そこには小桜神社があった。その向こうを左に折れて、山頂に続く細い急峻な舗装路を、杉や檜の木立を縫って五キロほど登っていくと朱色の大鳥居がみえてきた。
 近づいて見ると右脇の石塔には、
    式内社 波宝神社
    祭 神 住吉明神 神功皇后

と書かれ、その鳥居からさらに上に向かって参道が続いている。

 井角は車を参道の手前で停めると外に出た。佳与も続いて降りてくると井角の横に並びかけ、大鳥居を仰いで言った。
「ねぇ、ちょっと上を見てよ。ほら、あの額の字、あれ何と読むの」
 井角は改めて額を見た。隷書の異体字のようであった。
「むつかしいな、ちょっと待ってくれよ」
 子供の頃、何回も来ていた。井角はこの神社のあるこの里で生まれ、この地で育った。しかし、こんな扁額が架かっていた事は知らなかったし、そんな意識もない。
 ただ秋祭りは毎年楽しみで、神輿(みこし)が出て露店が並び、大勢の人たちで山頂の境内がいっぱいになって、とても賑やかだったことを覚えている。
「たぶん、『神蔵(かみのくら)大明神』と読むんだよ」
 井角は以前に調べた史料に、この神社は古田荘十二村の氏神で昔は「古田(ふるた)大明神」又は「神蔵大明神」といわれていたと書かれていたのを思い出した。
「何か意味があるのかしら」
「役行者がこの銀峯山で秘法を行ったところ、神女が現れ『国家を鎮護し民衆を化導せよ』と告げて石窟に蔵(かく)れたと伝えられている」
「ところで地名は何というの」 
「西吉野村夜中(よなか)といい、これにも伝承があって昔、神功皇后が南紀日高よりこの地に反乱軍の難を避け遷り来た時、にわかに夜のように暗くなった」
「それで夜中という地名になったらしい。以前は安場邑(やすばむら)といわれていたという」
「きっと日食だったのよ。でもアマテラスの『天の岩戸伝説』を連想させるわね」

 話しながら二人は車に戻った。
 参道は坂が急で山頂の社殿まではかなり離れている事を知っており、佳与がヒールを履いていたこともあって、車に乗って鳥居の下をくぐりそのまま登っていく。
 両側には榊の灌木や樫の木、榧(かや)の木、山椿などの広葉樹がうっそうと生い茂っている。 道は急で曲がりくねっており、コンクリート舗装でスベリ止メまでされていたが、落葉や小石でハンドルが取られそうになる。

 山頂は広場になっていて左側に建物が続いている。社務所前の広いところに車を停めてあたりを見まわすと、小さかったときのことがまざまざと思い出された。祖母に連れて来てもらったことが一番多かったような気がする。
 井角の家も女系家族といおうか母も祖母も養子婿をもらった。井角自身も男兄弟はなく、四人の子供の中で男一人であった。 井角が生まれた時、両親は「建(たける)」と名を付け喜んだが「こんなときに男の子が生まれても『鬼畜・米英』にチンチン取られてしまう」と嘆いたそうである。その頃、大人の男は殺され男の子は去勢されると噂されていたのだ。終戦の年の五月のことである。
 そんなことを思い出しながら拝殿に向かって歩いていった。社務所にも何処にも人の影はない。宮司は農業と兼業で社務所に留守番すらおいていない。
 石段を登って行くと、左側に手水舎(てみずや)があり、桜の神紋が入っている。さらに進むと古いが貴賓殿や神輿庫などがあり、屋形門風の拝殿に到る。その奥が本殿で檜皮葺(ひわだぶき)の連棟社殿となっていて、前面には海と太陽と三羽の鶴の絵が描かれている。その春日造りの神殿は柱や梁が極彩色に色付けされていた。

 子供の頃、あんなに大きくみえた神社は、意外に小さかった。
 晴れていた空が曇ってきていた。 
 拝礼をすまし、石段を降りてくると、横手には大きな切り株がところどころ目についた。切り株が随分古いので、百年位は前のものかも知れない。村史ではたしか「明治四一年、古木大樹伐採」とあった。何の用に供されたのかは書かれていなかった。
 この波宝神社境内は、幕末のいわゆる天誅組事件では最後の本陣が設けられたところでもある。その頃は銀峯山神宮寺もあり、うっそうとした大樹が茂っていたはずである。
 そしてこの「天誅組」に丹生川上神社下社の神官、橋本若狭が幹部として参加し十津川郷士と共に大活躍をしている。
 井角は以前に図書館で調べたこの神社の由緒を思い出していた。
 この神社は、古記録によると「貞観八年(八六六年)、黄金岳にある『波比売(はひめ)神社』と共に、神階・従三位を下賜された」とあり、創建はさらに遙か悠遠の昔と伝えられるが、定かではない。この波宝(はほう)神社が鎮座する、この銀峯山は白銀岳(しろがねだけ)ともいわれ、波比売神社のある隣村の黄金岳(こがねだけ)と共に、南方の櫃ケ岳(ひつがたけ)(銅岳)と「金」「銀」「銅」の吉野三山を形成し、古代より岳信仰(だけしんこう)の霊峰として崇敬されて来たのである。
 実際に古い鉱山跡があり、役小角(役行者)の修行伝承もある。日本霊異記に、・・・倭の国の金の峯と葛木の峯とに橋を渡して通わせ・・・と載っている説話の「金の峯」とは、実はこの黄金岳のことで、丹生の一族から役小角が、葛木の鴨族に丹砂精錬の技術を伝えたという意味だと井角は解釈していた。
 そしてまさに「金峯山(きんぷせん)」はこの黄金岳のことでありそれは「銀峯山(ぎんぷざん)」の白銀岳に対応していると考えていいと思う。

 曇っていた空から、ポツリ、ポツリと雨が降り始めた。二人は、有栖川宮家(ありすがわのみやけ)が寄進されたという貴賓殿の軒下に入ると、その建物にはまったく似付かない、「○○建設寄贈」と書かれたペンキ塗りのベンチに腰掛けた。
 この建物のすぐ横には「有栖川宮韶仁(つなひと)親王祈願所」と木札の懸かった小社がある。
 雨は降り続いていた。 
 井角が設立した有限会社彌栄(やさか)広告は、三年目を迎え業績は順調に推移して、今はある程度余裕ができ、時間も自由に取れるようになっている。佳与とのつき合いは相変わらずで、食べ歩きや神社巡りをしていたが、お互いの都合もあり、井角は一人で行く事もあった。つい先月も波比売神社を一人で訪ねている。
 雨は大降りになり、冷えこんできていた。
 井角は、左手で佳与を抱き寄せ、波比売(はひめ)神社へ行った時のことを思い出していた。

 あの時は霧だった。その神社は、下市町栃原(とちわら)の黄金岳にあり、波宝(はほう)神社の白銀岳と、古代より密接な関係があったという。神社名も、「波宝」と「波比売」で似通っている。井角はこの西吉野で育ちはしたものの、その波比売神社へは行ったことがなかった。それでその日は、まったく初めての参拝だったのだ。うっそうとした、杉木立の中は、深い霧りが立ち込め、(この上に本当に神社があるのだろうか)と、ヘッドライトをつけて細くて引返すこともできない、曲がりくねる細い参道を上っていったのだった。
 標高五一七メートルの黄金岳山頂にある波比売神社は、その拝殿横の灯籠に「金岳八幡宮(きんだけはちまんぐう)」と刻まれ、祭神は応神天皇と罔象女(みずはのめ)神とあり、神紋は意外にも左三ツ巴で丹生都比売神社と同じであった。井角はその時のことを思い出しながら考えを巡らせた。
(八幡宮の応神天皇は分かるとしても、ミズハノメは水神である。どういうことなのだろうか)
 井角はこう推理する。まず神社名の由来である。「波宝」は昔はハホノと言い、灰吹男(はひふきのお)がその語源で、対して「波比売」はハヒメで灰吹女(はひふきめ)がそれにあたり、元の祖神はフイゴ神ではないかと思われる。つまり初めてこの地にやって来た、先史吉野の開拓者は、沢伝いに鉱脈を求めて、下流より遡って来た海人族ではなかったか。そしてタタラ精錬の王国を築いたのである。
 もちろん先住民との混血もあり、同化していった。そして、それらの人々が精錬の神として祀ったのが、古田大明神(ふるただいみょうじん)といわれた神であったと思う。「灰吹」は古代の精錬法であり、「フルタ
」には、古代には精錬の村という意味があったといわれる。この神が後に丹生大明神と云われる丹生都比売に代わったのではないか。

 雨は小降りになってきていた。佳与は井角にたずねた。
「前にあなたが言っていた神功皇后の秘儀とは何だったの?、占いの一種なの?」
「真男鹿(まおか)という雄鹿の肩骨を、波波迦(ははか)という桜の木を燃やした火で焼き、吉凶を占ったらしい、それを宇気比(うけひ)という」
「ハハカってどんな桜なの」
「波波迦は朱色の花を付ける桜で、カバサクラともいうらしい」
「また、神懸りして神託を聞くというような事もやったらしいよ」
「どういうことを占ったの」
「さあ、そうだなそれは、夫・仲哀天皇との確執についてか、またはもっと後の香坂(かごさか)・忍熊(おしくま)の二王子の処遇について託宣をしたのではないかな」
「それが秘儀ということなのかしら」
「いや、僕はそうではないと思っている。この秘儀というのはもっと重大なことで、古代吉野族首長と大和朝廷との契約ではなかったかと思うんだ」
「たとえばどういうことなの」
「一番大きな問題は、皇祖神アマテラスと吉野丹生族の大明神との関係だろう。その取り決めをした。そしてもう一つは神領の問題だな。たぶん山頂から国見をして決めたんだと思う。」
 井角は続けた。
「それ以来、吉野は天皇の聖地となった。吉野族は天皇家に忠誠をつくし、後々の時代まで天皇と密接なつながりを持ち、武器・兵力、財力のバックボーンだった」
「武力は分かるとしてもそんなに財力があったのかしら」
「丹生族の独占であった丹砂(水銀・朱)が莫大な富をもたらした。一説によると空海のスポンサーも丹生の一族であったといわれる位だよ。」
「ところで、神功皇后という方は本当に実在したのかしら」
 近頃、古代史をよく勉強している佳与が聞いた。
「僕はいたと思うよ。ただし広い意味でいうとだよ。つまりそのモデルはいると云うことだ。しかし息長帯比売(おきながたらしひめ)といわれる人物は実在した。単純に言えば息長氏の娘という位の意味だろうからね」
 日本書紀によると神功皇后は、夫の仲哀天皇を河内国の長野陵に葬った後、皇太后となり誉田別皇子(ほむたわけのみこ)を皇太子に立てた摂政三年、大和国の磐余に都を作り若桜宮と呼んだ。そこで政治を行い、その摂政六九年、百歳で若桜宮に崩御すると、群臣は気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)の諡(おくりな)をたてまつったという。諱名(いみな)(実名)は不明。  
 古代、名はみだりに呼ぶものではなかった。実名は神々と両親と配偶者と自分自身しか知らない秘密だった。
 通称、王族の男子は皇子(みこ)、女子も皇女(みこ)だが神の妻「斎宮」となった未通の皇女は、特に比売皇女(ひめみこ)(姫巫女)と呼んで区別されたのではないか。
 一般的には官名や職名、出身地や部族名を付けて呼ばれ、王族以外の子は郎子(いらっこ)、郎娘(いらつめ)をつけられる。もちろん、下級官吏や部民などに名はなかったと考えられる。

 井角は傍らに腰かけている佳代に言った。
「ところで子供の頃、風呂焚(ふろた)きや竈(かまど)焚(た)きをした時、『吹き竹』という竹の筒でこしらえた火をおこす道具があったの知ってる?」 
「うん、お婆ぁちゃんがほっぺを膨らませて吹いていたのを憶えているわ」
「思い切り息を吸い込んでおいて長く続けて吹くのがコツだ。そうすると火力が強くなる」さらに井角は続けた。
「住吉神社神代記には興味深い記述がある。『丹生川上(にうかわかみ)天手力男(あめのたじからお)意気続々流(おきつづくる)住吉大神(すみのえのおおかみ)』と書かれているんだ」
「息長帯比売といえばフイゴに関係の有りそうな名前ね」
「その通り、僕もそう思うんだよ。母方は葛城氏で丹生の一族。父方は息長氏で近江が本拠といわれるが、これも精錬に関係があって、やはり丹生の関連氏族だと考えている。」
 雨が止み、霧がでてきた。
 二人は立ち上がると、車に向かって歩き始めた。歩きながら井角は続ける。
「話は少し変わるけれど、お伊勢さんにお祀りされている天照大御神、つまり皇祖神だが、このアマテラスと相殿で祀られているタジカラオの神、これがどうも息長氏らしいのだな」
「そして住吉神でもあるらしい」井角は続けて言った。
「天手力男(あめのたじからお)雄気長足魂(おきながたらしたま)住吉神(すみのえのかみ)という」
「つまり、タタラとかいう精錬の神様だと言いたいのかしら」
「もう一つ付け加えると神日本盤余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)、つまり日本の初代天皇・神武だが、その皇后の名は『媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)』といわれる」
「えっ!またタタラなの。そしたらアマテラスさんも精錬の女神かも知れないわね」
「まあ、想像にまかせるよ」
 きりがないのでもうこの辺でやめようと思った。大体分かりかけていた。
(きっとそうだ。だから吉野は聖地なのだ)と井角は思う。
 この銀峯山々頂の波宝神社は古代、「小竹宮(しののみや)」、「若桜宮(わかざくらのみや)」と呼ばれた。その沙庭(さにわ)で「小竹(しの)の秘儀式」が行われたのである。ここでヤマトの歴史は創られた。そして神はお隠れになられたのである。
 
 先程の雨で参道は美しく洗われていた。
 二人が乗った車は、参道をゆっくりと降りていった。大鳥居前の広場までくると、青空が見え、日が射して来ていた。井角と佳与は車を降りた。
 見渡すと、霧が晴れ始めたふもとの村々の向こうには、蛇行する吉野川が光って見えた。
 遠方には金剛、葛城、二上の山々がみてとれた。
 まだ吉野が歴史の舞台であった飛鳥の時代に想いは飛んだ。
 たたずむ二人に、過去の予感と未来の記憶が共にあった。

            
真朱の姫神 第一部・現代編 了
             
 日本の女帝は神の妻・斎宮でもある。そして、天照大神の伝説と、神功皇后・持統天皇の巡幸説話にヤマトの歴史が秘められている。
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フルタは古代韓国語かもしれない。現代韓国語で火は「プル」畑は「パッ」である。                  

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真朱の姫神 第T・第U・第V部 参考文献
【参考文献】
『古事記』 次田真幸訳注/講談社
『日本書紀』 宇治谷孟訳/講談社
『日本三代実録』 国史大系/吉川公文館
『大和名所図会』 原田幹校訂/大日本名所図会刊行会
『吉野郡史料』 吉野郡役所/名著出版
『西吉野村史』 鎌田三郎監修/西吉野村教育委員会
『新撰姓氏録の研究』」 佐伯有清著/吉川公文館
『丹生の研究』 松田壽男著/早大出版部
『日本姓氏大辞典』 丹生基二著/角川書店
『吉野 その歴史と伝承』 宮坂敏和著/名著出版
『天河への招待』 大山源吾著/駸々堂出版
『大和物語 アマテラスのメッセージ』 山内光雲著/たま出版
『道の古代史』 上田正昭著/大和書房
『古代日本の史脈』 上田正昭著/人文書院
『解読 謎の四世紀』 小林惠子著/文芸春秋
『天武と持統』 李寧熙著/文芸春秋
『古代の鉄と神々』 真弓常忠著/学生社
『古代の製鉄』 山本博著/学生社
『真言密教と古代金属文化』 佐藤任著/東方出版
『空海と錬金術』 佐藤任著/東京書籍
『役小角』 黒須紀一郎著/作品社
『探訪 日本書紀の大和』 井忠義/雄山閣
『謎の巨大氏族 紀氏』 内倉武久著/三一書房
『日本古代の祭祀と女性』 義江明子著/吉川公文館
その他、『大和志料』『吉野町史』『大淀町史』『下市町史』
『五條市史』『御所市史』など。