丹生伝説 現代編
                                                                                    
 七、十津川郷
 
 明くる日の朝、二人は日高郡龍神村から四二五号線を車で、吉野郡十津川村に向かって走っていた。山越えである。道は急勾配で細く所々に待避スペースが設けられている。
 昼前に十津川村に入り、一六八号線と合流するとそこが十津川温泉である。
 朝こちらの宿へは龍神から確認の電話を入れ、「夕方五時から六時頃には、着けると思います」と言っておいた。旅館へはすぐに行かずに、この村内の玉置(たまき)山にある玉置神社に参拝したかったからである。

 時間はたっぷりとあった。ダム湖を見ながら北に少し走ると左側に村役場があり、その隣の観光案内所の二階がレストランになっている。入ると中はかなり大きく清潔で、厚さが十センチもありそうな杉の一枚板でこしらえたテーブルが置かれてあり、うどんを中心とした郷土色豊かな和風メニウであった。
 昼食はそこで、てんぷら定食を食べる。山菜や根菜のてんぷらと太めの手打ちうどんがとても美味しい。
 一息ついてから店を出ると、向かい側に歴史民俗資料館があっったのでぶらりと入ってみた。中には大きな観光案内図が壁に貼り付けてあって、それを見るとこの十津川村には温泉が三カ所あり、そのほかにも有名な「瀞八丁」、「谷瀬の吊橋」など、名所がいたるところにあることが一目で分かる。
 二階には幕末に活躍した天誅組(てんちゅうぐみ)・十津川郷士の資料なども展示されている。係の若い女性に、玉置神社のことを聞いてみた。
 「玉置神社ですか。よく知ってますよ。山の上ですが、ここから車で三〇分位で行けます。とても立派な神社です。是非行ってみてください」
 そう言って略図を書いてくれた。大阪ではほとんど知られていないこの神社もここでは有名なのである。ほかにもこの村のことを、その女性は親切に説明をしてくれた。
 話によると、十津川村には寺院は一宇もないのだそうである。明治の廃仏毀釈の際に寺院は全て撤廃したという。十津川はそういう土地柄なのである。昔から十津川郷士の尊皇思想は徹底しているのだ。

 資料館を出ると一六八号線を走り、途中で柿の葉寿司を買うと、標高一千七六メートルの玉置山を目指した。
 十津川を東に渡り標識に従って、山頂を目指して急勾配を上っていくと、なるほど三十分くらいで山頂付近の広場に出る。そこが玉置神社の駐車場であった。そこに一の鳥居があり、社殿に参拝するにはさらに険しい道を徒歩で上らなければならない。その細い参道の両側は、うっそうとした老杉が立ち並び暗くなるほどである。足もとも悪く井角は佳与の手を取って慎重に歩いた。駐車場から歩いて二十分ほどで二の鳥居に至る。
 社殿はこの山の頂上付近にあった。
 由緒によると祭神は、国常立尊(くにとこたちのみこと)、伊弉諾尊(いざなきのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)の五柱で、神武東征の際、八咫烏(やたのからす)の先導でこの宮で兵を休めたとあるから、創建はずいぶん古いといえる。
 境内とその周辺には目通り十四メートル以上で樹齢三千年といわれる、神代杉、磐余杉、常立杉と名付けられた巨木が叢生していて、その創建の古さが窺える。ひなびた木製の鳥居をくぐり、急な石段をあがると神殿である。拝礼を済ませて社務所の方へ行くと、神官が正面に座っていたので井角は会釈をした。以前に奈良の地方紙にこの神社の記事があり、井角はスクラップした記憶がある。そこに写真も出ていたので、すぐ宮司だと分かった。二・三日前にもこの神社の場所を聞くため電話をしたので親しみもあり話しかけた。井角は話していてはっきりと先日の電話の相手であったこともわかった。そして、古代史やこの地のあまり知られていない伝承を、教えてもらったりしたのである。

 その後、玉置山々頂の展望台へ行き、柿の葉寿司の包みを広げた。
「こんな寿司は初めてよ。とても美味しいわ」佳与は気に入ったようにいい、食べながら玉置神社の話を始める。
「さっきの宮司さんが話していたヤタノカラスだけれど、あれは鳥のカラスではないの?」
「うん。カラスではなしに『山伏』だよ。熊野から険しい紀伊山地を越え、大和に入るにはどうしても道案内が必要だった」
「そういえば黒い頭巾をかぶったカラスのような装束の、昔の山伏の絵をどこかで見たことがあるわ」
「熊野山伏の頭(かしら)だったらしい」
「奈良県榛原(はいばら)町に『八咫烏神社』というのがあってネ。そこの祭神は建角身命(たけつぬみのみこと)だから葛木の鴨族だね」
 井角は続けて言った。
「葛木といえば役行者と関係はないのかしら」
「もちろん同じ葛木の一族だから関係はある。しかし役小角(えんのおづぬ)はもっと時代があとになるかな」
「たしか伊豆に島流しにされたわね」
「時代は違うが、『一言主(ひとことぬし)』も朝廷からうとんじられた」
「同じ一族が体制と反体制に分かれるとは悲劇ね」
「そう。同じ葛木族の中でも、ある部族は『土蜘蛛(つちぐも)』と呼ばれ誅されたけれど、山城の加茂氏や尾張氏、一部の葛城氏は天皇家と婚姻関係を結んで栄えているからね」
「えっ、尾張氏も葛木族なの」
「そうだよ。尾張は葛木の高尾張邑(たかおわりむら)の尾張でね。オワリは尾が有りという意味があって、これも井光(いひか)か国栖(くず)の末裔だと思うな」
「随分と入り組んでいるのね」
「日本人は混血民族だからなぁ」
 井角は水筒のお茶を飲んだ。
 下方で車の音がして、見るとワゴン車が展望台の下に止まった。家族連れらしい。子供の声が聞こえてくる。
 井角は大きく伸びをして立ち上がった。前に壮大なパノラマが広がっている。
 北には大峰の山々、東から南に遠く熊野灘、西に紀伊山地の山々が眺望され、天気もよく二人は満足して玉置山を後にした。  
 もう六時になっていた。約束の時間にはかなり遅れそうであったが、スピードは危なくて出せず、終始緊張しながら走った。旅館に到着した頃には、あたりはもう暗くなっていたが、門を入ると出迎えがあった。
 女将らしき人が「心配してましてんよ」と言って、案内の中居を付けてすぐ部屋に通された。
 すぐお茶を持って来てくれたので、心付けを渡し、先に食事する旨を伝え、飲み物も合わせて頼んだ。昼には龍神で温泉に浸かって来たし、随分と到着が遅れたので、料理人への心使いをしたのである。客の到着が遅れると多くの従業員に迷惑がかかるのである。

 食事をすると、やっと落ち着いた気分になれた。
 あれだけの距離を走るとやっぱり疲れる。少し日程がきつかったと二人で反省した。佳与はもちろん運転はできて上手でもあったが、出来るだけいつも自分で運転するつもりでいたし、帰り道にたのもうかとも思っていたからだった。
 食事のあと、ひと息ついてから二人は旅館内の家族風呂に一緒に入った。かなり大きな岩風呂で、川側が露天構造になっていて野趣がある。肌を寄せ合ってお湯に浸っていると気分がなごみ、精気が甦った。
 さっぱりした気分で浴衣を着て部屋に戻り、ビールを飲もうと思って井角は備え付けの冷蔵庫のハンドルを握ったが、
「佳与さん、今、パンティ穿いてる?」
「穿いてるわよ、もちろん」
「きもの着て、パンティ穿くのはおしゃれじゃないなあ」
 といって無理に脱がせた。
「ほいじゃあ、外へ飲みに行こう!」
 二人は浴衣に下駄履きで宿を出た。旅館が並んだ道筋を手をつないで歩く。
 並ぶとあまり背は変わらない。いつも佳与の方が少し高い位の感じであったのだ。

 一軒のスナックを見つけて中へ入った。誰も客はいない。「ああ、お帰り」と言われたような気がして、見ると正面のカウンターにいた初老の女が笑って迎えてくれた。  
 二人並んでカウンターに腰を掛け、ウイスキーの水割を注文する。女は少し痩せていて、一見とっつきにくそうな感じであったが、その眼光に妖艶さがあった。
 水割を作りながら、その女は饒舌だった。
 そして不思議なことを言いはじめた。
「あんたらは因縁の身魂(みたま)やの」
「もっと大昔にも逢うとるわナ、それは過去世のことや」
「あんたらが入って来た時、音楽が聞こえてきとった。昔から、歌好きやったんやのォ」
 こう言うと、自分も同じ水割りを作り、飲み始めた。
「今、音楽が聞こえて来てるで。イワンさん、あんたの歌や、今、歌うたる」
 女は琴のような声を出して調子を取る。
 タンツンツンツン・・・ツンツン・・・
 朗朗と歌い始めると、男の声に変わっていった。

  ヤヤヤオー、ヤヤヤオー・・・
  奈良の都に春がくるよ 桜の春がくるよ

  ヤマトは神の ヤマトは神の 
  ヤマトは神の造りし国なれば 
  ヤマトやよしヤマトや春 ヤマトや桜
  ヤマトは今春の盛り ヤマタイの国
  いずれまたくるや都に 
  この那羅(なら)の都にくるべく
  雁はいそぎ 走れ畝傍(うねび)へ行くや 
  那羅(なら) 那羅 那羅
  畝傍の春 うれしやの 桜の花の君の 
  白き衣(きぬ)のごとくその山を包む 咲きに咲く。

  桜やうれし 大和の物部(もののふ)の 
  その愛、その命その力 桜に秘めて 
  ほほえみよ 中に愛を包む

  君は白妙(しらたえ) 愛は爛漫の 桜やうれし
  やや 武士(もののふ)よ努めて集え 
  さざれ石の 巌(いわお)となりて
  千代に八千代に 大いなる礎(いしずえ)
  奈羅(なら)の城を築かなむ

  桜やうれし 奈良に桜の咲く春に 
  神の来(く)る日その日なれば 
  奈良に集え 奈良に集いて
  語りあかさん はるばる 桜の春やよし   
  タンツツン・・・ツン・・・タンツンツン     

 長い歌が終わった。
「もうこんなん、二度と歌われへん」
 女の声に戻っていた。
 そのあと、女は説明してくれた。
「タマヨリノミコという神さんが、わてに憑いて歌えいうんや」
「今の歌はなあ、あんたが過去世に歌うてた歌や」
「古代大和の歌やで。その時あんたはカオリャイワンという名前やった」
 女は井角の目を覗き込むようにして言った。
「このツンツンと言うているのんは倭琴(やまとごと)の伴奏や」
 音楽が聞こえてくると、自然と言葉が口をついて出て来るのだそうである。そして他にも、いろいろとささやいてくるらしい。
あとはこの村の話をしたりして、帰る段になり、
「お勘定は?」と言うと
「一万円!」 と大きな声でいい、払って帰ろうとすると
「ホイ、おみやげ!」と云ってポンとカセットテープを渡してくれた。
 こういうことが時々あるので、録音の用意してるのだという。 井角は大事に手に持つと店を出た。
「女のパンティ脱がせておいて、放ったらかしなんて失礼ネッ」 佳与は井角の腕を取ると身体を寄せてきた。


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